2018.5.19読売新聞「群馬版」から
2018.5.19の読売新聞「群馬版」に、たいへん興味深い記事が掲載されました。
住職が不在で荒れてしまった寺を整備して、ヨガ教室を始めたという内容の記事です。
趣味の山歩きをはじめ、いくつかの研究グループに参加させていただき、その調査で各地に出かけるのですが、ここ最近はとくに集落に空き家が増え、寺や神社が荒れてきたように感じます。
以前、つぎのブログ
少子化の時代とわかっていても・・・ とても驚いてしまいました |
で、保育園が休園することになったことを紹介しましたが、この保育園は寺の境内にあって、檀家・地域住民の大切な存在であり、多くの方々がこの保育園に通ったものでした。
子どもが減ってきているということは、寺を支える檀家も少なくなってきているということでしょう。
ネットで檀家を調べたところ、
その寺に属し、布施をして寺の財政を助ける家。
とありました。
私が子どものとき、寺は遊び場であり、お盆のときなどには、お線香の香りがただよう本堂で、お坊さんのお話を聞いたり、幻燈(当時は、スライド映写といわず、幻燈といっていたかと・・・)を見せていただいたり、いろいろなことを学ぶ場でもありました。
春と夏のおまつりのときは、たくさんの露天商が境内に店をひろげ、多くのひとびとでにぎわい、夜にはカーバイトのランプのあかりで、それはそれはたいへん美しいものでした。
いまでは、かたちだけのようなおまつりになってしまい、かつてのにぎわいは消えてしまいました。
そして、境内で遊ぶ子どもの姿を見ることもなくなりました。
これからの時代、寺を維持、存続していくことは、ますます困難になっていくと思います。
若い人々のなかには、先祖からの寺とのつきあいを断ち、無宗教の葬儀を行う、といった人がいると聞いたことがあります。
これからの時代のニーズ、若者たちの価値観に応じて、寺も大きく変化していかなければ、荒れ果てた寺があちこちに生まれ、それがやがて朽ち果てていくという、そんな状況に向かうように思えてなりません。
それぞれの集落、地域にあって、人々のこころのよりどころであり、災害時での避難場所でもある寺の役割などには、これまでもこれからも大きなものがあると思っていますが、人口減少時代にふさわしいかたちに変化していかなくては、もはや対応できない時代になってきているのだろうな・・・と、そんなことを感じた
古寺再生 ヨガ教室に
の記事でした。
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