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2018年6月18日月曜日

戸谷半兵衞

地域のために尽くす

以前に紹介(↓)

「中山道&下仁田道の旅」がいいかも・・・ 
   道の駅しもにた+道の駅オアシスなんもく

した「中山道の旅2018版」の16頁に、
  大光寺と見透燈籠
という見出しの記事(↓)があります。

(大光寺には)かつて神流川の渡し場にあった見透燈籠があります。この燈籠は、文化12年本庄宿の戸谷半兵衛が寄進したもので、正面には大窪誌仏による「常夜灯」と桑原北林による「金毘羅大権現」の文字が、右側面には「燈に背かざりせば闇路にも迷いわせまじ行くも帰りも」と田口秋因の和歌が刻まれています。

いまは、大光寺にある見透燈籠ですが、かつては神流川の渡し場にあり、旅人の目印になっていました。
いま、ふるさとの歴史と文化を学ぶ会の一員として、中山道から本庄宿で分岐し、藤岡・吉井・富岡・一宮・下仁田を経て、信州岩村田につながっている脇往還・下仁田道(このほかにも追分街道とか富岡街道など、むかしの文書を見ていますと、いろいろに表記されています)を調べているのですが、その一環として、舟運、渡し場の位置なども調べています。 
渡し場の燈籠「常夜灯」は、いまでも海にある灯台と同じ役割をしていたもので、江戸時代の旅人や舟運に携わる人々には、たいへんありがたいものであったことでしょう。
また、本庄宿の戸谷半兵衛は、手広く商いをされていたようですので、安全確実な物資の輸送や人の移動は、重大な関心事であったということも想像できますが、ビジネスで儲けたお金は、地域のために役立てるといった気持ちがあって、渡し場に燈籠を立てることにしたと考えてよいと思います。
江戸時代の旅、物資の輸送などは、現代のわれわれには想像できない困難と危険がありました。
舟運にしても船が沈んでしまったり、陸路の輸送では、人や馬が崖から落ちるとか、さまざまな事故も発生していました。
この燈籠に「金毘羅大権現」の文字も刻まれているのは、安全な舟運を祈っているからにほかありません。
関東の河川には、舟運の安全を祈願する神として、大杉神社の神と金毘羅大権現がありますが、これは舟運の安全を祈願するために広まったといわれています。
この常夜灯に刻まれている「燈に背かざりせば闇路にも迷いわせまじ行くも帰りも」 は、この燈籠を寄付した戸谷半兵衞の思いをあらわしたものであったかもしれません。
たまたま見つけたのですが、本庄市にある金鑚(かなさな)神社の手水舎の水盤に戸谷半兵衞の名前が刻まれていました。
世話人の3名中、いちばん左に戸谷半兵衛の名前が刻まれていますので、この3名のなかでは、いわば若輩者といった立場であったかもしれません。
この水盤に刻まれている享和3年は1803年であり、見透燈籠に刻まれている文化12年は1815年ですので、この間にビジネスがうまくいき、戸谷半兵衛は本庄宿で押しも押されもせぬ立場になり、独力で見透燈籠を立てることができたのかもしれません。
戸谷半兵衞は、200年以上もあとの時代に、このようなことをブログに書かれようとは、まったく想像だにしなかったことでしょう。
おそらく当時の人々は、自らの名を後世に残そうとか、商売をうまく進めるための宣伝であるというような考えをしなかったと私は考えています。
地域のために尽くしたい、という思いもあって、ビジネスに本気で取り組んだと思うのです。
また、こうした行為が自分だけでなく地域全体の利益になり、みんなが豊かに暮らせるもとになる、といったビジネスの哲学をしっかりもっていたからこそ、渡し場に見透燈籠を立て、金鑚神社に水盤を寄進する世話人にもなったのでしょう。
寄付をされた方が名を残そうとしたいと思っていなくても、地域の発展や安全な暮らしを守っていくために尽力していただいた方の名を後世に残せる石などに刻んでおくことは、とても大切なことかもしれません。

このブログは、最近ある団体の役員をされいる方から「団体に寄付していただけるという方がいて、どのようなものが寄付していただいた方のお気持ちにそえるだろうかと検討している」とお聞きしましたが、寄付をしていただく方のお気持ちを後世の人々(この団体の場合であれば、これからの会員、役員、関係者)によく伝わるための工夫も必要ではないかな、ということをよくお考えになったほうがよいように私は思います。

2018年6月16日土曜日

平成30年第1回下仁田町議会定例会


会議録第1号(6日)
ジオパーク関係


招集年月日 平成30年3月6日
招集の場所 下 仁 田 町 議 会 議 場 

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   ※ 下仁田町のHPで公表された会議録もとにして、つぎにより作成しました。
     ◎ ジオパークに関係した部分を抜き出したものです。
     ◎ 会議録中の議長発言は、残時間回答部分以外を省きました。 
     ◎ 改行等は、適宜本多が行いましたが、文章については一切変更していません。
     ◎ 下仁田町議会のHPで公開している議事録は、
       で閲覧することができます。

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5番 岩崎正春 

続いては、ジオパーク再認定後の課題と施策についてお尋ねいたします。     

昨年11月14日、15日のジオパーク再認定ヒアリングにて、町長や関係皆様の努力が功を奏し、再認定となりました。    

関係者の努力に敬意と感謝を申し上げます。     

私は、このジオパークにより、下仁田町の地域資源が再確認され、町の宝として再び光が得られるよう、町の発展や文化的な底上げにつながるという思いから、いろいろな行事に積極的に参加させていただいてまいりました。     

そこで、今回の審査報告書を参考にしながら、今後のジオパークの課題と心配な点を探りたいと思います。     

そこで、まず第一に、原点に帰りまして、ジオパークは下仁田町に何をもたらしたのでしょうか。改めてお尋ねしたいと思います。



町長 原秀男 

下仁田ジオパークにとりましては、岩崎議員も審議会委員として参画している、2017年3月に策定した第5次総合計画において、ジオパーク活動は教育・文化の高揚、それに位置づけられ、地域に愛着と誇りを持ち、未来を開く人を育むまちづくりを進めるとしています。      
既にご承知のとおり、下仁田ジオパークは、2011年、日本ジオパークの認定を受け、2015年には条件つき再認定となりました。

その要因としては、組織体として議論が積み上げられていない、そしてガバナンスのあり方に問題があると、そういうようなことで、住民を中心とした議論がなされていないことであったとありました。     

そんな中で、今回再認定となった報告書の中では、組織体制の改善がなさ れていて、地域住民の参加するボトムアップ型運営が行われているということが総評とされています。      
また、すぐれている点として、ジオパークの運営主体を支えているジオパーク応援団、これが主役として積極的に参加していることが評価されていま す。     

このことは、住民が参加する、住民が130人以上参加している応援団を取り巻く団体が、個人が1つの目標、個人個人が一緒になって1つの目標として、その住民活動により獲得した結果だと思っております。     

人口減少に伴っている、地域の活力が失われる中の活気であったと思っております。     
 また、さまざまな関係機関を巻き込んだ、研究や教育の場としても活用されています。     
 そんな意味で、また観光面においてはジオツーリズムと、このようなことを行っているという結果が出ておると思います。



5番 岩崎正春 

わかりました。     

それでは、再認定後、いろいろな課題が提起されたわけですが、今後何に取り組み、またそれによって何が町にとって得られるのか、その辺を答弁をお願いします。



町長 原秀男 

具体的に、教育課長に答弁させます。



教育課長 大河原順次郎 

お答えいたします。     

再審査を通じて感じたことは、取り組みをしている方々の熱心さと、その反面、ジオパークはよくわからないという意見も多く、離れて見ている方の多いことにも気づきました。     

そのギャップを埋めていくことが今後の課題と考え、今後はより多くの方々にご協力とご理解をいただけるよう活動していく予定です。     

その中心となるのは、テーマの見直しと考えています。     

多くの研究者が入り、魅力ある大地がありながら、それを広くアピールするテーマづくりをすることと考えております。     

アクションプランでも、地域住民がガイドとなれるような目標を掲げております。     

ジオパーク推進係を中心となり、地域に出向く活動として、各種会議の機会にお時間をいただきながら、その地域の方しか知らない伝承など聞き取りを行い、地質だけ、難しいこと、それらの印象を払拭できるような活動に取り組んでいきたいと考えています。     

既に地域で開催されております老人クラブの会合等に参加を始めております。    

 少子高齢化が進む中で、高齢者の方にも地域に誇りを持ち、活動していただける場をつくっていきたいと考えます。     

また、審査結果報告にもありましたが、ジオパーク活動でも持続可能がキーワードになってきております。     

持続可能なものにするためには、活動を通して経済効果を生まなければ持続できないと考えます。     

ジオパークで経済活動に成功している事例等を、日本ジオパークネットワーク、ジオパーク委員会の協力を得ながら取り組んでまいります。     

4年後には、また審査を受けなければなりません。     

次の審査時が、認定後10年が経過することになります。     

この4年間が正念場となってくると思われますので、審査の活動のためではなく、下仁田ジオパークの将来を見つめた活動としなければなりません。     

先日来庁されたジオパーク関係者から、ジオツアーの収益でガイドの運営をしている事例紹介もありましたので、他のジオパーク関係者にも協力を得ながら、地域の方向性を検討していきたいと考えます。     

この4年間の活動を通して、子供たちが地域への愛着を深くし、地元に帰ってくる、下仁田ジオパークのツアーはおもしろい、ガイドの質が高い、高齢者の方々も来訪者との会話を楽しみ、生きがいとなる、そんなジオパークを目指し、交流人口の増加による経済効果も生み出せたらと考えます。



○5番 岩崎正春 

下仁田には、ジオパーク下仁田協議会というのがありますけれども、この長は誰ですか。



教育課長 大河原順次郎 

下仁田町長です。



5番 岩崎正春 

ジオパーク下仁田協議会の条例は、今課長の手元にありますか、 ないですか、あれですか。



教育課長 大河原順次郎  済みません、条例は今持っておりません。



5番 岩崎正春 

この条例は、第1条冒頭に、この条例の一番要旨、趣旨がうたわれていますが、読み上げます。     

この条例は、下仁田町及びその周辺におけるジオサイトの世界ジオパーク認定を目指すとともに、将来も社会・経済・文化的な発展を続け、地域社会の郷土愛の醸成を図るためとあります。     

今、町長の答弁、あるいは課長の答弁にも、4年が正念場と言われていますが、世界ジオパークを目指すということではないんですか。



教育課長 大河原順次郎 

お答えします。     

今回の審査の時に、審査員からちょっと言われたことなんですが、世界を目指すのであれば、下仁田ジオパーク単体ではちょっと無理があるということで、広域の連携等も考えた上で、世界ジオパークについては考えてくださいという指摘をいただいております。



5番 岩崎正春 

その姿勢はおかしいと思いますよ。     

だって、このジオパーク下仁田協議会の条例の一番目的のところに、世界ジオパークを目指すと言っているんですから、じゃ、それの指摘を受けたら、 じゃ、何をすべきかということを今語らなければ、この条例違反になりますよ。     

そういう姿勢を、私は非常に心配しているんです。     

ジオパーク協議会にしてみても、どのくらいの、ホームページに載っていますから、見ればわかるんですけれども、協議しているのか、また、中には ずっと欠席している委員もいるようですが、欠席している要因は何か、その辺を丁寧に委員の方と接触して、出席が図られるような方策をとっているのかどうか、お尋ねします。



町長 原秀男 

ちょっと今、その条例、もちろん私がなる前の、できた条例だと思いますし、またその時、世界ジオパーク目指したかなと思うけれども、じ ゃ、その時やってきて、2年前、イエローカードですよね。     

今、これではまずいというか、一生懸命やろうということで、住民参加でやってきたわけですよ。    
ちょっと今、言っていることが、ちょっと何となくわかりにくいんですけれども。



5番 岩崎正春 

俺は町長の言っていることがよくわからないです。     

私は、書いてある条例に基づいて言っただけで、過去、2年前がどうだらと言ったって、それで努力して頑張って、再認定になったわけだから、今度目指すものは、もっと高みを目指していってほしいという意味ですよ。     

過去のことは、別にどうだらこうだら言ったって、前へ行かないじゃないですか。     

まあいいです。     

それで、その報告書の中で指摘されている事項で、一番喫緊のテーマ、今後どのように改善するかについて、予算の裏づけとスケジュールを明記したアクションプランの形で、今年度中に日本ジオパーク委員会に報告してくださいと明記してあります。提出できますか。     

4年間のプランだと思いますが、4年後の予算を含めてプランを立てられるのでしょうか。      
よろしくお願いします。



教育課長 大河原順次郎 

岩崎議員もご承知のとおりだと思うんですが、今回の再審査に当たり、一から始めたことが、組織の見直しということを行いました。     

今現在は、その組織の見直しの順番にのっとりまして、各部会で今議論をいただいておるところであります。     

3月末、ジオパーク下仁田協議会の承認を得て、提出する予定となっております。     

以上です。



5番 岩崎正春

 当然、一連の承認を得て、後は議会でも報告していただけるわけですね。



教育課長 大河原順次郎 

協議会を経た上で、報告をさせていただきたいと思います。



5番 岩崎正春 

11月14日、15日のジオパーク審査総評の場にも、当然町長もいらしたんですが、尾池委員長から、下仁田ジオパークはよそのことを 語ることが少ないと、よそのジオパークと交流を進めてほしいという注文がありました。     

この意見に対しては、どのようにお考えを、お気持ちを持ちましたでしょ うか。



教育課長 大河原順次郎 

尾池委員長の言われるとおり、ガイドの中で他のジオパークを語ることは少ないかもしれませんが、交流につきましては、県内2番目のジオパークになりました浅間山北麓ジオパークにつきましては、申請の当たっての助言、資料の貸し出しも行い、その後もガイド間交流を続けております。     

歴史でも深くつながる筑波山地域ジオパーク、茨城県北、秩父ジオパークともガイド交流や相互視察など、交流は続けております。     

以上です。



5番 岩崎正春 

そのとおりですね。     

町の議会も、2011年5月に糸魚川ジオパークを視察した経緯もあります。     

また、一昨年は、下仁田でジオパーク関東大会も開催いたしました。

ちょっとその辺は、報告書と、私もギャップがあることを感じました。     

特に、茨城県北ジオパークは、認定取り消しという、初めての思いも寄らない結果でしたが、下仁田町にとって茨城、水戸市とは、古くは水戸天狗党 やこんにゃく乾燥技術、大子町、中島藤右衛門が考案した加工技術が南牧、 下仁田町に伝わり、今日のねぎとこんにゃく下仁田名産とうたわれるだけでなく、全国にこんにゃく産地の不動の地位をもたらしました。      
また、幕末の水戸武士の野村丑之助墓碑があるところに、水戸の梅の木が枯れたと、わざわざ水戸から植えかえに参られました。     

こうしたことも含めて、まさに温故知新というべき交流について、今後、 取り消しになった茨城県北ジオパークに対してどのようにアプローチをしていくのでしょうか。



教育課長 大河原順次郎 

お答えします。     

ジオパークにつきましては、地質だけでは語り切れません。歴史や文化も 重要な要素と考えております。     

岩崎議員の言われるとおり、関東近郊では水戸浪士、こんにゃく製粉技術 の伝承などで関係の深い茨城山地域ジオパークや茨城県北、信仰や養蚕製糸を含む産業や食文化で類似する秩父ジオパークなどの交流も重要と考えております。     

下仁田戦争をテーマとしたジオパークめぐりであったり、食を通してのジオパークツアーなど、連携をとりながら取り組んでいければというふうに思っております。     

また、浅間山北麓ジオパークとは、群馬県内で2つだけです。    

 ジオパーク同士でより連携を強めて、県行政へのジオパーク理解をも進めていくつもりです。      30年度には、群馬県庁で企画展を合同で出展すべく、今現在進めておるところでございます。



5番 岩崎正春 

茨城県北ジオパークは、ホームページというんですか、それを 見ると、盛んに次の再認定に向けて、活動をさまざまされていると思います。     

下仁田町もお世話になった市ですから、ぜひ、できる支援はしていただきたいと思っております。     

続きまして、ジオ応援団の充実に向けてということで、審査では下仁田自然学校と並んでジオ応援団が大変高い評価を受けました。

 この2つの活動は、再認定の大きな要因だったと言っても過言ではないと思います。     

しかし、自然学校の先生も高齢化し、またジオ応援団の役員も一部が欠員のままとお聞きしております。    

審査時も指摘されたが、ガイドマニュアルも十分ない状態で、団員さんは みずからガイドブックを夜遅くまで作成して、ガイドに当たっているというようなお話も聞いております。     

そして、ジオガイド講座等も開いているんですけれども、このジオガイド 講座でガイドの補充につながっているのか、あるいは町が保有しているというガイドマニュアルが難しくないのかどうか、その辺をお尋ねします。



町長 原秀男 

岩崎さん、このジオパーク、下仁田ジオパーク、要するに本質的なもの、昨年認定を受けた時、尾池委員長が言ったように、これ、あれですね、私は確かに協議会長という立場でいるんですけれども、ボトムアップ型、 ともかく住民組織、これが評価されたわけ。     

そういう方向でやれと、やれというかやったら、方向を向いたら、これが 本質だと思うんですよね。     

そういう意味では、やはり今ここで、行政主導でやるんじゃない、ジオパークは、住民からの盛り上がり、これが本来の姿だと、私は思うんですよね。     

そういう意味で考えると、ちょっと今、これはこれで、いろんな組織があるわけですよ。      
そこへのお話じゃないかなという感じもします。



5番 岩崎正春 

原則は、私も町長の考えと同じです。     

ただ、サポートをしないと、ガイドマニュアルも専門用語もありますし、そういったものを単独で素人さんがつくるのは大変だということを言っているんです。これは現実です。     

私もガイドの現場にも立ちますし、そのガイドさんの応援団の方の、いろいろ厳しい状況も聞いていますので、何も町がああやれこうやれと指導すると言って私はいないですよ。     

そういう現実を町長も踏まえて、今発言されたんだと思いますけれども、 行政としてあるべき姿がどうなのかと、今お尋ねしているわけですから、答弁してください。



○町長 原秀男

もちろん、それは支援、応援はしていきますよ。     

岩崎さんもお願いします。



5番 岩崎正春 

支援はするということで、これ以上言ってもあれだから、次、時間もないので次へ行きます。      あとは、若い研究者のための環境づくり、これは自然学校の活動支援のあり方ですが、いろいろサポートしてくださっているということは承知しています。     

以前は、大学の若い学生さんが、下仁田町に多様な地質を学ぶ場として来町していました。      しかし、自然史館の使い勝手がちょっと悪くて、研究などは24時間観察が必要な場合もあるわけですが、そういうことで、来町する研究者の数が少なくなっているのではないかということを、ちょっと心配しているんですけ れども、その点はどうでしょうか。



町長 原秀男 

その件ですけれども、自然史館の設備だけの問題ですか。     

それとも何か、それなりの調査データあれば示していただければ、こちらも検討しやすいと思いますけれども。     

感覚だけでは、ちょっと対応できませんよ。



5番 岩崎正春 

これは私の、そういう感覚です。     

だから、今聞いているのは、少なくなっていないでしょうかという質問をしているんです。     
 大丈夫ですかと聞いているんです。



教育課長 大河原順次郎 

お答えします。     

研究成果を下仁田ジオパークにフィードバックすることを条件とし、29 年度より研究に対する支援策を講じているところであります。     

今現在も、早稲田大学や徳山大学などの研究フィールドとして訪れてくれております。      
自然史館への宿泊につきましては、管理等の問題から宿泊はできませんが、 町内の旅館、自然学校の鏑塾などに宿泊をされております。     

今後も、自然学校や学術部会の協力をいただきながら、自然史館の史料の閲覧や研究に関するアドバイスなどの協力体制を図り、若い研究者についても支援を続けていきたいというふうに考えております。     

以上です。



5番 岩崎正春 

よろしくお願いいたします。     

続きましては、観光開発の進捗状況ということですが、これは高速インター出口にジオや世界遺産の大きな看板があります。     

道の駅へ行くと、世界遺産の町、ジオの町に来たという実感が感じるのが、やはり薄いような気がいたします。    

 ジオパークや世界遺産事業への推進も、先ほど答弁してくれたように、費用対効果という観点から、町民の理解を得るには、経済的効果が実感できる施策が不可欠だと考えております。     

その辺はどのようなことで進めていくのでしょうか。答弁お願いします。



教育課長 大河原順次郎 

お答えいたします。     

下仁田町は、魅力ある山の多い下仁田町ですので、登山とあわせたツアーガイドや歴史や町並み、こんにゃく製粉や中小坂鉄山、白石工業などの近代産業を組み込んだツアーなど、魅力的なジオツアーの構築と積極的な情報発信により、下仁田町や他のジオパークからの視察を積極的に受け入れるとともに、研究団体や大学のゼミ生を含め、教育旅行の受け入れをふやし、交流人口をふやして、経済効果に結びつけたいと考えております。



5番 岩崎正春 

観光の具体的な事業としては、何かございますか。



商工観光課長 林通典 

観光分野についてお答えいたします。     

商工観光課におきましては、観光タクシー運行への補助制度やJR、上信 電鉄と連携した駅からハイキングの開催、高速道路のサービスエリアや都市部での観光キャンペーン等、さまざまな機会においてジオパークをPRし、 観光客の誘客に努めております。     

さらに、道の駅内の観光案内所においても、各種問い合わせ等に連日対応し、これらによりジオパーク関連の食事メニューや商品購入等で、地域の経済に恩恵は発生しておると思います。     

観光客に喜ばれ、地域が潤い、業者やガイドもやりがいを感じるような状況になれば、当然、ジオパーク推進活動も持続すると思われます。     

そのために、商工観光課としましては、重点道の駅の認定になっている道の駅しもにたから、DMOの登録になりました観光協会、また商工会等と連携する中で、例えばインバウンドや都市住民等へのアンケート調査結果等を生かしたPR、情報発信をして、観光客に下仁田町の魅力を伝え、お越しいただき、滞在時間をふやすこと等により、より一層の交流人口の増加と経済 効果を生み出せたらと考えております。     

当然、ジオパーク応援団、自然学校等、関係団体等との連携も図りながら、 よりよい効果が出るように取り組みをしていきたいと考えております。



5番 岩崎正春 

今、答弁のように、交流人口をふやすということは、一番身近 な課題で、後にやはり定住や、そういった宿泊と、そういったものを進めていただきたいと思います。     

それで、ジオパーク関連は最後に、町長に辛辣な質問をさせていただきますけれども、これは私が言ったということではなくて、町民の中から、時に は電話で、行き会って、メールでということでいただくんですが、町がお金がないと、大変だということはわかると。     

ですから、お金がないなら、住民の生活が最優先なので、ジオパークと世界遺産を返上すれば、約1億の予算がやりくりできると、返上したらどうか という意見をいただきます。    

 町長の真意はどうでしょうかということです。



町長 原秀男 

今の金額合っている。



5番 岩崎正春 

この30年度予算書の中にある、ジオパーク推進費と歴史館費を見て、多分言ったんだと思います。



町長 原秀男 

今、前から見れば、相当抑えている予算、ジオパーク、予算の問題じゃないんですけれども、抑えた中で、先ほど言ったように、本質はやはり住民運動、ボトムアップの、これがジオパークなんですよね。     

だから、財政問題と、ジオパークやるかやらないかと、それ一緒にしないほうがいいと思うんですけれども。



5番 岩崎正春 

私もそう思いますけれども、町民からそういう声をいただいて、説明はしているんですよ。      
でも、町長から、確たる気持ちが聞きたかっただけです。

   でもいいです。



町長 原秀男 

要するに、やるかやらないかとかいう問題は、これはまた全体、住民の皆さんでやってきたことで認定になったわけですから、これはまた住民との相談のことじゃないですかね。     

そう思いますけれども。



5番 岩崎正春 

時間は、残り時間どのくらいありますか。10分ぐらいありますか。



議長 堀口博志

 約10分です。



5番 岩崎正春 

10分あれば十分だと思いますので、次に移ります。

いずれにしても、しっかり対応していただきたいと思いますよ。    

次は、高齢ドライバーの事故が多いということについてお尋ねいたします。 

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【参考】
◎ 2017年における再認定審査風景
◎ 本件に関連する主なブログ

もっとお金かけろってことなのか?  日本ジオパーク いちばん大事なことは・・・?

もっとお金かけろってことなのか?【補足】

素直に喜べないんだよね  日本ジオパーク委員会による再認定審査

-速報-ジオパーク下仁田 再 認 定!!


◎ つぎの再認定審査
 2021年

2018年6月15日金曜日

人口1,911人・65歳以上61.6%

群馬県南牧村

つぎのブログ(↓)

「縮小ニッポンの衝撃」:NHKスペシャル  「もう人間の住むところじゃないと思います」

老人が老人を運ぶ国  バスもタクシーも来ない集落の「命綱」

ほかで、現代の高齢化、過疎の問題、現状を紹介してきましたが、
つい先日には、こんなブログ(↓)

少子化の時代とわかっていても・・・ とても驚いてしまいました

で、身近なところでの少子化の進行、人口減少をつよく感じたことも紹介しました。
 南牧村の場合、支えあって生きてきたという歴史、文化が根付いているからか、この記事(↑)によれば、
  多くの住民が買い物や通院に困難を感じていない
ということなのでしょう。
この記事(↓)で紹介されている大入道集落には、何度か行ったことがあります。
雨が降ったあとで道路が濡れていたということもあったと思いますが、ブレーキを目いっぱい踏み込んでも車がすーっと下がっていき、とてもこわい思いをした記憶があります。
たいへん急坂の道路を通り、急な斜面につくられた家を見たとき、集落全員の協力がなければ 、ここで暮らしていくことは難しいだろうな、とそんなことを漠然と思ったこともありました。
南牧村は、支えあって生きる、ともに仲よく暮らしていく、その大切さを実践し、私たちに対して、
  こうやって暮らせば、だいじょうぶだよ。
  なにも心配いらないさ。
と教えてくれているのかもしれません。
南牧村の伝統行事のひとつ、「火とぼし」です。
橋の上で、火をつけた藁をぐるんぐるんと回す勇壮なお祭りです。

 年寄りが多くなったって、
   だいじょうぶなものだよ。
というメッセージをこれからも発信し続けてほしいと思っています。
がんばれ、南牧村!!

2018年6月14日木曜日

涼しいけれど熱い!浅間山北麓ジオパーク

トレッキングコース「スカイロックトレイル」

2018.6.4付けの上毛新聞に、つぎの記事が掲載されました。
このトレッキングコースは、町営浅間園をスタートして、浅間山の地形や自然を体感できる全長約6km、高低差約300mということで、この記事の画像からわかるとおり、雄大な浅間山を歩くことができます。
2016.8.24 噴火痕跡ツアー
浅間山北麓ジオパーク(浅間ジオ)のジオツアーに参加させていただきましたが、どのツアーもコース設定からガイドの方々の解説、そのすべてにおいて大満足のものでした。
2017.5.6 草軽電鉄線路跡ツアー
それとともに地域の歴史や文化への視点がしっかりしていて、たんに浅間山の地形や噴火のことを解説するといった狭い視野で構成されていないこと、これもたいへんすばらしいものだと思います。
草軽電鉄の線路跡ツアーをはじめ、ジオサイトで座禅体験といったツアーにも参加させていただきましたが、こういったツアーを通じて、浅間山の噴火と被害、復興、そして現在の人々の暮らしがよく理解できるものになっていました。
2017.8.19 ジオサイトで座禅体験
私が知りうる限りでは、浅間ジオは日本ジオパークのなかで、いちばんがんばっている、たいへんしっかり運営されているジオパークではないかと思っています。
ここで紹介した浅間ジオのツアー(↑)について、私が参加したようすはこちらのブログ(↓)でご覧ください。




トレッキングコース「スカイロックトレイル」を歩く申し込みは、こちらの記事をご参考になさってください。
とても涼しい浅間山北麓ですが、浅間ジオは熱く燃えている、そんな感じがします。
2018夏も浅間ジオへ!!

2018年6月12日火曜日

郷土の偉人とは・・・?

出身地とは・・・?

私は、小栗上野介の大ファンで、フェイスブックに

小栗上野介を大河ドラマに

を開設しているのですが、これまで小栗上野介が郷土(ここでの郷土とは、群馬県ということでよいかと思います)の偉人であると思ったことはありませんでした。
先日の上毛新聞「三山春秋」の最後のほうに、
  郷土の偉人をきちんと知り、冒頭の男児のように誇ろう
と結ばれているのを読み、はたして小栗上野介は郷土の偉人なのだろうか、と考えてしまいました。
 「三山春秋」の冒頭は、つぎのとおり(↓)です。
小栗上野介忠順は小栗忠高の長男として、文政10(1827)年に神田駿河台で生まれました。
慶応4(1868)年に小栗上野介は、「権田村への土着願書」が許可され、権田村の東善寺にやってきます。
権田村というのは、小栗家の領地(関東に9か所)のひとつです。
そして、西軍に斬首されるまでの間、小栗上野介は権田村で暮らします。
さて、郷土の偉人とは、いったいどのような考え、定義があるのだろうか・・・と思い、ネットで検索してみたところ、群馬県藤岡市のHPにつぎのような記事が載っていました。


■受付日:H26.3.31

■担当課:文化財保護課  

■件名 

 「藤岡偉人かるた」の発刊について

■内容 

・藤岡出身の郷土の偉人かるた(小学校低学年から親しめるような感じのかるた)の作成発行 

  (藤岡出身又は県外等から藤岡に定住したもの、鬼石町を含む) 

藤岡市では「藤岡偉人かるた」の作成にあたって、
  藤岡出身又は県外等から藤岡に定住したもの、鬼石町を含む
と〝定義〟しています。
この藤岡市の〝定義〟を小栗上野介の場合にあてはめてみますと、小栗上野介は江戸の生まれで権田村(現在の高崎市倉渕町)の生まれではありませんが、斬首されるまでの間、権田村に定住したと考えれば、郷土の偉人ということになります。
これを知って、なるほど!と、目からうろこが落ちたような気持ちになりました。
もっと小栗上野介のことを多くの県民の皆さんに知っていただく、そんな活動を群馬県・高崎市は展開していくべきではないかと思うのです。
小栗上野介(向かって左)と栗本鋤雲(向かって右)の像です。
上毛新聞「三山春秋」の記事を読んで、思いがけず郷土の偉人とは、どういうものなのだろうか・・・を考える機会を得たことをうれしく思っています。
これからは郷土の偉人でもある小栗上野介として、さらに小栗上野介の大ファンでありたいと思っているところです。

余談ですが、ネットで検索していて、こんな記事(↓)を見つけました。
  将来、郷土の偉人に選ばれるかも・・・
と思っている方には、よくおさえておいてほしい情報ではないかと思うのですが・・・。
 上の質問(↑)に対する回答は、つぎのとおりです。


一般的には「出生地=出身地」とされていますが、出生地はその言葉どおり生まれた地域を指します。
ところが出身地の定義は曖昧でございます。
国交省の定義では
15歳くらいまでで最も長く住んでいたところ」とされておりますが
それ以外にも
「自分がそこだと感じたところ」
義務教育を受けた時期にあたるところ」など、様々な定義があるようでございます。
つまり出身地の定義に関しては適当であるということですね。

以上のとおりです。
ご参考までに。



2018年6月11日月曜日

梅雨のころの花といえば・・・

アジサイの花

きのうのブログ(↓)

古代ハスの花  石坪の池 (富岡市神成(かんなり))

で、石坪の池の古代ハスを紹介しましたが、梅雨のころの花といえば、なんといってもアジサイの花をイメージされる方が多いのではないでしょうか。
けさ(2018.6.11)のアジサイの花です。
雨に似合う花とでもいうのでしょうか、しっとりした空気のなかであればこそ、アジサイの花の美しさが際立つように感じます。
アジサイの花に限らず、どの花も午前中、それも早朝とか早い時間帯に見たほうがみずみずしくて、色もあざやかなように感じます。

ここにカタツムリでもいれば・・・と思うのですが。
アジサイの花につきものともいうべき存在であるカタツムリですが、このところカタツムリが減ったのか、あまり見かけなくなりました。

アジサイの花を撮っているとき、上信電鉄のラッピング電車(桃源堂)が通過していきました。
しばらくは、梅雨空が続くかと思いますが、美しいアジサイの花を眺めながら過ごしたいと思っています。

2018年6月10日日曜日

咲き始めました!!

古代ハスの花
石坪の池(富岡市神成(かんなり))

きのう(2018.6.9)の朝、石坪の池に行ってみました。
前夜の雨で、花びらや葉に水滴がついていて、さらに美しい感じになっていました。
あでやかというのでしょうか、妖艶とでもいうのでしょうか、朝の陽光、その角度や光の強弱によって、あっという間に表情を変えるハスの花は、ほんとうに美しいものだと思います。
 ハスの花を見る時間帯としては、早朝で朝露があるときが最高ではないかと・・・。
ハスの花のなかから光が出ているような、こんな美しい瞬間を朝早くであれば見ることもできます。
石坪の池の古代ハスの花は、これから見ごろをむかえます。
上信電鉄の南蛇井駅で下車して、神成山方向に歩いて行くのも楽しいコースかもしれません。
どうぞ、お出かけください。