2019年11月16日土曜日

「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)

川端投手・飯野監督

きょう(2019.11.16)の上毛新聞(↓)で、明治神宮野球で本県の健大高崎が初戦を突破したという、うれしい記事を読みながら、ふと、かつて高校野球で活躍した投手と監督を思い出しました。
「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)でも知られている川端投手と飯野監督については、当時のテレビや新聞で活躍を知り、その後、「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)を読んだだけで、私はお会いしたことがありません。
とにかく型破りといいますか、その当時(今日においても、かもしれませんが)の高校野球の常識を打ち破った投球であり、戦い方であったと記憶しています。
剛腕、豪速球といった投手でなく、ふわり、ふらふらっと、キャッチャーミットにボールを投げ込む川端投手は、これまでの高校野球にいなかったタイプでした。 
そういった意味で、とても記憶に残る投手でした。
川端投手のユニークさもすごいと思うのですが、飯野監督の存在もすごいものであったと思うのです。 
if・・・? という問いかけは無意味かもしれませんが、
 もし、飯野監督でなく、高校野球の指導者としてのキャリアを積んだ人物が監督になっていたとすれば、
 川端投手のスローカーブの効果も少なく、
 ましてや高崎高校の快(この場合、怪でもよいかな・・・)進撃につながらなかった
と私は思っています。
飯野監督がいて、川端投手のスローカーブが生きたと考えれば、たいへんおもしろい組み合わせであったといってよいかもしれません。
そのいい例が、沼田高校との対戦でした。
なんと!!沼田高校の監督と選手は、高崎高校の監督と選手が深い考え、よく考えた戦術で戦っていると思いこんでしまって、自滅していくことになります。
※ 詳しくは、「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)を
お読みください。
川端投手は、2019.10.27付の上毛新聞の記事にあるとおり、56歳という若さでお亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
そして、現在の高校球児の皆さんのご活躍を心から祈念しております。

2019年11月15日金曜日

平日だというのに・・・:川場田園プラザ

たくさんの人々で大賑わい

きのう(2019.11.14)の午後、沼田市歴史資料館の企画展(↓)

企画展「かくれキリシタンと鉱山」
 沼田市歴史資料館  
12/3(火)まで開催中
を見てから川場田園プラザに向かいました。

ちょうどお昼どきという時間帯であったのですが、有名な山賊焼を提供しているミート工房前は、ご覧のとおりの行列に!!
川場村のおいしい野菜や加工品を販売している店は、どこもたくさんのひとびとでいっぱいに!!
ふわとろ食パンは、整理券配布が終わってしまったとか!!
 あまりの混雑にベーカリーでは、入店を制限することに!!
先日のテレビ番組「カンブリア宮殿」に 永井社長が出演(↓)

川場田園プラザ 永井社長出演
したこともあって、また埼玉県の県民の日ということもあってか、そういった経緯、事情があるのかどうかわかりませんが、きのうは平日だというのに、すごい人出なのに驚いてしまいました。
というわけで、川場田園プラザで買ってこよう、食べてこようと考えていたものの大部分が売り切れであったりして、たいへん残念な結果になってしまいました。

つぎのブログ(↓)

日本ジオパークの認定返上へ
 初めての認定返上:天草ジオパーク
で述べたことですが、観光客をたくさん呼び込みたいということであれば、
  がんばったところに多くのひとびとがやってくる、
ということを認識したうえで、
  住民が一生懸命にがんばるしかない、
と私は思っています。

2019年11月13日水曜日

日本ジオパークの認定返上へ

初めての認定返上:天草ジオパーク

天草ジオパークの日本ジオパーク認定返上(日本ジオパークネットワーク(JGN)からの退会)は、日本中のジオパーク関係者、ジオパークに関心を寄せている人々に、大きな衝撃を与えたと思います。
このNHKの記事全文は、つぎのとおり(↓)です。
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地域の貴重な地形や地質などを保全し、教育や観光などにも生かす「日本ジオパーク」に認定されている「天草ジオパーク」について、関係する自治体でつくる協議会はジオパークの取り組みが交流人口の増加につながっていないなどとして、来年3月末をもって認定を返上することを決めました。
日本ジオパークの認定が返上されるのは、今回が初めてのケースです。 
「天草ジオパーク」は、平成26年、天草地域全体が「日本ジオパーク」の認定を受け、天草市と上天草市、それに苓北町でつくる協議会が解説板を設置したり、ホームページで情報を発信するなどの取り組みを行ってきました。 
しかし、去年、4年おきに実施される、更新に必要な審査が行われた際、天草ジオパークの再認定は認められたものの、「地域全体の連携が取れておらず、活動が不十分」などとして、2年以内に改善する条件が付けられたということです。 
これを受けて協議会で話し合った結果、「ジオパークの概念が分かりづらく、住民にも浸透していない」「3つの市と町で毎年あわせて1000万円近くを負担しているのに目的だった交流人口の増加につながらなかった」と、4年間の活動を総括したということです。 
そのうえで、「ジオパークを一度外れて、自然の資源を生かした活動をわかりやすく進めたほうがいい」として、認定期間が切れる来年3月末をめどに、認定地域が加盟する日本ジオパークネットワークから退会し、認定を返上することを決めました。 
今後は、これまでの成果を活用しながら、それぞれの市や町ごとに予算を組んで、貴重な地形や地質の整備などに取り組んでいくということです。 
「日本ジオパーク」は全国で44地域が認定されていますが、認定を返上するケースは初めてです。 
日本ジオパークネットワークの斉藤清一事務局長は「ジオパークは新しい取り組みで認知度はまだ高くなく、認定されたとたんに交流人口が増えるものでないことは最初からわかっていたと思う。「天草ジオパーク」のもとになった御所浦地域は日本のジオパーク活動に当初から関わっており、仲間がやめるのは残念だ」と話しています。
天草ジオパーク推進協議会の会長を務める中村五木天草市長は「ジオパークに認定されてから2市1町で1億1000万円を事業の実施に使っている。しかし、国民にあまり認知されておらず観光事業にも結びついていない。これがわれわれの決定の理由の1つだ」と話しています。
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天草ジオパークの認定返上から見えてくる日本ジオパークの問題点について、私の考えを紹介したいと思います。

① ジオパークの運営にお金がかかりすぎること、ジオパークの運営主体に過大なことを要求すること。
 小さな自治体が取り組んでいるジオパークでは、到底不可能と思われることを再認定審査のときに要求することです。
 その事例として、つぎのブログ(↓)をご覧ください。


「中国のジオパークと交流するんだって?!」 「たいしたものだね!」


もっとお金かけろってことなのか? 日本ジオパーク いちばん大事なことは・・・?

審査する側では、日本ジオパークのレベルアップを目指し、助言、指導しているということでしょうが、個々のジオパーク運営主体が抱えている実情を無視したものと思わざるを得ないことを述べる、そういった無神経さが日本ジオパーク委員会のメンバーにあること、これを多くのジオパーク運営主体が不満に感じていて、これが天草ジオパークの認定返上の底流にあるのではないかと私は想像しています。

② ジオパークのスタートが、地学研究者の生き残りを賭けたものであったこと。
以前、つぎのブログ(↓)


これからのジオパークが進む方向とは・・・?

で紹介しましたが、日本のジオパークがうまくいかなければ、地学研究者は日本で生き残れない、という危機感から日本ジオパークが生まれたこと、これがジオパークに広がりをなくしていることではないかと私は思っています。

今後、日本のジオパークが発展していくためには、地学偏重の考えから脱却して、地域経営への視点を取り入れたり、生物、歴史や文化など、その地域にあるものの魅力を引き出し、それらを磨き上げることの大切さ、これを主眼にしたものにしていくべきだと私は思います。

③ 『日本ジオパークになれば、観光客が大勢やってきて観光収入が増える』と、自治体の首長、議員、職員をはじめ住民までもが、「捕らぬ狸の皮算用」的な考えになっていること。
先に引用させていただいたNHKの記事に、

 天草ジオパーク推進協議会の会長を務める中村五木天草市長は「ジオパークに認定されてから2市1町で1億1000万円を事業の実施に使っている。しかし、国民にあまり認知されておらず観光事業にも結びついていない。これがわれわれの決定の理由の1つだ」

とありますが、天草ジオパーク推進協議会の会長を務める中村五木天草市長の考えは甘いと私は思います。
観光による効果を最大にしたいのであれば、行政と住民が一体になって、一生懸命に汗をかき、がんばることが必要なことであり、日本ジオパークになったら大勢の人々がやってくる、と考えるのは甘く大きな間違いだ、といってよいでしょう。
日本ジオパークになっていないところでも、地質や地形をはじめ歴史や文化を生かし、たくさんの人々が訪れる観光地になっているところがいっぱいあります。
日本ジオパークに認定されること、日本ジオパークになったことではなく、日本ジオパークになったあと、それからの努力が必要だということであろう、と私は思います。

【私の提案】
『住民の盛り上がりはないし、思ったように観光客が増えないし、これでは公費の無駄遣いだと、議会で突き上げられるかもしれない、これから先どうしようかな・・・』
と悩んでいるジオパークの運営主体にあっては、この際、さっぱりと日本ジオパークネットワークから退会して、その土地の歴史や文化に根差した観光振興をめざしたほうが賢明であると私は思います。
いまの厳しい自治体の財政状況を考えたり、人口減少、少子高齢化など自治体を取り巻く諸情勢を考えるとき、うまくいかないものをずるずる続けるのではなく、すっぱり断ち切って、新たな方向に歩むほうが得策であろうと私は思います。
最後にひとつ、私が群馬県一がんばっていると思っている川場村は、日本ジオパークになっているわけでもありませんし、ましてや世界遺産があるわけでもありませんが、それでもすごい村になったのは、すごい村にするためにがんばった住民がいたこと、これに尽きるのです。
「かわばんち」:川場田園プラザ
くどいようですが、地域振興に必要なものは、日本○○とか世界○○といった〝タイトル〟ではなく、そこで暮らす人々ががんばって生きること、そのがんばる姿を洗練したものに磨き上げ、それを観光資源にしていくことではないかと私は思っています。

2019年11月11日月曜日

川のりも展示されています

「海 の 森」
 群馬県立自然史博物館企画展

この企画展には、群馬県下仁田町産のカワノリも展示されています。
川のりってどんなの?と思う方が多いと思いますが、かつて私が食べさせていただいた川のりは、とても香ばしくて、超美味でした。
この川のりですが、すでに江戸時代には、よく知られていた下仁田町(江戸時代には、下仁田町でなくある村ということになりますが、その村の名によって産地が知られ、荒らされてしまっては困りますので、ここでは現在の行政区域である下仁田町としておきます)の名産品のひとつであった史料を紹介します。
それが、つぎの史料です。
これは有名な江戸時代の人、市川寛斎の日記(旅での記録)の一部です。
矢印の先に、××苔とあるのが川のりになります。
これは、文化8年9月27日のできごとになりますが、西暦にすれば1811年11月12日になります。
市河寛斎が江戸にいる家族に、××苔のほか、2品を送ったという内容ということになります。
簡単にいえば、たったこれだけのことですが、江戸時代にはお土産にできるほど、多くの川のりが採れ、それが商品として流通していたことがわかる貴重な史料ではないかと私は思っています。
※ いくつかモザイクをかけ、わかりずらいものにして、本当に申し訳ないと思っています。
これらのモザイクのいくつかは、のちほどこのブログで紹介したいと考えています。
さて、市河寛斎についてですが、ウイキペディアではつぎのように紹介されています。

 市河 寛斎(いちかわ かんさい、寛延2616日(1749729日) - 文政3710日(1820818日))は、江戸時代の儒学者で漢詩人。名は世寧、字は子静、嘉祥、号は寛斎、半江、江湖詩老。
 江戸生まれとも上野国(いまの群馬県)出身ともいう。
 父は書家の市河蘭台。幕末の三筆・市河米庵は長子。画家の鏑木雲潭は次男。
 養父は多胡碑を世に紹介した高橋道斎。
 林家に学ぶが、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を批判したため昌平黌を追われ、1791年(寛政3年)から1811年(文化8年)まで富山藩藩校広徳館の教授となった。また掛川藩世子の侍講も務めた。また、1787年(天明7年)に神田で江湖詩社を開き、柏木如亭・菊池五山らに漢詩を指導した。
 著書に『日本詩紀』がある。これは、日本の奈良時代から平安時代末までの漢詩約3,800首を集めて作者別に編成した詩集で、目録1巻、本集50巻、別巻1巻、外集1巻より構成される。
 『全唐詩逸』は、康熙帝の勅撰漢詩集で唐代全部の詩を収録したとされる『全唐詩』から遺漏したものを集めて出版したもので、これは、当時の中国の学者をおおいに驚かせている。墓は、荒川区西日暮里の本行寺。
       【ウィキペディア】
2010年9月に行われたある行事に参加したとき、地元の方に川のり採取のようすを見せていただきました。川のりが生育する場所には、きれいな水が流れていることのほか、いくつかの条件があると聞いています。
とても貴重な川のりも見ることができる
  群馬県立自然史博物館の企画展「海の森」は、
      12月1日(日)まで開催
されています。
どうぞお出かけください。

2019年11月8日金曜日

雲場池(くもばいけ):軽井沢

紅葉が美しい!!

きのうのブログ(↓)
 二ホンカモシカに遭遇!!
     碓氷峠は紅葉真っ盛り
で、碓氷峠の紅葉を紹介しましたが、きのう(2019.11.7)の雲場池の紅葉を紹介します。
雲場池の紅葉が特に美しいのは、なんといっても水面に映ること、これではないかと思います。
たくさんの方々が紅葉を楽しんでいて、撮影するどころか移動するのも一苦労といった感じの雲場池でした。
たまたま池の下流側から見て左側の通路が通行止めになっていたこともあって、雲場池のまわりが大混雑状態であったと思うのですが、通行止めのおかげでラッキーであったのは、反対側には人がいないという絶好の撮影条件(?)になったことではないかと思います。
あす、あさってあたりは、もっと美しく紅葉しているのではないでしょうか。
ぜひ、この秋、雲場池の紅葉を見に出かけてみたらいかがでしょうか。
その際は、碓氷峠の紅葉もお楽しみになってください。

2019年11月7日木曜日

二ホンカモシカに遭遇!!

碓氷峠は紅葉真っ盛り

道路わきにシカがいる!!
 と、家内が気がつき、危なくないところに停車して、車内から撮ったものです。
自動車がとまったので、なんだろう・・・と興味津々のようすで、車内の私どもを見ている感じでした。
高野辰之が、碓氷峠を通過する車中で見た紅葉に着想を得て、有名な「紅葉」が生まれたといわれ、紅葉といえば碓氷峠といわれるゆえんがここにあります。
秋の一日、めがね橋を見たり、紅葉の山並みを眺めながら碓氷峠を進んでいきました。
 ニホンカモシカに遭遇したのは、下の写真を撮った先になります。
 以前には、サルの親子を碓氷峠で目撃したことがあります。
碓氷峠でニホンカモシカに遭遇したのは、何度も通行していますが初めてのことです。
すぐに山のなかに入って行きましたが、ちょっと驚いたニホンカモシカとの遭遇でした。

2019年11月5日火曜日

コンニャクイモの掘り取り始まる

いよいよ秋が深まってきた感じです

きのうからコンニャクイモの掘り取りが始まったのか、けさ早く電車の写真を撮りに出かけたところ、あちこちのコンニャク畑にトラクターや掘り取り用の籠が置いてありました。
群馬サファリパークのラッピング電車が朝陽のなか、軽快に走り抜けていきました。
きょうは静かで、よく晴れていますので、コンニャクイモの掘り取り作業がはかどると思います。
今年は、先月の台風をはじめ、全体的にいい天気でない状況が続きました。
今年の場合、天候不順の影響もあって、おそらく収量は少ないと思いますが、なにはともあれ無事に収穫できる日を迎えられたことは、とてもよかったと思っています。
2019.7.13
 今年の夏のコンニャクイモの畑です。
コンニャクイモの掘り取りが終わりますと、こちらは本格的な冬の到来となります。
下仁田ねぎの畑
冬の到来で楽しみなのは、おいしい下仁田ねぎができてくることです。

  もう下仁田ねぎを食べている
という気のはやいひとがいるとのことですが、
  おいしくなるのは2回ぐらい霜にあたってから
といわれていますので、おいしい下仁田ねぎを食べるために、もうしばらくお待ちになったほうがよいのではないかと、私はそう思います。