2019年11月29日金曜日

葱二百本舟便にて遣申候

故郷の名物を江戸の家族へ

先に、
川のりも展示されています 「海 の 森」
で紹介した史料は、つぎのとおり大正8年に発行された
 「上毛及上毛人」第31号
に掲載されているものです。

市河寛斎が江戸の家族へのおみやげとして、
 川のりの××苔
 岩茸(等とあるのですが、岩茸のほかがなにかは、この史料からは不明です)
とともに、
 葱二百本舟便にて遣申候
とあるこの史料については、下仁田ねぎのことが紹介されている本(文献)で、まだ私は見たことがありません。
下仁田ねぎを紹介した本などでは、必ずといってよいほど、つぎの
 お金がいくらかかってもかまわないので、
    大至急、葱200本を送ってほしい
という史料が掲載されていますが、これは下仁田村(当時)を知行地としていた旗本の家来が、下仁田村の名主に送ってきたもので、実際に名主が旗本に、下仁田葱を200本送ったかどうかは、はっきりわかっていません。
「新版 下仁田ネギ」(里見哲夫・下仁田自然学校文庫7 28頁から引用
私は、下仁田村の名主は、旗本のところに下仁田葱を送っていないのではないかと想像しています。
といいますのは、この旗本は財政的に厳しかったとみえて、下仁田村から借金をしていたという文書が残されています。
知行地の住民に借金をしている旗本から、
  お金がいくらかかってもかまわない
という文書が届いたからといって、当時の村人は、
  こんなことを書いてきたって、どうせお金を払うはずがない
と考えて、
  こんな文書、ほっとけ、ほっとけ
としたのではないかと私は思うのです。

下仁田ねぎの大名焼き 下仁田ねぎの贅沢焼き

当時の人々は、支配階級の言いなりになっていたということはなく、かなり自立的といいますか、しっかりした意思をもち、しっかり生きていたといわれています。
そこへいきますと、市河寛斎が江戸の家族へ、船便で葱を送ったという史料は、実際に葱を送ったと考えられる確実性が高いものだと思うのです。
 ※ つぎのブログ(↓)
川のりも展示されています 「海 の 森」
には、ウイキペディアの市河寛斎の紹介記事を掲載していますが、「群馬文化」第44号(1960.8)の「市河寛斎」(池田秀夫著)によれば、
  寛斎は江戸で生まれ、27歳のとき父祖の地である下仁田へ。
  下仁田の高橋道斎の家に入る
となっていて、市河寛斎にしてみれば、下仁田の葱は、おいしい故郷の食べ物であったといってよいかもしれません。
飛脚と舟便を利用して、江戸の家族へ荷物を送ることは、現代の宅配便といってよいかと思いますが、江戸まで葱200本を舟便で送るというのは、当時は当時なりにお金がかかったことでしょう。
江戸の家族に食べさせてあげたいという思いで、下仁田村から江戸まで下仁田の葱を送りたくなった市河寛斎にとって、お金のことはどうでもよかったのではないかと、そんなことを想像しています。

私は、下仁田ねぎのすばらしさをアピールするためには、旗本の家来からの書面よりも、市河寛斎の旅の記録のほうが、数段も価値があると思っています。

※ ところで、旗本の家来からの書面と市河寛斎のメモともに、葱は200本となっています。
 偶然の符合とは思えませんので、当時の葱の流通単位が、200本/個であったと思われますが、この点については、これから調べたいと思っています。
けさ、当地では、初霜が降りました。
これから寒くなって、霜が何度か降りますと、おいしい下仁田ねぎができます。

下仁田ねぎの旬は?
        実にもったいないことだと思うのですが・・・

もうしばらくしますと、下仁田から全国各地へ、おいしい下仁田ねぎが発送されていきます。
下仁田ねぎと上信電鉄 いまは紅葉とねぎ畑がきれいです
江戸時代に市河寛斎が家族のもとへ下仁田ねぎを送った気持ちと同じ気持ちで、下仁田の父母や祖父母、兄弟姉妹などから遠くで暮らす子や孫、兄弟姉妹のところなどへ、下仁田ねぎがいっぱい送られていくことでしょう。
寒い夜、温かい鍋を囲んで、下仁田ねぎを食べ、ふるさとを思い出す、そんなきっかけになれば、とてもすばらしいことだと思います。
どうぞ、こころをほかほかにする鍋料理の名優、下仁田ねぎをことしもご賞味ください。

2019年11月27日水曜日

「街道を歩く」

中山道・十石街道・三国街道・沼田街道・
清水峠越え道・足尾銅山街道・
日光例幣使街道・古戸桐生道

群馬県教育委員会文化財保護課から「街道を歩く」が発行されました。
平成11(1999)年度の歴史の道パンフレット15シリーズのうち、上の8点を現在の情報にあわせてリニューアルしたもので、歴史好き、街道好きの人々にとっては、たいへんうれしい改訂が行われたことになります。
内容の一部を紹介します。
歴史の道が地図に描かれていて、その沿線の文化財などの位置も掲載されています。
これを見ながら街道を歩けば、江戸時代の旅人の気分になれるかもしれません。
街道歩き、まち歩きのガイドとして、「街道を歩く」のシリーズは、とても参考になるものだと思います。
群馬県庁の県民センターのほか、各行政県税事務所でも販売しています。
8点1セットで、600円(税込み)です。

2019年11月19日火曜日

コンモリ学会

会 員 募 集 中

ふと、思ったのですが、小高い丘を見上げると、駆け上がりたくなるのは、どうしてなのだろう・・・?と。
まん丸いものを見ると、かわいいな・・・と思うのは、どうしてなのだろう・・・?と。
こんなことを考えている方々がいらっしゃるのではないかと思って、このたび
 コンモリ学会
を立ち上げました。
まず、こんもりについて、デジタル大辞泉(小学館)では、つぎのとおり解説しています。
学会の名称を、こんもりでなくコンモリにしたのは、深い意味があってのことではなく、こっちのほうがカッコいいかなと思っただけのことです。
こんもりしたものは、いっぱいあると思います。
たとえば神社の杜。
こんもりした神社の杜は、神がおられる場所として、とても荘厳な雰囲気をつくっています。
 私が暮らす西上州には、お椀をひっくり返したような形の山が連なっています。
こんもりした山並みは、こころをほっとさせてくれる効果があるような・・・、そんな感じがします。
まるい小菊は、秋の花のなかで、とびきりかわいいものといえるかもしれません。
ところで、学会の定義ですが、
デジタル大辞泉の解説では、
それぞれの学問分野で、学術研究の進展・連絡などを目的として、研究者を中心に運営される団体。また、その集会。「物理学会」
となっていて、
ウイキペディアでは、
学会とは、学問や研究の従事者らが、自己の研究成果を公開発表し、その科学的妥当性をオープンな場で検討論議する場である。また同時に、査読、研究発表会、講演会、学会誌、学術論文誌などの研究成果の発表の場を提供する業務や、研究者同士の交流などの役目も果たす機関でもある。
となっています。

コンモリ学会では、地形や植物をはじめ、自然物や人工物など・・・、なんでも対象にして、こんもりの原因や事情、経緯などをみんなで考えていこうという、きわめてゆる~い感じで運営していきたいと思っています。
細かな運営規則等をつくることは考えていませんが、参加された方々が気持ちよく、いろいろな考えが発表できる場にしたいと思っています。
入会金、年会費は無料です。

あなたの身の回りのこんもりを探して、
それを発表してみませんか。

2019年11月16日土曜日

「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)

川端投手・飯野監督

きょう(2019.11.16)の上毛新聞(↓)で、明治神宮野球で本県の健大高崎が初戦を突破したという、うれしい記事を読みながら、ふと、かつて高校野球で活躍した投手と監督を思い出しました。
「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)でも知られている川端投手と飯野監督については、当時のテレビや新聞で活躍を知り、その後、「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)を読んだだけで、私はお会いしたことがありません。
とにかく型破りといいますか、その当時(今日においても、かもしれませんが)の高校野球の常識を打ち破った投球であり、戦い方であったと記憶しています。
剛腕、豪速球といった投手でなく、ふわり、ふらふらっと、キャッチャーミットにボールを投げ込む川端投手は、これまでの高校野球にいなかったタイプでした。 
そういった意味で、とても記憶に残る投手でした。
川端投手のユニークさもすごいと思うのですが、飯野監督の存在もすごいものであったと思うのです。 
if・・・? という問いかけは無意味かもしれませんが、
 もし、飯野監督でなく、高校野球の指導者としてのキャリアを積んだ人物が監督になっていたとすれば、
 川端投手のスローカーブの効果も少なく、
 ましてや高崎高校の快(この場合、怪でもよいかな・・・)進撃につながらなかった
と私は思っています。
飯野監督がいて、川端投手のスローカーブが生きたと考えれば、たいへんおもしろい組み合わせであったといってよいかもしれません。
そのいい例が、沼田高校との対戦でした。
なんと!!沼田高校の監督と選手は、高崎高校の監督と選手が深い考え、よく考えた戦術で戦っていると思いこんでしまって、自滅していくことになります。
※ 詳しくは、「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)を
お読みください。
川端投手は、2019.10.27付の上毛新聞の記事にあるとおり、56歳という若さでお亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
そして、現在の高校球児の皆さんのご活躍を心から祈念しております。

2019年11月15日金曜日

平日だというのに・・・:川場田園プラザ

たくさんの人々で大賑わい

きのう(2019.11.14)の午後、沼田市歴史資料館の企画展(↓)

企画展「かくれキリシタンと鉱山」
 沼田市歴史資料館  
12/3(火)まで開催中
を見てから川場田園プラザに向かいました。

ちょうどお昼どきという時間帯であったのですが、有名な山賊焼を提供しているミート工房前は、ご覧のとおりの行列に!!
川場村のおいしい野菜や加工品を販売している店は、どこもたくさんのひとびとでいっぱいに!!
ふわとろ食パンは、整理券配布が終わってしまったとか!!
 あまりの混雑にベーカリーでは、入店を制限することに!!
先日のテレビ番組「カンブリア宮殿」に 永井社長が出演(↓)

川場田園プラザ 永井社長出演
したこともあって、また埼玉県の県民の日ということもあってか、そういった経緯、事情があるのかどうかわかりませんが、きのうは平日だというのに、すごい人出なのに驚いてしまいました。
というわけで、川場田園プラザで買ってこよう、食べてこようと考えていたものの大部分が売り切れであったりして、たいへん残念な結果になってしまいました。

つぎのブログ(↓)

日本ジオパークの認定返上へ
 初めての認定返上:天草ジオパーク
で述べたことですが、観光客をたくさん呼び込みたいということであれば、
  がんばったところに多くのひとびとがやってくる、
ということを認識したうえで、
  住民が一生懸命にがんばるしかない、
と私は思っています。

2019年11月13日水曜日

日本ジオパークの認定返上へ

初めての認定返上:天草ジオパーク

天草ジオパークの日本ジオパーク認定返上(日本ジオパークネットワーク(JGN)からの退会)は、日本中のジオパーク関係者、ジオパークに関心を寄せている人々に、大きな衝撃を与えたと思います。
このNHKの記事全文は、つぎのとおり(↓)です。
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地域の貴重な地形や地質などを保全し、教育や観光などにも生かす「日本ジオパーク」に認定されている「天草ジオパーク」について、関係する自治体でつくる協議会はジオパークの取り組みが交流人口の増加につながっていないなどとして、来年3月末をもって認定を返上することを決めました。
日本ジオパークの認定が返上されるのは、今回が初めてのケースです。 
「天草ジオパーク」は、平成26年、天草地域全体が「日本ジオパーク」の認定を受け、天草市と上天草市、それに苓北町でつくる協議会が解説板を設置したり、ホームページで情報を発信するなどの取り組みを行ってきました。 
しかし、去年、4年おきに実施される、更新に必要な審査が行われた際、天草ジオパークの再認定は認められたものの、「地域全体の連携が取れておらず、活動が不十分」などとして、2年以内に改善する条件が付けられたということです。 
これを受けて協議会で話し合った結果、「ジオパークの概念が分かりづらく、住民にも浸透していない」「3つの市と町で毎年あわせて1000万円近くを負担しているのに目的だった交流人口の増加につながらなかった」と、4年間の活動を総括したということです。 
そのうえで、「ジオパークを一度外れて、自然の資源を生かした活動をわかりやすく進めたほうがいい」として、認定期間が切れる来年3月末をめどに、認定地域が加盟する日本ジオパークネットワークから退会し、認定を返上することを決めました。 
今後は、これまでの成果を活用しながら、それぞれの市や町ごとに予算を組んで、貴重な地形や地質の整備などに取り組んでいくということです。 
「日本ジオパーク」は全国で44地域が認定されていますが、認定を返上するケースは初めてです。 
日本ジオパークネットワークの斉藤清一事務局長は「ジオパークは新しい取り組みで認知度はまだ高くなく、認定されたとたんに交流人口が増えるものでないことは最初からわかっていたと思う。「天草ジオパーク」のもとになった御所浦地域は日本のジオパーク活動に当初から関わっており、仲間がやめるのは残念だ」と話しています。
天草ジオパーク推進協議会の会長を務める中村五木天草市長は「ジオパークに認定されてから2市1町で1億1000万円を事業の実施に使っている。しかし、国民にあまり認知されておらず観光事業にも結びついていない。これがわれわれの決定の理由の1つだ」と話しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天草ジオパークの認定返上から見えてくる日本ジオパークの問題点について、私の考えを紹介したいと思います。

① ジオパークの運営にお金がかかりすぎること、ジオパークの運営主体に過大なことを要求すること。
 小さな自治体が取り組んでいるジオパークでは、到底不可能と思われることを再認定審査のときに要求することです。
 その事例として、つぎのブログ(↓)をご覧ください。


「中国のジオパークと交流するんだって?!」 「たいしたものだね!」


もっとお金かけろってことなのか? 日本ジオパーク いちばん大事なことは・・・?

審査する側では、日本ジオパークのレベルアップを目指し、助言、指導しているということでしょうが、個々のジオパーク運営主体が抱えている実情を無視したものと思わざるを得ないことを述べる、そういった無神経さが日本ジオパーク委員会のメンバーにあること、これを多くのジオパーク運営主体が不満に感じていて、これが天草ジオパークの認定返上の底流にあるのではないかと私は想像しています。

② ジオパークのスタートが、地学研究者の生き残りを賭けたものであったこと。
以前、つぎのブログ(↓)


これからのジオパークが進む方向とは・・・?

で紹介しましたが、日本のジオパークがうまくいかなければ、地学研究者は日本で生き残れない、という危機感から日本ジオパークが生まれたこと、これがジオパークに広がりをなくしていることではないかと私は思っています。

今後、日本のジオパークが発展していくためには、地学偏重の考えから脱却して、地域経営への視点を取り入れたり、生物、歴史や文化など、その地域にあるものの魅力を引き出し、それらを磨き上げることの大切さ、これを主眼にしたものにしていくべきだと私は思います。

③ 『日本ジオパークになれば、観光客が大勢やってきて観光収入が増える』と、自治体の首長、議員、職員をはじめ住民までもが、「捕らぬ狸の皮算用」的な考えになっていること。
先に引用させていただいたNHKの記事に、

 天草ジオパーク推進協議会の会長を務める中村五木天草市長は「ジオパークに認定されてから2市1町で1億1000万円を事業の実施に使っている。しかし、国民にあまり認知されておらず観光事業にも結びついていない。これがわれわれの決定の理由の1つだ」

とありますが、天草ジオパーク推進協議会の会長を務める中村五木天草市長の考えは甘いと私は思います。
観光による効果を最大にしたいのであれば、行政と住民が一体になって、一生懸命に汗をかき、がんばることが必要なことであり、日本ジオパークになったら大勢の人々がやってくる、と考えるのは甘く大きな間違いだ、といってよいでしょう。
日本ジオパークになっていないところでも、地質や地形をはじめ歴史や文化を生かし、たくさんの人々が訪れる観光地になっているところがいっぱいあります。
日本ジオパークに認定されること、日本ジオパークになったことではなく、日本ジオパークになったあと、それからの努力が必要だということであろう、と私は思います。

【私の提案】
『住民の盛り上がりはないし、思ったように観光客が増えないし、これでは公費の無駄遣いだと、議会で突き上げられるかもしれない、これから先どうしようかな・・・』
と悩んでいるジオパークの運営主体にあっては、この際、さっぱりと日本ジオパークネットワークから退会して、その土地の歴史や文化に根差した観光振興をめざしたほうが賢明であると私は思います。
いまの厳しい自治体の財政状況を考えたり、人口減少、少子高齢化など自治体を取り巻く諸情勢を考えるとき、うまくいかないものをずるずる続けるのではなく、すっぱり断ち切って、新たな方向に歩むほうが得策であろうと私は思います。
最後にひとつ、私が群馬県一がんばっていると思っている川場村は、日本ジオパークになっているわけでもありませんし、ましてや世界遺産があるわけでもありませんが、それでもすごい村になったのは、すごい村にするためにがんばった住民がいたこと、これに尽きるのです。
「かわばんち」:川場田園プラザ
くどいようですが、地域振興に必要なものは、日本○○とか世界○○といった〝タイトル〟ではなく、そこで暮らす人々ががんばって生きること、そのがんばる姿を洗練したものに磨き上げ、それを観光資源にしていくことではないかと私は思っています。

2019年11月7日木曜日

二ホンカモシカに遭遇!!

碓氷峠は紅葉真っ盛り

道路わきにシカがいる!!
 と、家内が気がつき、危なくないところに停車して、車内から撮ったものです。
自動車がとまったので、なんだろう・・・と興味津々のようすで、車内の私どもを見ている感じでした。
高野辰之が、碓氷峠を通過する車中で見た紅葉に着想を得て、有名な「紅葉」が生まれたといわれ、紅葉といえば碓氷峠といわれるゆえんがここにあります。
秋の一日、めがね橋を見たり、紅葉の山並みを眺めながら碓氷峠を進んでいきました。
 ニホンカモシカに遭遇したのは、下の写真を撮った先になります。
 以前には、サルの親子を碓氷峠で目撃したことがあります。
碓氷峠でニホンカモシカに遭遇したのは、何度も通行していますが初めてのことです。
すぐに山のなかに入って行きましたが、ちょっと驚いたニホンカモシカとの遭遇でした。

2019年11月3日日曜日

ごたごた続きの2020TOKYO

都民だけでなく、日本中で
オリンピック熱が冷めてしまったのでは・・・?


この期に及んで、という表現がありますが、夏に東京でオリンピックを開催することを決めたときから、東京の夏の暑さをわかっていたはずなのに、なぜいまごろになって、札幌へとIOCは決めたのでしょうか。
エンブレム、競技場建設、竹田会長・・・と、ごたごた続きの2020TOKYOは、無事に開催できるのだろうかと、ますます不安になってしまいます。
多額の経費を負担している東京都を無視したIOCの決定は、これからオリンピックを開催しようという都市には、たいへん衝撃的な〝大事件〟だと思います。
いまや、オリンピックの開催に名乗りをあげる都市は少なく、「オリンピックを開催したい」という都市があることは、IOCにとってはありがたいことだと思うのですが、この〝大事件〟によって、今後ますます開催希望の都市が減るのではないでしょうか。
放映権料などの収入を増やしたいというIOCの思惑があって、北半球では暑い夏にオリンピックを開催しなければならないわけですが、そもそも暑い夏にオリンピックを開催することじたい、たいへん問題があるといわなければならないでしょう。
ことさらにアスリートファーストと、とってつけたように選手の健康等を尊重しての措置だと、IOC側では主張しますが、そうであるなら日本で開催するのは、スポーツに最適な季節である秋にするとか、開催時期を当初からよく考えておくべきであったのではないかと思います。
オリンピックの陸上競技種目の花形競技というだけでなく、オリンピック競技全体の花形競技であるマラソンが札幌で行われることになれば、千両役者の出演がなくなった歌舞伎興行のようなもので、まったくTOKYOでのオリンピックは魅力ないものになってしまうことでしょう。
いっそのこと、東京都民の総意として、東京都は2020TOKYOの開催を返上してしまうとか、一方的なIOCに一矢報いるのもありではないかと思う気持ちがすこしあります。
これではあまりにも大人げないことであり、ここはぐっと我慢して、これまで招致活動をしてきたことでもあり、なんとか2020TOKYOをうまくやりとげようということで、東京都民の皆さんは辛抱されるかと思いますが、私にはなんとも後味のよくないIOCの対応であると思っています。
以前、つぎのブログ(↓)

お金は、いっぱいかかるものでは?
      オリンピック 2020TOKYO

で述べたことがありますが、これからの時代にあって、オリンピックをわざわざ招致してまで開催する必要があるのか、今回の〝大事件〟を教訓にして、よく考えることが必要かもしれません。
そして、これから先のことになりますが、もしIOCから
  日本で開催してもらえます?
という声がかかったときは、
  IOCだけで実施されたらいかがです?
と返事することでよいのではないかと思います。
それにしても今回の〝大事件〟に対するJOCやオリンピック招致委員会などの対応については、残念としかいいようがありません。

2019年11月2日土曜日

下仁田町産であったとは!!

うかつにも知りませんでした。

群馬県川場村の道の駅・川場田園プラザについて、私が大好きな雪ほたか米のおいしいおにぎりを紹介(↓)

雪ほたか米:おにぎり
     「かわばんち」:川場田園プラザ

したところですが、私が大好きなものがもうひとつあります。
それは、ミート工房かわばの
  山賊焼き
です。
川場田園プラザには、おいしいものがいっぱいありますが、そのなかでも山賊焼きはボリュームがありますし、なんといってもおいしいからです。
お昼頃にはもちろんですが、この時間帯以外でも行列・・・、というのがミート工房かわば前の見慣れた光景です。
 先日の上毛新聞で紹介された記事になります。
盛り合わせの内容が日替わりというのも、多くの観光客の関心をひきつける大きなポイントかもしれません。
この記事に、ミート工房かわばでは、
  下仁田町産の豚肉を中心に使用し・・・
とあったので、たいへん驚いてしまいました。
といいますのは、下仁田町にも道の駅があるのですが、下仁田町産の食材を生かした食事を提供し、それを売りにしている店があるかといえば、私が知る限り、まったくないのではないかと思ったからです。
2019.5.3 道の駅しもにた
下仁田町産の豚肉が、川場村の川場田園プラザで有名な山賊焼きになっていたとは!!うかつにも私は知りませんでした。
いまの時代、いい食材に着目して、それを磨き上げて、すばらしい料理-商品-に育てる、これができるところが成長し、できないところは苦戦していくのかもしれない・・・と感じた川場田園プラザ、そこのミート工房かわばの山賊焼きです。

2019年11月1日金曜日

雪ほたか米:おにぎり

「かわばんち」:川場田園プラザ

今年も新米の季節がやってきました。
群馬県でおいしい米といえば、なんといっても川場村の雪ほたか米ではないかと・・・
以前、
 
    雪ほたかが世界最高米に!!
       世界一高価な米(ギネス世界記録認定)
で紹介したとおり、群馬県というより日本全体でもトップクラスの米といってよいかと思います。
その雪ほたか米のおにぎりです。
美しく香りのよい海苔が、さらにおいしさを引き立ててくれます。
私は、日本一のおにぎりではないかと思っています。
秋になると、無性に食べたくなる雪ほたか米のおにぎりです。
秋が深まってきた川場村には、雪ほたか米をはじめ、リンゴや野菜、日本酒など、おいしいものがいっぱいあります。
あすからの連休、川場村に行って、おいしいものを食べる、というのもいいかもしれません。