2019年12月6日金曜日

鶴舞うかたちの雲

NHKニュース ほっとぐんま640

2019.12.5に放送された
  NHKニュース ほっとぐんま640 の
    好きです。群馬💛
のコーナーで、私が投稿した写真を紹介していただきました。
たいへんうれしいことでした。
 投稿した写真のもとになったのは、つぎの画像です。
真っ青に晴れ渡っている空であれば、もっとあざやかに見えたかもしれません。
つぎの写真は、1年前の2018.12.10に放送された
  NHKニュース ほっとぐんま640 の
   好きです。群馬💛
のコーナーで、紹介していただいたものです。
NHKニュース ほっとぐんま640は、県内の話題のほか、絵手紙や写真を紹介するコーナー-好きです。群馬💛-があり、たいへん楽しい番組です。
絵手紙や写真を投稿してみませんか。

2019年12月5日木曜日

福島勤さん・日野光兀先生-中小坂鉄山へ

たいへんうれしい再会と出会い

先日、下仁田町にある中小坂鉄山跡で、
 2013.10.8にJFEスチール㈱の工場(東日本製鉄所)見学の際、たいへんお世話になった福島勤さん
にお会いしました。
上の画像の向かって右が、福島勤さんです。
中央は、東北大学名誉教授 工学博士の日野光兀先生です。
左は、鉄山研究会の原田さんです。

福島さんは、大学を卒業後、NKK(日本鋼管)に技術者として入社され、同社を退社後、昭和40年度に入社された方々と「40会」という会で活動されていて、NKKと中小坂鉄山が関係していたこともあり、中小坂鉄山の製鉄技術のことを研究されている方です。
そんな御縁もあって、40会の皆さんのお世話になり、2013年秋に川崎の工場見学をさせていただきました。
下の画像は、見学時の集合写真ですが、前列左が福島勤さんです。
中小坂鉄山は、江戸時代の後期から開発がはじまり、私が大好きな小栗上野介が「ここの鉄山を開発しよう」と建議したのは、たいへん有名な話ですが、明治・大正・昭和・・・と時代を経て、中小坂鉄山が結んでくれる出会いには、ほんとうに感謝しかありません。

そして、この日には中小坂鉄山が結んでくれた御縁として、たいへんうれしい出会いがありました。
東北大学名誉教授 工学博士の日野光兀先生にお会いできたことです。
東北大学名誉教授 工学博士の日野光兀先生(下の画像の左)と福島勤さんに、鉄山研究会の石井利子さんが細かく説明をしているところになります。
かつての設備があった場所と思われる場所も、日野光兀先生と福島勤さんは詳しく調べていました。
この日の日野光兀先生と福島勤さんの調査には、鉄山研究会の新井美智子さん、下仁田町町議会議員の岩崎正春さん、ぐんま鉱山研究会の飯島富司さんと不肖本多が同行しました。
いまも残る当時の石垣の前で、中小坂鉄山調査で来町した記念にとの思いで、皆さんを撮影させていただきました。
この日の調査では、石井利子さんの心のこもった手料理がふるまわれました。
この時期の群馬の料理といえば、、なんといっても〝おっきりこみ〟ですが、料理じょうずの石井利子さんがつくる〝おっきりこみ〟は、まさに絶品!!
そして、赤い矢印の先のおにぎりは、石利子さんが考案した〝鉄山めし〟です。
中小坂鉄山の磁鉄鉱などをイメージして、とてもおいしい一品に仕上げた石井利子さんの名作中の名作料理です。
福島勤さんに再会でき、日野光兀先生にお会いでき、中小坂鉄山の歴史などを学ばせていただいたうえ、石井利子さんのおいしい料理をいただき、このうえない幸せな一日になりました。
福島勤さん、日野光兀先生には、寒くなってくる時期ですので、どうぞご自愛ください。
そして、またお会いできる日を心待ちにしています。

2019年12月2日月曜日

上信電鉄&下仁田ねぎ・コンニャク

2019年11月編

初霜が降りた朝、高崎駅行き上り電車が下仁田ねぎ畑の近くを通過するところです。
2019.11.29
朝陽がのぼりはじめ、山々が明るく照らされてきていますが、手前の下仁田ねぎ畑は、まだ朝陽があたっていないため、こまかな霜が葉についています。
霜が何度か降りる、そんな寒さが下仁田ねぎをおいしくしてくれます。
どなたがおっしゃたかわすれてしまいましたが、「上信電鉄には〝下仁田ねぎカラーの電車〟があって、とてもすばらしい」という方がおられました。
2019.11.2
なるほど、緑と白のボディは、下仁田ねぎをイメージさせてくれます。
長年、上信電鉄の車両を見ていますが、〝下仁田ねぎカラーの電車〟であることには、不覚にも気がつきませんでした。
2019.11.4
遠くに四ッ又山・鹿岳が見えます。
下仁田ねぎと上信電鉄は、まさに西上州そのものの風景です。
もうひとつ、当地の名産・コンニャク畑も西上州らしい風景といえます。
2019.11.8
 コンニャクイモの収穫風景は、西上州の秋を代表する風景です。
2019.11.19
よく晴れた空、白い雲・・・秋の西上州は、とても美しい風景がいっぱいです。

安全・快適な上信電鉄で、
西上州の冬の旅を楽しんでみませんか。

2019年11月29日金曜日

葱二百本舟便にて遣申候

故郷の名物を江戸の家族へ

先に、
川のりも展示されています 「海 の 森」
で紹介した史料は、つぎのとおり大正8年に発行された
 「上毛及上毛人」第31号
に掲載されているものです。

市河寛斎が江戸の家族へのおみやげとして、
 川のりの××苔
 岩茸(等とあるのですが、岩茸のほかがなにかは、この史料からは不明です)
とともに、
 葱二百本舟便にて遣申候
とあるこの史料については、下仁田ねぎのことが紹介されている本(文献)で、まだ私は見たことがありません。
下仁田ねぎを紹介した本などでは、必ずといってよいほど、つぎの
 お金がいくらかかってもかまわないので、
    大至急、葱200本を送ってほしい
という史料が掲載されていますが、これは下仁田村(当時)を知行地としていた旗本の家来が、下仁田村の名主に送ってきたもので、実際に名主が旗本に、下仁田葱を200本送ったかどうかは、はっきりわかっていません。
「新版 下仁田ネギ」(里見哲夫・下仁田自然学校文庫7 28頁から引用
私は、下仁田村の名主は、旗本のところに下仁田葱を送っていないのではないかと想像しています。
といいますのは、この旗本は財政的に厳しかったとみえて、下仁田村から借金をしていたという文書が残されています。
知行地の住民に借金をしている旗本から、
  お金がいくらかかってもかまわない
という文書が届いたからといって、当時の村人は、
  こんなことを書いてきたって、どうせお金を払うはずがない
と考えて、
  こんな文書、ほっとけ、ほっとけ
としたのではないかと私は思うのです。

下仁田ねぎの大名焼き 下仁田ねぎの贅沢焼き

当時の人々は、支配階級の言いなりになっていたということはなく、かなり自立的といいますか、しっかりした意思をもち、しっかり生きていたといわれています。
そこへいきますと、市河寛斎が江戸の家族へ、船便で葱を送ったという史料は、実際に葱を送ったと考えられる確実性が高いものだと思うのです。
 ※ つぎのブログ(↓)
川のりも展示されています 「海 の 森」
には、ウイキペディアの市河寛斎の紹介記事を掲載していますが、「群馬文化」第44号(1960.8)の「市河寛斎」(池田秀夫著)によれば、
  寛斎は江戸で生まれ、27歳のとき父祖の地である下仁田へ。
  下仁田の高橋道斎の家に入る
となっていて、市河寛斎にしてみれば、下仁田の葱は、おいしい故郷の食べ物であったといってよいかもしれません。
飛脚と舟便を利用して、江戸の家族へ荷物を送ることは、現代の宅配便といってよいかと思いますが、江戸まで葱200本を舟便で送るというのは、当時は当時なりにお金がかかったことでしょう。
江戸の家族に食べさせてあげたいという思いで、下仁田村から江戸まで下仁田の葱を送りたくなった市河寛斎にとって、お金のことはどうでもよかったのではないかと、そんなことを想像しています。

私は、下仁田ねぎのすばらしさをアピールするためには、旗本の家来からの書面よりも、市河寛斎の旅の記録のほうが、数段も価値があると思っています。

※ ところで、旗本の家来からの書面と市河寛斎のメモともに、葱は200本となっています。
 偶然の符合とは思えませんので、当時の葱の流通単位が、200本/個であったと思われますが、この点については、これから調べたいと思っています。
けさ、当地では、初霜が降りました。
これから寒くなって、霜が何度か降りますと、おいしい下仁田ねぎができます。

下仁田ねぎの旬は?
        実にもったいないことだと思うのですが・・・

もうしばらくしますと、下仁田から全国各地へ、おいしい下仁田ねぎが発送されていきます。
下仁田ねぎと上信電鉄 いまは紅葉とねぎ畑がきれいです
江戸時代に市河寛斎が家族のもとへ下仁田ねぎを送った気持ちと同じ気持ちで、下仁田の父母や祖父母、兄弟姉妹などから遠くで暮らす子や孫、兄弟姉妹のところなどへ、下仁田ねぎがいっぱい送られていくことでしょう。
寒い夜、温かい鍋を囲んで、下仁田ねぎを食べ、ふるさとを思い出す、そんなきっかけになれば、とてもすばらしいことだと思います。
どうぞ、こころをほかほかにする鍋料理の名優、下仁田ねぎをことしもご賞味ください。

2019年11月27日水曜日

「街道を歩く」

中山道・十石街道・三国街道・沼田街道・
清水峠越え道・足尾銅山街道・
日光例幣使街道・古戸桐生道

群馬県教育委員会文化財保護課から「街道を歩く」が発行されました。
平成11(1999)年度の歴史の道パンフレット15シリーズのうち、上の8点を現在の情報にあわせてリニューアルしたもので、歴史好き、街道好きの人々にとっては、たいへんうれしい改訂が行われたことになります。
内容の一部を紹介します。
歴史の道が地図に描かれていて、その沿線の文化財などの位置も掲載されています。
これを見ながら街道を歩けば、江戸時代の旅人の気分になれるかもしれません。
街道歩き、まち歩きのガイドとして、「街道を歩く」のシリーズは、とても参考になるものだと思います。
群馬県庁の県民センターのほか、各行政県税事務所でも販売しています。
8点1セットで、600円(税込み)です。

2019年11月24日日曜日

群馬交響楽団 第553回 定期演奏会

とてもすばらしい演奏会でした。

2019.11.23(土)18:45から高崎芸術劇場の大劇場において、群馬交響楽団の第553回定期演奏会がありました。
今秋に完成したばかりの高崎芸術劇場で、群馬交響楽団のすばらしい演奏を聴いてきました。
音楽のことに疎い私がいうのもどうかと思いますが、音楽センターとは音響がまったく違う感じがしました。
大劇場内は撮影禁止になっていますので、群馬交響楽団の定演パンフレットに掲載された写真(↑)で紹介しますが、壁面の色がとてもすてきなものになっていますし、椅子も座り心地よいものになっています。
高崎芸術劇場のスタッフが、とてもじょうずに案内してくれるのも気持ちよいものでした。
高崎芸術劇場で、また群馬交響楽団の演奏を聴いてみたいと思っています。
たいへんすばらしい群馬交響楽団の第553回定期演奏会でした。

高崎芸術劇場近くには、とてもすてきなマンホール蓋が設置されています。
こちら(↓)をご覧ください。
  高崎芸術劇場×布袋寅泰 楽しくなるマンホール蓋



2019年11月22日金曜日

プレミアムヨーグルト

川場田園プラザ

たいへん人気があるとのことで、なかなか購入することができませんでしたが、朝早くに川場田園プラザに行き、やっと購入することができました。
以前のブログ(↓)

平日だというのに・・・:川場田園プラザ
    たくさんの人々で大賑わい
で紹介しましたが、川場田園プラザは、すばらしい道の駅だと思います。
チーズをたくさん買われている方もいました。
おいしいから、ということはもちろんだと思うのですが、おしゃれな包装も人気を集めているもとになっているとか。
包装は、こんな感じ(↑・↓)です。

2019年11月19日火曜日

コンモリ学会

会 員 募 集 中

ふと、思ったのですが、小高い丘を見上げると、駆け上がりたくなるのは、どうしてなのだろう・・・?と。
まん丸いものを見ると、かわいいな・・・と思うのは、どうしてなのだろう・・・?と。
こんなことを考えている方々がいらっしゃるのではないかと思って、このたび
 コンモリ学会
を立ち上げました。
まず、こんもりについて、デジタル大辞泉(小学館)では、つぎのとおり解説しています。
学会の名称を、こんもりでなくコンモリにしたのは、深い意味があってのことではなく、こっちのほうがカッコいいかなと思っただけのことです。
こんもりしたものは、いっぱいあると思います。
たとえば神社の杜。
こんもりした神社の杜は、神がおられる場所として、とても荘厳な雰囲気をつくっています。
 私が暮らす西上州には、お椀をひっくり返したような形の山が連なっています。
こんもりした山並みは、こころをほっとさせてくれる効果があるような・・・、そんな感じがします。
まるい小菊は、秋の花のなかで、とびきりかわいいものといえるかもしれません。
ところで、学会の定義ですが、
デジタル大辞泉の解説では、
それぞれの学問分野で、学術研究の進展・連絡などを目的として、研究者を中心に運営される団体。また、その集会。「物理学会」
となっていて、
ウイキペディアでは、
学会とは、学問や研究の従事者らが、自己の研究成果を公開発表し、その科学的妥当性をオープンな場で検討論議する場である。また同時に、査読、研究発表会、講演会、学会誌、学術論文誌などの研究成果の発表の場を提供する業務や、研究者同士の交流などの役目も果たす機関でもある。
となっています。

コンモリ学会では、地形や植物をはじめ、自然物や人工物など・・・、なんでも対象にして、こんもりの原因や事情、経緯などをみんなで考えていこうという、きわめてゆる~い感じで運営していきたいと思っています。
細かな運営規則等をつくることは考えていませんが、参加された方々が気持ちよく、いろいろな考えが発表できる場にしたいと思っています。
入会金、年会費は無料です。

あなたの身の回りのこんもりを探して、
それを発表してみませんか。

2019年11月16日土曜日

「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)

川端投手・飯野監督

きょう(2019.11.16)の上毛新聞(↓)で、明治神宮野球で本県の健大高崎が初戦を突破したという、うれしい記事を読みながら、ふと、かつて高校野球で活躍した投手と監督を思い出しました。
「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)でも知られている川端投手と飯野監督については、当時のテレビや新聞で活躍を知り、その後、「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)を読んだだけで、私はお会いしたことがありません。
とにかく型破りといいますか、その当時(今日においても、かもしれませんが)の高校野球の常識を打ち破った投球であり、戦い方であったと記憶しています。
剛腕、豪速球といった投手でなく、ふわり、ふらふらっと、キャッチャーミットにボールを投げ込む川端投手は、これまでの高校野球にいなかったタイプでした。 
そういった意味で、とても記憶に残る投手でした。
川端投手のユニークさもすごいと思うのですが、飯野監督の存在もすごいものであったと思うのです。 
if・・・? という問いかけは無意味かもしれませんが、
 もし、飯野監督でなく、高校野球の指導者としてのキャリアを積んだ人物が監督になっていたとすれば、
 川端投手のスローカーブの効果も少なく、
 ましてや高崎高校の快(この場合、怪でもよいかな・・・)進撃につながらなかった
と私は思っています。
飯野監督がいて、川端投手のスローカーブが生きたと考えれば、たいへんおもしろい組み合わせであったといってよいかもしれません。
そのいい例が、沼田高校との対戦でした。
なんと!!沼田高校の監督と選手は、高崎高校の監督と選手が深い考え、よく考えた戦術で戦っていると思いこんでしまって、自滅していくことになります。
※ 詳しくは、「スローカーブを、もう一球」:山際淳司(角川文庫)を
お読みください。
川端投手は、2019.10.27付の上毛新聞の記事にあるとおり、56歳という若さでお亡くなりになりました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
そして、現在の高校球児の皆さんのご活躍を心から祈念しております。