2018年2月28日水曜日

上野三碑ラッピング電車:上信電鉄

「世界の記憶」

きのう、上野三碑ラッピング電車が運行を開始したことが、本日の上毛新聞で紹介されています。
きのうの出発については、つぎのブログ(↓)

出発!!進行!!  上野三碑ラッピング電車  【上信電鉄】

で 紹介したところですが、出発したときのようすを動画(↓)でご覧ください。
下の画像は、本日の15:16に富岡市南蛇井地内を走行している上り高崎駅行です。
2018.2.28
ラッピングは車両全体でなく、進行方向の前1両目の右側だけ(↑)になっています。
きのうの運行開始前、高崎駅に停車していたときは、ドアが開いていました(↓)ので、それぞれの石碑の写真を紹介できませんでした。
2018.2.27
 多胡碑のドアから乗り込もう
 とか、これからは電車での乗り降り、そのドア選びも楽しいかもしれません。
2018.2.27
安全・快適な上信電鉄で
東国文化の薫り高い西上州をめぐってみませんか

2018年2月27日火曜日

出発!!進行!!


上野三碑ラッピング電車
【上信電鉄】


本日(2018.2.27)の高崎駅発10:53下仁田駅行から上野三碑ラッピング電車の運行が始まりました。
たいへんうれしいことです。
「世界の記憶 」に登録された上野三碑は、そのすべてが上信電鉄沿線にあります。
 上野三碑のラッピング電車が走ることを楽しみにしていました。
2018.2.27(火) 10:53に高崎駅を出発したときは、ほんとうにうれしい気持ちになりました。

上信電鉄に上野三碑のラッピング電車が加わり、また一段とにぎやかになったことは、とてもうれしいことです。
上野三碑のラッピング電車に乗って、
上野三碑めぐりをはじめ、
上信電鉄沿線の旅をしてみませんか。

2018年2月23日金曜日

すくないパイを奪い合うのではなく、

すくないパイをいかに伸ばしていくか、
ではないでしょうか?

テレビのニュースや新聞で、
  東京23区内の大学における定員増抑制
について、いろいろ報道されているところですが、この政府の方針でよいのだろうかと、私は疑問に感じています。
下の東京都知事の緊急声明は、東京都のHPから引用させていただきました。
 この緊急声明にありますが、
 人口減少社会を迎えている今、東京対地方の構図の中で限られたパイを奪い合っている場合ではありません。
という部分は、まさにそのとおりだ!と私は思います。
学びたいところで学ぶ、そこで学んだことを活かして、これからの日本はもちろんのこと、世界で活躍できる人材を育成、輩出することこそ、東京、地方にある大学を問わず、すべての大学の大きな役割ではないかと思うのです。
ましてや、若年層が大きく減りつつあるわが国において、若年層一人ひとりの重みが増してきていることを考えるとき、国が行うべき施策は23区内の大学の定員増抑制ではなく、特色ある学部、学科、教授陣、研究設備などによって、日本中の大学が魅力ある学びの場を若者に提供することではないでしょうか。
それと、もうひとつ、東京に出た若者が、なぜ出身地をはじめ地方に向かう若者がすくないのか、といったことをよく考えるべきではないかと思うのです。
どこで学ぼうと、それから先、出身地に戻る若者もいれば、出身地でない地方に行って、そこで自分の可能性を試す、さらには外国に行って、研究生活を送りたいとか、多様な選択を可能とする社会にしていくことも重要なことではないでしょうか。
これからの若者のことを思うのであれば、もっと学びのための環境整備-奨学金制度の充実をはじめ、下宿する学生への支援など-に意を注ぐべきであり、それぞれの能力や意欲に応じて、安心して学べるようにしてあげること、これがいちばん大事なことではないかと、そんなふうに思うのですが、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか?
 東京23区内の大学における定員増抑制
についてのニュースを聞いたり、新聞で読んで思い出したのは、司馬遼太郎の「街道をゆく 36・37」に書かれていることでした。
司馬遼太郎の「街道をゆく 36・37」には、江戸・東京という都市の役割、とくにわが国が近代化を図っていくうえで、大きな役割を果たしてきたことが書かれています。
と、ここまで書いてきて、「上毛の文人」を読んでいて、むかしから東京に出た人は、帰って来なかったのか・・・と驚いてしまいました。
これ(↑)は、昭和15(1940)年8月1日に発表されたものですが、「江戸に近いことが善し悪しで」からを読んでいただきますと、群馬県の場合、「出る者は江戸に飛ぶ出してしまひ、・・・」と文章が続いていきます。
この文章では、出る者が若者であるとはいっていませんが、むかしから江戸に行ってしまうと帰って来なかった、ということでしょうか・・・
やはり、東京の大学に進学したあと、まずは卒業後は出身地に戻るという若者を多くする、そんな施策が望まれるということかもしれません。
もちろん、これらの施策が、大学卒業後の若者が進むべき進路選択を制限するものであってはならないこと、これはいうまでもありません。

2018年2月21日水曜日

これって、実際は条件付き再認定では・・・?

というのが、私の感想です

2018.2.5付の日本ジオパーク委員会委員長からジオパーク下仁田協議会長あての
 第32回日本ジオパーク委員会審査結果報告書
のなかの
 【今後の課題、改善すべき点】
を読んで、
 再認定になったといっているけれど、実質的には条件付き、それもたくさんの条件付き、厳しい条件付きでの再認定ではないだろうか
と私は感じました。

先日、開催された再認定審査結果報告会に参加された方で、再認定審査結果と報告会に関する感想を、フェイスブックでつぎのように述べている方がいます。

 〇 それなりの宿題の数。
 〇 結果が出てから2か月近く経った今、慰労より動き出そうよ!という気分。
 〇 報告会に一般町民がほとんどいなかったのはとても残念。
 私の理解力が足りないからだと思うのですが、総評での
 ただし、ジオパークを運営する~急務である。
に続けて、
 以上のことから~再認定する。
とつながっていく文章の流れが、どうにも私には理解できません。
といいますのは、
 ただし、ジオパークを運営する~急務である。
のあと、
 ジオパークに認定されてからの年月を考えるとき、いまだに活動の根幹が定まっていないということになり、これは大きな問題である。
とすれば、
 以上のことから~???。
と導き出される結論が違ってくるかもしれないからです。
アクションプランの件については、2017.11.15の審査において、審査員からつぎのような発言がありました。

審査員 : アクションプランに具体的な目標数値を入れ、
     それを12/22(委員会の審査会開催日)前までに提出を。
      いまのアクションプランでは、目標と実績が評価できない。

そして、審査結果通知では、つぎのように結ばれています。
これらをもとに考えてみるとき、昨年の12/22までにアクションプランを提出 していなかったことになり、すくなくても審査結果通知が発出された2018.2.5時点では、日本ジオパーク委員会にアクションプランが提出されていなかった、ということになります。
一般的に考えてみたとき、ささやかな私の経験から考えてみるとき、審査に必要な提出書類であるアクションプランの内容が不十分で、
 目標と実績が評価できない
としながらも審査を行い、再認定という判断を下したうえで、さらには
 今年度中に報告を
というのは、ずいぶんやさしい対応だなと私は感じます。
このブログのはじめのところで、厳しい条件付きと述べましたが、
 今年度中(2018年3月いっぱい)に報告
する
 アクションプランの進捗を4年後の再認定審査の審査対象にする
という部分では、ずいぶんやさしい対応だなと思う半面、厳しいな・・・とも感じました。
もともとアクションプランなるものは、つくっていなければならないものであり、すでに協議会で十分に議論を重ねて作成済みかもしれませんが、すくなくても今後4年間における活動内容等について、これを4年後の再認定審査の際の合否判定のもとにするということであり、報告期限までの残り僅かな時間で、これをつくることは、たいへん厳しい条件(つくっているべきものと考えれば、まったく厳しいものではないということができます)ではないだろうか・・・と感じています。
先ほど、一般的に考えてみたとき、ささやかな私の経験から考えてみるとき、と述べましたが、審査に関する提出書類に不足がないこと、その記載や添付資料に遺漏などがないこと、さらには提出期限を過ぎていないことは、審査を受けるうえで最低限守るべきことだといえるからです。
それと、ジオの日を条例で制定しているのでしょうか。
「2017年 町政要覧」(つぎのURLで、全体を見ることができます)によれば、
http://www.town.shimonita.lg.jp/shoko-kanko/H28_tyouseiyourann_main.pdf
その20頁に、
 平成27年7月13日に
 毎月20日を下仁田ジオパークの日(ジオの日)に指定
と記載してありますが、ジオの日の条例を制定したとはなっていません。

ジオの日については、つぎのとおりとするのが正しいといえるのではないでしょうか。
 ①告示日  平成27年7月13日(広報8月号では7月14日となっている。)
 ②告示番号 下仁田町告示第115号
 ③施行日  平成27年8月20日

ご承知のように、条例は自治体が制定する〝法律〟というべき意味のもので、たいへん重みがあるもの、それが条例です。
審査結果通知は、公文書として保存されるものであり、事実関係を明確にしておいたほうがよいのではないだろうか・・・とそんなふうに思いました。

下仁田町自然史館日記「ジオパーク審査結果を受けて」で、昨年の再認定審査で下仁田に来られた渡辺真人氏の発言が紹介されています。
昨年の再認定審査において、ほかのジオパークもジオパーク下仁田と同様に、「それなりの宿題」を日本ジオパーク委員会から与えられているのかもしれませんが、「それなりの宿題」の内容等を考えるとき、率直に申し上げて、いまだに日本ジオパークの活動、その方向性などがはっきりしていないのかな・・・と、そんなふうに感じるのです。
日本ジオパークが誕生してから今日に至るまでの年月を考えるとき、いまだにこんな状況でよいのだろうか・・・と、そんなことも感じます。

2018年2月20日火曜日

上野三碑のラッピング列車を走らせる

「世界の記憶」 上野三碑
 (2018.2.20 読売新聞 群馬版)

たいへんうれしいニュースです。
たいへんうれしかったのは、
 県は、上野三碑に代表される「東国文化」の周知に力を注ぐ。
 で始まる記事のなかに、
上野三碑のラッピング列車を走らせる
とあったからです。 
2018年度から上野三碑のラッピング電車が走ることになったことは、ほんとうにうれしいことです。

これまでの私のブログです。

上野三碑(こうずけさんぴ)のラッピング電車を! すばらしい上信電鉄沿線


上野三碑のラッピング電車を! 上野三碑(こうずけさんぴ)と古墳めぐり-上信電鉄沿線

2017 うれしかったこと 上野三碑 「世界の記憶」登録

一昨日の朝から腰が痛かったのですが、このニュースがあまりにもうれしくて、この喜びが痛みをやわらげてくれたのか、だいぶ腰の痛みがひいてきました。
2018.2.19
 上信電鉄には、ぐんまちゃん電車をはじめ、楽しいラッピング電車が走っています。
2018.2.12
上野三碑のラッピング電車の登場が、とても楽しみです。
2018.2.5
上野三碑のラッピング電車に乗って、「世界の記憶」に登録された上野三碑をはじめ、世界文化遺産の旧富岡製糸場・荒船風穴などをたくさんの方々に見学していただきたいものです。
すばらしい見どころいっぱいの上信電鉄沿線
どうぞお出かけください!

2018年2月19日月曜日

リノベーション

上毛新聞論説 (2018.2.19)

上毛新聞の論説(↓)を読んで、つい最近耳にしたことを思い出しました。
群馬県西毛地域の某市でのことだそうですが、空き家の解体、撤去が進まないのは、地価が下落してしまったため、という理由も多いというのです。
どういうことかといいますと、ひとり暮らしであった親が亡くなったあと、親が暮らしていた家を土地付きで売ろうとしても買い手がなく、全体的に地価が下落してしまっているため、更地にして売ろうとすれば解体、撤去費用がかかり、更地の売買価格で解体、撤去費用を賄うことができず、持ち主が解体、撤去に踏み切れない、という事情が大きいとのことです。
簡単にいえば、
 赤字になるのであれば、あえて家の解体、撤去はせず、このままにしておけばいい。 
という持ち主が多くなっているのだそうです。
2017.10.5 富岡市内
リノベーションの意味ををネットで調べてみました。

大辞林 第三版の解説
リノベーション【renovation
  刷新。改革。
  修理。改造。修復。
  既存建物を大規模に改装し、用途変更や機能の高度化を図り、建築物に新しい価値を加えること。
私は、群馬県富岡市に住んでいるのですが、私が暮らしている地域がどのように形成されてきたのか、その歴史的な流れを調べてみたことがあります。
2018.1.16 前橋市内
簡単にいえば、農業を営むための耕地や水利などが開発でき、できるだけ自然災害のない場所ということで、私たちの先祖は定住したのでした。
農業などを営む人々が集まれば、そこへ商工業の人々も集まってきて、賑やかなまちがつくられていくことになります。
富岡の市街地の場合、私の同級生らのルーツを聞いてみますと、祖父母や曾祖父母ぐらいの時期に糸繭商とか、製糸場の関係で、富岡に来られた方々の子孫という方が多いように感じます。
明治のはじめころ、富岡は糸と繭のまちとして、活発な経済活動が行われていて、多くの人々が
 富岡で、がんばってみよう
と思えた、そんなまちであったからでしょう。
まちに経済力と活力があれば、自然と
 既存建物は大規模に改装され、
 用途変更や機能の高度化が図られ、
 建築物に新しい価値が加わっていく
のではないでしょうか・・・
2018.1.21 高崎市内
その地域全体の経済活動が高まれば、リノベーションしようといわなくても、まちは表情を変化させていくものでしょうし、かつての時代にあった乱開発やスプロール化を心配する、そんな状況になっていくことだってあるかもしれません。
まずは、その地域の経済活動を活性化させる、これが地域を生き生きさせる大本ではないでしょうか。
いまの地方都市に必要なのは、若者らの就労の場であり、その就労で得た収入で、若者らが暮らせる場なのではないかと思うのです。
そうすればまちは生き生きしたものとなり、歴史や文化も大事にしていける、こういう流れ、順番にしなくては、よいまちにならないのではないか・・・と私は思うのですが、いかがでしょうか。

2018年2月16日金曜日

2018.2.18(日)まで!


特別展「ぐんまの自然の今を伝える」
 群馬県立自然史博物館


以前、紹介させていただいた
特別展 ぐんまの自然のいまを伝える
は、明後日までになりました。
たいへんすばらしい研究成果がおてんこ盛りの特別展です。
明日と明後日の土日には、ぜひ群馬県立自然史博物館へお出かけください。
群馬県立自然史博物館の常設展も見どころいっぱいです。
 鉱物好きの方はもちろんのこと、動物好きの方も大満足の展示がいっぱいです。
 そして、いまは常設展で本白根火山の火山灰を見ることもできます。
それに・・・
こんな化石(↑)も展示されています。
これがなにの化石なのか、ぜひ群馬県立自然史博物館で調べてみてください。
楽しい展示もおてんこ盛りの群馬県立自然史博物館です。

明日と明後日の土日は
群馬県立自然史博物館へ!

2018年2月15日木曜日

「私のふるさとかるた」発行を


上毛新聞の投書欄から

前橋市にお住いの林千代子さんからの投書を読ませていただきました。
で、紹介しましたが、「かるたでよむ私のふるさと」に読み句を応募した私としては、とてもうれしい林さんの投書です。
群馬県民にとって、いまや上毛かるたは、あって当たり前のものであり、上毛かるたの読み句を知らない人がいないといってよいと思います。
2014.10.6の上毛新聞オピニオンに掲載していただいたもの(↓)ですが、上毛かるたにある「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」の読み句をもとにして、
 先人への感謝を忘れずに
という思いを書かせていただきました。
掲載していただいた文章は、つぎのとおりです。

 群馬県人の誰もが知っている上毛かるたは、「鶴舞う形の群馬県」をはじめ、すべてがとてもよい語呂になっていて、子どもが知らず知らずのうちに、名所や旧跡、歴史上の人物などを学べるという、大変すばらしいものです。
 この上毛かるたをキャッチコピーとしてみたとき、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」が、もっとも優れていると私は思っています。 
 昭和22(1947)年、県民から募集して、浦野匡彦氏らが上毛かるたをつくったのですが、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」が採用されたことによって、下仁田町や下仁田ネギとこんにゃくの名声が不動のものになったといってもよいと私は考えています。
 戦後、多くの子どもたちが親しんだ上毛かるたは、いまや群馬県人の常識になっているといってよく、これほど多くの人々に知られたキャッチコピーはないでしょう。
 数年前、浦野匡彦氏の長女で、群馬文化協会の理事長の西片恭子さんの著書「上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生」を読んで、「葱と蒟蒻下仁田名産」のほか、「葱は下仁田一本葱よ」・「太くて美味しい下仁田葱」の応募があったことを知りました。
 「ねぎとこんにゃく下仁田名産」は、いったいどのような方が考えたのだろうかと興味を持った私は、応募した方々の名前などがわかればとの思いで、文化協会に照会したのですが、「戦後の混乱期で、資料が散逸して、詳細なことは不明」という回答をいただきました。
 もし、上毛かるたをつくるとき、「葱と蒟蒻下仁田名産」の応募がなかったら、また、応募があったとしても採用されなかったら、戦後における下仁田ネギとこんにゃくの名声は、どのようになっていただろうか、はたして高まっただろうかと思うのです。
 今年の1122日、23日に、下仁田町で「全国ねぎサミット2014  inぐんま下仁田」が開催されます。
 全国ねぎサミットが下仁田町で開催されることは、第一には長年の間、下仁田町で良質な下仁田ねぎを栽培してきた農家をはじめ、栽培方法などを研究してこられた方々すべてのご努力の賜物であると思います。
 また、上毛かるたの「ねぎとこんにゃく下仁田名産」が、結果として、下仁田町の効果的な広報になっていることも見逃すことはできません。
 「ねぎとこんにゃく下仁田名産」の作者を下仁田町役場で探し、この秋の全国ねぎサミットにおいて、下仁田町の名声を高めていただいた功労者として、顕彰していただけないものかと思っています。
 先人への感謝を忘れない心を持ち続けることは、いつの時代にあっても大切ではないでしょうか。

先日のシンポジウムで、上毛かるたのすばらしさ-上毛かるたに込められた思い、理念、哲学・・・-を改めて知り、たいへん感動しました。
シンポジウムでは、西片さんのメッセージが紹介されましたが、私たち群馬県民は、70年前の戦後の混乱期にあって、すばらしい財産をつくっていただいたことを感謝しなければならないと思いました。
これからの新しい時代に向かって、しっかりした理念に基づいて、後世の方々が
 「上毛かるたと並ぶ名作だ」
と評価していただける、そんな
 「ぐんまふるさとかるた」
を上毛新聞社、群馬県でつくってほしいものです。
そのときにも読み句の公募があれば、ぜひ応募させていただきたいものです。

2018年2月14日水曜日

メンテナンス中:丹生湖

サクラ・ミシシッピアカミミガメ

いま、富岡市にある丹生湖では、メンテナンスの作業が行われていて、水が抜かれた状態になっています。
いまは考えようによっては、普段は見ることができない珍しい光景ということになります。
2018.2.14
まだサクラの花は開いていませんが、サクラの花が咲きますと、さらに美しい丹生湖になります。
2017.4.10
サクラの花が咲いた丹生湖です。
そして、丹生湖には、私の散歩時に姿を見せてくれるミシシッピアカミミガメがいます。
2018.2.14
いまは水が抜かれてしまっていて、ミシシッピアカミミガメが甲羅干しをしていた木の枝は、ご覧のとおりになっています。
2017.2.3
これを撮影した日に枝の上で甲羅干しをしていたミシシッピアカミミガメは1匹だけでしたが、多いときには4匹とか5匹も甲羅干しをしていることがあります。
今冬の寒さもあるでしょうし、水が抜かれていますので、今年はまだ姿を見ていませんが、これから会えることを楽しみにしているところです。
2017.4.10
寒い日が続いていますが、すこしずつ春になっているように感じます。
丹生湖畔の河津桜のつぼみがふくらんできました。
早く暖かい春にならないかな・・・と、春を心待ちにしているところです。

2018年2月13日火曜日

「市議会通信」第16号

たいへんありがたいことです

富岡市議会議員の佐藤信次さんは、いろいろなことをわかりやすく市民に伝える活動として、「市議会通信」を発行しています。
佐藤信次さんの「市議会通信」は、富岡市内の全戸に新聞折込で配布されていますので、たくさんの方々がご覧になっていることと思います。
富岡市議会だよりや富岡市報をはじめ富岡市のHPで、市議会での議論をよく読んだほうがよいのだと思いますが、一般の市民には残念ですが、なかなか難しくて、簡単に読んだりHPにアクセスすることができません。
そういった意味で、わかりやすい「市議会通信」は、たいへんありがたいものです。
「市議会通信」の第16号は、
  29年度決算から富岡製糸場と観光関連事業について調べてみました。
   ~今、すべきこと、これからなすべきことは?~
というもので、急激に入場者が減っている旧富岡製糸場に関して、いくつかのデータを掲載しています。
2007.6.30
「市議会通信」の第16号で、たいへん興味深いのは、予想来場者数の一覧です。
平成32年度の予想来場者数は、どういった理由なのかわかりませんが、前年度の平成31年度より20万人多い100万人になっています。
これから先、入場者数はどのように推移していくことになるのでしょうか・・・
この事業のほか、旧富岡製糸場の維持保全のための工事費もあることになります。
2017.10.5
世界文化遺産である旧官営富岡製糸場について、佐藤信次さんの「市議会通信」の第16号を読ませていただき、いろいろなことを考えさせられました。
富岡市民にとっては、たいへんありがたい情報です。