2019年1月31日木曜日

覚えていますか?

つり橋であった和合橋

昨年の暮れ、蔵書をはじめ写真、ネガなどを整理したのですが、そのとき昭和40年代に撮ったモノクロのネガが出てきました。
田島側から撮影
ネガのケース(紙製)には
  和合橋 県道で最後のつり橋
  昭和47年5月30日
と書いてありました。
高瀬側から撮影
積極的に記録しておこうという気持ちではなく、つり橋がなくなってしまうのか・・・、さびしいことだな・・・という程度で撮影したのではないかと、そんなことではないかと思っています。
なにしろ若かったですし、まだ道路の歴史などに興味がありませんでしたから。
鏑川下流側から撮影
上の写真を見ますと、すでに現在の和合橋の橋脚ができていることがわかります。
橋脚の近くにあるのが、つり橋の和合橋です。
手前の上にあるのは、帝石のガス管です。
不鮮明な写真で見づらいと思いますが、川原には蔟(まぶし)が干してあります。
このころには養蚕が盛んで、農家の方々は蚕具を川で洗い、 川原いっぱいに蚕具を干していたものでした。
鏑川下流側から撮影
上の写真は、干した蔟を農家の方が取り込んでいるところです。
鏑川下流側から撮影
トラックが橋を渡っています。
私も何度か通りましたが、なかなかスリリングなものであったと記憶しています。
なにげなく撮った写真ですが、いまとなっては貴重(と本人は思っているのですが・・・)なものかもしれないと思っているところです。

2019年1月18日金曜日

だまされないように

気をつけたいものです

犯罪統計を細かく調べれば、詐欺事件などの件数、どういった内容の事件であったか・・・といったことが詳しくわかるかもしれませんが、新聞やテレビのニュースなどで、
  だまされてしまった・・・
  嘘の儲け話であった・・・
といった事件が、このところとても多いように感じています。
振り込め詐欺も相変わらずあって、お年寄りがなけなしのお金を取られてしまったという事件も起きています。
こういった詐欺事件のほか、
  高配当をうたい文句にして、お金を出させるという事件
も後を絶ちません。
だます人々は、言葉巧みに
  絶対に儲かりますよ
とか
  絶対に損をさせませんよ
というようなことを思わせる表現で、うまくお金を出させるのだろうな、と想像しているのですが、この世の中にそのような
  うまい話がほんとうにあるものかな・・・
と私は思うのです。
幸いなことに私の場合、お金を持っていませんので、こういった
 うまい話
を持ちかけられる心配はないと思っているのですが、それでもこのような事件が報道されるたびに、
 うまい話
にひっかかってしまわないように気をつけなくてはと思っています。
自分で承知しての買い物などで、お金を使うのはもったいないこともありませんが、自分の不注意がもとになって、だまされてしまい、それで
  虎の子
を失ったとすれば、残念すぎますし、悔やんでも悔やみきれません。
私の場合、いくらか〝あぶないお年頃〟になってきたこともあり、だまされないように気をつけなくてはと思っているところです。

2019年1月13日日曜日

明治150年・戊辰150年

明治維新と「薩長史観」

勝者が歴史をつくる
と、よくいわれることですが、明治維新とはいったいなんだったのだろう・・・
と、私は若いころから疑問に感じていましたし、いまもその疑問を感じています。
福島民友新聞社が2018年に出版した「維新再考」(↑・↓)は、この本の帯にあるとおり、
 明治150年を福島から問い直す
内容で、とても読みごたえがあります。
明治維新について、あるいは幕末の動きに関して、
 ちょっと歴史の見方(史観)がおかしいのではないかな・・・
といった疑問を感じている方には、福島民友新聞社の「維新再考」のほか、「戊辰物語(岩波文庫)」もおすすめです。
ぼろぼろになりかけた付箋でおわかりのとおり、1980年代に私が読んだものですが、この本の表紙にあるとおり、
 敗者の側から見た明治維新の記録としても貴重なもの
で、これを読んで、さらに薩長史観への疑問が大きくなったことをいまでもよく覚えています。
 2018年に出版された「斗南藩(中公新書)」も明治維新を考える際、読んでおきたい本のひとつといえるでしょう。
会津のゲダカ
などをこの本で読みますと、明治政府(とくに長州閥)の苛烈を極めた報復的な措置の残酷さ、明治政府が同じ日本人に行ったものとは思えないむごさがよくわかります。
明治維新から先の大戦での敗戦に至る歴史について、これを一面的な方向だけで見るのではなく、いろいろな角度、視点から見ることが必要ではないでしょうか。

2019年1月11日金曜日

恐竜の化石発掘:#上毛つぶやき-747

群馬県立自然史博物館・神流町恐竜センター

#上毛つぶやき-747のお題(↓)は、化石探しもしている私にとって、とても興味深いものです。
この記事を読みますと、
 恐竜の化石といえば群馬県立自然史博物館と神流町恐竜センターだ!!
という投稿された方々の思いがよく伝わってきます。
群馬県に住んでいて、とてもいいなと私が思うのも
  群馬県立自然史博物館と神流町恐竜センター
があるからです。
群馬県立自然史博物館の展示は、内容のすばらしさはもちろんのこと、大迫力であることも大きな魅力です。
子どもばかりでなく大人も楽しむことができる展示で、恐竜化石の展示スペースはいつも賑わっています。
天井に届くような大きさの骨格標本もたいへん人気があります。
群馬県立自然史博物館には、恐竜の化石のほか、いろいろな化石が展示されています。
その一つが兜岩層の化石です。
こちらの化石は、大きな恐竜の化石と違い、とても小さい昆虫の化石です。
兜岩層の昆虫化石は、恐竜の化石よりもずっとあとの時代のものになりますが、この昆虫が生きていた時代を調べることによって、どのような環境であったかがわかります。
2019年1月19日から群馬県立自然史博物館で開催される
 特別展 ぐんまの自然の『いま』を伝える(↓)
において、私が所属している兜岩層研究会の田中敏明会員が研究発表を行います。
2019年1月19日から2月24日までの群馬県立自然史博物館は、恐竜の化石に会えるほか、兜岩層研究会の研究発表をはじめとする群馬県内の研究団体・個人の研究発表も特別展で見ることができます。
どうぞ、群馬県立自然史博物館にお出かけください。

2019年1月9日水曜日

442,576人

世界文化遺産・旧官営富岡製糸場の入場者数
2018.12.31現在

442,576人とは、今年度の入場者数(2018.12.31現在)になります。
世界文化遺産に登録された2014年からの入場者数、その推移などをまとめたのが次の表です。
2019年1~3月の3か月間で194,712人が入場しなければ、前年度と同じ入場者数になりません。
今後、前年度の1~3月の3か月間の入場者数があったとしても、50万人台という結果になってしまいます。
こういった状況を考えるとき、富岡市は積極的に情報を公開して、実状と今後の見込みなどを市民にきちんと伝えるべきではないでしょうか。

広報とみおかで情報提供を 420,307人 
 世界文化遺産・旧官営富岡製糸場
 2018.11.30現在の入場者数

「およそ5億円の入場料収入があれば」
 「市の財政に負担をかけずに対応できる」
  旧富岡製糸場の見学料金収入

今年度の入場者数では、およそ5億円の入場料収入があるとは、とても思えません。
つぎの画像は、雨漏りがしている屋根にブルーシートをかけていたときのものです。
下の画像は、この画像(↑)を旧官営富岡製糸場内から撮影したものですが、いまはブルーシートはなく、きれいな屋根になっています。
いまも保存修理工事が行われていますが、その請負金額(↓)を見ますと、富岡市のような小さな自治体が、これからも世界文化遺産を維持していけるのだろうか・・・と心配になってきます。

80万人・5億円:世界文化遺産 旧官営富岡製糸場
 これから先、ずっと維持していけるのだろうか・・・

2014年6月に登録されたというのに・・・あまりにも遅い対応であったのではないか(↓)と、そんな感じがする世界遺産センターの開館予定です。
80万人→65万人    8億円→4.9億円 

いまや多くの富岡市民が、世界文化遺産になったこと、そのすばらしさを認識しつつも、維持保全していくための予算を今後も確保していけるものなのだろうか・・・と、たいへん不安に思っているのではないでしょうか。

2019年1月7日月曜日

世界文化遺産があるからといって

商店街が賑わうわけではないらしい

2019.1.5(土)の上毛新聞に掲載された記事(↓)です。
この記事(↑)にあるとおり、宮本町通りは富岡の中心街であり、富岡市内でいちばん賑わう通りでした。と、ここで過去形にしたのは、いまや通行する人が少なくなり、私が子どものころ、若いころに賑わっていた姿がどこにもないからです。
この画像(↑)の奥を突きあたった右に、世界文化遺産に登録された旧官営富岡製糸場があります。
世界文化遺産を見学する人々(↓)です。
大型バスに乗って来られた団体の皆さんがバスガイドさんを先頭にして、旧官営富岡製糸場に向かっているところですが、この団体の皆さんは、旧官営富岡製糸場を急ぎ足(のように私には感じられました)で見学したあと、乗って来られたバスに乗り込み、どこかに向かわれました。
私は時間があるとき、団体の皆さんがどのような行動をするのか観察するのですが、歩かれるのはバスを停めた駐車場から旧官営富岡製糸場間の往復と旧官営富岡製糸場内だけで、それも見学コースを急いで歩くといったものです。
団体で来られる皆さんの場合、旧官営富岡製糸場内の売店はもちろんのこと、富岡市内の商店街などを歩くことは、とてもまれなことといってよいでしょう。
上の画像と下の画像は、同日のほぼ同じ時間帯に撮影したもの(下の画像を撮影後に上の画像を撮影)ですが、宮本町通り(下の画像)には人影もまばらといった状態になっていました。
富岡でいちばん賑わっていた宮本町通りの振興組合が解散する事態になったことは、ここ最近は宮本町通りの商店に買い物に来られる地元の方々も少なくなっていたとかで、さらに世界文化遺産登録による集客効果もなく、商店街の衰退に歯止めをかけることができなかったということかもしれません。
「宮本町振興組合 年度末で解散へ」の記事は、私には富岡の中心部から〝まちが消えていく前奏〟のように思えてなりません。
そして、こういったことは、いまの日本の地方の小さなまちでは、どこでも起こり得ることではないでしょうか。
すでに相当に深刻な状態に陥っているまちがあると聞いています。
今後、高崎市の取り組みがどのような効果をあげるか、とても関心があります。
厳しさを増している地方の暮らしですが、これから先ますます厳しさが増していくことになるのではないかと私は思っています。
すぐすぐということはないと思いますが、あちこちで破綻する自治体が出てくることもあるのではないか・・・と、そんなことを思ってしまう2019年の正月です。