2017年11月30日木曜日

にっぽん縦断こころ旅:NHK・BSプレミアム

リクエストアワーで
紹介していただきました!

先日、郵便受けに、
 NHK こころ旅
と印刷された封筒が入っていて、いったいなんだろうな・・・と思いながら開封したところ、
 ありがとうございました!
という手紙が入っていました。
この手紙が送られてくる前に放送された
 にっぽん縦断こころ旅 リクエストアワー
を視聴していたところ、私がNHKのネットクラブから投稿した
 もう一度見たい
シーンが採用されていて、たいへん驚いたばかりでした。
にっぽん縦断こころ旅を視聴されている方は、このシーンを覚えていらっしゃると思いますが、前の日に海藻の食品、それを試食させていただいた火野正平さんが、
 翌朝になって、頭がこんなになった
とふざけて見せた場面です。
家内といっしょに、この番組を欠かさず視聴しているのですが、この前後のつながりもおもしろく、この番組で放送されたなかで、最高におもしろいシーンではなかったかと思っています。
実は、ずっと前のことになりますが、私が家内と結婚する前、秩父夜祭に行った思い出を投稿したところ、それを駒村多恵さんに読んでいただいたことがあります。
火野さんのファンである家内は、こころ旅のスタッフの皆さんから送っていただいた
 番組特製クリアファイル(↑)
を大切にとっておきたいということで、テレビの前に飾っています。

視聴者からの手紙をもとにして、高所恐怖症で高いところが苦手な火野正平さんが、
 こわいよ・・・
と言いながら橋を渡ったり、坂道を一生懸命に上って、旅の目的地に行き、
 来たよ。
 いいところに連れてきてもらえた。
と、手紙を送った視聴者にやさしく語りかける場面は、ほんとうにすばらしいものです。

にっぽん縦断こころ旅:NHK・BSプレミアム
どうぞご覧ください。

それからNHKネットクラブでの投稿、これもしてみるものだと思いました。
幸運なことに番組で紹介していただければ、記念品をいただくことができるのですから。

2017年11月28日火曜日

「中国のジオパークと交流するんだって?!」

「たいしたものだね!」

ある方に声をかけられたのですが、
 「中国のジオパークと交流するんだって?!」
 「たいしたものだね!」
と、その方はしきりに感心しているのです。

私が、
 「その話は、どこから?」
とお聞きしたところ、
 「ジオパークの再認定審査で来られた偉い先生が、中国の世界ジオパークと交流を、と話したそうで、こういうことを提案して
 もらうということは、再認定は間違いない!ということなのだろう?」
と話されたので、
 「12月22日に日本ジオパーク委員会の先生方が話し合って、現地調査の結果などをふまえ、再認定の可否を決めるそうです。
 再認定が間違いないかどうかは、まだわからないのではないでしょうか」
と申し上げたところ、
 「もし、再認定にならないというのであれば、中国のジオパークと交流を、なんていう提案をするはずがないだろう!
 いつもあんたは、再認定になるのは難しいのではないかとか、そんなに再認定になるのは簡単なものでないだろうというけれ
 ど、その考えはやめたほうがいいよ」
と〝注意〟されてしまいました。

2017.11.15の午後、下仁田町役場2階の会議室で、ジオパーク下仁田の再認定審査における「総評」があったのですが、その折、尾池和夫氏(日本ジオパーク委員会委員長)は、つぎのように述べました。

 よそのジオパークを語ることが非常に少ない。
 よそのジオパークとの交流を進めてほしい。
 よそのジオパークを見に行ってほしい。
 中国の世界ジオパーク「万峰林」と交流したらどうか。


私は、尾池氏の中国の世界ジオパーク「万峰林」と交流したらどうか、という話を聞いていて、たしかに外国のジオパークと交流することは大切なことですが、いまの下仁田町の状況を考えるとき、このようなことが実現可能なことなのだろうか、そして、なぜ中国のジオパーク「万峰林」なのだろうか・・・と、たいへん唐突感のある提案のように感じました。

ということを、その方に申し上げたところ、
 「ジオパークの世界で、いちばん偉い先生が大所高所に立って、いまの下仁田であれば外国のジオパークとの交流だって可能な
 ことだ、と考えたから提案してくれたのではないのか?」と。
 「そうかもしれませんね」と私。
 「そうかもじゃなく、そうなんだよ!そうに決まっているじゃないか!!」とその方。
そして、最後に、
 「再認定、間違いなしってことなんだよ。わかっていることじゃないか!!」とその方。
 「すみません!申し訳ありません!!」と謝ったところで、私は目が覚めました。

ああ、これは夢だったのか・・・
と枕元のスタンドのスイッチを入れ、明るくしてみたところ、枕元に「下仁田ジオパーク現況報告書」のコピーが置いたままになっていました。
下仁田町白山地内を走行するジオパークのラッピング電車です。
ジオパークのラッピング電車には、これからも走り続けてほしいものです。

眠るとき、枕元に置いておく本や資料について、どのようなものを置いておくのかは、よく考えたほうがよいかもしれません。

2017年11月27日月曜日

鉱山跡地調査

某月某日、某鉱山の跡地調査

美しい紅葉を見る余裕がないほど急斜面のずり捨て場を登るなどして、鉱山跡地の調査が実施されました。
画像では人物が小さくて、よくわからないかと思いますが、鉱山研究会の会員が這うようにして登っているところです。
この日の調査では、数か所の坑口とみられるものを見つけることができました。
また、地元で「トロッコ道」といわれている道の保存状態がよかったことも新たな発見でした。
坑口と思われる場所の近く、ずり捨て場などで、いくつかの鉱物を見つけることもできました。
お昼には、鉱山跡地をご案内いただいた地元の方のお宅で、下仁田ねぎとベーコンを焼いた料理などをいただきました。
おいしいみそ汁もいただき、鉱山跡地調査で冷えた体には、たいへんありがたいごちそうとなりました。

今後も鉱山研究会の会員一同で調査を続け、できる限り操業時の鉱山のようすを解明していきたいと、そんなふうに思っているところです。

2017年11月24日金曜日

鉱床の調査?やっていないですよ!

「下仁田ジオパーク現況報告書」

先日、ある方から
 「鉱山研究会では、鉱床の調査をしているんだって?」
と聞かれ、いったいなんのことかわからず、ぽかんとしていたところ、
 「あれ?「下仁田ジオパーク現況報告書」に載っているよ」
と言われて、私がますます不思議な表情になったのだと思います。
 「あとで、現況報告書のコピーをあげるから」
と、現況報告書のコピーをいただいたのですが、現況報告書のコピーを見て、びっくりしてしまいました。
なんと鉱山研究会のテーマが、
  西上州周辺の鉱床調査(現況や開発史など)
となっていたからです。
私に教えてくれた方に対しては、

 鉱山研究会では、閉山になった鉱山跡地を調べたり、関係者に操業当時のことをお聞きし、その証言記録をまとめたり、資料を集めることをはじめとして、鉱山跡地の活用方策などを提案していきたい

というのが主たる目的で、
 
  鉱床の調査は、鉱山研究会の目的、テーマではないですよ

とお答えしました。
「下仁田ジオパーク現況報告書」とは、今年の再認定審査に際して、ジオパーク下仁田協議会が日本ジオパーク委員会に提出した書類のひとつです。

そういえば、本宿陥没研究会のテーマもおかしい感じがします。

ジオパーク下仁田協議会が日本ジオパーク委員会に提出する前に、各研究グループにテーマを確認したと思うのですが、すくなくても鉱山研究会のテーマは間違いということになります。

いただいた現況報告書のコピーを読んでみますと、鉱山研究会のテーマのほか、随所に『これは、おかしいのではないのかな・・』というか所があります。

人によっては、こんなことは些細なことだというかもしれませんが、しっかりいろいろなことをジオパーク下仁田協議会が把握していれば、このような間違いにならなかったかもしれません。
これ(↑)はジオツアーの集計で、2017年度は8月までの数字だそうです。
2017年度としては、これに9月から来年3月までの7か月分が加わることになります。

ジオパーク下仁田の再認定審査の結果は、
12/22(金)に日本ジオパーク委員会から発表されます。

2017年11月23日木曜日

とり はきたい

けやき はんたるい

これを読んで、いったい何の呪文-おまじない-かと思われたかもしれませんが、これは石工の世界で通用することば-いわば符丁-なのだそうです。

椚石の関係で、青木石材(青木清二さん)にお世話になったこと、また富岡市立黒岩小学校の二宮金次郎像と佐藤茂助翁を紹介しました(↓)が、

豊栄石(ほうえいいし) 青木石材 (群馬県南牧村)

二宮金次郎像:富岡市立黒岩小学校 佐藤茂助翁:椚石(くぬぎいし)でつくられた金次郎像

ここでは青木清二さんに教えていただいた石工の世界の符丁を紹介します。
青木清二さんによれば、石工の皆さんだけで話したいときには、石工の皆さんにしかわからない符丁を用いていたそうです。
昭和のはじめ、椚石が大蔵省(当時)の建物に使われるとき、たくさんの石工が椚地区に集まったそうですが、浴場に一般の人がいるときなどで、石工同士が話すときは、石工の世界の符丁を使っていたそうです。
石工の世界の符丁を知らない人は、
 この人たちは何を言っているのだろう ・・・
と不思議に思ったかもしれません。
青木さんによれば、青木さんのお父さんの場合、お客さんがあってお昼近くになったときには、
 かね
と小さい声でお母さんに言って、お客さんに心配させないように気をつかっていたそうです。
また、たくさんの石工の皆さんが集まったとき、下の部屋から棒でつついて、合図をしたご先祖様のお話も聞かせていただきました。
こうした貴重なお話を椚石の火鉢で暖をとりながらという贅沢な時間を過ごさせていただいたわけですが、もうひとつ受験生の方向きのお話を。
椚石は五角形の柱状節理になっているため、五角と合格をかけて、合格石というものも青木石材店にはあります。
また、画像では紹介しませんが、石英安山岩の安山岩の安山と安産をかけて、安産石という安産祈願にご利益がある感じの石もあります。
受験生の皆さん、これから出産されるという方には、これらにおまいりされるとご利益があるかも・・・

ところで、符丁の意味ですが、

 とり はきたい → お酒を飲みたい
 けやき はんたるい → お菓子がおいしい
 かね → ごはん(この場合では、昼ご飯の用意をとの意味で、青木清二さんのお父さんがお母さんに対して、「お昼ご飯の
  用意を」と言えば、お客さんが遠慮するからという配慮であったそうです)

というものだそうです。

まだまだこのほかにも符丁を教えていただいたのですが、それはまた別の機会ということで。
いまは、符丁を使う石工の方は少なくなったそうですが、まだまだ年配の石工の方では、符丁を使う方がおられるそうです。
とても興味深い石工の世界の符丁のお話でした。

2017年11月22日水曜日

二宮金次郎像:富岡市立黒岩小学校

佐藤茂助翁:椚石(くぬぎいし)でつくられた金次郎像

きのうのブログ(↓)

豊栄石(ほうえいいし)  青木石材 (群馬県南牧村)

で紹介した椚石については、有名な建築物に利用されているほか、二宮金次郎像にも使われています。
富岡市立黒岩小学校の二宮金次郎像も椚石でつくられています。
とてもきれいなといいますか、たいへんかわいく、すばらしい金次郎像です。
 見づらいかもしれませんが、台石には、
  皇紀二千六百年記念
   寄贈 佐藤 茂助
と刻まれています。
実は、私は佐藤茂助翁という人物を知らず、青木石材の青木清二さんに教えていただき、佐藤茂助翁の胸像碑を見に行き、その銘文を読んで、たいへん驚いてしまい、もしかして佐藤茂助翁が黒岩小学校に二宮金次郎像を寄贈したのではないかと思い、黒岩小学校の先生にお断りをしたうえで、二宮金次郎像を見せていただいて、佐藤茂助翁が寄贈した二宮金次郎像であったことを〝発見〟したというわけです。
 こちらも見づらいと思いますので、旧字等を適宜変えて、銘文を紹介します。
 
  佐藤茂助翁は明治十一年四月群馬県北甘楽郡黒岩村
 に生れ同三十二年志を立て石材工業界に入り斯業の
 指導開発に一身を献げ或は機械的操作の工夫に或は
 優良職工の養成に翁独特の創造力と義侠心を発揮
 せるのみならず更に建築用材として現今帝都に重き
 をなせるものにして翁の山谷を跋渉して苦心踏査の
 結果発見せられたるもの枚挙に遑あらず
 東宮御所・横浜税関・帝室博物館・大蔵省新庁舎等多数の
 模範的石造建築物にして翁の関係して心血を注げる
 もの少なからず茲に翁の還暦を迎うるに方り親友知
 己並にその薫陶を受けたる者相図り壽像を建設して
 以て謝恩の意を表するものなり
  昭和十三年四月 建之
   県会議員 田村 静明 書之

東宮御所・横浜税関・帝室博物館・大蔵省新庁舎等の部分については、
銘文には・がありませんが、読みやすいようにと思って、本多が・を入れました。
佐藤茂助翁の胸像碑がある大日公園の門柱には、椚石が使われています。
出身地である黒岩の小学校に寄贈した二宮金次郎像をはじめ、公園の門柱にも椚石を使っていることから考えて、佐藤茂助翁が椚石を気に入っていたことが想像されます。

椚石を調べていって、二宮金次郎像、そして石材工業界で活躍された佐藤茂助翁につながっていきました。
ただ、残念なことは、佐藤茂助翁に関して、細かなことがわからないことです。
佐藤茂助翁の人物像をはじめ、東宮御所・横浜税関・帝室博物館・大蔵省新庁舎等、翁が手がけた多数の石造建築物について、石材の調達先、建造物での用途などがわからないものかと考えています。
情報を寄せていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。


    お願い 【二宮金次郎像の見学について
 見学する際は、
必ず学校管理者の許可を受けてください。

2017年11月21日火曜日

豊栄石(ほうえいいし)

青木石材 (群馬県南牧村)

2017.11.21(火)午後、群馬県南牧村の青木石材におじゃまして、青木清二さんにいろいろ教えていただいてきました。
鉱山研究会では、西ノ牧鉱山や中丸鉱山ほかの関係者からの聞き取り調査を行っていますが、今回は椚石(くぬぎいし)を採っている青木清二さんのお話を伺うため、群馬県南牧村の青木石材におじゃませていただいたものです。
石工代々之碑に刻まれているとおり、青木清二さんは五代目ということになります。
青木石材が採っている石は、石英安山岩であり、ここが椚地区ということから地名の椚をとり、椚石と呼ばれているものです。
豊栄石(ほうえいいし)というのは、青木清二さんの祖父である三代目が1933(昭和8)年から大蔵省(現在の財務省)に椚石を納めるとき、
 日本が豊かに栄えるように
との願いを込めて、豊栄石(ほうえいいし)と名付け、この名前で椚石を納めたのだそうです。
発破切(はっぱぎり)という古い道具の使い方なども教えていただきました。
青木石材での取材内容については、
 下仁田自然学校だより「くりっぺ」第98号(2017.12発行)
に掲載していただく予定にしています。
採掘している現場に夕陽があたり、きれいな岩肌がますますきれいに輝いています。

お忙しいなか、鉱山研究会の取材にご協力いただいた青木清二さんには、心から御礼を申し上げます。
これからもよろしくお願いいたします。

なお、青木石材店のホームページおよび私の青木石材店に関するこれまでのブログを紹介させていただきます。

青木石材店のホームページ

南牧村-青木石材店 椚石(くぬぎいし)の捕獲岩

青木石材店-くぬぎ石(群馬県南牧村)群馬テレビ「ぐんま一番」で放送されました!

2017年11月20日月曜日

元祖 峠の釜めし:おぎのや

日本一有名な駅弁:信越本線横川駅

しばらくぶりに峠の釜めしを食べました。
私が子どものとき、横川-軽井沢間の列車から見える場所に、峠の釜めしの看板が立っていました。
横川駅を出発して、軽井沢駅に向かう下り線の場合、車窓の右に見えていたと記憶しています。
そのころの横川駅では、特急も急行も普通も、そして貨物も峠を上り下りするためには、上るときに機関車で押し上げてもらい、下るときにはブレーキの役割を機関車で果たしてもらうため、機関車の連結、切り離しのため、必ず停車しなければなりませんでした。
この連結や切り離しでの停車時間には、駅のホームで峠の釜めしを販売している方々のところに、乗客が殺到していたものでした。
そして、連結や切り離しの作業が終了して、列車が動きはじめますと、駅のホームで峠の釜めしを販売していた方々全員が列車内の乗客に対して、深々とおじぎをされる光景は、おいしい駅弁としての峠の釜めしをさらにおいしくさせるものでした。
峠の釜めしの容器には、いまでも
 横川駅
という文字が入っています。
いまでも横川駅で峠の釜めしを販売していて、峠の釜めしファンの方によれば、
 横川駅の峠の釜めしは、ひと味違う!
といい、横川駅以外では購入しないという方もいるやに聞いています。
でも、いまは横川-軽井沢間を越える列車はなく、横川駅の名物でもあった駅売りの光景を見ることはできません。
先日は、こんな報道(↑)があって、一瞬はたいへん驚いたものでしたが、
 今後も益子焼の容器は存続する
とのことで、とてもうれしく思っています。
峠の釜めしの香の物と容器です。
パッケージをはじめ、割りばし入れ、香の物の容器などは、それぞれに変化してきていますが、益子焼の容器だけはこれからも使っていってほしいと思っています。
もちろん、
 横川駅
  と入れた容器で、これからも峠の釜めしを販売してほしいものです。
デパートの駅弁大会などで、峠の釜めしを食べるのもいいでしょうし、高速道路のSAほかで食べるのもよいと思いますが、峠の釜めし発祥の地である横川駅で食べる峠の釜めしは、やはりひと味違うかもしれません。
ほんとうに違うのかどうか、試してみるのもおもしろいのではないでしょうか。

日本一有名な駅弁・峠の釜めしを紹介しました。

2017年11月16日木曜日

朝からジオパーク

2017.11.15(水) 晴れ

秋まで日課のように続けていた朝一番の上信電鉄の車両撮影は、日の出が遅くなってきたこともあって、しばらく休んでいたところですが、きのうの朝、何気なくカメラを構えていたところ、ジオパークのラッピング電車がやってくるではありませんか。
2017.11.15
下仁田駅発6:18の高崎駅行きが通過していくところでした。
2017.11.15
そして、下仁田駅に停車しているジオパークのラッピング電車を午後に見かけるという一日になりました。
きのうの2017.11.15は、日本ジオパーク下仁田の現地調査2日目の日であり、審査員の総評をもって、現地調査が終わった日です。

日本ジオパーク下仁田  再認定審査の現地調査終わる

1日のうちに2度も出会うというのは、なかなかないことですので、とてもうれしくなりました。
ジオパークのラッピング電車が幸せを運んできてくれるのではないかな、とそんな気持ちになりました。
2017.11.15
ジオパークのラッピング電車が下仁田駅を発車し、高崎駅に向かって行くところです。
2017.11.15
1枚目と2枚目、そしてこの画像(↑)に映っている後方の山は、四ツ又山と鹿岳ですが、いまは手前の山が紅葉してきて、とても美しい風景になっています。
2017.11.15
春から初夏、そして夏の緑のころも美しいですが、千平駅の近くにある不通(とおらず)渓谷も紅葉してきています。
群馬サファリのラッピング電車が通過して行くところです。

2017.11.15は、朝からジオパークのラッピング電車に会い、午後にも会えるという幸せ気分になれた一日となりました。

上信電鉄沿線の山歩きも楽しいですし、撮り鉄の方々には、紅葉をバックにいろいろなラッピング電車を撮るというのも楽しいと思います。

2017年11月15日水曜日

日本ジオパーク下仁田

再認定審査の現地調査終わる

2017.11.14(火)・15(水)の2日間、日本ジオパーク委員会による再認定審査の現地調査が行われ、本日午後の「総評」をもって、現地調査が終了しました。
よいところ、がんばっていることへの評価をはじめ、こうにしたらもっとよいのではないかといった助言もあった「総評」でした。
2017.10.9撮影 青岩公園
12月22日(金)に開催される日本ジオパーク委員会の会合で協議され、その日に審査結果が発表されることになっています。
2017.11.8撮影 青岩公園
日本ジオパーク下仁田を代表するジオサイト・青岩公園は、すっかり秋から冬へといった雰囲気に変わってきています。
2017.11.12撮影 青岩公園
 もうしばらくすれば下仁田ねぎがおいしくなってきます。
2017.11.12撮影 青岩公園
寒い夜には、温かい鍋物を食べて、心もからだもぽかぽか過ごしたいものです。
もちろん、下仁田ねぎ・下仁田こんにゃくをたっぷり入れた鍋で。

12月22日は、金曜日です。
この日の夜には、下仁田ねぎ・下仁田こんにゃくによる鍋物で、関係者による盛大なお祝いが開催されるのではないでしょうか。

2017年11月14日火曜日

日本ジオパーク下仁田

条件付き再認定から2年

2017.11.14(火)・15(水)の2日間で、日本ジオパーク委員会による再認定審査が行われるとのことです。
2015.12.15の上毛新聞では、
 下仁田「条件付き再認定」
  日本ジオパーク委 運営体制不十分と判断
という記事で、ジオパーク下仁田が条件付き再認定になったことを報じました。
この記事の最後のところで、
  2年後の再審査で認定が取り消された前例はない
とあり、きょうとあすの再認定審査の結果については、たいへん安心しているところではありますが、つぎのブログ(↓)で紹介しているとおり、ここ最近は審査が厳しくなってきているように感じていて、ちょっぴり心配なところがないわけでもありません。


2011年に群馬県内初として、JGNへの加盟が認められたときは、下仁田町の皆さんをはじめ、多くの人々が喜んだものでした。
2011.10.18 秋の荒船山
2011年に認定されてから6年、条件付き再認定から2年となる今年の再認定審査では、どういう審査結果となるのでしょうか・・・。

2017年11月9日木曜日

第55回企画展「ぐんまの景観がこんなにも素晴らしい5つの理由」

12月3日(日)まで開催中
群馬県立自然史博物館

  来場者2万人達成!!
とのことで、この企画展がたいへん人気があることがわかります。
 ミュージアムショップで展示図録が販売されています。
ところで、5つの理由を私がここで述べてもよいのですが、それでは皆様がお出かけになる楽しみがなくなるというもの、ぜひお出かけになって5つの理由を確認してみてください。
活断層のはぎ取り標本も展示されています。
 「河原、切り取ってきました」の展示は、展示担当の学芸員の思いが伝わってくる、そんな感じがしてくる、すばらしい展示です。
そして、妙義山の大砲岩の眺めも。
高所恐怖症の方は、どきどきしてしまう映像かもしれませんが、これも展示担当の学芸員の思いが伝わってくるもので、たいへんすばらしい展示だと思います。
第55回企画展「ぐんまの景観がこんなにも素晴らしい5つの理由」

12月3日(日)まで開催中

群馬県立自然史博物館

お出かけください!!