2017年7月30日日曜日

およそ半分に-2017.6月

世界文化遺産・旧富岡製糸場入場者数

まもなく7月が終わります。

2017年度の第1四半期分の3か月については、前々年度の同月に比して、大幅(5・6月については、およそ半減)に入場者が減っています。
これから8月になって、夏休みで来られる入場者数がどのくらいになるか、その数字が気になるところです。
まもなく7月の入場者数が発表されると思いますが、前々年度・前年度の同月より増えているとよいと思っています。
なぜなら入場者数の減少は、入場料金の減収となり、それが富岡市の財政に大きな影響を与えることになると考えられるからです。
この画像(↑)は、2015.6.15(月)に撮影したもので、とてもにぎわっていたときです。
団体予約状況は、先ほどHP(↓)を見たところ、ご覧のとおりでした。

http://www.tomioka-silk.jp/tomioka-silk-mill/

来月は、まだまだ団体予約が可能とのことですので、ぜひ皆さまおそろいで、世界文化遺産・旧富岡製糸場にお出かけいただければ幸いです。

2017年7月28日金曜日

上信電鉄-2017.7月編

コンニャクが大きく育っています

当地の名産であるコンニャクが大きく育ってきています。
2017.7.28
 7000形は今年の3月中旬から目にしていなかったのですが、今月に入って走行する姿を見かけるようになりました。
すてきなカラーリングと美しい車体は、鉄道ファンを魅了してやみません。
2017.7.19
群馬サファリのラッピング電車は、まさにサファリというイメージで、精悍な姿をしています。
夏の青空に似合う電車といってよいかもしれません。
2017.7.18
夏の青空に似合う電車といえば、このマンナンライフのラッピング電車も夏の青空に映えて、とてもかっこよい電車です。
2017.7.11
 コンニャク畑と日野KOTORAのラッピング電車です。
2017.7.1
夕陽のなかを走るぐんまちゃん電車です。
2017.7.22
夏の夜、日本一きれいなハイキングコースの山・神成山をバックに走る電車です。
これからも上信電鉄と沿線の風景を通じて、当地のすばらしい四季の移り変わりを紹介していきたいと思っています。

2017年7月23日日曜日

アド街ック天国(2017.7.22放送)

足だ 顔だ バストだ 
甘楽町・富岡市が放送されました!!

アド街ック天国で、私が住む富岡市が紹介されたことは、ほんとうにうれしいことです。
知り合いが出演されたり、食べに行った店が紹介され、とても楽しく視聴しました。
井森美幸さんは、上信電鉄の富岡駅前にあったデパート「ニュー丸川屋」の思い出を話されたり、富岡市民プールに遊びに来られたとき、近くの店で食べた〝ホルモン揚げ〟などのことを話されていましたが、こちらで育った人ならではの思い出に、『そういえば、ニュー丸川屋に行ったこともあったな・・』と懐かしく思い出しました。
群馬県立自然史博物館も登場しました。
BEST20~11までになります。
番組をご覧になった方は、すべておわかりかと思いますが、
  番組を見逃してしまった!
という方で、これが全部おわかりになれば、そうとうな甘楽・富岡通といってよいかと思います。
こちらがBEST10になります。
富岡市内の貫前神社、群馬サファリをはじめ、甘楽町内の楽山園、こんにゃくパークがBEST10に入っています。
この番組を視聴していて、
  おっ、これは!!!
と驚いたのが、甘楽町の中條さん家が気にスポで紹介されたことです。
甘楽町の轟地区であったかと思いますが、中條さん家は県道から見える道路わきにあって、秋畑地区のほうに出かけるとき、よく目にしていたからです。
残念ながら入園させていただいたことがありませんが、とてもおもしろそうなので、近いうちに行ってこようかと思っています。
たいへんおもしろい番組でした。

甘楽・富岡の気にスポ「中條さん家」にも
出かけてみませんか。

2017年7月21日金曜日

下仁田ねぎの植え替え作業中に

とんでもないことが・・・・

下仁田ねぎの栽培、その伝統農法では、春に植え付けた下仁田ねぎを掘り取って、夏の土用に植え替えをします。
私の家庭菜園でも下仁田ねぎの植え替え作業を行いました。
ところが植え替え作業で、下仁田ねぎを全部掘り取ってから畑を耕していたとき、とんでもないことが起きました。
2013.3.19
上の画像の白い矢印の先にある棒の溶接部分が、はがれてしまったのです。
この棒には、前進とか後進、耕耘を切り替える役割があって、これがとれてしまっては、管理機を動かすことができません。
畑を予定の半分ほど耕耘したところでしたが、あとの半分が耕せないことには、
  『きょうのうちに下仁田ねぎを全部植え替えることができなくなる、よわったな』
と思い、すぐに管理機を購入したJA農機具センターに電話をしたところ、ありがたいことに購入したときにいろいろ親身に面倒をみてくれたKさんがほどなくわが家に来られ、
  「センターに持って行って、溶接し、午後3時ころには持って来る」
ということになって、なんとか予定した作業を一日で終わらせるめどがたったのですが、よもやこんなことが起きるとは、たいへんびっくりしてしまいました。

棒がすっと抜けて、棒を手にしたときには、ほんとうに驚きました。
という事情で、今年の下仁田ねぎの植え替え作業については、掘り取りから植え替え作業にいたる一連の作業を撮影することを忘れてしまいましたので、昨年の画像も使用して、下仁田ねぎの植え替え作業を紹介します。

私が紹介するのは、アマチュア農家の植え替え作業ですので、ご自分で植え替え作業をしたいという方については、プロの農家の作業をご参考にされることをおすすめいたします。
2016.8.11
まずは、下仁田ねぎを掘り取ります。
普通の葉物野菜であれば枯れてしまうと思いますが、下仁田ねぎは炎天下に置いておき、それを植えつけます。
2016.8.11
たくましい下仁田ねぎの根です。
根が植え替え作業で掘り取られるとき、 たくさんちぎれてしまうと思うのですが、夏の植え替えによって、新しい根を伸ばして、しっかりとした根になっていきます。
2017.7.19
 管理機が修理に行っている間、午前中に植え替えた分です。
2017.7.19
管理機の修理が終わって、わが家に届けていただいたあと、耕耘できなかった場所を耕耘して、すべて植え替えたときには、18時を過ぎたころになっていました。
これだけの植え替えに一日もかかるとは、とプロの農家の方がみれば、たいへんあきれてしまうかもしれませんが、暑い中での植え替え作業は、とても過酷な作業だということを実感した一日になりました。
たくさんの下仁田ねぎを植え替えるプロの農家の方のご苦労からみれば、おままごとのようなものですが、下仁田ねぎの栽培、そのたいへんさの一端を知ることができたのではないかと思っています。

これから土寄せや草取り、追肥などを行い、冬においしくなる下仁田ねぎへと育てていくことになります。

それにしても管理機の棒が折れただけで、おたおたしてしまって、管理機の折れたところをはじめ、植え替え作業の一部始終を撮影できないとは、実に情けないことであったと反省しているところです。

2017年7月16日日曜日

私が忍者になろうとしたころ

霧の遁兵衛・霧隠才蔵

いま、上映中の「忍びの国」が、とても人気があるらしい。
あるらしいと書いたのは、いまは私に忍者にあまり興味がないから、というところに原因がある。
しかし、私が子どものころ、忍者は私だけでなく、子どもたちのヒーローそのものであり、多くの子どもたちは
 ひそかに忍者になりたい
と思っていたものであった。
なかには、忍者になるための特訓をはじめる子どももいたし、手裏剣などを手づくりする子どももいた。
実をいえば、私も忍者になるための特訓を開始し、納屋にある鉄板などをやすりで削ったりして、手裏剣をつくったものであった。
そして、そのころのヒーローといえば、隠密剣士に登場する霧の遁兵衛であった。
霧の遁兵衛を演じた牧冬吉が、とにかくかっこよかったのである。
※ 画像は、インターネットの画像検索からお借りしたものです。
軽々と木の枝に飛び上がり、ときには屋根の上から飛び降りて、縦横無尽、自在に動き回る忍者は、まさに無敵のヒーローといってよい存在だったのである。
そこで私は、雑誌に掲載されていた忍者になるための手引きを熟読し、まずは忍者に必要なジャンプ力を身につけようと考えた。そして、わが家の畑にあるモロコシに着目して、この成長に合わせて、ジャンプ力を高めていこうという計画を立てた。
この画像は、2017.5.17現在のモロコシである。
当然のことであるが、芽が出てきてからしばらくは、まったく問題なくモロコシを飛び越えることができた。
ところが、大きくなりはじめるとどんどん伸びて、あっという間に私の背丈以上になってしまった。
2017.7.14 現在
つまり、モロコシの成長スピードに私のジャンプ力養成スピードがついていけず、このジャンプ力を高める計画をあきらめることにした。
つぎに取り組んだのが、手裏剣をつくることであった。
納屋にある鉄板や道具を駆使して、さまざまなかたちの手裏剣をつくっては、それを蔵のわきにつくった的に向けて、投げるという特訓をはじめた。
ところが、うまく的にあたらず、蔵の壁にあたることが多く、蔵の壁を傷つける結果となり、これが露見して、父にきつく叱られ、挙句の果てには、蔵のなかに放り込まれるという事態になってしまった。
暗い蔵の中で、じっと目を閉じて、どうやってここから脱出すべきか思案するのだが、忍者の初心者に蔵を抜け出す妙案がうかぶはずはなく、結局は母が蔵の戸をギーっと開けて、私を救出してくれるのを待たざるを得なかった。
的の場所がよくなかったことを反省した私は、庭先にあった大きな栗の幹に的を結わえ付けて、その的に向かって手裏剣を投げることにしたのだが、栗の幹の後ろの土手に突き刺さり、手裏剣が泥だらけになるため、投げるたびにいちいち洗わなければならないことに気づき、これも失敗に終わってしまった。
そうこうするうちに、わが家で畳替えをしたため、古畳を後ろの土手に置いて、栗の幹に的を結わ付けて、手裏剣投げの特訓を再開した。
これは、とてもうまくいき、私の手裏剣投げも少しずつ精度が高まり、かなり遠くからでも的にあたるようになった。
こうなるとおもしろいもので、いろいろな道具を自作していった。
水蜘蛛という忍者が水の上を歩くときにつかう道具をつくり、それを持って裏の川で実験したこともあった。
私はまったく水の上を歩くことができず、この実験は大失敗に終わったが、これも懐かしい思い出である。
そんな忍者熱もいつしか冷めて、勉学の道を歩みはじめたころ、たいへん衝撃的な映画を知ることになる。
それは、市川雷蔵主演の忍びの者シリーズである。
牧冬吉が演じた霧の遁兵衛もかっこよかったが、市川雷蔵が演じる霧隠才蔵のかっこいい姿に、忍者になろうとした幼かったころのことを思い出した。
しかし、このころになると現実の社会を見つめることができるようになっていたためか、もはや忍者になろうという気持ちになることはなかった。
忍者映画のなかで、いちばん好きなのはと問われれば、忍びの者シリーズ、それも霧隠才蔵を描いたものと私は答えるだろう。
いつの時代も忍者は、子どもたちのヒーローなのである。

いまもどこかに忍者になろうとして、モロコシを飛び越えたり、手づくりの手裏剣を投げている子どもがいるかもしれない。
私は忍者になる夢をあきらめたが、いま「忍びの国」を見て、忍者になりたいと思った子どもがいるとすれば、その夢をあきらめないでほしいと思う。

「忍びの国」なんて映画が公開されると、また忍者になりたいと思ってしまうではないか!!と考えている年寄りがいるほど忍者は、たいへん魅力ある存在といえるからである。

2017年7月7日金曜日

デキ12形:草軽電鉄

軽井沢駅舎記念館前に展示

1915(大正4)年に新軽井沢・小瀬温泉間で営業を開始して以来、草津温泉と軽井沢を結ぶ鉄道として、多くの旅客や硫黄などの貨物をを運んだ草軽電鉄は、1962(昭和37)年1月に上州三原・草津温泉間の営業廃止によって、その役割を終えることになります。
運転士が横向きに座って、運転をしていたという運転席です。
鉱山用であったとかで、長い距離を走ることを想定した構造でなかったということでしょうが、この狭い空間で運転していたかと思うと、ほんとうにたいへんなことであっただろうなと思います。

嬬恋郷土資料館の主催で開催された草軽電鉄線路跡ツアーのようす(↓)です。

上州三原駅と線路跡をたどり歩く    群馬県嬬恋村
http://geogunma.blogspot.jp/2017/05/blog-post_7.html

草軽電鉄線路跡ツアー 【2017.6.11() 
嬬恋駅と芦生田線路跡  常林寺までたどり歩く②
http://geogunma.blogspot.jp/2017/06/2017611.html

軽井沢駅舎記念館前に展示されているデキ12形です。
軽井沢に来られる方々の多くは、旧軽井沢やアウトレットなどに行き、デキ12形を見に来られる方は、残念ですが多くないように見受けられます。
デキ12形の後ろの建物が軽井沢駅舎記念館です。
この記念館は、今年の3月末日に閉館してしまいました。
碓氷峠の鉄道については、勾配の克服という歴史などをはじめとして、わが国の鉄道史において、とてもすばらしいものだと思っているのですが、軽井沢駅舎記念館の閉館は、どういった事情があるのか知りませんが、とても残念なことだと思っています。
デキ12形は、平均時速15kmほどであったとか。
いまも軽井沢・草津間で、デキ12形が牽引する列車が走っていれば、レトロな高原列車による旅ができるということで、大人気になっているかもしれないのではないかな、とそんなことを想像してしまいます。

軽井沢にお出かけになったときは、
軽井沢駅舎記念館前のデキ12形をご覧になってみませんか。

2017年7月5日水曜日

デキ-上信電鉄

「93年の運行感謝」(上毛新聞の見出しより)

2017.7.5の上毛新聞に掲載された記事です。
いまでも運行されているデキとしては、国内では最古級とか。
デキそのものがたいへんよくできている機関車だそうですが、上信電鉄の皆さんによるメンテナンスがよいことも長持ちしている大きな要因ではないかと思います。
古いものを大切に守ることは、とてもすばらしいことです。
2017.5.5
かつては貨車を牽引して、大活躍をしていたデキですが、いまはイベントのときに運行されています。
2017.5.5
デキの走行音と警笛音は、上信電鉄沿線に暮らしている人々にとっては、だれもが記憶しているのではないかと思います。
2014.2.11
デキ3両のうち、1両は富岡市内のもみじ平公園にあります。
2014.10.4
神成山の中腹から撮ったデキの重連です。1

これからもデキには、元気に走ってもらい、100年、110年、120年・・・と続くことを願っているところです。

デキも走る上信電鉄で、
西上州の旅を楽しんでみませんか?

2017年7月3日月曜日

地形に支えられた暮らし

すぐれものの水車、つぎのテーマは・・・

下仁田自然学校だより「くりっぺ」の第95号が発行されました。
記念すべき第100号に向かって、カウントダウンという意味で、第6号のカットを第95号の表紙にしているとのことです。
私が下仁田町や南牧村にある水車を知ったころ-昭和40年代後半-には、すでに多くの水車が使用されず、朽ち果てるまま・・・といった状況でしたが、稼働している水車もありました。
下仁田町にお住いの浅川誠一さんは、若いときに下仁田町の水車-模型でなく本物-を頼まれてつくったこともあるとかで、水車の構造にたいへん詳しい方です。
浅川誠一さんに教えていただいて、水量が少なく、また季節によって、水量が大きく変動する下仁田町の河川に適した水車の構造などをまとめて、「くりっぺ」第95号に掲載していただきました。
全文を紹介できないのが残念ですが、とても興味深い内容を紹介することができたのではないかと思っています。
また、地形などを理解するうえで、とても参考になる本として、「年代で見る日本の地質と地形(高木秀雄・誠文堂新光社)を紹介させていただきました。
そして、地形に関する記事の次回テーマですが・・・
下仁田町にあった〝おもしろい名前の坂〟を紹介したいと考えています。
ブラタモリには、高低差、段差などとともに坂道も多く登場します。
番組をご覧になったり本をお読みになった方には、おわかりの「尻こすり坂」なる坂も登場しました。
「尻こすり坂」は、2016.5.14に放送された横浜で紹介されたもので、この坂の名前の由来、そのおもしろさは忘れられません。
最近出版になった第8巻で、「尻こすり坂」の名前の由来を読むこともできます。

さて、下仁田町にあった坂で、いまはない坂、その坂の名前が実におもしろいのですが、なんとこの坂は、群馬県教育委員会発行の古道の調査報告書に掲載されている〝由緒正しい珍名の坂〟といってよいのではないかと・・・。

下仁田町にあった〝おもしろい名前の坂〟とは、いったいどのような名前の坂なのか・・・は、今年の8月末に発行予定の「くりっぺ」第96号で。

そして、第96号の記事では、坂の名前に込めた先人の思いも考察してみたいと考えています。

2017年7月2日日曜日

碓氷峠鉄道文化むら-Poppo Town-

SL・EL碓氷:2017.7の運行予定

今年の夏、どこに出かけようかと考えている方におすすめなのが、碓氷峠鉄道文化むら-Poppo Town-です。
こんなに楽しい場所は、あまりないのではないかと・・・、そんなふうに私は思っています。
とくに見ていただきたい展示がこれ(↓)です。
66.7‰の勾配で復元したアプト式が見られることです。
碓氷峠鉄道文化むら-Poppo Town-に出かけたときには、ぜひ見ていただきたいもののひとつです。
ラックレールにピニオンがかみ合う音(↓)です。
アプト式がなくなった現在においては、
なまで聞くことができない音になりました。
つぎに見てほしいのは、展示してある車両です。
とくにSLは、ほんとうにかっこいいと思います。
でも動かないSLでは・・・とお思いの方には、2017.7のSL・EL碓氷の運行予定を紹介します。

 SL・ EL碓氷 D51 12系客車 7/16(日) 7/23(日) 7/30(日)
 高崎発   9:47   横川着 10:49
 横川発 15:15   高崎着 16:18

ずっと前に撮影したもの(↓)です。
それと碓氷峠鉄道文化むら-Poppo Town-には、キロポストも展示してあります。
この展示もよく見ていただきたいものです。
鉄道好きには、たまらない場所ではないかと・・・。
暑い日の見学には、こちらの自販機で飲み物を買うのも楽しいかと思います。
碓氷峠鉄道文化むら-Poppo Town-に
出かけてみませんか。

2017年7月1日土曜日

Q 群馬県内に設置されたら良いと思う大学の学部は?

#上毛つぶやき-213

上毛新聞のコーナーとして、#上毛つぶやきがスタートして、早いもので200回以上となりました。
213回目のテーマは、
  群馬県内に設置されたら良いと思う大学の学部は?
というもので、4択のアンケートでは観光系学部が最多で、芸術・音楽系学部、法学系学部、環境系学部の順になっています。
 私は火山の噴火や地震などの研究をはじめ、防災といった面を重視した研究拠点として、群馬県に自然環境や地球科学などを学べる大学の学部があるといいのではないかと思っています。
わが国には、たくさんの火山がありますし、地震に関しては揺れない日がないといってよいほど、全国のどこかで毎日のようにグラグラと揺れています。
噴火や地震などによって、大きな被害がもたらされることも少なくありません。
尊い人命が失われることもたびたびあります。
私たちが暮らす国では、噴火や地震などの自然災害とじょうずにつきあう工夫-防災などの知恵-が必要になります。
そういったことを中心に研究する学部が群馬県にあってよいのではないかと私は思っています。
浅間山とキャベツ畑です。

嬬恋村と長野原町は、浅間山北麓ジオパークとして、火山災害からの防災面についても積極的に取り組んでいます。
ジオパークの活動支援について、こういった学部で取り組めば双方ともに大きな成果があがるのではないでしょうか。

ところで#上毛つぶやきですが、たいへん楽しいテーマで意見を募集しています。
楽しい#上毛つぶやきに、あなたもつぶやいてみませんか。