2013年5月29日水曜日

荒船山に伝わる神話

天 甲 船


この「荒船山に伝わる神話」は、荒船不動でいただいたものです。
読みづらいかもしれませんが、たいへん興味深い記述がありますので、ぜひ読んでみてください。


神話には、さまざまなものがあります。

神様などの踏み跡が湖になったり、神様などが投げた土や岩が山になったり・・・

むかしの人々は、さまざまな地形-大きな湖や高い山、低い山など-は、神様などがおつくりになったと考えました。
いまの私たちは、地学の研究が進展したことによって、さまざまな地形がつくられたのは、火山が噴火したり、地震などによる隆起や陥没等があったから、ということを知っていますが、むかしの人々は、さまざまな地形は、神様などがおつくりになった考え、その地形の誕生物語を紡ぎだしました。

下の画像は、高崎市の観音塚古墳から撮影したものです。
画像の中央に平らに見えている山が荒船山です。

高崎市八幡町の観音塚古墳の位置です。
https://maps.google.com/maps/myplaces?hl=ja&ll=36.344074,138.943069&spn=0.014328,0.033023&ctz=-540&t=m&z=16

かなり遠くからでも荒船山を見ることができます。

いまは、観音塚古墳からは建物があったりして、遠くの山のすべてがよく見えるわけではありませんが、この古墳が築かれたころ、このあたりは荒船山をはじめとする西上州の山々、榛名山や北毛の山々などがよく見える〝景勝の地〟であったことでしょう。

遠くからでもよく見える平らな山は、むかしの人々に『とても不思議だな・・・』という思い-疑問-を持たせ、こうした思い-疑問-に対する回答として、いまに伝わる荒船山の神話-「天甲船」-が紡ぎだされたのでしょう。

   【文献の紹介】

  荒船山の山頂が平らになっっているのは、どうしてなのだろう・・・?
    と思われている方には、

     「下仁田町と周辺の地質(下仁田自然学校文庫⑤)」 48頁~51頁
     「ぐんまの大地-生いたちをたずねて-(上毛新聞社)」  82頁~83頁

         がお役に立つと思います。

2013年5月28日火曜日

化石研究

第31回 化石研究会総会学術大会

下仁田町において、化石研究会の総会が開催されます。

ジオパークのまち・下仁田町で開催されることを記念して、化石の利用と保存方法などに関するシンポジウムが開催されます。

◎ シンポジウム

・ テーマ
 「ジオパークにおける化石について~地域の宝をどのように残していくか~」
 
・ 日 時
 平成25年6月1日(土) 13:00~17:00
 
・ 会場
 下仁田町文化ホール(下仁田町大字下仁田142)

  参加自由
    事前の申し込みは、必要ありません。

◎ スケジュール

 下仁田ジオパークのホームページをご覧ください。

下仁田町は、下仁田層をはじめとして、いろいろな地層(年代)から化石が発見されています。

※ 17:00~17:30には、下仁田層の化石サイトへのジオツアーもあります。

この下仁田町で、化石研究会の総会が開催されることは、とても意義深いことです。

   下仁田町にお住まいの方々には、
      地元のことを見直す、また新たな発見の機会として、
   町外の方々には、
     とてもすばらしい下仁田町を発見していただく機会として、
   ぜひ、シンポジウムにお出かけください。

   【お得な情報】
下仁田自然学校では、このシンポジウムへの協力の一環として、ご来場の皆さまに化石に関する書籍を特別価格で頒布させていただく予定です。
「こんな本がほしかった!」という本が見つかるかもしれません。
シンポジウムにお出かけの際は、会場内の下仁田自然学校のブースにお立ち寄りください。
お待ちしております。

2013年5月24日金曜日

涼しい、というより・・・寒い

荒 船 風 穴

荒船風穴は、標高840mのところにあります。

荒船風穴に行くには、国道254号から県道下仁田・浅科線で、屋敷地区に向かうコースと、神津牧場の駐車場に車を置いて、神津牧場から荒船風穴に歩いて行くコースのふたつがあります。

私のおすすめは、神津牧場から歩いて荒船風穴に行き、神津牧場に帰って来るコースです。
国道254号から県道下仁田・浅科線のコースは、県道の道幅が狭く、急坂もあるため、あまりおすすめできません。

神津牧場から荒船風穴へのコースは、きれいな山々を眺め、澄んだ空気を吸いながら歩けるうえ、荒船風穴を見学後、神津牧場のソフトクリームを食べる、という大きな楽しみもあります。

下の写真の矢印の先をご覧ください。
これは、冷風が吹き出しているところです。
外気との気温差で、白く見えている、というわけですね。

資料によれば、1号風穴(上の写真の奥の風穴)の温度は、
  5月  0.56℃
  6月  0.83℃
  7月  1.39℃
  8月  2.17℃
となっています。
とても涼しい、というよりは、寒いほどである温度といえるでしょう。
矢印の先、これも冷風が吹き出しているところです。

このブログで、皆さまに冷風をお届けできればよいのですが、残念ながら冷風をお届けできません・・・

どうぞ、涼しい下仁田ジオパークにお出かけください。

2013年5月20日月曜日

艫岩(ともいわ)からの眺め

荒  船  山

荒船山は、埼玉県や高崎方面から見ますと、平らな山に見えます。
遠くからは大きな船に見えて、その船が荒海に浮かんでいるように見える・・・そんな姿から荒船山と呼ばれるようになったともいわれています。
これは、国道254号から撮影したものですが、埼玉県や高崎方面から見えていますのは、この画面の左側のほうになります。

きのうも撮影したのですが、曇っていたため、岩場のごつごつ感、断崖絶壁の屹立感といったものがよく見えませんでしたので、以前に撮影しておいたものをご覧いただいています。
この岩場のことを艫岩(ともいわ)といいます。
艫(とも)とは、船尾のことです。
むかしのひとのイメージ力のすばらしさを感じるネーミングといえるでしょう。
艫岩(ともいわ)から撮影した国道254号、西上州の美しい山々です。

きのうは先ほど述べましたとおり、曇っていたために遠くまで見通すことができませんでした。
晴れていて、見通しがよいときは、遠くまできれいに見渡せます。
きのうも多くの方々が登られていました。

ところで、艫岩の展望台、このブログの最初の画像で、どこにあるかおわかりになりますか。

    【お 願 い】
〇 展望台には、柵が設置されていません。崖の近くに寄らないようにしてください。

 

  荒船山について、

    どうしてこのような姿、かたちになったのだろうか・・・など、荒船山に関する?を知りたい
  
  というときは、下仁田町自然史館にお出かけください。
   かつて、荒船山に湖があったことや、まわりが陥没したことなど、おもしろい話がお聞きいた
  だけるかもしれません・・・

2013年5月19日日曜日

きょうの出会い

リ ズ ち ゃ ん 
【荒 船 山】

きょうは、今月の25日(土)に実施予定の体験教室で、こどもたちと荒船山に登ることになっているため、実施主管の公民館職員の方と下見に行ってきました。

きょうの荒船山です。
多くの方々でにぎわっていました。
そのなかに、とてもかわいいお嬢さんが・・・
4歳のリズちゃんです。

登山靴(?)をはいて、見事、登頂に成功!!!

リズちゃんの表情から、満足感、達成感が感じられます。
このあと、軽快な足取りで、下山して行きました。

   リズちゃんへ
 またお会いできるときを楽しみにしています。 
 下仁田ジオパークには、荒船山のほかにもいっぱい、見どころがあります。
 どうぞ、またお出かけください。
 お待ちしております。

2013年5月12日日曜日

群馬県立自然史博物館

生 き た 化 石


中生代の地層から発見される植物とのことで、生きた化石といわれる植物とのことです。

ジュラシックツリーと呼ばれていますが、正式には「Wollemia nobilis」というのだそうです。
国内での開花例は、ほとんどないということですが、その珍しい花を富岡市上黒岩の群馬県立自然史博物館の中庭で見ることができます。

これが雄花です。

赤い矢印の先が雌花です。
雌花は、ひとつだけです。

中生代といえば、恐竜やアンモナイトが大繁栄していた時代です。
そんな時代から生き抜いてきた貴重な植物、その花を見に群馬県立自然史博物館にお出かけになりませんか。

2013年5月10日金曜日

下仁田町-西野牧・和美峠

不思議な岩&絶景

きのうの5/9は、とても暑かったので、涼しいところへ行こう・・・と思い、国道254号~県道下仁田軽井沢線を通って、軽井沢へ行ってきました。
県道沿いの鏑川のなかに、不思議な岩があります。
 
まるい岩がふたつ、河床の岩の上に乗っているのがおわかりになりますか。
 
このふたつの岩は、いつごろからこのようなかたちで、岩の上に乗っているのかわかりませんが、台風などの大水のときでも岩から落ちることなく、このように寄り添うように岩の上に乗っています。
  
このふたつの岩は、仲よく寄り添う姿から「夫婦岩(めおといわ)」と名付けられています。
 
長野県と群馬県の境の峠、和美(わみ)峠の群馬県側からの眺めです。
 
とても眺めのよい峠です。
安全な場所に駐車して、西上州の山なみをゆっくりお楽しみください。
 
夏の暑いときなど、軽井沢にお出かけになる方も多いことと思います。
下仁田町は、軽井沢町の〝隣組〟です。
 
どうぞ、下仁田町へもお出かけください。

2013年5月5日日曜日

下仁田こんにゃく

こ ん に ゃ く の 碑


群馬県蒟蒻原料商工業協同組合(下仁田町)の敷地内に建てられています。

石碑の裏面の一部です。

この石碑は、組合創立50周年記念として、建てられました。

        こんにゃくの碑 (碑文 (原文は、縦書き))

蒟蒻はテンナンショウ科に属する多年生草本で古くから嗜好食品として万人に親しまれている。中国では蜀で栽培されていた事が中国の古典「文選」に見えるが、原産地は華南か越南北部といわれ、日本には欽明帝の頃、朝鮮を経て医薬として伝わったという。推古帝の頃は中国から輸入されたというが、蒟蒻という文字が文献に見えるのは、平安朝の本草和名に「蒟蒻は新撰食経に出づ一名蒻頭、古爾也久」とあるのが最初である。また、拾遺和歌集に「野を見れば春めきにけり青つづらこにやくままし若菜つむべく」という歌が載っている。これによって見れば平安中期には栽培も行われて食品化されていた事が推定される。わが上州に蒟蒻が栽培されたのは、室町後期今を去る四百六十年前永正二年の春、本郡月形村大日向茂木氏の祖正峯が西国巡遊の際、紀州より持ち帰ってその居村に植えたのが初めという。元来蒟蒻は排水のよい南面傾斜地に適する植物である。この地方の地形傾斜に富みまことに好適の地である事を思えば、西城州のこの地に之を植えた事は賢明といわねばならない。江戸中期には調理法栽培法の書物も出版され、また此の間食品化の工程も改善が進み、江戸末期には常陸国諸沢村の人中島藤右ヱ門の手で精粉化の手法が創始された。明治九年本郡富岡町出身篠原粂吉は、商用の途次茨城県下に於てたまたま精粉化の実情を見聞し大いに感ずる処あり同県の人、斎藤周蔵を伴い帰った。同年秋周蔵は本郡尾沢村の麦つき水車を改造して蒟蒻水車を作り本県に於ける精粉化の先鞭をつけたのである。
明治二十二年下仁田町桜井英範は蒟蒻精粉業が産業として重要である事に着目し茨城県より工人を招き技術を導入し森沢川々口に水車を建て、その企業化に成功し、本県蒟蒻精粉業近代化の基礎を築いた。爾来斯業漸次に興り、南西牧の清流に蒟蒻水車が徐々にその数を増し、秀麗な此の地の独特な風物詩となった。大正五年秋、本組合が創立され、以来組合員一同協力一致して生産の増強につとめ品質の改善と規格の統一を図り、年を追って出荷量は増大し、現在年産額五十数億円に及び資源に乏しい山間農村の経済を潤すにいたった。今や上州蒟蒻は名実ともに全国一の名声を博し、下仁田町はまた全国業界の中心地となっている。組合創立五十周年にあたり、茲にその由来を碑に刻し、先人の努力研鑚の功を讃え、併せて斯業今後の隆盛を祈るものである。

昭和四十年四月十日    撰文併書 福田 薫

       群馬県蒟蒻原料商工業協同組合

 

 
こんにゃくの碑というのは、全国的にたいへん珍しいものではないかと思います。
 
ジオサイトのご見学とあわせて、協同組合の敷地内に建立されているこんにゃくの碑をご見学していただき、こんにゃくに寄せる下仁田の人々の『熱い思い』を感じていただければ幸いです。

2013年5月3日金曜日

上信電鉄


デキ (ファンタジー号)
きょう、〝ファンタジー号〟が走りました。

下仁田駅を出発し、高崎駅に向かうところです。
きょうは、とてもよい天気になり、乗客の皆さんには、たいへん楽しい〝ファンタジー号〟の乗車であったことと思います。

後ろの画面右には、鹿岳(かなだけ)から四ッ又山(よつまたやま)が見えています。
画面左のほうには、小沢岳が見えています。




私は、上信電鉄のデキがとても好きです。
むだなものがなく、機関車としての役割に徹している姿、これがたいへんよいと思っています。


デキの2号機は、もみじ平総合運動公園内に展示されていて、富岡市立美術博物館の開館時間内であれば、すぐ近くに行くことができ、間近に見学することができます。

つぎの動画は、富岡まちづくりワークショップに参加させていただき、そのときのCM試作版として制作したものです。

鉄道ファンの方はもちろんですが、鉄道ファンでなくても、デキの姿をご覧になりますと、「すごいな」「すてきだな」と思われれるのでは・・・・・

どうぞ、デキに会いにお出かけください。

下仁田ねぎ

ね ぎ の 苗
 
きのうの午後、下仁田町馬山地区の松浦保さんから下仁田ねぎの苗を譲っていただきました。
 
 
去年から下仁田ねぎの栽培を始めたのですが、去年はご近所の農家の方から苗を分けていただきました。
 
くりっぺ(下仁田自然学校だより)第70号で、「下仁田ねぎの品種改良に取り組んだ松浦源一郎(まつうらげんいちろう)さんという記事を掲載しましたが、このときの取材でお聞きした下仁田ねぎを今年は栽培できれば・・・と考えました。
 
くりっぺ(下仁田自然学校だより)第70号の記事の冒頭で、松浦源一郎さんをつぎのとおりご紹介させていただきました。
    (※くりっぺに掲載させていただいた写真のカラー版です)
() 戦後、馬山地区の田城(たしろ)農事研究会の会長として、地元出身の山崎朝雄さん(群馬県農業改良普及所)の助言等を得て、姿かたちはもちろんのこと食味に優れた下仁田ねぎの品種改良に取り組み成功する。
船津賞(昭和53(1978))をはじめ、緑白綬有功賞(昭和56(1981))など数々の賞を受ける。
著書に「葱と蒟蒻と椎茸と共に生きた(2001年発行)」がある。
   〔大正51916)年310日~平成19(2007)49日〕

松浦さん宅では、いまでも源一郎さんらが改良した下仁田ねぎを受け継いでいます。

松浦源一郎さんのお孫さんにあたる保(たもつ)さんに「ねぎ苗を分けていただけないか」とお願いしたところ、快くねぎ苗を分けていただきました。 
下の写真は、下仁田ねぎの種を採るための〝母本(ぼほん)〟といいます

松浦安信(やすのぶ)さん(源一郎さんのご長男)からは、下仁田ねぎは交雑しやすく、きちんと管理することが大切であると教えていただきました。
 
きのうの午後、私の畑に松浦源一郎さんが心血をそそいだ下仁田ねぎの苗を植え付けました。
梅雨明け後の土用のころ、植え付けた苗を掘り取って、植え替えをします。
こうすることによって、風味がよく食味のよい下仁田ねぎになるといわれています。
 
下仁田ねぎの品種改良にまつわる話につきましては、くりっぺ(下仁田自然学校だより)第70号の記事をお読みいただければ幸いです。

     下仁田自然学校では、

      ともに活動する仲間(後援会員)を募集しています。
  
       入会申し込み、問い合わせ先

       〒370-2611

        群馬県甘楽郡下仁田町大字青倉158-1

        電話(0274)70-3070  FAX(0274)67-5315

         Mail nenasi@juno.ocn.ne.jp

2013年5月2日木曜日

多野郡神流町

恐竜の足跡

約1億2千万年前の砂浜に残された波の跡が化石となったもので、瀬林の漣痕(れんこん)として、群馬県の天然記念物に指定されています。

その後、昭和60年のことになりますが、漣痕の穴は、恐竜の足跡であることがわかりました。

 
この穴が恐竜の足跡であると発表される前、この付近には何度も化石探しに出かけていました。
そのころには、化石探しをしているひとは少なく、とても静かな場所でした。

ところが、恐竜の足跡であった、という発表後には、多くの方々が来られ、道路が大渋滞になるほどでした。

いつか、下仁田町でも恐竜の化石を見つけてみたいと思っています。

この連休の後半には、神流町の恐竜の足跡、恐竜センターにお出かけになりませんか。

     【私のおすすめコース】

下仁田IC(上信越道)→道の駅しもにた→青岩公園→下仁田町自然史館→跡倉クリッペ→南牧村(「オアシスなんもく」で休憩)→上野村(昼食は、藤屋のうどん(湯ノ沢トンネルをぬけ、上野村に入って、すぐのところにあります。開店時間等をご確認のうえ、お出かけになってください)→神流町(恐竜の足跡・恐竜センター)→上野村→南牧村→下仁田町(夕食は、「下仁田かつ丼」ののぼりがあるお店で、名物の下仁田かつ丼をどうぞ)→道の駅しもにた(下仁田ジオパークのジオ関連グッズをお土産にどうぞ)→下仁田IC(上信越道)

※ 道の駅しもにたにでは、えびすやさんのねぎボールペンなどを販売しています。