2020年7月30日木曜日

八ッ場にゃがてん号

水陸両用バス

バスが船になっった瞬間!
とでもいいましょうか、八ッ場にゃがてん号が湖に入ったところ(↑)になります。
大迫力のスプラッシュ・インです。
水しぶきがばっしゃんとあがっているのがおわかりいただけると思います。
八ッ場ダムをダム湖のほうから見た画像(↓)です。
八ッ場にゃがてん号に乗れば、なかなか見ることができない角度で、八ッ場ダムの堤体を見ることができます。
ゆっくりと風景を楽しむこともできます。
乗っていますと、スプラッシュ・インをしたところを外から撮影できませんので、いただいたリーフレットの画像で、その迫力ある場面(↓)をご覧ください。
そして、バスと船の運転席といいますか操縦席は、つぎのようになっています。
運転席の正面にあるのがバスのときのハンドルで、その右にあるのが船に変身したときの舵輪だそうです。
バスと船が合体した乗り物で、まさに遊園地にある乗り物といったところでしょうか。
ガイドの方が天狗のうちわを持っているのですが、この天狗のうちわは、いったいなんのためにガイドの方が持っているのでしょうか・・・
ヒントをひとつ。
 天狗のうちわは、船がバスに変身するときに使われるのですが、いったいどのように使うのでしょうか?

今年の夏、新型コロナウイルスの感染防止対策を講じたうえで、できあがった八ッ場ダムの見学と合わせて、八ッ場にゃがてん号に乗車・乗船してみるのもよいと思います。
八ッ場にゃがてん号に
乗車・乗船してみませんか?

2020年7月25日土曜日

禹王の碑(禹王塔)

治水は為政者の最重要課題

今年の梅雨は九州各地をはじめ、全国各地に大雨をもたらし、洪水、土砂崩れなどの大きな被害が発生しました。
わが国の場合、降雨量が多いうえ、急峻な地形が多く、いったん大雨になりますと、川が滝のようになって、濁流が一気に流れ下ります。
江戸から明治時代には、日本中でどこということなく、各地で毎年のように水害が発生し、そのたびに多くの人々が亡くなったり、家屋や農作物などの流失といった被害が生じていました。
群馬県片品村には、治水に功績があったと伝わる中国の「禹王」の力に頼ろうと、明治はじめに立てられた禹王の碑(禹王塔)があります。
禹王の碑(禹王塔)を思い出したのは、きのう(2020.7.24)の読売新聞の記事を読んだからです。
2020.7.24の「政(まつりごと)なび」・「水害との格闘」の
  菅官房長官も治水に並々ならぬ思いを注ぐ一人だ。
に続く記事を読み、
  菅氏の号令で首相官邸に検討会議が置かれ、主要な全てのダムで事前放流の仕組みを整えた。
のところで、今年の5月に発表された事前放流の仕掛人が、菅官房長官であることを初めて知り、
 治水といえば、群馬県内には珍しい禹王の碑(禹王塔)があったな・・・
と、書棚から「川の碑」を引っ張り出してみました。
この本には、全国の川に関する石碑(石碑だけでなく神社や史跡なども含まれています)が掲載されていて、その多くが災害復旧記念や慰霊に関する碑です。
利根川水系には、つぎの地図にあるとおり、たくさんの石碑、記念碑、神社、史跡などがあります。
このなかには、舟運が盛んであったころの船着き場も含まれていて、川が生活に欠かせないものであったこともよくわかります。
有名な信玄堤も紹介されています。

2020.7.24の「政(まつりごと)なび」・「水害との格闘」の記事に関連して、政治に携わる皆さんには、
 〇 これからの時代、大きな自然災害はますます多くなっていくといわれていることをふまえ、
 〇 財政負担を大きくせず、今後も既存のダムをうまく生かし、堤防の補強などを講じ、
 〇 洪水を未然に防いで、
国民が安心して暮らせる日本にしていただきたいと思います。

そして、私たちは梅雨が明けて川の水が引いたころ、身近な川に出かけて、水神様をはじめ川に関する碑や史跡めぐりをして、先人が川とどのようにつきあってきたかを考え、これからの私たちの暮らし方-自然災害への対応を中心にして-をよく考えてみるのはどうでしょうか。

※ 読売新聞の記事以外は、『川の碑』(山海堂)から引用させていただきました。

2020年7月18日土曜日

大賀ハス初開花:1952.7.18

古代ハスの里
(群馬県富岡市神成(かんなり)

あちこちに古代ハスの里とか古代ハスの公園がありますが、その最初の花が咲いたのは、1952.7.18のことであったと伝えられています。
富岡市神成にある古代ハスの里の看板には、つぎのとおり書かれています。
昭和27(1952)年7月18日、前年の5月に発芽したハスが花を咲かせたと述べられています。
すこし長くなりますが、ウイキペディアから大賀ハスの解説を引用させていただきます。
 ※改行、太字強調、文字拡大は、私が行いました。

大賀ハス(オオガハス、おおがはす)は、古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)。

1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)内の落合遺跡で発掘された経緯から「検見川の大賀蓮」として千葉県の天然記念物に指定されている。

戦時中に東京都は燃料不足を補うため、花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていることに着目し、東京大学検見川厚生農場の一部を借り受け草炭を採掘していた。

採掘は戦後も継続して行われていたが、1947年(昭和22年)728日に作業員が採掘現場でたまたま1隻の丸木舟と6本の櫂を掘り出した。

このことから慶應義塾大学による調査が始められ、その後東洋大学と日本考古学研究所が加わり1949年(昭和24年)にかけて共同で発掘調査が行われた。

その調査により、もう2隻の丸木舟とハスの果托などが発掘され、「縄文時代の船だまり」であったと推測され落合遺跡と呼ばれた。そして、植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎(当時・関東学院大学非常勤講師)が発掘品の中にハスの果托があることを知り、1951年(昭和26年)33日から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行った。

調査は困難をきわめめぼしい成果はなかなか挙げられなかったが、翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘され、予定を延長し46日に2粒、計3粒のハスの実が発掘された。

大賀は5月上旬から発掘された3粒のハスの実の発芽育成を、東京都府中市の自宅で試みた。2粒は失敗に終わったが330日に出土した1粒は育ち、翌年の1952年(昭和27年)718日にピンク色の大輪の花を咲かせた。

このニュースは国内外に報道され、米国ライフ週刊版1952113日号60頁に「世界最古の花・生命の復活」として掲載された。

「大賀ハス」と命名された。

また大賀は、年代を明確にするため、ハスの実の上方層で発掘された丸木舟のカヤの木の破片をシカゴ大学原子核研究所へ送り年代測定を依頼した。シカゴ大学のウィラード・リビーらによって放射性炭素年代測定が行われ、ハスの実は今から2000年前の弥生時代以前のものであると推定された。

自宅近く、大賀の銅像が建てられている府中市郷土の森公園修景池ではこの二千年ハスが育てられており、鑑賞会が催されている。 

この古代ハスは、1954年(昭和29年)68日に「検見川の大賀蓮」として千葉県の天然記念物に指定された。

また1993年(平成5年)429日には千葉市の花として制定され、現在千葉公園(千葉市中央区)ハス池で6月下旬から7月に開花が見られる。

日本各地は元より世界各国へ根分けされ、友好親善と平和のシンボルとしてその一端を担っている。

「翌日で打ち切りという30日の夕刻になって花園中学校の女子生徒により地下約6mの泥炭層からハスの実1粒が発掘」され、この実が「330日に出土した1粒は育ち」とあります。
もし、ハスの実が中学校の女子生徒に発見されなかったら、そのハスの実が発芽しなかったら・・・、今日の古代ハスは存在していなかったことになります。
発見者である中学生を顕彰する意味で、その方の名字なりお名前も冠して、
  〇〇・大賀ハス
としてもよかったかもしれないと、そんなことを思っています。
この中学生がハスの実を見つけなければ、私たちは古代ハスを見ることができなかったかもしれないのですから、発見の功績は実に大きいといえるでしょう。

2020年7月12日日曜日

恋矢(love dart)

第3章 ひとりぼっちのジェレミー

『進化のからくり-現代のダーウィンたちの物語(千葉聡・講談社ブルーバックス)』は、とてもおもしろい内容がおてんこ盛りです。
この本で、
 恋矢(love dart)
というものを知ったのですが、科学の世界において、恋の矢とはなんとロマンがあることばかと、たいへん感心してしまいました。
ネットで検索してみると、ウイキペディアでも恋矢の解説がアップされていますが、『進化のからくり-現代のダーウィンたちの物語(千葉聡・講談社ブルーバックス)』で、恋矢(love dart)を確認してみてください。
ジェレミーは、ヒメリンゴマイマイという食用になるエスカルゴの一種、カタツムリということになります。
このジェレミーが、なぜひとりぼっちかというと・・・
それは、ジェレミーの殻が左巻きだからなのです。
殻が左巻きだと、どうしてひとりぼっちになってしまうかというと・・・
それは、『進化のからくり-現代のダーウィンたちの物語(千葉聡・講談社ブルーバックス)』の
  第3章 ひとりぼっちのジェレミー
をお読みになれば、おわかりになると思います。
進化の不思議さを実感する
  第3章 ひとりぼっちのジェレミー
ではないかと思います。
  第12章 過去には敬意を、未来には希望を
はじめ、第1章から第13章まで、生命の神秘、進化の不思議さが満載です。
近所のお宅の塀で撮影したカタツムリです。
最近、私はあまり見かけないのですが、全体的にカタツムリの個体数が減少しているのか、すこし気がかりです。
『進化のからくり-現代のダーウィンたちの物語(千葉聡・講談社ブルーバックス)』を読んで、カタツムリをはじめ、いろいろな生物を見れば、読む前と違った見方になっているかもしれません。
『進化のからくり-現代のダーウィンたちの物語(千葉聡・講談社ブルーバックス)』は、とてもおもしろい本です。
お読みになることを、おすすめいたします。

2020年7月10日金曜日

湯沢ジオパーク(秋田県)

ジオパークは楽しい!!

2020.7.9(木)の「ヒルナンデス!」で、秋田県湯沢市の温泉などが紹介されました。
この番組では、地元の皆さんが案内し、それを中継するということで、湯沢ジオパーク認定ジオガイドの吉野弘子さんをはじめ、湯沢市役所の皆さん、地域おこし協力隊の方などが出演、撮影等をされました。
新型コロナウイルスの関係で、番組のスタッフが出張できないなか、この試みはとてもよいと思います。
湯沢市の方々の熱演、それに美しい風景、おいしい食べ物、イベントの紹介は、地元の皆さんでなければできないきめ細かさで、とてもすばらしいものでした。
川原にスコップで穴を掘り、〝マイ足湯〟をつくり、近所の食堂から出前をとり、足湯につかりながら稲庭うどんを食べるという、このうえない贅沢な場面では、日本全国の皆さんが、のどをごっくんと鳴らしたかもしれません。
小安峡大噴湯を紹介した若いお二人は、とてもさわやかで、明るい雰囲気を醸し出していて、たいへんよかったと思いました。
なんといっても吉野弘子さんのガイド、これがとてもよかったと思います。
新型コロナウイルスが収束し、いまよりも自由に行動できるようになれば、湯沢ジオパークへも多くの方がお出かけになることでしょう。
そのときも吉野さんには、小野小町の歌を美しい声で紹介し、楽しい湯沢ジオパークをアピールしてください。
これからも湯沢ジオパークがますます発展されることを、心からお祈り申し上げています。

2020年7月9日木曜日

吉永小百合:「草を刈る娘(1961)」

一等賞 日立電気ポンプ

日立鉱山に関する資料を読んでいて、日立製作所を立ち上げた小平浪平のがんばり、その識見のすばらしさに感銘しました。
以前、井上真治さんからいただいた「日立鉱山の絵葉書」は、日立鉱山の状況がよくわかり、たいへんありがたい本です。
「日立鉱山の絵葉書(14頁)」に掲載されている配電所です。
この配電所は、小平浪平が設計したものだそうです。
小平浪平による日立製作所で注目されるのは、
  「国産・自主技術開発へのこだわり」
 「『スピンオフ』の経営学-成長のための処方箋(15) CSRの原点たる世界一の『大煙突』-日立製作所・小平浪平(1) 吉村典久(大阪市立大学大学院経営学研究科教授)・ミネルヴァ通信「究」2019.9 №102」
です。
日立製作所の創立や小平浪平のことについては、ネットでいろいろ紹介されていますので、これはそちらでご覧いただくとして、
  日立・・・といえば、吉永小百合が出演した映画で見たような・・・
と、思い出したことを紹介させていただきます。
これからご紹介する画像のうち、映画に基づく画像は、YouTubeで公開されている動画(↓)から引用させていただきました。
この場面(↑)に
   (電)気ポンプ
とあるのがおわかりになりますか。
この場面は、映画のなかののど自慢大会で、吉永小百合が演じるモヨ子が歌う場面です。
この映画の公開は1961(昭和36)年ですが、この時代の農村部では、まだまだ井戸から〝がっちゃんポンプ〟で水をくみ上げていたものでした。
台所で蛇口をひねれば水が出るという生活は、この当時の農村部の主婦たちのあこがれともいうべきもので、洗濯機と電気ポンプ、テレビは手に入れたいものの代表的な電気製品でした。
のど自慢大会の一等賞が
 日立電気ポンプ
という場面に、この時代の状況がよくあらわれていると私は思います。
浜田光男が演じる時造が、吉永小百合が演じるモヨ子が歌うところを見ている場面ですが、その会場の壁面に
 日立電気ポンプ
のポスターが貼ってあります。
映画制作会社側が日立製作所側にスポンサーになってくれるように頼んだのか、日立製作所側が吉永小百合と浜田光男が出演する農村を舞台にした映画で、日立電気ポンプの宣伝をしたいということで、映画製作会社に申し入れて、この場面がつくられたのかはわかりませんが、いずれにしても株式会社日立製作所の製品が、日活青春映画に登場しています。

ちょうどこのころ(昭和30年代)であったと思いますが、私の生家では、電気ポンプを購入して、これで井戸から水をくみ上げ、台所、風呂、洗濯機などで、蛇口をひねれば水が出る生活に転換しました。
そのときの電気ポンプが、日立製であったと記憶しています。
ポンプを据えつけたり配管工事をする業者の方が父母に、
 なんといってもポンプは、日立製に限る。
 日立製であれば間違いない。
と話していたことも思い出します。

この工事後、井戸から水をくむ私の仕事がなくなり、たいへん楽になったこと、そのときのうれしさも思い出します。

日立鉱山→日立製作所→電気ポンプ→吉永小百合の「草を刈る娘」→私の思い出
につながったという、たいへんまとまりのないことを申し述べました。

2020年7月6日月曜日

浅間山北麓ジオパーク

楽しいうえに、これからの季節は、
涼しくて、さわやか

先日の上毛新聞に浅間牧場を周回するガイドツアーに新コースが登場した、との記事が掲載されました。
2020.7.3 上毛新聞
浅間山北麓ジオパークは、とてもがんばっていて、たいへんすばらしいジオパークです。
2020.7.2 浅間山北麓ジオパークFB
積極的に情報を発信していて、さまざまな活動内容を多くの人々が知ることができます。
ユニークなツアーも行われました。
2017.8.19 雲林寺での座禅体験ツアー
なんと、
 ジオサイトで座禅体験
というジオツアーです。
和尚さんに座禅の方法等を教えていただき、座禅を体験するツアーは、とても珍しいものではないかと思います。
私としては、浅間山北麓ジオパークの線路跡ツアーが大好きです。
2017.6.11 線路跡ツアー
草津と軽井沢を結んでいた草軽電鉄の線路跡を歩くツアーは、鉄道ファンでなくても楽しめるツアーではないかと思います。
2017.6.11 線路跡ツアー
線路跡ツアーに参加した記念として、草軽電鉄の硬券(復刻版)をいただきました。
いまでも大切な思い出の品として、大事に大事に保管しています。
梅雨があけますと、暑い夏になります。
浅間山北麓ジオパークがある群馬県嬬恋村と長野原町は、
 軽井沢より涼しくて、さわやかな感じがする
という方もいます。
それに、今年の夏は、完成した八ッ場ダムを見ることができます。
どうぞ、浅間山北麓ジオパークにお出かけください。

2020年7月5日日曜日

見ごろです!!

古代ハスの里
(群馬県富岡市神成(かんなり))

とてもきれいに咲いています。
今年は、とくにきれいな感じがします。
朝露にぬれた花は、とてもつややかです。
きのうの土曜日も多くの方が来られたそうです。
どうぞお出かけください。
紹介した画像は、2020.7.5(日)の朝に撮影しました。