2017年6月30日金曜日

上野三碑のラッピング電車を!

上野三碑(こうずけさんぴ)と古墳めぐり-上信電鉄沿線

上信電鉄の沿線には、世界文化遺産の旧富岡製糸場をはじめ、上野國一之宮の貫前神社などの文化財をはじめ、群馬サファリ(富岡市内)・こんにゃくパーク(甘楽町内)など親子、家族連れで楽しめる場所などもあって、たいへんすばらしい路線、それが上信電鉄ではないかと思います。
とくに上信電鉄の沿線で、たいへんすばらしい文化財といえば、上野三碑といってよいのではないでしょうか。
上毛新聞では、さまざまなテーマを設定して、
   ツイッターでのつぶやきを募集したり、アンケートを実施しています。
213回のテーマは、
 上信電鉄沿線で富岡製糸場のほかに気になる歴史遺産は?
というものでした。

それは、なんといっても上野三碑ではないか
   と私は思うのです。

以前、このブログ(↓)

上野三碑(こうずけさんぴ)のラッピング電車を! すばらしい上信電鉄沿線
http://geogunma.blogspot.jp/2015/11/blog-post_20.html

で提案したとおり、上信電鉄に上野三碑のラッピング電車を走らせてほしいと思っています。
また、上信電鉄には、南蛇井という〝珍名駅〟があります。
しかし、この南蛇井は、古代の那射(なさ)郷から生まれた地名ともいわれていて、たいへん歴史のある地名のひとつなのです。
上野三碑と古墳めぐりのほか、古代の西上州を感じる旅も楽しいことではないでしょうか。
 高崎駅の通路には、上野三碑のレプリカと上信電鉄の乗り場案内が設置してあります。

上野三碑については、つぎのブログ(↓)

上野三碑&漆山古墳 内部が公開されました!!
http://geogunma.blogspot.jp/2017/03/blog-post_5.html

をご覧ください。
 いま、大きく変化しつつある高崎駅前ですが、上野三碑や古墳めぐりが楽しめる出発駅として、多くの皆さんに利用していただける、そんな駅になっていけばよいだろうなと思っています。
かわいいぐんまちゃん電車は、上信電鉄沿線をたいへん明るくしてくれています。
ぐんまちゃんが古代の人々に扮したデザインで、上野三碑を紹介するというストーリーのラッピング電車も楽しいのではないかと・・・。

関係者の皆さま、どうかよろしくお願いいたします。

上信電鉄で上野三碑と古墳めぐりをしてみませんか。

2017年6月29日木曜日

神成古代ハスの里:いま、いいところです!!

石 坪 の 池 (富岡市神成)

2017.6.29朝の神成古代ハスの里のようすです。
数年前から何度も古代ハスの花を見せていただいていますが、けさの古代ハスの花、その美しさは、この世のものと思えないほど美しいものでした。
 朝早い時間帯ということもあって、みずみずしい花の美しさは、ほんとうにすばらしいと思います。
ミツバチが忙しそうに飛び回っています。
古代ハスの花の蜜は、どんな味がするのでしょうか・・・、とても気になります。
いま、とてもいいところではないかと思います。
神成古代ハスの里へ
 お出かけになりませんか。

2017年6月28日水曜日

秋蚕の碑-きちんと歴史を伝えているだろうか・・・

リピーターは1割未満
世界文化遺産・旧富岡製糸場

つぎの上毛新聞記事中の赤い点線部分をお読みください。
いま、上毛新聞では、
 未来を紡ぐ
   世界遺産登録3年
という連載記事を掲載しています。
なぜ、旧富岡製糸場については、リピーターが少ないのでしょうか。
それは、旧富岡製糸場には見るものはなく、歴史的な解説などに聞くべきもの、感動するものがないからだと 私は思っています。
たとえば、旧富岡製糸場の初代場長の尾高惇忠について、秋蚕への熱意といったことまでも含めて、旧富岡製糸場に関する物語として、きちんと伝えているかといえば、私が知る限りでは、そのようなことはありません。
また、富岡製糸場と絹産業遺産群として、荒船風穴が構成資産に含まれていますが、日本全国の風穴の状況、とくに長野の稲核風穴を風穴の先駆として、きちんと評価したうえで、荒船風穴の歴史的な位置づけを来場者に説明しているだろうかといえば、これも私が知る限りでは、そのような配慮はなされていないように思います。
1877(明治10)年のことになりますが、小幡町(現在の群馬県甘楽郡小幡)の堀口某ら7名が
 春蚕廃棄の種を風穴に貯蔵し、秋季に至り発生することを
  〝発明した罪〟で有罪判決
を受けたという時代において、尾高惇忠は官職から去らなければならなかったという、そういった覚悟で秋蚕に取り組んだ熱意こそ、大いに賞賛されるべきであり、こういった先駆者によって、日本全体の養蚕、製糸が大きく発展してきたことをふまえて、群馬の養蚕、製糸の立ち位置を明らかにすべきであろうと私は思います。
つぎに紹介する
 世界遺産とぐんま絹遺産周遊ガイド
は、群馬県企画部世界遺産課が発行しているパンフレットです。
 このパンフレットには、群馬県内の養蚕や製糸に関する施設などがたくさん紹介してありますが、旧富岡製糸場と荒船風穴については、つぎのとおり紹介しています。
 旧富岡製糸場の紹介には、
  製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。
とありますが、ほんとうにこのとおりなのでしょうか。
日本全国、とくに群馬の隣の長野県にお住いの方がこれを読めば、
  長野県の岡谷だって、とてもすごかったんだよ。
と思われるのではないでしょうか。
荒船風穴については、
 冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。
とか、
 取引先は(略)朝鮮半島にも及びました。
とありますが、風穴の冷気を利用して、蚕種を保存する技術そのものは、稲核などの風穴で行われていたもので、荒船風穴が多数回飼育を可能にしたわけではありません。
また、朝鮮半島にも、という部分を読んだとき、朝鮮の方が日本の群馬県にある荒船風穴に蚕種の保存を委託したと思われませんか。
この委託者は、残されている台帳によりますと、
 江原道平康郡〇〇〇 北村〇〇〇
という日本人の方(なんらかの用向きがあって、朝鮮で暮らしていた方かもしれません)で、
 北村〇〇
さんという日本に住む親(?)に蚕種を送ってくれ、というものです。
朝鮮半島から蚕種が送られてきたとか、朝鮮半島に蚕種を送ったというものではありません。
また、1905(明治38)年から営業を始めましたが、1917(大正6)年の36万枚の蚕種紙保存あたりがピークで、1920(大正9)年ころにはかなり蚕種の保管委託が減少し、厳しい経営状態になっていたようです。
1930(昭和5)年には、生糸輸出の絶頂期となるのですが、このころから風穴の冷気でなく、機械の冷気による蚕種保存が普及してきて、1935(昭和10)年ころに荒船風穴の役目が終わります。 
田島弥平旧宅の見学に行ったとき、案内していただいた方から、
  六合村の方々が来られたとき、この旧宅を見て、この程度の養蚕家屋であれば、うちのほうにいっぱいある。
と話されたことがあるとお聞きしたことがあります。
たんに建物だけを見れば、まさにそのとおりだと私も思います。
私は思うのですが、旧宅にスポットがあたる感じがしていますが、田島弥平と島村地区の人々のがんばりがすばらしいのであって、そこにここの物語としての大きな魅力があると思うのです。
すぐ近くには、渋沢栄一や尾高惇忠などが生まれていて、こういった人々との交流なども視野に入れて、もっと壮大で夢を追い求めて、幕末から明治にかけて、懸命に生き抜いてきた島村地区の人々の思いをアピールしなくては、つまらない世界遺産、一度みれば二度見たいと思わない世界遺産ということになってしまうことでしょう。

上武連携として、埼玉と群馬でいろいろなことを連携することは、とてもよいことであると思います。
でも、埼玉と群馬で連携したところで、まだまだ日本全体の養蚕、製糸から見れば、ほんのせまいエリアでのことでしかありません。
先述した長野県をはじめとして、東京-八王子など-や神奈川-横浜-などとも連携して、日本の養蚕、製糸の歴史のなかで、旧富岡製糸場を含む世界文化遺産構成資産の役割、歴史的な意義等について、
 日本全国あるいは世界から見学に来られた方々が、
  なるほど!
   そういうことだったのか!!
     納得、納得!!!
となる適切な紹介をしていく必要がある
  と思います。

だれもが自分のふるさとの歴史や文化に
誇りを持っているのですから、
旧富岡製糸場に来られた方々が、
自分が暮らしているところとのつながりなどについて、
きちんとした解説があれば、
とてもうれしいことだと思いますし、
また富岡に行ってみたいという気持ちに
なっていただけるのではないかと・・・。

2017年6月27日火曜日

見事な遺構をこの城は完全に残す

磯部城跡:群馬県安中市

きのうのブログ

115  信越本線 (高崎~横川)
http://geogunma.blogspot.jp/2017/06/115.html

で、信越本線の電車の画像を紹介しましたが、この撮影地点の近くに磯部城跡があります。
電車の撮影の合間に磯部城跡に行ってきました。
磯部城跡を北側から撮影した画像です。
電車の撮影地点は、この画像の左側のほうになります。
本丸へ続く道です。
空堀です。

このブログのタイトル

 見事な遺構をこの城は完全に残す

は、「日本城郭体系 第4巻 茨城・栃木・群馬の城郭(新人物往来社)」437頁から引用させていただいたものですが、よく遺構が残っていて、たいへんすばらしい城跡だと思います。
 草刈りなども実施されていて、とても歩きやすくなっています。
すこし残念なのは、案内標識などがいたんでいたり、全体的に荒れた感じになっていることです。
また、城跡の樹木を伐ることについては、慎重に考えなければならないと思いますが、この磯部城跡の場合、樹木が大きくなっていて、本丸跡などからの眺望がきかないことも残念なことではないかと思いました。
大きくなった樹木を伐って、本丸跡などからの眺望をよくすれば、とてもすばらしい城跡として、多くの人々が訪れる名所になるのではないかと感じました。

2017年6月26日月曜日

115系

信越本線 (高崎~横川)

2017.6.26(月)の朝、115系を撮りに行ってきました。
先日、つぎのブログ

コンニャクの芽&ぐんまちゃん:NHKほっとぐんま640
投稿写真を採用していただきました!
http://geogunma.blogspot.jp/2017/06/nhk640.html

で紹介しましたが、私の投稿写真をテレビで見た撮り鉄の大先輩から
 
 いまテレビで写真を見たよ。
 信越のほうは、田植えがだいたい終わって、田んぼがきれいになってきた。
 たまには、115系を撮りに出かけないか。

との電話をいただき、しばらくぶりに115系を撮りに行ったものです。
湘南色の電車に乗って、 通ったことを懐かしく思い出します。
いつかは引退していく運命にあるとは思うものの、115系はとても長い間にわたって、運行されてきたため、つきあいの長い親友のようであり、引退間近との情報を聞いて、とてもさびしく思っています。
ということで、115系の運用は、とても少ない状況になっています。
107系も115系と同様に引退か・・・といった情報もあるとのことです。
 妙義山に朝陽があたり、とてもきれいに輝いて見えます。
 田んぼに映る姿もすてきです。
画像の右には浅間山が見えています。
ここは、とても美しい風景で、私のお気に入り撮影ポイントのひとつです。
新旧交代は世の常とはいえ、ちょっぴりさびしい思いがします。

115系を撮りに出かけてみませんか?

2017年6月25日日曜日

80万人・5億円:世界文化遺産 旧官営富岡製糸場

これから先、ずっと維持していけるのだろうか・・・

3年前の6月25日、富岡製糸場と絹産業遺産群として、旧官営富岡製糸場を含む4資産が世界文化遺産に登録されました。
世界文化遺産に登録された2014年度には、1,337千人の入場者があったのですが、2015年度には1,144千人になり、2016年度には800千人にまで減ってしまいました。
今年度の状況については、4月・5月の入場者数が発表されていますが、大幅にという表現をしてよいかと思うほど入場者数が減っています。
今年度の5月での入場者数は、71,820人になっていますが、2015年度の5月における入場者数141.925人の半分といった状況になっています。
なぜ、入場者数のことを申し上げているかといいますと、見学料金の収入がどのぐらいになるかによって、富岡市の財政全体に大きな影響があるからです。

つぎのブログをご覧ください。

およそ5億円の入場料収入があれば市の財政に負担をかけずに対応できる」
    旧富岡製糸場の見学料金収入
http://geogunma.blogspot.jp/2016/09/blog-post_18.html

800,230 世界文化遺産 旧富岡製糸場の入場者数(2016年度)
http://geogunma.blogspot.jp/2017/04/800230.html

26,8369,876 (上半期分) 世界文化遺産 旧富岡製糸場 見学料収入
http://geogunma.blogspot.jp/2017/05/268369876.html

富岡市としては、5億円(年間)の見学料収入があれば、その料金収入で旧富岡製糸場の維持費用が賄えると計算していて、そのためには800千人(年間)の入場者が必要ということになります。
 旧富岡製糸場の整備費用について、当初の見込み額より増えるということですが、この記事(↑)にあるとおり、
 自治体の財政状況が年々厳しくなる中、増大する費用をどう賄うかが課題になっている
といってよいでしょう。
つぎの記事にもあるとおり、
 間で約2億5千万円に上る。人口5万人弱の自治体には大きな金額
を富岡市が負担し続けられるのかどうか・・・。 
以前、つぎのブログ

その世界遺産 いりますか?-文藝春秋二月新春号
いま住民たちは困惑している
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_10.html

で、文藝春秋に掲載されたルポを紹介しました。

お年寄りが多くなり、若い人が少なくなっていくなか、これからの自治体の財政は、ますます厳しいものになっていくと思われます。
富岡市においては、執行部局と市議会が知恵を出し合って、これからの時代における世界文化遺産の維持保全、そして市民の暮らし、福祉施策等の質を低下させないことに意を注いでいただきたいものだと思っています。

あまりにもむちゃくちゃでは? こんな答弁でいいのかな・・・(富岡市議会)
http://geogunma.blogspot.jp/2017/02/blog-post_5.html

来年、再来年と時間がたっていくなかで、

  「世界文化遺産に登録されて、
   市民はとんでもない目にあってしまったね」
   「困ったことになってしまったよね」

といった会話が富岡市民の間で交わされることがないようにしてほしいものです。

2017年6月20日火曜日

コンニャクの芽&ぐんまちゃん:NHKほっとぐんま640

投稿写真を採用していただきました!

2017.6.19の夕方に放送されたNHKほっとぐんま640の「好きです。群馬」のコーナーで、私が投稿した写真を紹介していただきました。
春に植え付けたコンニャクの芽が出てきたところです。
投稿した写真は、2017.6.17の朝に撮影したもので、下仁田駅発高崎駅行きの上り電車です。
朝陽に向かって、ぐんまちゃんがコンニャク畑のわきを走り抜けていくところです。
コンニャクの芽&ぐんまちゃんは、群馬県のここだけでしか見ることができない貴重な風景ではないかと思っています。
ほっとぐんま640は、月~金の夕方6:40~7:00に放送しています。
この番組の「好きです。群馬」では、県内各地の花の名所やお祭りなどの投稿写真が紹介されるため、お出かけ情報としても役立ちます。
こちら(↓)が投稿した写真です。
ブログに載せるため、画像ファイルを縮小してあります。
この写真(↑・↓)は、2017.6.20の朝、投稿した写真とほぼ同じ位置から撮影した〝KOTORA 日野〟と〝群馬サファリ〟です。
伸び始めたコンニャクの芽を見ながら上信電車に乗って、群馬サファリなどをめぐるのも楽しい旅になるかと思います。

上信電鉄で西上州へ!!

2017年6月18日日曜日

日本地質学会表彰:ブラタモリ制作チーム

おめでとうございます!

たいへんうれしいニュースです。
ブラタモリの大ファンである私は、こんな提案(↓)をしたことがあります。

ブラタモリ・NHK -ジオパーク
タモリ(森田一義)さんにジオパークのイメージキャラクターをお願いしたら・・・?
http://geogunma.blogspot.jp/2015/11/nhk.html

タモリさんほど詳しくありませんが、いささか地質や地形といったことに関心がある私としては、ブラタモリの番組が始まったとき、すばらしい番組がNHKで制作されたことをとてもうれしく思いました。
最初のころは、都内とか横浜といった場所が中心でしたが、その後、現在のように日本各地に出向くようになりました。
そのなかにはジオパークに認定されている場所もあり、ますますおもしろい番組になっています。

日本地質学会のHP
 http://www.geosociety.jp/outline/content0180.html#hyosyo
に掲載されている表彰理由(↓)です
ブラタモリを視聴して、地形とか高低差などに興味を持たれた方が増えたのではないかと思っています。
下仁田自然学校だより「くりっぺ」に
  いま、地形がおもしろい-ブラタモリ(NHK)-
という投稿をさせていただいたのですが、身近なところの段差、高低差をはじめ、山の高さや川の勾配などを通じて、それらが暮らしとどのようにかかわっているかを考えることは、とても楽しいことではないかと思うのです。
ブラタモリのおもしろさは、番組に登場する方々の個性あふれる姿によるところも大きいかもしれません。
とくに、がんばっているジオパークが登場したときは、とても生き生きと活動している雰囲気が伝わってきます。
ジオパークの事業等の普及に関して、ブラタモリが果たしている役割には大きなものがあると思います。

ブラタモリ制作チームの皆さん、
たいへんおめでとうございます。
これからも楽しい話題満載の
ブラタモリを制作してください。
よろしくお願いします。

これまでに私のブログで取り上げたブラタモリです。

ブラタモリ:NHK   「まいまい京都」
http://geogunma.blogspot.jp/2016/05/nhk.html

ブラタモリ-地形好きのルーツ“沼田”へ  真田丸スペシャル・沼田
http://geogunma.blogspot.jp/2016/02/blog-post_8.html

2017年6月17日土曜日

ねぎ坊主

下仁田ねぎの種

冬の鍋物料理に欠かせない下仁田ねぎですが、これ(↓)が下仁田ねぎの種になります。
2017.6.17
上の画像(↑)は、ネギ坊主を切り取って、乾燥しているところです。
この種を今秋(10月なかばころ)に蒔きます。
芽が出て伸びた苗を来年の春に植え付けます。
その苗を夏に植え替え、12月(寒くなってきたとき)から収穫します。
ちょうどお歳暮のシーズンからお正月にかけて、たいへんおいしくなる、それが下仁田ねぎです。
今年の秋から1年以上も栽培期間がありますので、農家の皆さんのご苦労には、たいへんなものがあります。
2017.4.13
下仁田町馬山・富岡市南蛇井を中心にして、たくさん下仁田ねぎが栽培されていて、ねぎ坊主をあちこちの畑で見ることができます。
ぐんまちゃん電車が通過していくところです。
2017.4.24
とてもかわいいねぎ坊主です。
2017.5.29
手前には、かわいいねぎ坊主たち。
後方の高い山は、西上州を代表する山のひとつ稲含山です。
マンナンライフのラッピング電車が通過していきます。
2017.6.5
いま乾燥中の種は、もうすこし乾燥させてから種だけを取り、それを大切に保管しておいて、秋の播種に使います。

この地の名産である下仁田ねぎ、その種ができてくるまでのようす(4月なかば~6月はじめ)について、ねぎ坊主の画像で紹介させていただきました。

2017年6月16日金曜日

変わりゆく高崎駅前 【2017.6.14(水)】

きれいになってきました!

高崎駅前をぶらぶらと歩いてきました。
 以前、つぎのブログ(↓)

変わりゆく高崎駅前  ずいぶん変わってきました!
http://geogunma.blogspot.jp/2017/05/blog-post_11.html

で、変わりゆく高崎駅前を紹介しましたが、このときの紹介からほぼ1か月後の高崎駅前ということになります。
 ますますきれいになってきたように思います。
 ペデストリアンデッキの工事も始まっています。
高崎駅前から撮った画像です。
高崎駅前から高島屋方向を撮った画像になります。
高島屋のところでもペデストリアンデッキの工事が行われていました。
ペデストリアンデッキが利用できれば、高崎駅を利用しての買い物が便利になり、ますますにぎやかな駅前になっていくのではないかと思っています。
S38.7の高崎駅舎として、「群馬の鉄道(あかぎ出版)」33頁に掲載されている写真です。
昭和40年代に高校生であった私にとっては、通学で利用した駅であり、思い出の駅、懐かしい駅ということになります。

いまの高校生たちにとって、高崎駅や駅前がどのように記憶され、そしてこれから先、高崎駅と駅前がどのように変化していくのだろうかな、とそんなことをぼんやり考えています。