2018年5月31日木曜日

「中山道&下仁田道の旅」がいいかも・・・

道の駅しもにた+道の駅オアシスなんもく

「中山道の旅-道の駅周辺散策ガイド-2018」は、とてもよくできた案内です。
おかべ・ららん藤岡・甘楽・みょうぎの道の駅周辺の見どころなどが、コンパクトにわかりやすく紹介されています。
とてもよくできている案内なのですが、ひとつ気になるところがあります。
中山道だけでなく中山道の脇往還である下仁田道も紹介していただいて、それぞれの街道の役割、歴史と文化などを紹介すれば、もっと楽しい案内になるのではないかな・・・と思うのです。
上の図の白い矢印の先が中山道の脇往還である下仁田道ですが、本庄で中山道から分かれて、藤岡・吉井・福島・富岡・一ノ宮・南蛇井へ、そして下仁田に通じていました。
下仁田道は、下仁田で長野と山梨に向かう道に分かれます。
かつての下仁田は、信州・甲州方面から米などが運ばれ、それらの取引が行われ、多くの人々が行きかうにぎやかなまちでした。
また、下仁田道の沿線の人々は、養蚕と製糸を通じて、とても緊密な関係でもあったわけですし、いまは世界文化遺産に注目が集まっていますが、碓氷社・甘楽社・下仁田社の功績にも着目していただける案内をつくり、岡部・深谷・本庄・上里などと西上州の結びつきを強調すれば、たいへん濃い内容の案内ができると思います。
「中山道の旅-道の駅周辺散策ガイド-2018」には、道の駅しもにたが地図に載っている(印のなか)のにもかかわらず、まったく紹介していないというのは、とてもさびしい気がします。
また、街道の歴史と文化といった面を考えるとき、南牧村にある道の駅オアシスなんもくも含めて、
  中山道&下仁田道の旅
とした案内をつくったほうが、多くの方々に喜ばれることになるかもしれません。
いまの時代、地域のお宝を磨き上げ、それをアピールすることは、とても大切なことだと思います。
「中山道の旅-道の駅周辺散策ガイド-2019」を作成されるときには、ぜひ下仁田道を加えていただくとともに、道の駅しもにたと道の駅オアシスなんもくも含めていただければ・・・と思っています。
ご一考いただければ幸いです。
  ※ 十石街道を加えれば、さらによいものになるかもしれません。
中仙道が中山道になったわけですが、私は中山道より中仙道のほうが好きです。
この案内をつくられた方は、私と同じで中山道より中仙道が好きなのかもしれません。
余分ごとの感想も述べてしまいました。

2018年5月30日水曜日

レモンの実:家庭菜園だより

摘果は つらいものですよね

鉢植えのレモンの木に実がつきました。
2018.5.26
初結実ということになります。
まだ木が大きくなっていませんので、たいへん残念ですが摘果することにしました。
2018.5.26
果樹の場合、適切な施肥や剪定のほか、その木に応じた果実の量を見極め、過不足なく摘果できるかどうかが収穫量や木を元気に維持していくコツではないかと思っています。
そうは思うのですが、私の場合、摘果が難しいといいますか、もったいないという気持ちもあって、うまく適切に摘果できません。
それが、私の大きな課題、悩みでもあります。
2018.5.24
レタスとキュウリが収穫できるようになってきました。
今年も夏野菜の収穫状況などを紹介したいと思っています。
2018.5.29
ナシの実も大きく育ってきています。
アジサイの花が咲きはじめました。
2018.5.29
家庭菜園でのできごとなどを今年も紹介させていただきます。
家庭菜園で野菜を栽培すれば、朝一番で収穫した野菜をサラダなどにして、その日の朝ごはんで食べるという究極の産直も可能です。
まだまだ植え付け可能な夏野菜もあります。
今年の夏、野菜づくりに挑戦してみませんか?

2018年5月28日月曜日

「没後150年 功績しのぶ」+姉妹観音悲話

「東善寺で小栗まつり」

きょうのブログのタイトルは、上毛新聞の見出しからお借りしました。
東善寺がある高崎市倉渕町の出身者もお亡くなりになっています。
小栗上野介が権田村(当時)の人々に慕われていたという話がたくさん残っています。
群馬県で暮らしている方は、高崎市倉渕町と館林市の距離をご存知ですが、権田村(当時)の住民が館林の法輪寺から首級を奪い取って、権田村(当時)へ運んできたというのです。
自分がどのような目にあうかもしれない、そんな心配があるなか、ご遺体をひとつの場所への思いで、こういった行動をしたのでしょう。
これは、小栗上野介が村の人々に慕われていたということ、その証ともいえるできごとであったといえるでしょう。
だからこそ150年もたっていながら、こうして小栗まつりには、多くの方々がおまいりに訪れるのでしょうね。
今夜は、姉妹観音を紹介しようと考えていたのですが、3歳と5歳の幼い女の子も殺されてしまったこと、その哀れさを思い、とても悲しくなってきてしまいました。
幼い姉妹も殺されるという、ほんとうに悲しい、やるせないできごともあったのです。
これについては、のちほど・・・
申し訳ありません。
今夜は、これ以上書くことができません。

と、昨夜(2018.5.28の夜)にブログを書いたところですが、これから姉妹観音にまつわる悲しいお話を紹介いたします。
もともと涙腺がしっかりしていないのですが、ここ最近は、とみに涙腺がゆるんできたしまったのか、すぐに涙が出てきてしまいます。
幼い子が犠牲になったという事件がニュースで放送されますと、とても悲しい気持ちになります。
小栗家の用人塚本真彦の家族も犠牲になりました。
姉妹観音由来にあるとおり、七日市藩の知り合いを頼って、権田村(当時)から現在の富岡市七日市に向かう途中、3歳と5歳の女の子が「殉難し 相間川の渕に沈められた 時に慶応四年四月七日」という悲しい、たいへんいたましいことが起きました。
    ※ 慶応四年四月七日→1868年 4月 29日 
姉妹観音の下を流れる相間川です。
当時の時代状況、時代の空気を考えるとき、いまの時代に生きる者が軽々に感想を述べるべきでないかもしれませんが、幼い子まで巻き込まなくてもよかったのではないかと・・・あまりにも悲しいできごとであったのではないかと思います。
いまでも幼い子が被害にあったり、犠牲になる紛争や事件が起きています。
こういった悲しい事件がない社会であってほしいと思っています。
姉妹観音までの道路は狭いため、気をつけてお出かけになってください。
また、姉妹観音への降り口は通行止めになっていますが、鎮魂句碑のほうから姉妹観音に行くことができます。
小栗上野介の最期とともに、こういった犠牲があったことも覚えておきたいものだと思っています。
※ この記事は、2日にかけて作成しました。

2018年5月27日日曜日

小栗まつり

非命没後 151回忌

群馬県高崎市倉渕町の東善寺において、小栗まつりが行われました。
ことしもお墓参りをさせていただきました。
こちら(↑)が本墓になります。
小栗上野介とともに亡くなられた家来とその家族の方々に対しても、多くの方々がお参りし、無念の最後をいたんでおりました。
 地元の方々はもちろんのこと、遠方からも多くの方々がお参りに訪れていました。
フェイスブックの
  小栗上野介を大河ドラマに!
を皆様のお力で盛り上げていただき、小栗上野介の偉業を通じて、幕末、明治という時代が、どのような時代であったかを描く大河ドラマを制作していただければ・・・と思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

2018年5月26日土曜日

目からウロコの自然観察(唐沢孝一著):中公新書

とても楽しい本です!

「目からウロコの自然観察(唐沢孝一著)」:中公新書
  は、たいへんわかりやすく、とても興味深い話題が満載の本です。
新書版ということもあって、野外調査用のショルダーに入れてもかさばりません。
身近な植物や昆虫をもとに解説してある本ですので、本に掲載されている写真と実物を見比べながら確認することもできます。
いまの時期は、ドドメなどが食べ頃になるときです。
自然観察よりも食い気のほうだ・・・という私でさえ、この本のおかげでドドメよりも自然観察となっています。
著者の唐沢孝一さんは、群馬県嬬恋村の出身とか、群馬県に関する話題もあって、とても私には親しみを感じる内容、構成にもなっています。
ジャコウアゲハの生き方、ジャコウアゲハのまねをするチョウなどをはじめとして、したたかに強く生きる昆虫の世界も満載です。
この本を持って、野山に出かけてみませんか、
これまでと違う世界が見られるかもしれませんよ。

2018年5月25日金曜日

きょうでお別れ

長い間お疲れさまでした

151形車両引退のお知らせ:上信電鉄
で紹介したとおり、きょうでお別れとなります。
2018.5.25 朝
上信電鉄は通勤で利用したことがあり、151・152には何度も乗ったものでした。
つぎの動画は、千平駅付近で撮影しました。
あす以降は、見ることができない走る姿です。
きょうは、151・152が引退する日ということで、もしかしたら神成山から西上州の山々をバックに走る姿が撮れるかな・・・と思って、始発電車の撮影に間に合うようにと朝早く神成山に登ってきました。
けさに限って、151・152の走る姿がなく、残念なことに神成山から撮ることができませんでした。
2018.5.25 朝
高崎駅発下仁田駅行きのぐんまちゃん電車です。
高速道路、鏑川の河岸段丘もよく見えます。
つぎの動画は、神成山から西上州の山々をバックに走る電車です。
そして、神成山から下りてきて、撮った151・152がこのブログのトップに載せた画像ということになります。
もう一度、151・152の走る姿を。
2018.5.25 朝
長い間、たいへんお疲れさまでした。

2018年5月24日木曜日

安中の魅力百選

みんなに知らせたい

安中市が募集していた
 安中の“魅力”百選
に応募したところ、私が応募した場所が選ばれたという通知をいただきました。
 安中市による魅力百選の募集事業を知ったとき、
  これだったらあまり知られていないかも・・・
と思って、応募したのが新幹線トンネル工事の掘削マシン(その一部)です。
新幹線建設工事では、大活躍した機械であったと思います。
秋間梅林地内で見かけたものですが、とても迫力があって、すばらしいものです。
来年、梅の花が咲くころ・・ということでなく、ぜひ見に出かけてほしいイッピンではないかと私は思っています。
私が応募した場所を選んでいただいたうえに、図書カードを送っていただきました。
たいへんありがたく、うれしいことです。
安中の魅力百選には、日本最古の温泉マークや春爛漫の城山も選ばれています。
ここでは紹介しませんが、安中市には車に乗った観音様もいらっしゃるとか・・・安中市には、魅力ある場所がいっぱいあります。
先には、旧碓氷峠の鉄道施設のうち、熊野平変電所本屋などが国の重文に指定されることが決まったと報じられました(つぎのブログを参照)

祝 重要文化財指定 熊野平変電所本屋・第7橋梁・第13橋梁・第17隧道
旧碓氷峠鉄道施設(群馬県安中市)

が、このほかにも安中市には魅力ある場所がいっぱいあること、それがパンフレット(↓)を見るとわかります。
ぜひ、
 安中の魅力百選
のパンフレットを見ながら
 安中の魅力百選めぐり
をしてみませんか。

2018年5月23日水曜日

足尾銅山 発掘鉱石(関連資料)展

敬西寺<きょうさいじ>
高崎市江木町

先日、このブログ(↓)

「古寺再生 ヨガ教室に」  2018.5.19読売新聞「群馬版」から

をフェイスブックで紹介したところ、FB仲間でもある長井真さんから
 開かれたお寺さんを目指す活動のひとつとして、足尾銅山の鉱物などを展示している寺があります
と高崎市の敬西寺を教えていただいたので、早速、足尾銅山の鉱物などの展示を見に行ってきました。
足尾銅山産の銅鉱石です。
横間歩4号𨫤 下13番坑から掘り出されたものだそうです。
スケールを置くのを忘れてしまいましたので、大きさがおわかりにならないかと思いますが、鉱石じたいの大きさ(高さ)は、ほぼ30センチほどです。
この石の重さは、なんとおよそ20キロで、だいたい40%の銅が含まれている(であったと思います。間違えていたらごめんなさい)と、日隈證さんに教えていただきました。
残念ながら日隈さんの講演を聴くことができなかったのですが、日隈さんには会場で懇切にいろいろ教えていただきました。
この写真の右に立っているのが若いときの日隈さんです。
大学で鉱山学を学んだ日隈さんは、九州の炭鉱をはじめとして、足尾銅山などに勤務されたとのことで、とても鉱山のこと、鉱物のことにお詳しい方でした。
日隈さんが大学生のときに書いた岩石の顕微鏡写真のスケッチです。
いまなら画像撮影ということになりますが、自分の目で細かく観察し、それをしっかりスケッチするという、私などには気が遠くなるような、そんなお話もお聞きすることができました。
なんといっても展示のなかで、いちばんの圧巻であった展示は、和紙に手書きで、しかもきれいに彩色された計画図などの図面でした。
平面図、横断図など、どの図面も線の太さが一定で、しかもにじみや訂正した痕跡も見当たらず、たいへんきれいな仕上がりになっていて、こんなにすばらしい図面は、なかなか見られるものではないと思いました。
余分ごとですが、私が若いとき、図面(展示されていたようなものでなく、もっと小さく簡単なものでした)を書かされたのですが、
  やっと書き終わる
と、ほっとした瞬間、烏口の先からインクが紙の上にぽっとんと・・・
結局は、最初から書き直しということになり、あまりにもせつなくて泣けてきたものでした。
そんなことも思い出した敬西寺での足尾銅山 発掘鉱石(関連資料)展でした。
生意気なようで恐縮ですが、敬西寺の取り組みは、いまの時代において、檀家さん以外の方も足を運び、敬西寺を知るという効果もあるでしょうし、イメージアップになるのではないかと思います。
また、こうしたイベントが行われれば、出向かせていただきたいと考えています。
日隈證さん、敬西寺の御住職さん、たいへんありがとうございました。

2018年5月21日月曜日

祝 重要文化財指定

熊野平変電所本屋・第7橋梁・第13橋梁・第17隧道 
旧碓氷峠鉄道施設(群馬県安中市)

たいへんうれしいニュースでした。
熊野平変電所本屋・第7橋梁・第13橋梁・第17隧道 が指定されると、旧碓氷峠鉄道施設内の遺構のすべてが国の重要文化財になる(↓)とのことで、たいへんすばらしいことだと思います。
きつい勾配の峠をEFやEDが列車を押し上げ、または下るときにはブレーキになって、たくさんのお客さんや荷物を運んでいたものでした。
ある年齢以上の方には、
   歯車がかみ合う音、覚えている!!
という方もおられるのではないでしょうか。
つぎの動画(↓)は、懐かしいアプト式の音-歯車がかみ合う音-です。
まさに「日本技術の礎」といってよいでしょう。
鉄道ファンでなくても感動する遺構だと思います。
碓氷峠に鉄道を建設して、いろいろな工夫、苦労をされて、長い間、列車を走らせた先人の思いにふれる遺構でもあると思います。
どうぞ、お出かけになってみてください。

2018年5月20日日曜日

「古寺再生 ヨガ教室に」

2018.5.19読売新聞「群馬版」から

2018.5.19の読売新聞「群馬版」に、たいへん興味深い記事が掲載されました。
住職が不在で荒れてしまった寺を整備して、ヨガ教室を始めたという内容の記事です。
趣味の山歩きをはじめ、いくつかの研究グループに参加させていただき、その調査で各地に出かけるのですが、ここ最近はとくに集落に空き家が増え、寺や神社が荒れてきたように感じます。
以前、つぎのブログ

少子化の時代とわかっていても・・・ とても驚いてしまいました

で、保育園が休園することになったことを紹介しましたが、この保育園は寺の境内にあって、檀家・地域住民の大切な存在であり、多くの方々がこの保育園に通ったものでした。
子どもが減ってきているということは、寺を支える檀家も少なくなってきているということでしょう。
ネットで檀家を調べたところ、
 その寺に属し、布施をして寺の財政を助ける家。
とありました。
私が子どものとき、寺は遊び場であり、お盆のときなどには、お線香の香りがただよう本堂で、お坊さんのお話を聞いたり、幻燈(当時は、スライド映写といわず、幻燈といっていたかと・・・)を見せていただいたり、いろいろなことを学ぶ場でもありました。
春と夏のおまつりのときは、たくさんの露天商が境内に店をひろげ、多くのひとびとでにぎわい、夜にはカーバイトのランプのあかりで、それはそれはたいへん美しいものでした。
いまでは、かたちだけのようなおまつりになってしまい、かつてのにぎわいは消えてしまいました。
そして、境内で遊ぶ子どもの姿を見ることもなくなりました。
これからの時代、寺を維持、存続していくことは、ますます困難になっていくと思います。
若い人々のなかには、先祖からの寺とのつきあいを断ち、無宗教の葬儀を行う、といった人がいると聞いたことがあります。
これからの時代のニーズ、若者たちの価値観に応じて、寺も大きく変化していかなければ、荒れ果てた寺があちこちに生まれ、それがやがて朽ち果てていくという、そんな状況に向かうように思えてなりません。
それぞれの集落、地域にあって、人々のこころのよりどころであり、災害時での避難場所でもある寺の役割などには、これまでもこれからも大きなものがあると思っていますが、人口減少時代にふさわしいかたちに変化していかなくては、もはや対応できない時代になってきているのだろうな・・・と、そんなことを感じた
 古寺再生 ヨガ教室に
の記事でした。

2018年5月18日金曜日

古代ハス:石坪の池(富岡市神成)

今年も楽しみです

ことしの春は、花が咲くのが早かったので、
 石坪の池の古代ハスは、どうかな・・・
と思って、けさ(2018.5.18)早くにようすを見に行ってきました。
この池の手入れをされている方が、
 花が咲くのは、まだまだ先だと思うよ
とのことでしたが、ひとつだけ花芽を見つけました。
作業をされていた方も花芽を見て、
  ことしは早くに咲くかもしれないね
と話されましたが、昨年と比べた場合、かなり早い花芽の登場といえそうです。
葉の伸び具合など、きょう現在の状況は、この画像(↑)のとおりです。
昨年の状況は、といいますと・・・
2017.6.8には、まだ固いツボミがいくつか・・といった状況(↑)でした。
2017.6.18に撮影した画像(↑)です。
咲き始めてきた、といった段階でしょうか。
いっぱい咲いている!
    という状況になったのは、2017.6.29に出かけたときでした。
ことしの古代ハスの花は、昨年より早く咲くかもしれません。
のちほど開花状況をお知らせいたします。
古代ハス:石坪の池は、神成山のふもとにあります。
上信電鉄の神農原駅で下車して、神成山を縦走し、石坪の池で古代ハスの花を眺めながら休んで、南蛇井駅に向かうコースがおすすめです。
古代ハスの花を見にお出かけください。