2013年10月10日木曜日

中小坂鉄山

栄華をしのぶ鉄山(てつざん)跡

中小坂鉄山は、明治の初め、日本で最初、最大規模の西洋式製鉄所でした。
ここでは、磁鉄鉱が採掘されていました。
鉄の含有量は、70~80%あり、とても良質な鉄鉱石が採れました。

鉱床は、平滑花崗岩と南蛇井層が接している地帯にあります。
南蛇井層に平滑花崗岩のマグマが貫入し、そのときここに鉄鉱石ができたと考えれています。
中小坂鉄山の鉄鉱石ができたのは、およそ、6,400万年ほど前のことでした。

この写真は、トロッコのレールがあった場所です。

画面奥の坑道から鉄鉱石をトロッコに乗せて、このあたりで下の製鉄所の原料ヤード(画像の左側斜面)にトロッコから鉄鉱石をおろしていました。
トロッコは、人力で押していたそうです。

ここでは、鉄鉱石の採掘から製鉄が行われていました。
この看板にも書かれていますが、大正7(1918)年には、全設備が撤去され、ここでの採掘等が終わりました。

その後、昭和12(1937)年になって、採掘が再開されるのですが、昭和36(1951)年には、完全に閉山されることになります。

途中で中断されたときもありますが、江戸時代(1848ころ)から始まった鉄鉱石の採掘は、ほぼ100年後に終わったことになります。

いま、中小坂鉄山跡には、坑道、製鉄所の跡が残されています。

明治から大正かけて、わが国の産業に大きな足跡を残した中小坂鉄山を紹介させていただきました。

〝お  願  い〟

① 坑道などがあった場所は、山の斜面にあります。足元に気をつけてください。
② 坑道などには、立ち入らないでください。
③ 遺構を傷つけないでください。

中小坂鉄山跡を見学する前に、下仁田町ふるさとセンターに立ち寄っていただいて、あらかじめ中小坂鉄山に関する資料をご覧になりますと、よりよく中小坂鉄山のことを理解していただけると思います。

どうぞ、下仁田町ふるさとセンターにお立ち寄りください。

   【このブログにおける中小坂鉄山関係の記事です】

ジオサイト-中小坂鉄山  新島襄と中小坂鉄山
八重の桜-新島襄 「安中は当然、登場するのでしょうね」

下仁田ジオパーク-中小坂鉄山 鉄で結ばれた縁

2013年10月9日水曜日

中小坂鉄山

鉄で結ばれた縁

2013.10.8(火)、鉄山研究会(園部洋会長)の皆さんらとJFEスチール㈱東日本製鉄所(京浜地区)を見学させていただきました。

この見学会は、「よんまる会」(昭和40(1965)年に日本鋼管㈱(当時)に入社された方々の親睦団体)の皆さんのお世話になって実現したものです。

第一次大戦中の大正5(1916)年、日本鋼管㈱が中小坂鉄山の鉄鉱石を採掘する権利を取得しました。
このころ、日本鋼管㈱では、国内7か所の鉱山、製鉄所を買収(権利設定)したとのことです。

今年の6月初旬、「よんまる会」の方々が日本鋼管㈱と縁があった中小坂鉄山に来られ、坑道や製鉄所跡を見学していただきました。

このとき、「中小坂鉄山から運ばれた鉄鉱石が鉄になった川崎の製鉄所へお出かけになりませんか」とお誘いを受け、この日の見学会が実施されたものです。

この日の見学は、扇島正門を入って、鋼管海底トンネルを通って、扇島大橋を渡って、扇島地区内のアメニティホールに案内していただき、JFEスチール㈱東日本製鉄所(京浜地区)の説明を聞かせていただきました。
扇島地区は、東西方向が3km、南北方向が2kmで全体の面積が600万㎡あり、そのうち550万㎡がJFEの用地になっているとのことで、とにかく広大な敷地に、原料ヤードから製鋼、熱延、厚板などをつくる大きな工場が建ち並んでいます。

下の写真は、JFEスチール㈱の紹介をはじめ、ここ東日本製鉄所(京浜地区)で原料が運ばれてきて、鉄製品となるまでをまとめたビデオを視聴させていただいているところです。
いよいよ製鉄所内の見学に出発です。
ヘルメット、上着、軍手、ガイドラジオをお借りして、バスに乗車させていただきます。
構内の撮影は、×になっていますので、これから先の画像はありません。

高炉は、高い炉というだけあって、見上げるときの高さは、とても迫力があるものでした。
 ※ たいへん残念ですが、私の作文能力では、構内のようすを的確にお伝えすることができません。
  お許しください。

これは、資料館に展示されているトーマス転炉のレプリカです。
この資料館には、トーマス転炉の導入をはじめ、わが国の民間製鉄業の発展に尽力された今泉嘉一郎が紹介されています。
今泉嘉一郎は、群馬県勢多郡東村大字花輪(現・みどり市)の出身です。
初めて見る製鉄所内のようすに驚き、広大な敷地にも驚いた見学が終わったとき、美しい夕焼け空になっていました。

かつて、中小坂鉄山の鉄鉱石が運ばれていた大正年間、この地で働かれていた人々も美しい秋の夕焼け空を見ていたことでしょう。

 この見学によって、
明治から大正期の先人も、その後の人々も、
製鉄を通じて、わが国の経済、産業を支えているという気持ちで、
一生懸命に誠実に努力されてきた、
その一生懸命に誠実に努力する伝統が、
現代の匠たちに継承されていること
 を私は実感させていただきました。

学会のあとは、アウマン邸で「よんまる会」の方々と懇親の宴が開かれました。
「よんまる会」を代表して、荒木さんからあいさつがありました。
鉄山研究会の園部洋会長のあいさつです。
鉄山研究会の原田喬さんからあいさつがありました。
乾杯!!!
懇親の宴が始まり、あちこちで明るい談笑の声があがります
お陰様で「鉄で結ばれた縁」をつよく、再確認した一日になりました。

「よんまる会」の足立英夫様・荒木健治様・井戸禎光様・上野康様・榎本洋一様・金子義明様・川畑成夫様・佐藤秀樹様・辻村慶四郎様・寺田修様・福島勤様・矢沢恒治様には、たいへんお世話になりました。
これからもご自愛をされて、どうぞお元気でおすごしください。

そして、「鉄で結ばれた縁」のある下仁田へお出かけいただき、下仁田ジオパークのジオサイトの見学をしていただければ幸いです。

寒くなってきますと、下仁田の名産「下仁田ねぎ」の風味が増してきます。
寒い日に鍋物などに入れて、「下仁田ねぎ」を食べれば、まさに絶品の味です。

見て楽しい、歩いて楽しい、
食べておいしい、飲んでおいしい
下仁田へお出かけください。

2013年10月8日火曜日

富岡ロケット祭り-続き

㈱IHIエアロスペース富岡事業所

先に、このブログで、
   富岡ロケット祭り イプシロン 打ち上げ 大成功!!!
の記事を投稿したところ、たくさんの皆さんに閲覧していただきました。

イプシロンロケット試験機の打ち上げ成功、その前のはやぶさの帰還といったビッグニュースによって、これらの開発、製作に大きく寄与した㈱IHIエアロスペース富岡事業所について、多くの皆さんがつよい関心を寄せていることが想像できます。

閲覧していただいた皆さんに心から感謝を申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。

きょうは、㈱IHIエアロスペース富岡事業所に展示されているロケットなどを紹介させていただきます。
大きな年表で、宇宙開発の歴史が一目でわかります。

大きな年表を見ていて、かつて、同時中継のテレビで、アポロの乗組員と地上のコントロールセンターのやりとり

 「こちらヒューストン、こちらヒューストン」

を一生けんめいに聴いていたことを私は思い出しました。
ロケットの模型をはじめ、さまざまな部品も展示されていて、ロケットづくりのたいへんさを知ることができます。
それぞれの説明板には、ていねいな解説が記載されていて、これを親に読んでもらい、目を輝かせている子どもたちです。
この子どもたちのなかから未来のロケット開発者や宇宙飛行士が誕生することでしょう。
はやぶさの展示です。
オーストラリアに帰還したときは、日本はもちろんのこと世界中の人々が感動しました。
このはやぶさのカプセルにも㈱IHIエアロスペース富岡事業所の技術が活かされています。
来年も㈱IHIエアロスペース富岡事業所では、〝富岡ロケット祭り〟を開催していただけることでしょう。
多くの方々にご来場いただき、㈱IHIエアロスペース富岡事業所すばらしさを実感していただきたいと思っています。

2013年10月6日日曜日

富岡ロケット祭り

イプシロン 打ち上げ 大成功!!!

ことしも株式会社IHIエアロスペース富岡事業所では、たいへんにぎやかに〝富岡ロケット祭り〟が開催されました。

先には、イプシロン試験機の打ち上げが大成功であったこともあって、ことしの〝富岡ロケット祭り〟は、ことのほかお祝いムードが高まっていて、特設ステージでのお祝いの樽酒の鏡割りに始まり、お祝いのお酒が振る舞われたり、来場者全員に紅白まんじゅうが配られるなど、たいへんおめでたいものとなりました。
来場された方々に、イプシロン打ち上げ成功のお祝いのお酒が振る舞われました。
お祝いのお酒とますがプレゼントされ、「よい記念になる」と来場された皆さんは大喜び。
こちらは、㈱IHIエアロスペース富岡事業所内の特設発射台です。

「こんな大きいロケット、ほんとうに打ち上がるの?」と、子どもたちは興味津々で、打ち上げのときを待っています。
 
富岡でのイプシロン打ち上げも大成功でした。
打ち上げのようすにつきましては、
YouTubeの動画をご覧ください。

子どもたちは、ペットボトルロケットの打ち上げに挑戦です。
㈱IHIエアロスペースの専門の方々に指導を受けて、子どもたちがペットボトルロケットをつくり、それを打ち上げるというものです。
ペットボトルロケットの打ち上げも大成功でした。
この子どもたちが、未来の宇宙工学、ロケットづくりを担う人材に育っていくことでしょう。
 
この日のお祭りには、すてきなゲストが・・・
種子島の南種子(みなみたね)町の「宙太くん」の登場に子どもたちは大喜び。
南種子(みなみたね)町は、種子島宇宙センターがある町として、また、鉄砲が伝来した地として、たいへん有名な町です。

この日は、遠く種子島からやってきた「宙太くん」が、富岡のアイドル「お富ちゃん」とともにお祭りを盛り上げました。
このお祭りには、何度か出向かせていただいているのですが、いつも感心するのは、司会をされる若い方のおじょうずなことです。
素人とは思えない、ほんとうにすばらしい司会ぶりには、いつも感心してしまいます。

来年も名司会を楽しみにしております。

来場した方々全員に配られた紅白まんじゅうです。

とてもおいしくいただきました。
たいへんごちそうさまでした。

楽しい〝富岡ロケット祭り〟を開催していただいた㈱IHIエアロスペース富岡事業所の皆さまに心から感謝を申し上げます。

ほんとうにありがとうございました。

㈱IHIエアロスペース富岡事業所のご発展と皆さまのご活躍をお祈り申し上げます。

2013年10月3日木曜日

妙義山の神社

妙義神社

10月といえば、神無月。

先日は、このブログで、
    耳よりな情報 スポーツ上達お守り(中之嶽神社)   として、
中之嶽神社を紹介しました。

妙義山には下仁田町側の中之嶽神社のほか、富岡市側に妙義神社があります。
下の写真は、妙義神社の参道です。
春になりますと、右側のシダレザクラの花が咲き、たいへん美しい姿を見せてくれます。

長い石段を登って行きますと、重厚な社殿の前に出ます。
この石段では、2005年のNHKの大河ドラマ「義経」のロケが行われました。
太い杉木立のなか、一歩一歩登って行くとき、自然と気持ちが落ち着いてくるような・・・すばらしい雰囲気を感じることができます。

この社殿前には・・・
青鬼と赤鬼がいます。
とてもこわそうな感じもいたしますが、どことなく愛きょうがあるというのでしょうか、親しみを感じるお姿に見えます。

ファッションとしては、定番のトラの毛皮のパンツ、ということになっておりますが、こちらのデザインが私には斬新(?)なものに感じるのですが・・・

ところで、いまでは新暦の10月を神無月といっていますが、神様の世界では、旧暦の10月を神無月といっています。

日本全国の神々が集まるため、よそと違って「神在月」という出雲ですが、そこの
    出雲観光ガイド
      http://www.izumo-kankou.gr.jp/1275  によれば、
出雲で全国からの神々をお迎えする神事は、旧暦の10月10日に行われています。
ことしは、旧暦10月10日が11月12日とのことで、この日に全国の神々をお迎えする神事が予定されているとのことです。

よく、お年寄りが「10月になると、みんな出雲に出かけてしまって、こっちの神社の神様は、不在になってしまうんだよね」と言っていたのですが、新暦の10月には、まだこちらに神々がいらっしゃるというわけですね。

別の情報によれば、すべての神々が出雲にお出かけになる、ということではないようです。

これから神様にお願いごとがある、という方は、その神様が出雲にお出かけになるかどうか、を神社に確認されたうえで、出雲にお出かけになってしまう前にご参拝されるといいかもしれません。

神様の神無月は、旧暦の10月のことになります。
妙義山の神々が出雲にお出かけになるとしても、新暦の11月上旬までは、まだまだこちらにいらっしゃいます。

これから妙義山は、とても美しい紅葉が見られます。
紅葉の妙義山で、
ジオサイトの魅力を味わっていただくとともに、
妙義山の神社をご参拝ください。