2014年12月29日月曜日

富岡製糸場と絹産業遺産群-1987.3.5を覚えていますか?

ひっそりと終止符

1987.3.5は、片倉工業富岡工場の閉所式が行われた日です。
ひっそりと終止符は、1987(昭62).3.6付けの上毛新聞の見出しから引用させていただきました。

1987.3.5、片倉工業富岡工場内では、社員だけで閉所式が行われ、地元の富岡市長は、片倉工業富岡工場近くのお寺で鐘を撞いていました。
富岡市長は、片倉工業富岡工場の閉所式に招かれませんでした。
このころに仄聞したところによれば、片倉工業と富岡市行政は、良好な関係になく、どちらかといえば険悪な関係にあったそうで、それが社員だけの閉所式になった原因・・・ということでした。
片倉工業と富岡市行政が険悪な関係であったかどうかは知りませんが、長年の間、富岡市内で操業していた工場が操業を停止するとき、住民代表として市長が式に参列し、感謝とお別れのことばを述べるのが〝一般常識〟ではないかとの多くの市民の思いから、「片倉工業と富岡市行政は、険悪な関係なんだってよ」といったうわさが広まったのかもしれません。
操業停止からおよそ10年後の新聞記事です。

片倉工業相談役のコメントが紹介されていますが、
 ① 固定資産税を含めた維持費→7、000万円~8,000万円/年
 ② 建物などの重要さを認識している
 ③ 文化財としてわずかなお金をいただくより、企業の責任において保存、後世に伝える
といった趣旨の内容になっています。

そして、2006年には、片倉工業が富岡市に土地を売却する契約を結びます。
このときの契約額は、16億3千万円とのことでした。
片倉工業富岡工場が「ひっそりと終止符」を打ったあと、片倉工業が守り抜くといっていた建物などが富岡市に売却(建物は、富岡市に寄贈したとのことですが、建物は維持管理に莫大なお金がかかる〝負の財産〟と考えれば、土地とひっくるめて売り払った、というのが常識的な見方ではないかと思います)され、富岡市の所有になり、2014年(操業停止から27年後)には、よもやの世界文化遺産登録となり、さらには一部の建物が国宝に指定されるという、たいへん驚くべきことになりました。
世界文化遺産登録決定後、旧官営富岡製糸場は物見高い人々が訪れ、たいへん賑やかになりました。

この賑やかさがいつまで続くのか・・・・
ある人の予想によれば、来年5月の連休ごろから急速に来場者が減るだろう、ということでした。

来年の夏休みには、富岡市内の商店主らが
 今年は、お客さんが少ないね・・・ 
 これじゃ、商売あがったりだ!
とぼやくようなことになっているかもしれません。

また、来年あたりからは、来場者数の減少と世界文化遺産の維持・保全のための富岡市の財政負担をめぐって、片倉工業が方針転換をした経緯をはじめ、いろいろな〝裏話〟が聞こえてくるかもしれません。

富岡市に住むある女性は、
 引っ越すお金があれば、富岡市以外の土地に引っ越したいな。
 だって、高齢者が増えて、そうでなくてもたいへんなとき、製糸場に莫大な予算が必要になるわけでしょう?
 そのうえ学校給食費を無料(無料化については、議会で否決されています)にしよう、
   なんて言っているひとがいる市だから。
 このまま進めば、私たちへの福祉施策の予算は、どんどん削られていってしまうよね。
    と、ため息まじりに話されました。

これから富岡市は、いったいどういう方向に進むのだろうか・・・

2014年12月20日土曜日

榊原さんが育てた下仁田ねぎのムース

Royal Host

いま、全国のRoyal Hostで、「榊原さんが育てた下仁田ねぎのムース」が販売されています。
この榊原さんとは、下仁田町馬山の榊原盛一さんのことです。

榊原盛一さんのHP「下仁田ドットコム」
http://shimonita.com/

Royal Hostのメニューです。
上から撮った画像です。
斜め横から撮った画像です。
下仁田ねぎのムースは、「日本の美しい食材」のひとつとして、Royal Hostのメニューになっています。
おいしくいただいているところです。
下仁田ねぎの本場である下仁田の下仁田ねぎの味を楽しませていただきました。
すき焼きや鍋物での下仁田ねぎもよいものですが、新しい味が楽しめるムースもよいものだと思います。
どうぞ、Royal Hostにお出かけください。
「榊原さんが育てた下仁田ねぎのムース」を
Royal Hostでご賞味ください。

2014年12月17日水曜日

箱根駅伝-上武大学

連続7回目の出場

私のお正月の楽しみ、そのひとつは、こたつにもぐりこんで、お酒を呑みながら箱根駅伝の中継を視聴することです。
2014.12.16付け・上毛新聞
とくに上武大学が出場することになってから応援に熱が入るようになりました。
甲子園に出場した地元の高校を応援したくなるように、群馬にある大学の学生がががんばっている姿を見ますと、より一層応援に熱が入ります。
撮影:2014.10.29
箱根路の沿道にあるレリーフです。
たくさんの若者がこのレリーフの見える道を駆け上がり、下って行きました。
撮影:2014.10.29
この道を選手が走り抜けて行きます。
撮影:2014.10.29
10月の末でしたが、「試走中」と表示した中継車に出会いました。
早くから中継の準備をされるものなのですね。
撮影:2014.10.29
函嶺洞門のわきには、バイパスが建設されていました。

毎年、さまざまなドラマが生まれる箱根駅伝ですが、来年のお正月には、どのようなドラマが生まれるでしょうか。
そして、上武大学が悲願のシード権獲得なるか・・・

いまから箱根駅伝、とくに上武大学の活躍をたいへん楽しみにしているところです。

上武大学がんばれ!!!

2014年11月21日金曜日

下仁田ねぎ

ご紹介いただくのは、
たいへんありがたいことですが・・・

下仁田ねぎについて、いろいろご紹介いただく記事を拝見していて、とても気になることがあります。
たとえば、ここで取り上げた記事ですが、

「下仁田ねぎが徳川幕府に献上されたことによって、天下一と讃えられ、「殿様ねぎ」「献上ねぎ」という別名でも愛されている」となっているのですが、
江戸時代に徳川将軍家に下仁田ねぎが献上されたという記録は、いまのところ見つかっていません。
この記事には、210年の歴史という表現をはじめ、緑箱に関する説明など、気になるところがいくつかありますが、これは機会があれば別のときに述べさせていただきます。

ネットのなかでも間違った情報が見受けられます。
たとえば、http:///dap/sv/nor1?id=115655932&p=y%23bodyは、

    【下仁田葱は別名「殿様葱」】

   江戸時代には、世に出回り始めて、かの徳川家の嗜好する葱として毎年江戸に
  送られたそうです。

と書かれています。

これからの研究によって、下仁田ねぎが徳川将軍家に献上されたという記録が見つかれば、この記述が正しいことになるかと思いますが、いまのところは、徳川将軍家に献上されていない、が正しいことになります。
下仁田村(当時)の領主である旗本の小笠原家に贈っていたほか、徳川家にも贈っていたというのが箔がついて、かっこいいかもしれませんが、歴史上の事実は歴史上の事実として、きちんとおさえておかなくてはならないと私は思います。

いつごろから下仁田ねぎのことを殿様ねぎというようになったのか、これもたいへん興味のあるところですが、いずれにしても下仁田ねぎの歴史などについて、正しい知識を持ち、それを全国の皆さんにお伝えしたいものです。
下仁田ねぎのすばらしさをPRしていただくことは、たいへんありがたいことですが、すばらしさをアピールしたいがための誇張になり、いわば贔屓の引き倒しになっては困ります。

全国ねぎサミットの会場で、下仁田自然学校文庫「新版 下仁田ネギ 里見哲夫著」を販売させていただきます。
この文庫の57・58頁をお読みいただきますと、徳川将軍家に献上していなかった(いまのところ、献上したという記録が見つかっていない)ということもおわかりいただけるかと思います。

「新版 下仁田ネギ 里見哲夫著」をご購読いただき、全国の皆さんに下仁田ねぎをご紹介いただければ幸いです。

下仁田で開催される全国ねぎサミットが、下仁田ねぎの歴史や文化などを多くの方々に正しく理解していただき、下仁田ねぎの特産地としてのブランド力の向上に資するものであってほしいと、心から願っているところです。

2014年11月18日火曜日

写真投稿-NHK「ほっとぐんま640」

かわいいパンジーの写真が採用されました!!!

きょう(2014.11.18(火))のNHK「ほっとぐんま640」で、かわいいパンジーの写真を紹介していただきました。
 紹介していただいたのは、番組のおわりのほうの「好きです。群馬」のコーナーです。
こちらが紹介していただいた写真です。
妙義山麓にある富岡市立妙義ふるさと美術館前で撮影したものです。
「好きです。群馬」のコーナーで紹介していただくのは、夏の虹(↓のブログ)に続いて2回目となります。

http://geogunma.blogspot.jp/2014/08/nhk640.html
大きな虹の写真が採用されました!!!

富岡市立妙義ふるさと美術館前には、たくさんのパンジーが植えられています。
まもなくモミジの葉は散ってしまうと思いますが、パンジーのかわいい花は、まだまだ見られると思います。

美術館の展示をご覧になったり、妙義山を眺めたり・・・
もちろん、かわいいパンジーの花を見て、すてきな時間を過ごしてみませんか。

いよいよ11/22日(土)・23日(日)には、下仁田で「全国ねぎサミット」が開催されます。
下仁田で「全国ねぎサミット」を楽しまれたあと、妙義山をまわる・・・というのもよいかと思います。
ジオパーク関係は、サブ会場Bになっています。
サブ会場Bには、下仁田自然学校・日本ジオパーク下仁田応援団のブースも設けていただくことになっています。

どうぞ、11/22日(土)・23日(日)には、下仁田にお出かけください。

2014年11月17日月曜日

公約は有権者との契約行為?

衆議院解散・総選挙

財源とか制度などを考慮せず、
 〇〇を無料化する
 〇〇を新規に始める
 〇〇を建設する
・・・という〝気前のよいお約束〟を掲げる政党、候補者がいますが、こういった政党・候補者に対して、なんらかのペナルティを課すことができないものなのだろうか、と選挙のたびに思います。

たとえば、A党とB党が、
 A党→財政状況を十分に理解し、なおかつ将来のことも考え、とても無料化できる状況ではない。
 B党→財源をひねりだしてでも無料化を実現する。
と主張して、選挙戦を展開したとしましょう。

もちろん、この主張のみで有権者はAかBを選ぶのではなく、この主張以外の政策や経験なども考慮して、AかBを選ぶことになると思うのですが、これまでの国政選挙を見てみますと、後先を考えずに〝気前のよいお約束〟を掲げる政党や候補者が当選する傾向があります。

来月には、衆議院解散・総選挙とのことですが、いわば人気取りとしか考えられないことを主張する政党や候補者は、ただたんに自分が属する政党が議席を増やし、さらには自分が当選すればよいだけであり、わが国の人々のこと、財政状況のことなど、将来の日本のこと全体を考えていない、と理解してよいと私は思っています。

これまで、〝気前のよいお約束〟を掲げる政党や候補者を当選させたことによって、わが国の政治や経済を混乱させられてきた苦い経験をふまえて、有権者である私たちは、しっかりとした考えで政党や候補者を選びたいものだと思います。

いまの選挙で改善すべき点は、いろいろあるかと思うのですが、私はつぎの2点を提案します。

① 公約(マニフェスト)は、有権者との契約行為であり、当選後に公約に違背したときは、これを契約不履行ととらえて、政党の活動停止や公民権停止等のペナルティを課したらどうか、というものです。
 〝気前のよいお約束〟を掲げる政党が勝利して、その約束を実現できなかったときは、懲りさせることが必要なことだと考えます。
 いまは、つぎの選挙で議席を減らすことがペナルティになっているのですが、ときに政治や経済を大混乱させた重大性を鑑みるとき、もっと厳しいペナルティを用意しておくべきだろうと私は考えます。
 厳しいペナルティがないがために、いつまでたっても無責任と思われる耳触りのよい主張しかしない政党や候補者が登場することになる、と思っているのですが・・・

② A候補とB候補のふたりが立候補したとして、いまの選挙制度ではAかBのどちらかを選ぶしかありません。
 このA候補とB候補のふたりがともにすばらしい人物であればよいですが、そうでないときには、どちらにも×(不信任)ができるシステムに変更すべきであると私は思っています。
 小選挙区制度の1人区の場合、立候補者の所属政党内で調整が終われば、当選が決定したも同然の状況になることもあり、選挙で有権者が選ぶ余地は、事実上まったくないということもあります。
 いまの選挙制度は、ふさわしい人物が立候補するという前提でつくられていますが、実態はかならずしもその前提通りではありません。 
 その実態に対応するため、A候補とB候補に対する信任投票を実施するのです。
 候補者の〇(信任)が×(不信任)より少ないときは、ふたりとも〝落選〟となり、選挙のやりなおしをします。
 再選挙は1回のみとして、落選したA候補とB候補は立候補できず、ほかの候補者での選挙となります。
 再選挙の候補者が現れず、また再選挙が実施されたとして、その再選挙でも信任が得られないときは、その選挙区での当選者なしとして、つぎの総選挙までは、空白区としておくというのがよいと思います。
 その選挙区内には、ふさわしい人物がいなかったのですから、ふさわしくない人物を当選させて、その人物に貴重な公金を支給することもないだろう、というのが私の考えです。

それにしても、①と②は、だれが決めるのかといえば、国会ということになります。

公約違背に対する厳しいペナルティづくり、政党推薦の候補者が信任を得られないときは空白区で・・・、といったことは、与党も野党もしたくないでしょうから実現困難なことだと思うのですが、いまの投票率の低さには、こうした政党の無責任ともいえるマニフェスト、どうせ決まっているのだからという小選挙区の実態に対して、多くの有権者がさめているからではないでしょうか。

以上は、衆議院解散・総選挙にあたっての私の雑感です。

身近な富岡市での場合ですが、今年の春の富岡市長選挙において、学校給食無料化を選挙公約とした候補者が当選しました。
ほかの候補者は、学校給食無料化は財政的に困難と主張していたと記憶しています。

小中学校の給食費無償、市長が表明…群馬・富岡
 群馬県富岡市の岩井賢太郎市長は11日の市議会一般質問で、10月から市立小中学校の給食費を無償にすると表明した。
 対象となるのは小中学生計4079人(4月末現在)の給食費で、未就学児は含まない。市が負担する費用は年間約2億円。今年度分として1億円を9月に予算化する方針。
 小中学生の給食費無償化は4月の市長選で返り咲いた岩井市長が選挙公約に掲げていた。答弁で「財政状況は厳しいが、すべての行政経費を見直してでも財源を生み出し、ぜひ続けていきたい」と語った。
20140612 1432 Copyright © The Yomiuri Shimbun


群馬県富岡市、第3子から給食無料 子育て支援10月実施
 富岡市の岩井賢太郎市長は22日の記者会見で、市内小中学校の児童生徒で各家庭の第3子から給食費を無料にすることを明らかにした。
 9月補正予算で必要な措置を行い、10月から実施する。
 今年4月の市長選で岩井市長は全児童生徒の給食費無料化を公約の一つにしていたが、「子育て支援では違う方向に予算をかけるべきだとの声もあった」とし「段階的に進めていきたい」と述べた。同時に、給食について協議する検討委員会を立ち上げ、給食費のほか、食育への取り組みなどを含めて対応することも明言した。
 9月補正では、本年度に対象となる184人の児童生徒の給食費456万3000円を計上する。
 市長選での公約として掲げていた新庁舎見直し問題では、現在の4棟分棟形式を見直し、2階をフロアでつなげる2棟方式とする考えを明らかにした。
 行政棟と、教育委員会なども入る議会棟で構成、3階建てになる。現在の計画と比較すると床面積で約200平方メートル縮小となる。岩井市長は「4棟に分かれている点が市民に理解されない面があった」などと話した。
 また、岩井市長は多くの見学者でにぎわう富岡製糸場で狭くなっている繰糸場入り口を一方通行にするよう文化庁と調整していることも明らかにした。「1週間程度でできる出口の整備工事で、トイレ整備と同じ9月に着工したい」と述べた。
産経ニュース 2014.8.23 03:04


給食費無料化は白紙 富岡市議会「時期尚早」 群馬
 富岡市議会は9月定例会最終日の25日、当初の本年度一般会計補正予算案から給食費無料化の補助金を削除した修正案を全員一致で可決した。
 給食費無料化をめぐっては、岩井賢太郎市長が4月の市長選で「全ての児童生徒の給食費無料化」を公約に掲げ、9月定例会で「きょうだい3人以上が市内小中学校に在学中の家庭の3人目以降」を対象にした184人分、456万3千円の無料化補助金を含む補正予算案を上程。付託された社会常任委員会で異論が上がり、賛成少数で否決されていた。
 この日の本会議では、委員会で否決した議員から「子育て支援の充実を図るなら給食費も含め支援対策制度として整備すべきだ。あらゆる角度から調査検討を重ねる必要があり、現時点では時期尚早」などとした補助金削除の修正案が提案され、賛成多数で可決。続いて、削除部分を除く原案が全員一致で可決された。
 給食費無料化が白紙になったことについて、岩井市長は「時期尚早とはわからないが、よく考えていきたい。だが、給食費無料化を第3子から始め、全児童生徒に拡大させるとの思いは変わっていない」と述べるなど強気の構えを崩していない。

産経ニュース 2014.9.26 07:01

いまの時代にあって、
 〇〇を無料化する
 〇〇を新規に始める
 〇〇を建設する
・・・という〝気前のよいお約束〟を掲げる政党や候補者には、気をつけたいものだと私は思っています。
〝気前のよくないお約束〟を掲げる政党、候補者がいたら、その主張するところをよく聞いて、どちらの主張がよいかを見極めたいものです。

2014年11月12日水曜日

下仁田インターチェンジを出てみると・・・

この看板、どう思われますか?

下仁田インターチェンジを出て、国道254号との交差点に出るとき、真正面にこれらの看板を見ると思います。
ジオパークなどの活動に参加させていただいていますが、この看板での「地質の宝庫」という表現は、いかがなものなのかなと思ってしまいます。
この看板の設置(表示)目的が世界遺産に登録された荒船j風穴への案内であって、その道筋にある施設等を紹介したいというものであれば、「ようこそ 地質の宝庫 下仁田へ」と表示せず、むしろ「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」とでも表示したほうがよかったかもしれません。

荒船風穴がジオサイトのひとつであり、この看板の下にある自然史館の案内標示と対になった表現として、「ようこそ 地質の宝庫 下仁田へ」と表示したのかもしれませんが、やはり下仁田といえば、なんといっても下仁田ねぎとこんにゃくが有名であり、その歴史的・文化的な面をアピールすることが大切ではないかと思うのです。
そのうえで、下仁田町は、ねぎとこんにゃくのほか、日本ジオパークに認定されていて、とても地質などの見所が多いまちでもあるのですよ、というアピールがよいのではないでしょうか。

荒船風穴がジオサイトのひとつであることをはじめ、下仁田町がジオパークに認定されていることを知っている方々であれば、この表示で意味が通じるかもしれませんが、やはり一般的には、下仁田といえば、下仁田ねぎとこんにゃく、をメインにした表示がよいと私は思います。

いつまでも下仁田ねぎとこんにゃくに頼っていられない、新たな名物として、地質や荒船風穴を売り出そうとして、この看板を設置したのかもしれませんが、これまでの先人のご努力、いまもがんばって下仁田ねぎとこんにゃくを栽培したり、こんにゃくなどを加工されている方々への配慮が足りないように私には感じられます。

下仁田ねぎとこんにゃくの栽培、加工は、下仁田町の文化そのものであり、下仁田町の歴史をつくってきた立役者といってよいものです。

そして、ジオの恵みとして、いまジオパークという視点で、下仁田ねぎとこんにゃくを考えていこうというときにあって、下仁田ねぎとこんにゃくが表示されていない看板を見ますと、とても残念な感じがします。

日本ジオパークの案内看板であるときは、「ようこそ 地質の宝庫 日本ジオパーク下仁田へ」と表示することでよいと思うのですが、高速道路から出て来られた方々を荒船風穴に誘導する目的の看板ですので、「ようこそ 地質の宝庫 下仁田へ」といった表示をせず、また、「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」といった表示もせず、いっそのこと、こんな看板(↓)にしたほうがすっきりすると私は思います。

もうすこししますと、全国ねぎサミットが開催されます。
全国ねぎサミットで下仁田町に来られた方々が、下仁田インターチェンジを出て、まず目にする看板をご覧になって、
 あれ・・・?下仁田ねぎが書かれていない!!
と驚かれるのではないかと、そんなことを心配してしまいますけれど。

道の駅で休憩していただいて、また、道の駅の観光案内所に立ち寄っていただく意味で、看板に道の駅しもにたを加えるほか、有名な神津牧場の方向にあることをわかっていただくため、神津牧場を表示する程度で、いたってシンプルなものにしたほうがよいと私は思うのですが、いかがでしょうか。

また、下仁田町の一般的な観光案内看板には、「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」といった表示をするとか、いろいろ工夫をして、適切な広報を展開していただくことを願っています。

2014年11月11日火曜日

下仁田ねぎ・下仁田こんにゃく

おいしい季節がやってきます

これから寒くなってきますと、下仁田ねぎが一段とおいしくなってきます。
撮影:2014.11.11
馬山丘陵のねぎ畑です。
遠くに見える山は、四ツ又山・鹿岳などです。
馬山丘陵から眺める下仁田の山々は、とても美しく、馬山丘陵は私が大好きな場所のひとつです。
撮影:2014.11.11
馬山丘陵では、こんにゃくいもの掘り取りが始まりました。
これから農家の方々は、こんにゃくいもの掘り取りをはじめ、ねぎの掘り取りなどで、とても忙しい毎日を送ることになります。
撮影:2014.11.11
道の駅しもにたでは、下仁田ねぎの販売が始まっています。
撮影:2014.11.11
これからの時季には、たいへん見慣れた下仁田ねぎの販売風景ですが、私には奇異に感じるものがあります。
それは、上の画像の中央にある葉鞘部が白い下仁田ねぎが散見されることです。
深谷ねぎなどは、どろなどを落として、まっ白にした姿で出荷されていますが、下仁田ねぎは、どろ付きであるとこが基本であると思っている私には、まっ白な姿にされて、販売されている下仁田ねぎを見ますと、とても悲しい気持ちになるのです。
たしかに、いまの消費者の方々の多くは、どろ付きの野菜を敬遠されるかもしれませんが、どろ付きの下仁田ねぎこそ、先人の知恵がつまった姿であり、どろ付きには、保存のための合理的な理由があることをアピールすれば、きっと多くの消費者が理解してくれるのではないかと思うのです。
2014.6.22付けの上毛新聞で、南牧村の「蒟蒻平八」と呼ばれた茂木平八氏、下仁田ねぎの品種改良に功績があった松浦源一郎氏を紹介させていただき、先人の知恵と熱意を学ぼうと提案させていただきました。
いま、道の駅しもにたで販売されているまっ白な姿の下仁田ねぎについて、消費者のもとめに応じたものとして、これからも継続していくのか、それとも先人が保存しておくために、どろ付きで出荷してきた伝統を維持するのか、下仁田町で下仁田ねぎを栽培し出荷されている皆さんが、これから先のことをよくお考えになったほうがよいのではないか・・・と、私は思っています。
下仁田における下仁田ねぎ・下仁田こんにゃくは、それらを栽培してきた方々をはじめ、加工や流通に携わった方々など、すべての先人の知恵と熱意の賜物なのですが、下仁田で開催される全国ねぎサミットにおいて、そうした方々への顕彰などがないことは、とても悲しいことだと私は思っています。

先日、ある方が「下仁田は、地元の文化を大事にしないところだ」 とおっしゃったことがありました。
その方からは、いろいろなことをお聞きしたのですが、これ以上のことを紹介いたしませんが、私は、地元の文化を大事にするというのは、先人への感謝につながることであると理解しています。

たとえば、まっ白な姿の下仁田ねぎをどうするのか・・・

地元の文化、歴史をふまえて、下仁田ならではのスタイルを確立することが、これからの時代において、生き残りに有効な手立てではないかと思っています。
なぜなら、いまは下仁田以外の地で、下仁田ねぎが大量に栽培され、それらが下仁田ねぎとして、大量に市場に出回っている現状を踏まえるとき、下仁田以外の地には、下仁田ねぎの栽培に心血を注いできた歴史がない(といえば失礼だとすれば、歴史が浅いとしておきましょう)のです。

先人が築きあげてきた歴史(伝統といってもよいでしょう)をふまえて、下仁田ならではのスタイルを確立しなければ、下仁田における下仁田ねぎ、そのブランド力は、簡単に消え去ってしまうことでしょう。
これからも
  下仁田の下仁田ねぎこそ、ほんとうの下仁田ねぎだ 
と多くの方々に評価していただく地であってほしいと、私は思っています。

そのためには、
   下仁田の文化と歴史を大事にしていただきたいと、そして、
     先人への感謝を忘れないで・・・と、
たいへん生意気ですが、そのようにも思っています。
撮影:2013.12.3
もうすこしすれば、道の駅しもにたなどで、贈答用の箱詰めの販売が始まります。

見て楽しい・歩いて楽しい・食べて、飲んでおいしい
日本ジオパークの町・下仁田に

お出かけください!

2014年11月10日月曜日

群馬県の魅力度

低いのは当たり前??

ブランド総合研究所の調査結果について、これもひとつの考えに基づく調査であり、その調査結果に一喜一憂する必要はない、というのが私の基本的な考え方です。
でも、「茨城県と最下位争い」などという見出しの新聞記事などを目にしますと、群馬県に住むひとりとして、やはり心中は穏やかではありません。
群馬県は、大きな自然災害の被災が少ないうえ、私が住む地域では、たまに雪が降りますが、それとてすぐに融けるほど(今年2月の大雪は、まさに別格のできごと)であり、交通網が発達していて、とても住みやすいところだと私は思っています。

ブランド総合研究所のホームページで、地域ブランド調査2014の概要が紹介されていますので、調査項目などについては、こちらをご覧になってください。

地域ブランド調査2014
http://tiiki.jp/news/05_research/survey2014

地域ブランド調査2014 パンフレット
http://tiiki.jp/news/05_research/survey2014/2285.html

こうした調査において、群馬県は魅力度が低いといわれますが、「それは調査項目がおかしいからではないか?」といった疑問はさておいて、魅力度が低い大きな原因のひとつに、群馬県の宣伝べたがあるように私には思えるのです。

たとえば、群馬県のおとなりの長野県に行きますと、工夫をこらした観光案内パンフレット類が各所に置かれていて、それらを見て、
  つぎは、ここに行ってみたいな
と思わせてくれるのですが、群馬県の観光案内パンフレット類に、そのような気持ちを抱かせるものがあるでしょうか・・・

観光案内のパンフレット類以外、たとえば高速道路の観光案内を見てみましょう。
関越道の上里SAにある群馬県の観光案内です。
NEXCO東日本(東日本高速道路株式会社)が設置されたと思いますが、こうした案内標示を設置していただける、というときは、群馬県がNEXCO東日本にお願いして、もっと群馬県をアピールする内容にしてもらうとか、いろいろと効果的な宣伝を考えるべきでしょう。
たとえば、世界遺産に登録された4資産を強調するとか、
  群馬県に来たときは、ここも見て行ってください
というアピールをすべきでしょう。
なにもかも一律に並べて、ぽんと表示しておくだけでは、だれも見てくれないでしょう。
ましてや、トイレの前に設置されているわけで、忙しくトイレに駆け込む人々の目を引き付けておいて、さっぱりしてトイレから出てきたあと、ゆっくり見てもらうようにするためには、ひと目でひきつける工夫をこらした案内標示でなければなりません。
旧官営富岡製糸場ほかが世界遺産に登録され、4か月余も経ているなかで、まったくこれをアピールしようとしない群馬県の姿勢こそ、魅力度が低い群馬県になっている大きな原因ではないかと私は思っています。

北関東道の波志江PAに設置されている群馬県観光案内マップです。
見るのがいやになってくるほど、いろいろなものがごちゃごちゃ書いてあります。
もっとすっきりしたものにできないのだとうか、と思って眺めているのですが、なんのために設置しているのか、これを見る人の利便性を考慮してない案内マップのひとつといってよいかもしれません。
たとえば、ここでも富岡製糸場が紹介されているのですが、世界遺産のほかの資産については、紹介されていません。
設置後の状況変化に対して、もっと機敏に対応すべきであり、機敏さもなく利用者に見ていただく工夫もしない群馬県の宣伝姿勢こそ、魅力度を低くしている要因といえるのではないかと私は思います。

世界遺産の登録に向けて、また登録後も群馬県は、多額の公金を投じているわけですが、こうした投資効果を群馬県全体にもたらさなくては、なんのための世界遺産登録であり、なんのために多額の公金を投じたのかといった批判が出てくるのではないでしょうか。

経済効果だけでなく、世界遺産がある県、世界遺産がある市というイメージアップによる効果が大きい、だから経済効果だけを言うことはおかしい
と考える方もおられます。
たしかにこれも一理あるお考えですが、このお考えの根底には、投資した公金以上の経済効果を数字で証明できない言い訳があるように私は感じます。

投じた公金と得られる(得られた)利益(経済効果)について、地方自治体は、しっかり住民に説明することが重要だと思います。

そうした意味でも群馬県は、もっとうまく宣伝をして、群馬県の観光地が世界遺産の波及効果による県内全体での観光客増、群馬県のイメージアップ、知名度の向上を積極的に図るべきではないでしょうか。
いろいろ手を尽くしても、世界遺産登録の効果を持続させることは、極めて難しいことだと思います。
すぐに世界遺産登録のことが忘れ去られ、近いうちに旧官営富岡製糸場などに閑古鳥が鳴く日がくるかもしれません。

いまのままでは、世界遺産に登録された資産だけでなく、群馬県全体の観光地でも閑古鳥が鳴く日がくるような、そんな気がしています。←私の杞憂であればよいのですが。

もちろん、ことはこのように単純なことではなく、いろいろなことが複雑に絡み合っているものですが、ものごとをシンプルに考えれば、そのときどきの状況に応じて、機敏に適切に宣伝を行うことによって、かなりの効果を得ることができるのではないかと私は思っています。

 

2014年11月5日水曜日

富岡製糸場と絹産業遺産群-富岡市の養蚕

養蚕農家に明るい未来が
やってくるのだろうか・・・

今年の6月、富岡製糸場と絹産業遺産群として、世界文化遺産に登録された旧官営富岡製糸場では、先に場内の3棟が国宝に内定したということもあって、多くの方々で賑わっているとのことです。
2014.11.2(日)には、最多入場者の記録が更新されたとの新聞報道がありました。
この日のようすは、旧官営富岡製糸場に行っていませんので、どの程度の混雑ぶりであったかわかりませんが、今年の8月31日の午後に旧官営富岡製糸場に行ったときは、このようなようすでした。
とても暑い日であったと記憶していますが、夏休み最後の日、しかも日曜日とあって、多くの方々がガイドさんに案内されて、場内を見学していました。
しかし、見学を終えた団体客の方々は、すぐにバスが待機している駐車場に向かい、富岡市内の宮本町通りなどを歩いている・・という団体客の方々は、まったく見かけませんでした。
富岡市内の宮本町通りのようすです。
以前、旧官営富岡製糸場でお会いした方にお聞きしたところでは、
 「このあと、甘楽町のこんにゃくパークに行って、そこで無料の試食をいただくことになっている」
とのことで、富岡市内を散策する時間がないとおっしゃっていました。
旧官営富岡製糸場内と駐車場、それをつないでいる道路は、たいへんにぎやかですが、富岡駅前通りをはじめ宮本町通りなどは、たいへんさびしい(富岡駅の利用者があるときは、その方々が降車して駅前を歩きますので、そのときはいく人かの人が歩いています)状況になっています。
富岡市に突如(といった感じを私は受けています)として、世界遺産登録、国宝に内定といった慶賀すべきことがおこったわけですが、富岡市民にとって、たいへんよいことがもたらされた世界遺産登録であり、国宝内定といえるのだろうか、私はつよく疑問に感じています。
たとえば、「蚕育成 市民を公募」の記事ですが、この記事を読んだときの感想を正直に述べれば、

 こんな飼育で生産した繭でつくったものを「富岡シルク」というのか?? 
 かつて、心血を注いで、良質な繭を生産してきた養蚕農家あってこそ、養蚕県群馬であったはず!!
 品質がふぞろいな繭で、なんらかの絹製品に活用するというが、一生懸命にお蚕を飼って、良質で均質な繭を出荷してきた養蚕農家に対して、また消費者にも失礼なことではないか??
 いくら世界遺産登録によって、旧官営富岡製糸場に多くの方々が来られているからといって、このような安直な考えによる「富岡シルク」であれば、つくられる絹製品の品質がよいはずがないと思われても仕方ないことだろう。

というもので、けっして良い考えとは思えませんでした。
そもそも養蚕業が衰退したのは、お蚕を飼って、繭を売ったところで、それが儲けにならないから、という簡単な理由によるものです。

以前、このブログで、こどものころの思い出として、親が養蚕をしていたこと、それを手伝ったことなどを紹介させていただきました。
  http://geogunma.blogspot.jp/2014/07/blog-post_9.html

いま、世界遺産登録によって、繭や養蚕、製糸といったことについて、きちんと将来を見据えることなく、なんとなくふわふわと動いているような・・・、いまの状況について、私はとても心配しています。
 この記事の見出しにある「今しかない」は、下の碓氷製糸組合長のことばからとったものなのでしょう。
世界遺産だ、国の宝だと騒がれなくなったとき、いったいどうしていくつもりなのだろうか、と心配してしまいます。←大きなお世話ですけれど。

富岡市内でも若い人が養蚕をされていると報じられていますが、これから将来にわたって、その方が結婚し、子育てができるといった暮らしに必要なお金を養蚕で稼ぎ出すことができるのだろうか・・・と、こちらも心配してしまいます。←これも大きなお世話ですけれど。

私には、旧官営富岡製糸場が世界遺産に登録され、場内の3棟が国宝に内定されたからといって、富岡市における養蚕に明るい未来が待ち受けているとは、まったく思えないのですが・・・