2016年11月29日火曜日

条件付き再認定から1年(続き)

現地再審査報告

きのうのブログ

条件付き再認定から1  このジオパークは今・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2016/11/1.html

の続きです。

ここで紹介する現地再審査報告は、公開版として、ネットで誰もが見ることができます。
きのうのブログにおける〝このジオパーク〟に関する現地再審査報告の全文は、ネットで検索してお読みいただければ幸いです。
ここでは現地再審査報告の中から、私が関心を持った部分を抜き出し、それを紹介させていただきます。
なお、固有名詞は××(伏字)とし、必要に応じて改行、文字飾りを本多が行いましたが、文面の変更はいっさい行っていません。

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各ジオサイトの状況は、事務局によって把握されていない。ジオツアーが行われる際に、案内者がその場の状況を確認する程度であり、計画的にモニタリングは行われていない。
また、各ジオサイトの保全管理計画も考えられておらず、後述する地球科学的な価値の明確化とともに、改善が必要な点である。

現在の××箇所のジオサイトについては、保全の対象とならないもの、見学施設、科学的価値が明確でないものが含まれているため、整理が必要である。特に地球科学的価値が明確でないものについては、今後、調査・研究を進める必要がある。


この地域の特産品である×××××、×××××については、このジオパークの地学的背景と関連させて説明しようとする努力はみられるものの、まだ調査、研究が不十分であり、ジオツーリズムの素材として十分に活用されているとはいえない。

この地域の地学的背景を語る際の良い資源となるものであるが、そうしたことを示すジオストーリーは、十分に検討されているとはいえない。

ジオサイトに設置されている看板の内容が難解であるため、認定審査時に修正が求められていた。それについては、対応がすすめられ、科学情報の発信方法については改善がみられる。

ただし、説明の対象となっているものの多くは、この地域の構造地質学的な特徴である。たとえば×××や×××では地質学的な説明はあっても景観の地形学的な説明はほとんどない。
表現を易化するだけでなく、この地域に存在する地学的資源について改めて検討したうえで、それぞれの地学的特徴の説明をしていく必要がある。

今後、多面的な調査、研究を進めるため、ジオパークとして研究を奨励し、その情報の蓄積と情報発信をはかる必要がある。

今後、ジオサイトの見直しと各ジオサイトの科学情報の更新を継続的に進めていく活動を意識的に進めていくことが必要である。

域内の中学校において、総合的な学習の時間を用いて、地球科学についての基礎的な知識や、地域の地質の特徴について理解する機会、また×××ジオパークをPRする活動などが行われている。

ジオパークが教育機関と連携をとり、実施されているもので、その取り組みは評価できる。ただし、その内容については、本審査で見たものは、一部で高度なものを扱っており、生徒の他の教科における学習内容を考慮した内容になっているのか、また生徒の興味を引くものになっているか疑問が残る。
ジオパーク活動における教育活動は、基本的な活動の一つに位置づけられており、その方針については、それぞれのジオパークにおいて、十分検討されたものである必要がある。ただ単に、「地域の地学的背景を学ぶ」、あるいは「地学についての発展的内容を扱う」というものにするのではなく、×××ジオパークとしてのジオパーク学習(教育)をどのように行うのか、その教育内容や方法について、×××ジオパークの関係者が、教育や地球科学の専門家と協議したうえで、内容を検討し、構築していくことが必要であろう。

ジオパークにおける教育については、地域の地学的資源の評価とともに、国内外で行われているESDの実践なども参考にし、その内容について十分な検討が必要である。現状では、そうした検討が不十分であるように思われる。今後、内容の精査など見直しが必要である。

この地域で発行されている書籍類などは、×××ジオパークの発行物にはなっていない。
元々活発であった既存の団体が、×××ジオパークができたことによって、どのように発展したのか現状では不明である。
今後、×××ジオパークとして、地域の研究活動の推進にどのように貢献したのか、分かるようにすることが望まれる。

現在、×××ジオパークの予算ならびに意思決定といった運営の主体となっているのは、×××町である。

推進協議会が存在するものの、そこはジオパークとしての意思決定機関とはなっていない。
実質的には、×××町役場の一組織であるジオパーク推進室が、予算や活動方針などの決定を行い、推進協議会の会長である町長の責任において実施されているという状況である。

推進協議会が組織として、この予算、決算について議論することはない。

×××××××が存在していたことがこの地域でのジオパーク活動を始めるきっかけになったことは理解できるが、認定後4年たった現在において、町の受け持つ事務局と×××××××の分掌がはっきりしていない状況であるのは、好ましい状況ではない。
管理組織、運営体制の整備をすすめ、各機関、団体の役割を明確にする必要がある。

町、×××××××、日本ジオパーク××××××の活動は、×××ジオパークの名の下で進められているが、それぞれの組織がシステマティックに結びついているわけではない。そのような状況であるため、どこがジオパーク活動の主体であるのか、また責任の所在がどこにあるのか、不明瞭な状態で活動が進められているといえよう。

現状では、×××ジオパークの活動規模がそれほど大きくないため、活動の中で大きな問題は発生していないようである。
しかし、こうした方式は、閉鎖的な組織運営であり、ボトムアップの活動とはいえない。

ジオパークに関わる人あるいはこれから関わろうという人が、活動に対して意見を述べる機会を事務局は、制度として整えなくてはならない。

今後は、組織や活動の内容、会計の透明化をはかり、
様々な人や団体が関わることができるガバナンスの方法を検討する必要がある。


これまでガイド養成講座を受講した人が、主体的に日本ジオパーク××××××という組織をつくり、×××ジオパークを盛り上げようと活動している。

こうした活動は、評価できる動きである。一方で、この団体が、×××ジオパークの全体の計画のなかでどのように位置づけられているのか、不明である。
明確な位置づけをし、こうした団体の活動を、推進協議会事務局が支援し、同時にこうした団体からの意見を吸い上げる仕組みが必要である。
日本ジオパーク××××××が自発的に誕生したことは、地域住民の中でジオパーク活動を進めていこうという機運の顕れとみることができるが、今回の審査時のガイド内容から判断すると、ジオパークのガイドとしては、今後相当なレベルアップが必要であると思われる。一般的な、また日本列島スケールの、さらにそれぞれのジオサイトにおける地球科学、地理学的な情報に乏しいことがしばしばあった。各ガイドの継続的な研鑽が必要であり、推進協議会事務局はその方策の検討をすべきであろう。


×××ジオパークでは、認定後の4年間の活動のなかで、認定時に指摘された点について改善がはかられてきた。

しかし、そうした活動を進めていく中で、ジオパーク活動の根本ともいえる、地域の自然資源の評価とその保全方法の検討や、×××ジオパークのステークホルダーとの関係性の構築、ガバナンスのあり方の検討、さらにはこの地域の目指す方向の検討など、活動の根幹に関わる部分については、組織体として主体的に議論を積み上げてはきてはいないように思われる。


現状のままで、この地域においてジオパークの活動を進めていった場合、おそらくこの4年間の活動の延長としてジオパーク活動が行われると想定される。
そうした場合、×××ジオパークにおいては、ジオパークという仕組みが、地域の諸問題の解決において何も貢献しないように思われる。
×××町の人口は、平成17年には×××××名いたが、審査時には××××名であった。

毎年×××人ずつ減少しているこの町で、日本ジオパークを名乗り続けることのメリットと、投資しなければならないリソース配分のバランスについて根本的に見直し、推進体制を再構築した方が良いと考える。

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このジオパークは、来年の秋(条件付き再認定から2年後)に再(々)審査を受けることになっています。

2016年11月28日月曜日

条件付き再認定から1年

このジオパークは今・・・

いま、日本ジオパークは43地域、その43地域のうち、8地域が世界ジオパークになっています。
日本ジオパークネットワークのホームページ(↑)を見ますと、これからジオパークの仲間に入りたいという地域が14地域もあり、わが国でジオパーク活動が始まったころを知っている私としては、ずいぶんと数が増えてきたなという思いがしています。
最近では、NHKの人気番組「ブラタモリ」で、多くのジオパークが取り上げられるようになり、いまや「ジオパークって、な~に・・?」という方は少なくなり、多くの方々に知られるようになってきたと感じています。
以前、このブログで紹介したことがありますが、ジオパークがはじまったころ、ネットで「ジオパーク」を検索しますと、NHKの番組「スタジオパーク」がずらずらっと画面に出てきて、ジオパークそのものを見つけることが困難であった、そんな状況でした。

今年もいくつかのジオパークが再認定審査(1回/4年)を受けられたとのことですが、昨年の再認定審査では、審査合格!といったことにならず、残念なことに保留といいますか、条件付きで再認定になったジオパークがありました。

そのなかのひとつについて、審査した委員会の会議録がネットで公開されていますので、それを紹介してみましょう。
ここで紹介するにあたり、固有名詞は××と伏字にしました。
また、私が興味をもった部分などは、文字飾り等をしましたが、そのほかの本文はネットで公開(ご覧になりたい方は、ご自分で検索してください)されているままです。

すこし長いかもしれませんが、再認定審査の状況がわかる資料ですので、どうぞご一読ください。

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委員:教育委員会の責任者が誰も応対しないという状況。3 人××に前泊して××××で 1 時間ほどで現地に入った。看板などはあるのだが、ジオパークに来たと感じさせるものがあまりなかった。率直に言って、根本的には体制の問題が大きいと思う。


ジオパークになった当初は教育委員会の中に推進室がおかれていたのだが、いつからか×××町の観光振興係にうつした。×××××と××××××の××××が××××となり、その××××については教育委員会が担当、ジオパークは観光振興課が担当するという仕分けができたと想像する。そのふたつの連携がうまくいっていない。看板がわかりやすくなったところもあるが、まだまだ問題あり。


××と×××××が重要な特産だが科学的な意味を研究することがまだされていない。それぞれいいところと改善すべき点が多々ある。教育委員会で雇用された人が××××の説明をするが、そこでなぜ××××ができたことの説明がなかった。細かくてできないとのことだった。ガイドの人も一緒になっていないという状況。


住民参加については××××××という体制ができて、やる気のある方が参加されているのは進歩だと思った。しかしツーリズムを基本にやっていこうということがでているのだが、まだまだ全体として足りない。7-8 年前に 1 万人いた人口が今、8 千人程度になっている。


これからどんどん人口が減っている中でジオパークを基本にすえて×××を活性化させるにはまだまだ問題がある。ジオパークを中心にして地域振興をすすめてもらいたいと思うので体制を今一度見直してもらいたい。


それを再認定の条件にしないと自慢できるジオパークにはならないだろう。


委員:公開版のジオサイトと保全のところ。ジオサイトの科学的な説明が不十分なところがある。この地域でもともと活動している×××××××という地質学者の研究成果に基づいているところ、4 年間の中で大きな進歩があったとは言い難い。看板は毎年予算をつけてわかりやすく変えられているが、日本列島の地質構造を地質の切り口で説明するところが、根本的にわかりにくい。


地形地質を別の視点で説明することができていない。その後の調査もあまり積極的にされていない。地形学的に説明しようとすればできるところがされていない。××、×××××も。違う視点で説明しようとせずわからないところをそのままにしている。


地学的な××としての価値でなく、世界××××に認定された××はどういうものかという説明だけ。その地質構造とかも加えれば立体的な説明になる。××××になった××××が×××の中にあるということで全面的に出してはいるが、ジオパークのなかの位置づけは不十分。教育委員会が管轄することになったのでジオパークの事務局としては把握していない。


もともと地元で地質の調査をしていたグループによる教育活動は評価されていたが、その授業を実際に拝見した。中学生に非常に高度な地質年代の話などをしており、どのような教育をすればいいかということが共有されておらず×××××××にまる投げしている。地質学の高度な論文を書く人が教育の場でジオパークとして何を教えればいいかということを共有していない。


管理組織運営体制についてはさきほどおっしゃったとおり。


ガイドの講習を受けた人達が×××を作り勝手にやっている。自分たちが中心にやるというより応援する。観光協会が窓口になってガイドを紹介するという連携はとれているが、×××ジオパークのなかの位置づけは不明瞭。


推進協議会では、来年何をするか意見を上げられるしくみがない。


町の予算の中で一セクションが事業計画をつくっているが、どういうジオパークにするかの議論がない。


×××やジオパーク以前からあった×××××××は、それぞれの団体が連携はあるものの各自、自由にやっている。あまりシステマティックでない。学校教育の場では内容が難しすぎたり、簡単だったり。責任の所在、計画がない。議会に対しては決算報告はしているが地域住民に情報が共有されているわけではない。四番目の地域持続可能な開発のところでは地域振興を中心にしたい。


人口が減りつつある中、鉄道も××××もあるので人は来られるが、具体的に観光によって地域をおこしていくのだとかジオパークを利用してどうすべきかというのはあまり明瞭でない。


意思決定機関がはっきりしないところ、地域の住民の声をすいあげるしくみができていないところなどいくつかの制度上の不備があるために、新しいやり方や、いままでのやり方がいいのかという議論ができていない。


ガイドが×××を自主的に組織し、実際に現地を案内してくれたが、内容的に問題があった。


×××××××のガイドからは別の機会に聞いたのだが、一般向けでなく専門家向け。


ガイド講習をうけ、次年から×××として活動されている方たちは不正確なところがあり、全体をうまく伝える人がまだいない。


養成講座はしているが、計画的にはない。


商品開発もしており、座布団を地層にみたてて売っているなどもしているが。どういうことをしていけばいいのかがわかっていないような気がする。


前回最初に認定されたときの宿題で対応できているのは一部分だけ。


結論は 3 人の中でも少しもめた。条件付きの再認定を出して危機感を持ってもらうか。


委員長:明確な結論がないままだが。


委員:前回は私と××さんとで行った。「××と×××××」について、ジオとの関係について科学的な裏付けが欲しいという指摘に基づいて、研究をすすめようとしたが、地元の人に反対された と聞いている。


ジオパークに取り組む覚悟はできているのかどうか疑問だ。


委員:協議会長は町長。何をしたいのかわからない。普段から考えていることとジオパークがうまくつながっていない。われわれにメッセージまで伝えられない。


委員長:××と×××××の科学者はいるのか。


委員:科学者はいない。地域内比較すると土が違うのはわかっているが、どこがよいとか公表したくない。やり方はいろいろありそうだが。


委員長:それぞれの地域のお国自慢はでてこないのか。順位でなく、種類の違いという意識は

委員:お国自慢はでてこない。×××××ブランドの差をつけたくない。


委員:テーマを変えたいきさつについて説明はあったか?


委員:テーマはあまり議論がなかった。いただいた資料には混在して、「××と×××××ジオパー ク」と載っているものもあるし「×××××××××××××」というテーマのものもある。


委員:新テーマにしたということをホームページにも記載している。


「×××××××××××××××××」というテーマが本当に×××のテーマなのか疑問に思う。一般の人にはよくわからない「××××」という言葉だけを前面に出すのはいかがなものかと指摘したことがあるが、その点の考えについては何か言っていたか。


委員:特になかった。看板の中では××××の説明はされている。××××のようなおもしろい構造地質的なものをあまり説明しないでジオパークをみせましょうというわけではない。  


それぞれのジオサイトで見せるものは基本的に変わっていない。テーマという看板の付け替えで、根本的に再構築されていない。


顧問:このジオパークは××××抜きには成立しない。これが一番の目玉。しかし、これだけではおもしろくない。××××××××渓谷などおもしろい地形をもっと出したらどうかと指摘したことがある。忘れてしまったのかでてこない。××と×××××は場所によって違うのではなく、上と下の段丘面で湿り気などが違う。場所の違いというより上と下の違いを調べてくれといったのだが。最下位の段丘面にかなり水っぽいところがあり、これを使って粘土をとって焼き物を作っている。


課題がちっとも取り組まれていない。


専門員は古生物が専門なので地形のことはよくわかっていない。


委員長:条件付がよいという理由を具体的に。


委員:ひとつには組織の問題。自発的にできた×××、観光協会、××××それぞれの意思判断でやっていていいという認識。


議論や計画がない。先にできた×××××××が決めたことに他は意見しにくい。


それぞれでなく、ジオパークとしてやるということをみんながわかっていない。


××××ではいろいろ地質を調べたりしていていいのだが、推進室が把握していない。


目指すところが見えていないで、やる気がある人だけがやっている、というのを変える必要がある。


委員長:2年後にそこがだめなら、だめということか。


委員:××××にしろ一応機能している。修学旅行生に説明もしている。


顧問:××××××の説明はないのか。最初に見つかった××××。


委員:取り上げられている。古い時代の火山の堆積物がうまく浸食されて特徴的な岩峰のようになっているのでそれらと合わせてうまく説明すればいいのだが。ジオサイトを認識はしているが、うまく伝わるしくみがない。


ガイドもほとんどアマチュアなので納得させられる説明にはなっていない。


委員:今の協議会が形になっていないのではないか。どう作り直すかが見えていないのなら 2 年で実行し、次の 4 年くらいみていくのがいいのかもしれない。


委員長:組織に関して具体的にこちらから提示して、地球科学的に見るべきものを列挙して、言われたことを見せるという条件をつけて2 年後に再審査するということか。条件を盛りこんだほうがよい。


委員:協議会そのものをまず変えたらよいというようなことを盛り込んだほうがいいのでは。

委員:体制が重要で、中身もかなり詳細に言わないと改善できないと考える。


宿題としても明確なロードマップを見せてもらえないと難しい。


委員長:2 年後までに委員の先生と連絡をとりながら実行するということを条件に入れるということだろう。


委員:他のジオパークの協議会がどのようにしているかを見るべきだと思う。


委員:もっとネットワーク活動に参加してほしい。


ジオパークがどうあるものかをわかっていない。


委員長:他のジオパークを見に行くことが非常に役に立つということを上司に認識させるという条件をつければよい。


以上のことを 2 年後の再審査を受けるまでに連絡をとりながらすすめることを条件にして保留にする。そこでだめなら取り消しになることを申し上げておく。
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本日のタイトル「このジオパークは今・・・」の
 このジオパークとは、
 以上のことを 2 年後の再審査を受けるまでに連絡をとりながらすすめることを条件にして保留にする。
 そこでだめなら取り消しになることを申し上げておく。
と結論づけられたジオパークのことですが、条件付き再認定から1年、今、このジオパークはどうしているのだろう・・・?

2016年11月20日日曜日

かわいく変身しました!

HINO 〝KOTORA〟 
【上信電鉄 クモハ6001・60002】

上信電鉄のラッピング電車のひとつ、HINOのデザインが変わりました。
2016.11.19(土)
2016.11.19(土)の夕方、千平駅近くで撮影しました。

変身する前(↓)は、こんなデザインでした。
2016.7.6(水)
変身後のほうがすっきりしているといいますか、とてもさわやかで軽快な感じがします。
2016.11.19(土)
 かわいい〝KOTORA〟が描かれています。
2016.11.19(土)
 とてもかわいいデザインです。
2016.11.19(土)
ぐんまちゃん電車の〝ぐんまちゃん〟とともに、HINOの〝KOTORA〟が走る西上州は、ますます楽しいものになりました。
2016.11.19(土)
千平駅に停車中の〝KOTORA〟です。
これからは、上信電鉄のKOTORAちゃん電車として、ぐんまちゃん電車とともに多くの皆さんに愛されることでしょう。
またひとつ、上信電鉄に乗りたくなる電車が登場しました。

この秋の西上州は、とても楽しくなってきました。
どうぞ、西上州にお出かけください。

2016年11月18日金曜日

地域の歴史を大切に

「高崎藩士の子孫が慰霊」

2016.11.17(木)の上毛新聞に
 高崎藩士の子孫が慰霊
と題した記事が掲載されていました。
幕末に起きた「下仁田戦争」では、高崎藩士と水戸天狗党双方に死傷者がでました。
高崎藩の場合、36名もの藩士が戦死するという悲しい結果になりました。

下仁田戦争  元治元年1116(1864.12.14)未明 開戦
天狗党VS高崎藩
http://geogunma.blogspot.jp/2013/12/blog-post_14.html

高崎藩士と天狗党の方々双方ともに、たいへん気の毒なことであったとしか言いようがない、そんなめぐりあわせによる戦いであったといってよいでしょう。
小坂坂峠に立てられた碑です。
いまでも水戸市からは、下仁田へお墓まいりに来られると聞いています。

以前、このブログ(↓)で提案したことがあるのですが、高崎と水戸の仲直りができないものかと私は思うのです。

下仁田戦争  天狗党の西上-幕末の悲劇-
http://geogunma.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8.html

このブログ(↑)の一部を引用してみます。

 来年の2014年は、1864年から150年。
 下仁田町で「全国ねぎサミット」が開催される年でもあり、
 こんにゃくを通じての縁-乾燥技術の導入-も深い茨城県との縁をさらに深めるため、
  下仁田町が天狗党・高崎藩の関係者を招いて、
  150年の記念慰霊祭を開催する、というのはいかがでしょうか。
2013年のブログですので、来年の2014年となっていますが、下仁田町には、こういった〝気配りができる町〟になってほしいものだと思って、このような提案をさせていただいたものでした。
ことしも下仁田町では、ねぎ祭りが開催されるとのことです。
あわせて、日本ジオパーク関東大会を開催するとも聞いています。
下仁田の地で戦い、亡くなった方々は、高崎藩と天狗党、その双方の子孫の皆さんがいっしょに慰霊してくれることを待ち望んでいると私は思うのです。

日本ジオパーク関東大会には、茨城県北ジオパークの皆さんも参加されることでしょう。
茨城県大子町は下仁田町とコンニャクを通じて、深い縁があります。
そして、有名な桜田門外の変ですが、このときの水戸の浪士の活動資金は、コンニャクで財を成した富農が提供していたといわれています。

地域の歴史を大切にすることは、むかしのできごとをきちんと整理できることにもなるでしょうし、新たな友好関係を築き上げていくこともできるのではないでしょうか。

2016年11月15日火曜日

商品としての「下仁田ねぎ」とは・・・

      ねぎの品質のよさに
    +αとしての〝期間限定〟を!!

きのうのブログ(↓)は、たいへん多くの皆さんに閲覧していただきました。

残念なことです!
すぐにおいしい時期がやってくるのに・・・

このブログをフェイスブックで紹介したところ、岩津ねぎのことを教えていただくことができました。
フェイスブックに書き込んでいただいた方によりますと、
 ① 兵庫県の岩津ねぎは、11月23日から3月中旬までしか食べられないこと。
 ② 解禁日以前や終了後も岩津でとれたねぎを売っているが、それを岩津ねぎと呼んではいけないこと。
 ③ 岩津ねぎと岩津でとれたねぎは違うこと。
といった区別をして、岩津ねぎのブランドを維持しているとのことでした。

ウィキペディアでは、岩津ねぎをつぎのとおり紹介しています。
 岩津ねぎは、兵庫県朝来市特産の葱。
 下仁田ネギ、博多万能ねぎとともに日本三大葱の一つと言われる
 兵庫県朝来市岩津(上岩津・元津)の特産であったことから、この名前がついた。

日本三大ねぎのひとつといわれる岩津ねぎの場合、上記の①~③といった対応(ほかにもいろいろあるかと思いますが)によって、ブランド維持を図っているのでしょう。
フェイスブックのLINE版上毛新聞の記事をシェアした方は、
 まだ早いと思うが・・・
との感想を述べています。

下仁田ねぎの場合、岩津ねぎを参考にさせていただいて、つぎのようにしたらどうでしょうか。

① 下仁田ねぎとは、下仁田ねぎの品種から採取された種をもとにして、夏の植え替えを行うなどの伝統農法で栽培されたもの
 であること。
② さらに商品としての「下仁田ねぎ」は、前記①で栽培した下仁田ねぎを12月1日(霜が降りる12月初旬を一応の目安とする)か
 ら2月中に収穫したものであること。

簡単にいえば、寒くなって風味と甘みが増してくる時期、その時期に収穫した下仁田ねぎ以外は、商品としての「下仁田ねぎ」とはいわないということにしておけば、「下仁田ねぎ」を心待ちにしている方々は、
 早く12月にならないかしら
と「下仁田ねぎ」の解禁日を楽しみに待つことになると思うのです。

いまの時代、きちんとした特産物としてのプライド、こだわりを消費者にアピールできなければ、
 下仁田ねぎが日本三大ねぎのひとつといった時代があったそうな・・・
という過去の栄光となるような、そんなことになりかねないと思います。

霜が降りた朝の下仁田ねぎです。
2014.12.5
何回か霜が降りて、寒い夜が続くころ、おいしい下仁田ねぎとなります。
このおいしい下仁田ねぎを「下仁田ねぎ」として販売していただいて、たくさんの方々にご購入いただき、召し上がっていただきたいものだと思っているところです。

2016年11月14日月曜日

残念なことです!

すぐにおいしい時期がやってくるのに・・・

私は、ほんとうに残念なことだと思うのです。
下仁田ねぎの風味、甘みが増す時期が、すぐそこまできているのですから、そのおいしいい時期に最高のおいしさを味わっていただくことにすべきではないでしょうか。
そうすることによって、「下仁田ねぎって、ほんとうにおいしいわね」という評価をいただき、それが下仁田ねぎの特産地を長続きさせることにつながると思っています。

これまでにブログで紹介したものです。

1000本完売-下仁田ねぎ  
  まだおいしくなっていないのに・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2015/11/1000.html

特産物としての価値を持続し、さらに高めなくては!
下仁田ねぎ&松本一本ねぎ
http://geogunma.blogspot.jp/2015/11/blog-post_11.html

下仁田方面での特産物として、いまでは下仁田こんにゃくと下仁田ねぎがたいへん有名ですが、簡単に有名な特産物になったわけではありません。
先人のたゆまざる努力があって、それが花開いた結果なのです。
おいおい、こんな早くにねぎを掘って、
 それを売るなんてことをしたら、
  そのときは売れても「おいしくないわね」となって、
    あとあと売れなくなってしまうじゃないか
と、先人は嘆くのではないでしょうか。
特産物をつくっていただいた先人への感謝、それを後世に伝える自覚をもって、
  ほんとうにおいしい下仁田ねぎ
を食べていただくようにしていただきたいものだと思います。
それが、下仁田ねぎの名声を守り、下仁田ねぎを栽培する農家の方々を守り、地元の商工業全体を盛り上げていくことにつながるのではないでしょうか。
2014.12.17
雪のなかの下仁田ねぎです。
霜が何回か降り、寒い日が続くようになったとき、下仁田ねぎの風味と甘みが増してきます。

どうぞ、ほんとうにおいしくなった時期に、本物の下仁田ねぎを召し上がってください。

2016年11月13日日曜日

当地の名産・コンニャク

今年も収穫がはじまりました!

群馬県富岡市をはじめとする西上州では、コンニャクの栽培が盛んに行われています。
2016.11.9(水)
コンニャク畑と上信電鉄の車両が撮影できる場所で、コンニャクイモの掘り取りが行われていました。
農家の方にお願いして、コンニャクイモを掘り取っているところを撮影させていただきました。
ここは、私の大のお気に入りの場所で、コンニャクとともに電車が撮影できる数少ない撮影ポイントでもあります。
青いかごのなかに入っている丸いもの、これがコンニャクイモです。
今年の春から秋のようすをご覧ください。
2016.4.24(日)
今年の春には、きれいに耕された畑でした。
2016.6.24(金)
 コンニャクの種イモの芽がきれいなところをジオパーク下仁田のラッピング電車が通過して行きます。
2016.8.18(木)
夏になりますと葉が大きく、そして濃い緑色になります。
コンニャクはデリケートな作物です。
この時期は消毒が行われるため、葉が白っぽくなっています。
2016.10.19(水)
秋になってきますと、葉が茶色くなってきますが、これは土のなかのコンニャクイモが充実してきたしるしです。
これらの葉が枯れて、畑にコンニャクの葉が見えなくなったころ、土のなかで大きく育ったイモを掘り取ります。

今年は、コンニャクイモの掘り取りが終わりましたので、来年の春まで、コンニャクと上信電鉄の車両撮影は、お休みとなります。
いま、来年春からの再開を心待ちにしているところです。

2016年11月12日土曜日

これは一大事だ!

「群馬またも最下位」

以前、魅力度ランキングで、群馬県が45位であったことを紹介しました。

45位。今年もほぼ〝定位置〟だった」
「三山春秋」 2016.10.31()上毛新聞
http://geogunma.blogspot.jp/2016/11/45.html

そして、なんと!
 美肌県グランプリ2016
で、
  群馬またも最下位
とのこと。
群馬県の気象条件のほか、生活習慣も原因とか・・・
地方創生とかいって、いろいろな対策を自治体が講じていますが、こういった観点での対策を講じている自治体はないのではないかと思うのです。
美肌への対策を講じる自治体があれば、その自治体は人気が出るかもしれないのにな・・・と、そんなことをふと思った新聞記事でした。

群馬県は、魅力度といい美肌といい、若い女性に敬遠されるもとになることが多い県なのかな・・・と、群馬県に長年住んでいる私には、なんともさびしい結果です。

それにしても魅力度といい、美肌といい、いろいろとランク付けするものだと感心しています。

2016年11月10日木曜日

はしご乗りに挑戦する若者たち

上野國一之宮 貫前(ぬきさき)神社 御遷宮祭

申年から酉年にかけ、12年ぶりに執り行われる貫前神社の御遷宮祭に向けて、はしご乗りの練習に挑戦する若者たちに会ってきました。
貫前神社の地元では、それぞれの区によって、昔から役割が決まっていて、おじゃまさせていただいた宮崎区では、はしご乗りの技も奉納することになっているとかで、その練習に若者たちが取り組んでいます。
宮崎区の場合、プロのとび職の方はおらず、すべて素人とのことで、先輩の指導を受けて、低いはしごから練習をはじめ、本番と同じ高さのはしごへと挑戦していきます。
先輩の指導を受けて、基本から学んでいきますが、若者たちは、めきめきと上達されるそうです。
若いときにご自身がはしご乗りをされ、いまは指導する側にいる方がおっしゃったことが、たいへん印象的でした。
 
「このお祭りがあるおかげで、若者と口をきくことができる。
お祭りがなければ若者と口をきく機会はない。
このお祭りによって、世代間を超えたつきあいができること、これがなによりもありがたいことだ」

神社の御祭礼には、いろいろな意味があり、その意味が多くの人々に受け入れられるものであったからこそ、長い間にわたって、地域の人々が守り継いできたのでしょう。
私が思うのに、貫前神社の御遷宮を迎える地元の人々にとっては、各世代の人々が一致協力して、お祭りを成功させようと盛り上がる、そして地域の結束力を再確認する、そんな意味合いが理解されているから続いてきたのではないかと・・・。

このあと、転落時対策のネットがはずされ、本番と同様のかたちでの練習が始まるとのことです。

御遷宮祭の準備進む 上野國一之宮 貫前(ぬきさき)神社
http://geogunma.blogspot.jp/2016/10/blog-post_17.html

御仮殿上棟祭:御遷宮 上野國一之宮 貫前(ぬきさき)神社
http://geogunma.blogspot.jp/2016/10/blog-post_29.html

若者たちががんばる御遷宮祭
どうぞ若者たちを応援してあげてください!

2016年11月9日水曜日

5億円まであといくら?:旧富岡製糸場見学料収入

3億9,200万円(2016年度上半期)

2016年11月号の広報とみおかに掲載されている旧富岡製糸場の見学料収入(上半期)です。
昨年11月号の広報とみおか(↓)では、

広報とみおか 平成27年11月号 5頁
http://www.city.tomioka.lg.jp/www/contents/1446016236510/simple/20151101.pdf

上半期の見学料収入が、およそ5億6千万円となっていて、4月の見学料収入は、対前年比で481%増という、たいへんな伸び率でした。
そして、5月には1か月だけで、1億2千万円ほどの収入がありました。
今年の広報とみおかを見て、そんなに見学料収入が減っているのだろうか・・・と思い、2016.11.6(日)の昼近くになりますが、旧富岡製糸場に行ってみました。
旧富岡製糸場の前には、多くの方々がいて、たいへんにぎわっているなという感じでした。

以前、このブログ(↓)

「およそ5億円の入場料収入があれば」
「市の財政に負担をかけずに対応できる」
旧富岡製糸場の見学料金収入
http://geogunma.blogspot.jp/2016/09/blog-post_18.html

で紹介しましたが、
 およそ5億円の収入
が〝目安〟になっているとのことですので、下半期にがんばっていただいて、この〝目安〟を超えてほしいものだと思います。
こちらの画像(↑)は、旧富岡製糸場の門から見た通りのようすです。
たいへん多くの方々が来られ、場内もにぎわっていました。
しかし、旧富岡製糸場の見学料のほか、ヘルメット貸出料を徴収する見学コースは、閑散としている状態でした。
やはり、別料金で入場する価値がないと判断されるのか、たいへん残念ですが、まばらな人影を見ていて、現行の料金徴収方式は間違いかもしれないと、そんなことをつよく感じました。

リピーターを確保したいのであれば-旧富岡製糸場
  ヘルメットなし・見学料なしでOKの見学施設にすべきでは?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_24.html


 旧富岡製糸場前の通りは、たいへんにぎやかでしたが、宮本町通りは人通りも少なく、こちらも閑散としたものでした。
たまたまかもしれませんが、まちなか周遊観光バスには乗客がいませんでした。

これから先、旧富岡製糸場の見学者数をはじめとして、旧富岡製糸場の維持・保全のための財源は、どのようになっていくのだろうか・・・と、先日の日曜日は、そんなことを考えた一日になりました。

2016年11月5日土曜日

太古の海底ハイキング:2016.11.5(土)

大桑原の褶曲・宮室の逆転層

下仁田町公民館主催の平成28年度子ども体験学習教室の「太古の海底ハイキング」が実施されました。
下仁田小学校の児童とともに、大桑原の褶曲・宮室の逆転層を歩いてきました。
大桑原の褶曲です。
かつて、この地で大きな変動があったことがわかります。

こちらに簡単ですが、大桑原の褶曲の案内があります。

大桑原の褶曲露頭 シンフォーム状背斜
http://geogunma.blogspot.jp/2013/06/blog-post_16.html

子どもたちは、褶曲の話しを聞いたあと、川原で石の観察を行いました。
私が見つけたメノウです。
子どもたちは、いろいろな石を見つけては、「これ、なんだろう?」と興味津々で、熱心に石の観察をしていました。
 こちらは、宮室の逆転層です。
恐竜が生きていた時代の海底に堆積した地層が、下仁田町の山の中にあって、しかも上と下がひっくり返っているという、まさにビックリ仰天の場所です。
きょうは風が吹かず、とても静かで暖かい一日になりましたが、その逆転層の上で、お待ちかねのお弁当タイムがとられました。
上の画像の黄色い矢印の先は、流痕【フルート・キャスト(flute cast】です。
そして、こちら(↑)は、宮室の逆転層で見られる生痕化石です。
これも地層の逆転を物語る〝証拠〟のひとつとなっているものです。

きょうは、太古-恐竜が生きていた時代-の海の底を堪能した一日になりました。