「よそ者は黙って、静にしていろ!」
「むかしからこれでやってきたんだ!」
「細かいこと、かたいことを言うな!」
よそ者を大事にする気構えができているだろうか? 地域おこし協力隊
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_11.html |
を投稿したところ、おかげさまでたくさんの方々に閲覧していただきました。
きょうのこのブログでは、地方消滅というショックを与えての地方創生という展開について、これをうんぬんしようというものではありません。
増田氏が主張するとおり、地方は東京に比べて、
東京より子育てがしやすいだろうか?
より人間らしい生活が送れるだろうか?
地元のコミュニティに貢献しているという手応えが感じられる仕事があるだろうか?
と私は疑問に思うのです。
地方に移住した方々のなかには、うまく成功した方々も多いと聞いていますが、地域で孤立してしまったうえに低収入で、子育てもうまくいかない・・・といった事例もあるやに聞いています。
確かに田舎での暮らしには、東京にないいいところがたくさんあるかもしれません。
いざ、というときの助け合いの伝統など、その地域ならではの歴史のなかで育まれてきた〝よい面〟もあります。
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しかし、田舎に行けば行くほど、古い感覚で生きている人々が多く、
「よそ者は黙って、静にしていろ!」
「むかしからこれでやってきたんだ!」
「細かいこと、かたいことを言うな!」
こういった言葉を投げかけられることがあるようですが、これは地方-田舎-の〝とてもよくない面〟といってよいでしょう。
たとえば、移住してきたよそ者が、複雑な地域の決りごと-地域内のおつきあいなど-について、きちんと文書にまとめましょうという提案をしたとしましょう。
そのときの地域の長老たちの反応は、
「よそ者は黙って、静にしていろ!」
「むかしからこれでやってきたんだ!」
「細かいこと、かたいことを言うな!」
ということになるのが、田舎であれば田舎であるほど一般的なようです。
簡単にいえば、長老たちが支配している社会において、きちんと文書にまとめて、
「〇〇地区における生活の基本規則」
などというものをつくられれば、長老たちが
なあなあの関係(なれ合い)でやってきた伝統が破壊され、自分たちの重みがなくなるとでも考えるのかどうか、
「そんなものをつくらなくても間に合うだろう」
「ここで暮らしていれば、よくわかってくるはずだ」
という展開になるようです。
ときどき新聞記事などで、地方議会の動きも報じられますが、地方に移住をしたいと考えている若い方々は、移住したいと町や村の議会の動きをはじめ、町や村の行政において、どのような施策を重点的に推進しているかといったことなどをよく調べたほうがよいように思います。
つまり、
住みよい地方とは、
議会はもちろんのこと行政側でも、これまでの慣習どおりでよいのだといった発想でなく、
きちんと制度を文書化して、住民のだれもがわかるように対応していること、
といったことになるのではないでしょうか。
また、個人の生活への過干渉といった点も田舎暮らしでの〝とてもよくない面〟のひとつといってよいかもしれません。
地域の人々の面倒見のよさと過干渉は、紙一重のところがあります。
どこまでが感謝できて、これ以上はがまんできないという線があるとすれば、これも移住前によく調べておくこともよいと思います。
あまりにもおせっかいな人々がいるのも厄介ですから。
「よそ者は黙って、静にしていろ!」
「むかしからこれでやってきたんだ!」
「細かいこと、かたいことを言うな!」
という意識をなくして、すべてのひとびとが地域で仲よく暮らすための決まりごとを文書化するなど、
地域内の一部の長老的支配から脱する努力も必要なことだと私は思っています。
要は、
これまでもやっていることだ、それでいいだろう、
ではなく、それをきちんと制度化し、成文化すること、これが民主的な運営というものだといってよいのではないでしょうか。
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