江戸時代でもあるまいに
「由(よ)らしむべし知(し)らしむべからず」とは、 デジタル大辞泉の解説によれば、
《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。
転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。
という意味だそうです。
私が現職であったころ、情報公開制度が整備され、情報開示に向けた文書ファイルづくりなどが行われました。
いまでは、国や自治体などは、一定の条件、制約のもとに情報を管理し、可能な限り情報を公開することになっていますし、住民などから情報の開示請求があれば、それに対応しなければなりません。
情報公開制度が整備されてきたのは、私が現職であったときですので、それほどむかしのことではありません。
簡単にいえば、江戸から明治、大正、昭和と続いてきた時代の大部分において、住民に情報が公開されることもなく、国や自治体が情報を独占していたことになります。
また、情報公開とともにNPOなどの非営利団体活動をはじめ、住民参加型の活動が増えてきました。
国や自治体の行政による執行力の限界が露呈してきたこともありましたが、住民が積極的にかかわりをもとうとする意欲もあって、さまざまな分野で住民活動が活発になりました。
私が先月末まで参加させていただいていたジオパーク活動にしても、住民の自主的な活動が根底にあって、これらの活動を支える行政とがうまくリンクしなければ、まったく機能していかないばかりか、ジオパーク活動そのものを衰退させていってしまうことになります。
2015.10.1 ブログ記事の一部 |
行政の職員にしてみれば、面倒くさいことかもしれませんが、住民活動をうまくリードして、よりよい効果をあげていくことが求められているのです。
私が現職であったとき、ある住民活動を助長するため、いろいろ支援を講じていた段階のとき、
係員: 資料をつくってあげたり、会場設定、その前の日程調整、当日の運営など、面倒くさいことばかりだ。
この程度のこと、何人かの職員がやれば、もっと効率よくできるのに。
とぼやいた係員がいました。
そのときの私: たしかに面倒くさいことなのだけれど、いまはよちよち歩きの赤ちゃんと同じ。
独り立ちするまでは、うまく面倒みてあげて、いい子に育ててみないか。
と話したことがあります。
いちばん大事なことは、行政が手を出しすぎてもだめであり、かといって行政が手を出さず、放っておけば赤ちゃんが育たないのと同じで、団体も育ちません。
子どもの場合、ある程度の段階まで育ってきたら、いっしょに考えながら作業をして、ひとつ一つの段取りやルールなどを覚えていってもらって、よりよい子に育てていきますが、団体も子育てと同じなのです。
つまり、行政は団体をリードして、いつまでも行政からの補助金に頼ることなく、自主的な収入を確保しつつ、自力で歩めるようにしていくことも大切なことです。
そのためには、必要な範囲において、十分に団体の意見を聴き、ともにがんばっているという気持ち、そして必要な情報などを団体と共有しなければなりません。
日本ジオパークの再認定審査関係資料にしても、行政だけで作成するのではなく、住民活動に携わっている代表の意見をよく聴き、その意見のなかによいものがあれば、それを採用して、よりよい資料づくり(資料だけが立派でもだめで、実態が伴わなくては。←これは、当然のこと)をすべきなのです。
いまの時代、行政だけでつくった資料をもとにして、それで住民活動を巻き込み、より効果的な活動をめざそうと考えても、それはまったく無理な話なのです。
きのうのブログ記事の一部ですが、おかげさまで多くの皆さんに閲覧していただきました。
短い時間のなかで、私のブログ記事に250件以上もの閲覧があったことは、このことにジオパーク関係者などが大きな関心を持たれていたからかもしれないと私は思っています。江戸時代でもあるまいに、ジオパークの活動に限らず、うまく住民活動を使いこなす技量がない行政では、これから先がどうなるかは見えているといってよいでしょう。
これから先、どうなることが見えているか・・・ですか?
それは、このブログ記事を読まれた方のご想像どおりでよろしいと思います。
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