2016年9月21日水曜日

西暦・和暦

誤解しない表記を

きょうの読売新聞に笠谷和比古氏の
 歴史の年月日 正確な表記を
      と題する提言が掲載されていました。
2013.12.8(日)付けの私のブログ(↓)

下仁田戦争  天狗党の西上-幕末の悲劇-
http://geogunma.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8.html

で、つぎの提案をさせていただいたことがあります。

以下は、2013.12.8(日)のブログ(↑)からの転載(一部を改変)です。

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    【和暦と西暦について】 

和暦と西暦が併記されている看板やパンフレットが用意されているところもありますが、なんのことわりもなく、江戸時代の年表が和暦のまま、というところも多く見受けられます。

わが国は、明治5年(1872122日の翌日が明治6(1873)11日(グレゴリオ暦の187311日)になりましたが、それまでは和暦でした。

明治5122日までが和暦で、明治611日以降が西暦(グレゴリウス暦)という切り替え時期を知っていればよいのですが、これを多くの方が知っているとは限りません。

たとえば、下仁田町のHPでは下仁田戦争が起こった日を、

 元治元年(1864年)1116   ← 元号(西暦年)と表記し、月日は和暦のまま

にしていますが、元治元年を西暦表記にするのであれば、和暦の1116日も西暦表記にすべきではないかと、私は思うのです。 

 元治元年1116(18641214) 

と記載しておけば、高校生などが日本史と西洋史を考える際、とても役に立つ表記ではないかと思います。

とかく日本史をはじめとして、社会科関連の教科は、子どもたちにあまり人気がないと聞いていますが、年代の表示などをはじめとして、世界の歴史との比較などをさせたりすることによって、子どもたちが歴史に大きな関心を持つようになるのではないでしょうか。
それと、もうひとつ、和暦を西暦の月日と同じ季節感で把握してしまいますと、大きな誤解が生まれるおそれもあります。
ここで紹介した下仁田戦争の場合、11月中旬と12月中旬では、かなり気温や日の出と日没の時刻、風の冷たさなどが違ってきます。
11月中旬といえば、寒くなってきたとはいえ、まだまだ秋(晩秋?)の感じがしますが、12月中旬となれば、真冬の感じがするのではないでしょうか。
下仁田戦争に関する年表のすべてで、
 元治元年1116(18641214)
と表記すれば、
『天狗党の多くの人々は、12月中旬に野宿同然(武田耕雲斎らの幹部は、宿などに泊まったようですが、その他大勢は、軒先などで眠ったとのこと)で、寒い時季に京都に向かっていたのか、たいへんなことであっただろうな・・・』
と、天狗党の人々の苦労について、もっと正しく想うことができるのではないでしょうか。
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歴史関係の研究書をはじめとして、歴史小説、テレビや映画での時代劇などにおいて、いろいろに表記され、これは和暦のほうなのか、西暦のほうなのか・・・と、疑問に思うときが多くあります。
笠谷氏は、

 慶長五(一六〇〇)年九月一五日

にと改善するようにと述べられていますが、先述したとおり、

わが国は、明治5年(1872122日の翌日が明治6(1873)11日(グレゴリオ暦の187311日)になりましたが、それまでは和暦でした。

といったことをご存知でない方が多いように感じている私は、

 慶長五年九月一五日( 1600年 10月 21日)

と表記したほうが誤解がなく、よい表記方法であると考えています。
私が経験したところでは、わが国が明治の初めに和暦(太陰太陽暦)を西暦(グレゴリオ暦)に切り替えたことを、ご存知でない方が大部分ではないかと・・・そんなふうに感じています。
「日本全史」と「日本史広辞典」は、日本の歴史に関することで、なにか調べたいときに重宝している本ですが、和暦と西暦の表記に関して、統一した表記であれば、ほんとうによいことだと思います。
笠谷氏の改善案もよいと思いますが、より誤解のない表記にするのであれば、和暦と西暦を併記する方法がよいのではないかと私は思います。

皆さんは、どのようにお考えになりますか。

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