2016年5月4日水曜日

鶴か、鰐魚か・・・?

それが問題だ!!

2016.5.2(月)の読売新聞(群馬版)に、北村ヂンさんの「鶴舞う形 もっとアピール」と題した文章が掲載されていました。
たいへん興味深い内容ですので、皆さんに紹介させていただきます。
群馬県の行政区域、その形については、上毛かるたの「鶴舞う形の群馬県」という読み札、そして、そうに言われればそのように見えるという図案の取り札によって、群馬県民の多くが知っているもので、もはや群馬県人すべての常識といってよいほど、しっかり定着しているものです。

群馬県以外の皆さんには、なんのことかおわかりにならないかと思いますので、上毛かるたについては、こちら(↓)をご覧いただければ幸いです。(※ ウィキペディア(↓)をはじめ、いろいろなサイトで紹介されています)

https://ja.wikipedia.org/wiki/上毛かるた

群馬県の公式歴史書ともいうべき「群馬県史 通史編7(111頁)」には、第三節 第二次群馬県の成立のところにおいて、
 鶴舞う形の群馬県
と書かれています。
明治期の群馬県が、どのような形をしていたかといいますと、「群馬県史 通史編7(112頁)」には、つぎのような図が掲載されています。
現在の群馬県の形とは、いくらか異なりますが、それほど違っている形になっていません。
実は、私も北村さんと同じで、「鶴舞う形の群馬県」については、すこし強引な見立てではないかなと思っていました。
そして、明治期においても、あるいは明治期から群馬県は、「鶴舞う形」といわれていたのだろうかと私は疑問に思っていたものでした。
では、明治期において、群馬県の形は、どのように表現されていたかということですが・・・。
1901(明治34)年に発行された「大日本名蹟図誌」(ここに掲載した画像(↑・↓)は、あかぎ出版の復刻版)の上野國では、地勢の項において、
 東南に斗出して其形殆ど鰐魚に似たり
と、群馬県の形を表現しています。
下の図は、「大日本名蹟図誌」にあるものですが、「群馬県史 通史編7」の図と同じ形をしているもので、この形が
  鰐魚(がくぎょ)に似ている
といっているのです。 
鰐魚とは、ワニのことです。

 群馬県の形は、ワニの形に似ている

と明治期には、表現されていたということになります。
ただ、私たちが一般的にイメージするワニとは違って、明治期の人々は、空想上の動物としてのワニ、その姿かたちをイメージしていたのでしょう。
ウィキペディアから引用(↓)させていただいたものです。
東京日日新聞の記事がウィキペディアに掲載されていましたので、それを拡大(↓)させていただきました。
明治期の群馬県の形について、鰐魚に似ていると表現していたのは、この記事に描かれた鰐魚のように、どちらかというとスマートでない、小太りの体形である姿がイメージされていたから、ということもあるでしょう。

「鶴舞う形の群馬県」という表現は、終戦後につくられた上毛かるたによって、ひろく群馬県民に浸透していったと私は考えています。
「群馬県史 通史編7」の111頁にある
 鶴舞う形の群馬県
は、
 其形殆ど鰐魚に似たり
としたほうが歴史的に整合性があるように思います。
早とちりする方は、すでに明治期において、群馬県の形を
 鶴舞う形の群馬県
といっていたのであろうと思いこんでしまうかもしれませんから。

そして、北村さんは、つぎのように続けています。
北村さんがお考えになっているとおり、ぐんまちゃんと鶴の2キャラ態勢もよいと思いますが、いっそのこと鰐魚(ワニ)も加えて、ウマ・ツル・ワニの3キャラ態勢にして、さらにインパクトのあるイメージ戦略を展開して、
 群馬県がどこにあるのかわからないという日本国民をゼロ
にしたらいかがでしょうか。
群馬県の観光戦略を立案する関係者に一考をお願いしたいものです。

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