漢文を基礎から学ぶ講座
富岡学📖友の会主催の講座に参加させていただき、たいへん楽しく漢文の基礎を学ぶことができました。
講師は、群馬県立女子大学の名誉教授である濱口富士雄先生で、とてもわかりやすく教えていただいたためか、
あっ、そうだったのか!!
なるほど!!!
と、まさに目からうろこが落ちる、といった感じで、とてもよく理解できた漢文基礎講座でした。
漢文基礎講座の最終回は、濱口富士雄先生に教えていただきながら、シーボルト事件で七日市藩の牢に入れられ、この地で没した稲部市五郎種昌の碑と墓に刻まれている漢文を実際に読むという内容でした。
たいへん暑かった日でしたが、富岡学📖友の会の皆さんの車で移動させていただくなど、暑さ対策への細かなご配慮をしていただいたおかげもあって、たいへん楽しく学ばさせていただきました。
以前、つぎのブログ
で、金剛院にある稲部市五郎種昌の墓を紹介しましたが、濱口富士雄先生の説明をお聞きして、当時の時代状況といいますか、時代の空気というものがよく理解できました。
江戸時代のことといいますと、遠い昔のことのように思ってしまいますが、江戸から明治になって、そして平成の今日まで〝まだ150年〟ということを考えるとき、シーボルト事件はそれほど大昔のできごとではないということがいえるかもしれません。稲部市五郎種昌は、明治になってから特赦で無罪になりましたが、亡くなったときは罪人でした。
にもかかわらず七日市藩の人々は、稲部市五郎種昌をきちんと埋葬して、立派な墓碑を立てたわけで、当時としてはかなり勇気がいったのではないかと私は思っています。
稲部市五郎種昌は、七日市藩の牢に入れられている間、多くの人々に親しまれた人物であったと思いますし、七日市藩の人々は国禁をおかしたという稲部市五郎種昌について、たまたま幕府の意向と相いれないだけであって、稲部市五郎種昌に罪はないと考えていたのかもしれません。
そういった流れのなかで、幕府の意向に反するかもしれないというおそれがあるにもかかわらず、金剛院の墓地に手厚く葬り、立派な墓碑を立てることにしたのではないでしょうか。
濱口富士雄先生と富岡学📖友の会の皆さまには、たいへんお世話になりました。
心から感謝を申し上げます。
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