2017年6月28日水曜日

秋蚕の碑-きちんと歴史を伝えているだろうか・・・

リピーターは1割未満
世界文化遺産・旧富岡製糸場

つぎの上毛新聞記事中の赤い点線部分をお読みください。
いま、上毛新聞では、
 未来を紡ぐ
   世界遺産登録3年
という連載記事を掲載しています。
なぜ、旧富岡製糸場については、リピーターが少ないのでしょうか。
それは、旧富岡製糸場には見るものはなく、歴史的な解説などに聞くべきもの、感動するものがないからだと 私は思っています。
たとえば、旧富岡製糸場の初代場長の尾高惇忠について、秋蚕への熱意といったことまでも含めて、旧富岡製糸場に関する物語として、きちんと伝えているかといえば、私が知る限りでは、そのようなことはありません。
また、富岡製糸場と絹産業遺産群として、荒船風穴が構成資産に含まれていますが、日本全国の風穴の状況、とくに長野の稲核風穴を風穴の先駆として、きちんと評価したうえで、荒船風穴の歴史的な位置づけを来場者に説明しているだろうかといえば、これも私が知る限りでは、そのような配慮はなされていないように思います。
1877(明治10)年のことになりますが、小幡町(現在の群馬県甘楽郡小幡)の堀口某ら7名が
 春蚕廃棄の種を風穴に貯蔵し、秋季に至り発生することを
  〝発明した罪〟で有罪判決
を受けたという時代において、尾高惇忠は官職から去らなければならなかったという、そういった覚悟で秋蚕に取り組んだ熱意こそ、大いに賞賛されるべきであり、こういった先駆者によって、日本全体の養蚕、製糸が大きく発展してきたことをふまえて、群馬の養蚕、製糸の立ち位置を明らかにすべきであろうと私は思います。
つぎに紹介する
 世界遺産とぐんま絹遺産周遊ガイド
は、群馬県企画部世界遺産課が発行しているパンフレットです。
 このパンフレットには、群馬県内の養蚕や製糸に関する施設などがたくさん紹介してありますが、旧富岡製糸場と荒船風穴については、つぎのとおり紹介しています。
 旧富岡製糸場の紹介には、
  製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。
とありますが、ほんとうにこのとおりなのでしょうか。
日本全国、とくに群馬の隣の長野県にお住いの方がこれを読めば、
  長野県の岡谷だって、とてもすごかったんだよ。
と思われるのではないでしょうか。
荒船風穴については、
 冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。
とか、
 取引先は(略)朝鮮半島にも及びました。
とありますが、風穴の冷気を利用して、蚕種を保存する技術そのものは、稲核などの風穴で行われていたもので、荒船風穴が多数回飼育を可能にしたわけではありません。
また、朝鮮半島にも、という部分を読んだとき、朝鮮の方が日本の群馬県にある荒船風穴に蚕種の保存を委託したと思われませんか。
この委託者は、残されている台帳によりますと、
 江原道平康郡〇〇〇 北村〇〇〇
という日本人の方(なんらかの用向きがあって、朝鮮で暮らしていた方かもしれません)で、
 北村〇〇
さんという日本に住む親(?)に蚕種を送ってくれ、というものです。
朝鮮半島から蚕種が送られてきたとか、朝鮮半島に蚕種を送ったというものではありません。
また、1905(明治38)年から営業を始めましたが、1917(大正6)年の36万枚の蚕種紙保存あたりがピークで、1920(大正9)年ころにはかなり蚕種の保管委託が減少し、厳しい経営状態になっていたようです。
1930(昭和5)年には、生糸輸出の絶頂期となるのですが、このころから風穴の冷気でなく、機械の冷気による蚕種保存が普及してきて、1935(昭和10)年ころに荒船風穴の役目が終わります。 
田島弥平旧宅の見学に行ったとき、案内していただいた方から、
  六合村の方々が来られたとき、この旧宅を見て、この程度の養蚕家屋であれば、うちのほうにいっぱいある。
と話されたことがあるとお聞きしたことがあります。
たんに建物だけを見れば、まさにそのとおりだと私も思います。
私は思うのですが、旧宅にスポットがあたる感じがしていますが、田島弥平と島村地区の人々のがんばりがすばらしいのであって、そこにここの物語としての大きな魅力があると思うのです。
すぐ近くには、渋沢栄一や尾高惇忠などが生まれていて、こういった人々との交流なども視野に入れて、もっと壮大で夢を追い求めて、幕末から明治にかけて、懸命に生き抜いてきた島村地区の人々の思いをアピールしなくては、つまらない世界遺産、一度みれば二度見たいと思わない世界遺産ということになってしまうことでしょう。

上武連携として、埼玉と群馬でいろいろなことを連携することは、とてもよいことであると思います。
でも、埼玉と群馬で連携したところで、まだまだ日本全体の養蚕、製糸から見れば、ほんのせまいエリアでのことでしかありません。
先述した長野県をはじめとして、東京-八王子など-や神奈川-横浜-などとも連携して、日本の養蚕、製糸の歴史のなかで、旧富岡製糸場を含む世界文化遺産構成資産の役割、歴史的な意義等について、
 日本全国あるいは世界から見学に来られた方々が、
  なるほど!
   そういうことだったのか!!
     納得、納得!!!
となる適切な紹介をしていく必要がある
  と思います。

だれもが自分のふるさとの歴史や文化に
誇りを持っているのですから、
旧富岡製糸場に来られた方々が、
自分が暮らしているところとのつながりなどについて、
きちんとした解説があれば、
とてもうれしいことだと思いますし、
また富岡に行ってみたいという気持ちに
なっていただけるのではないかと・・・。

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