ということで、富岡から横浜に行ってきました
2015.12.14(月)
高速道路が開通後、横浜に行くときは、高速道路(上信越道~関越道)を利用しているため、一般道を利用して出かけることがなくなりました。
ある程度の年齢の方であれば、小学校の修学旅行で江の島・鎌倉(おそらく富岡市内の小学校は、ここではなかったかと・・・)に出かけたとき、熊谷の五家寶(ごかぼう)のドライブインと横田基地が見えるドライブインで休息した思い出があるのではないでしょうか。
現代は高速道路で、びゅっと一走り・・・ということになりましたが、鉄道が開通するまで、生糸などを富岡から横浜まで運ぶ道は、現在の国道254号や国道16号に沿った道(いまでは、その多くが旧道となり、忘れ去られてしまっているとのことですが)であったとのことです。
この本によれば、横浜と富岡は、八王子を経由して、荷物や人々が往来していたそうです。
八王子の鑓水峠に行き、そこから横浜に行ってみようと思い、朝早くに自宅を出発しました。
ところが、この日はあいにくと雨降りとなってしまい、旧道の鑓水峠に行かず、後日の楽しみにとっておくこと(軟弱な性格なもので・・・)にしました。
さらに、あいにくであったのは、月曜日ということで、絹の道資料館の門に「本日休館」のふだが下がっていたことです。
富岡から横浜(山下公園近くの駐車場)まで、私の車のカーナビによれば、およそ150kmといった距離でした。
かつて、生糸などを馬の背中や荷車に載せて、富岡と横浜の間を往来していた人々は、いまと時代が違い自動車や列車がなかったとはいえ、ほんとうにたいへんな重労働であったと思います。
幕末から明治初期にかけて、名もなき人々が富岡から横浜に生糸などを運び、ここから生糸などが外国に輸出され、それが日本の近代化をすすすめるための外貨獲得に大きな貢献をしたことを思うとき、とても感慨深いものがあります。
これまでに何度も横浜に行っていますが、この山下公園(この公園は、関東大震災後につくられたものだそうですが)のベンチに腰かけて、海を眺めているのが私は大好きです。
海を眺めるのも大好きですが、もっと私が大好きなものは、中華街の散策と食事です。
この日は、おかゆの専門店「謝甜記」で、おいしいおかゆを食べてきました。
おかゆが届く前に届いた油条は、撮影したのですが・・・
おかゆは、半分ほど食べてしまったところで、撮影していなかったことに気づいたのですが、とうとう撮影せずに食べてしまいました。
食後、中華街を散策し、関帝廟におまいりもして、楽しい時間を過ごしました。
画像は、関帝廟の屋根です。
イカやカラフルな魚が飾ってあって、とても楽しいデザインの屋根は、おまいり後にぜひご覧になってみてください。
一般道を利用して、富岡と横浜間を往復したのは、高速道路が開通する前のことでしたので、ずっと前のことということになります。
?十年ぶりかに富岡と横浜間を一般道で往復してみて、いろいろな風景を〝再発見〟し、たいへん楽しいものとなりました。
いつか元気のうちに歩いて、富岡と横浜間を往復してみたいと思った、そんな楽しいドライブができた一日でした。
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