2017年8月12日土曜日

1980.8.12

あの日から32年【33回忌】

昭和60(1980)年8月12日の月曜日、残業後、帰宅するために新前橋駅から高崎駅に向かい、高崎駅で上信電鉄に乗り換えるために階段を上って行くと、テレビの前に人だかりができていて、何事が起きたのだろうと近くに行くと、羽田発の日航機が消息を絶ったとのことで、長野県あたりに墜落したのではないか・・・といったニュースを多くの皆さんが見ているところでした。
これが日航機墜落事故を私が知った最初ということになります。

いまであればスマホとかで、すぐにニュースなどを見ることができますが、当時は駅のテレビとか携帯ラジオ(通勤時の電車内などで、イヤホーンでニュースを聞いたり、外国語の講座などを聞いていたものでした)ぐらいしかありませんでしたので、細かなことがすぐにわからないという状況でした。
「日航123便墜落事故対策の記録(昭和61年3月・群馬県)」には、事故発生からの動きが克明に記録されています。
この記録をいただいてから、なかを開いて見るのがつらいということもあって、ずっと書棚に入れておいたままにしておいたのですが、今年が32年【33回忌】の8.12ということで、なかを開いて読んでみました。
 記録に収録されている画像、その一部です。
記録に収録されている上毛新聞の記事で、事故の翌日に発行されたものです。
いまでも飛行機による事故が発生していますが、安全な空の旅に向けて、これからも無事故への取り組みをしてほしいものだとつよく思っています。
日の出とともに御巣鷹山に向かうヘリ-3機か4機あるいは5機ぐらい-が、わが家の上空付近を飛んで行った1980年の夏でもありました。

お亡くなりになった皆さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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