翁の山谷を跋渉して苦心踏査の
結果発見せられたるもの枚挙に遑あらず
先に
佐藤茂助翁:椚石(くぬぎいし)でつくられた金次郎像
で紹介し、情報提供をお願いしたところですが、佐藤茂助翁に関連して、群馬県南牧村産の椚石がどの建物に使用されたかを知りたいと思っています。
情報を寄せていただきますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
翁の山谷を跋渉して苦心踏査の結果発見せられたるもの枚挙に遑あらず
は、佐藤茂助翁の胸像碑(↓)から引用しました。
佐藤茂助翁は明治十一年四月群馬県北甘楽郡黒岩村
に生れ同三十二年志を立て石材工業界に入り斯業の
指導開発に一身を献げ或は機械的操作の工夫に或は
優良職工の養成に翁独特の創造力と義侠心を発揮
せるのみならず更に建築用材として現今帝都に重き
をなせるものにして翁の山谷を跋渉して苦心踏査の
結果発見せられたるもの枚挙に遑あらず
東宮御所・横浜税関・帝室博物館・大蔵省新庁舎等多数の
模範的石造建築物にして翁の関係して心血を注げる
もの少なからず茲に翁の還暦を迎うるに方り親友知
己並にその薫陶を受けたる者相図り壽像を建設して
以て謝恩の意を表するものなり
昭和十三年四月 建之
県会議員 田村 静明 書之
佐藤茂助翁が南牧村の椚石を見て、『これはすばらしい!!いい建築材になる』と考えて、南牧村から東京などに運び、多くの石造建築物に椚石を使用していったのではないだろうかと私は想像しています。
この想像を裏付ける記録などがあれば、ほんとうにありがたいと思います。
この画像は、昨年の秋に撮影した椚石の採掘場です。
佐藤茂助翁と椚石に関する情報、
よろしくお願いいたします。
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