2018年6月28日木曜日

女街道(下仁田道)

自転車で走ってみました

追分街道とも下仁田道とも、また女街道とか姫街道ともいわれている中山道の脇往還(以下、下仁田道)であった道を自転車で走ってきました。
出発地は上の案内図に付した〇印の場所で、軽井沢のレークニュータウンの近くです。
群馬県の下仁田町側から和美峠を越えますが、和美峠から借宿にいたる道が長野県側の下仁田道(上の案内図の□印内では、女街道となっています)です。
中山道に下仁田道が合流(分岐)する地点、借宿(上の案内図の△で枠外)をめざして、いざ出発です。
私の場合、荷物を担いでいるわけでなく、また荷物を運ぶ馬を連れているわけでもなく、カメラを持っている程度で、ましてや涼しい現代の道路を快適に走っているわけで、実に江戸時代の皆さんに申し訳ない気持ちになったものでした。
長野県のすばらしさは、歴史と文化を大事にされていることです。
女街道の案内もたくさん設置していますし、石造物などもしっかり保存していて、ほんとうにすばらしいことだと思っています。
これ(↑)は借宿で保存されている道路元標です。
あちこちにあった道路元標ですが、とくに戦後の道路拡幅工事の際などに、たくさんの道路元標も姿を消したといわれています。
このような時代の流れのなかにあって、しっかり残して、それを後世にも伝えようとしていることは、たいへん尊いことだと私は思います。
下の画像は、下仁田道が中山道に合流(分岐)している地点です。
画像の左が下仁田道になり、正面の奥、そして手前に伸びている道が中山道になります。
以前、

「中山道&下仁田道の旅」がいいかも・・・

で紹介しましたが、中山道の本庄宿から分かれた下仁田道は、藤岡・吉井・富岡・下仁田などを経て、借宿までつながっていました。
現代の人間でもとくに軟弱な私だからかもしれませんが、軽井沢地内の下仁田道は、比較的平坦な部分が多いとはいえ、自転車でも厳しいアップダウンがありました。
やはり自動車は楽ちんだなと思うものの、自転車でなければ見られない風景が見られたり、気になる場所があれば、すぐにストップして、立ち寄れる便利さを考えるとき、自転車はたいへんすばらしい移動手段だということも実感しました。
歩くことが多く、歩きなれていたとはいえ、江戸時代の人々にとっての移動、旅は、とてもつらいものであっただろうな・・・と、そんなことを思った一日になりました。

こちら(↓)もご覧いただければ幸いです。

借宿  中山道「間(あい)の宿(しゅく)」

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