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2018年6月12日火曜日

郷土の偉人とは・・・?

出身地とは・・・?

私は、小栗上野介の大ファンで、フェイスブックに

小栗上野介を大河ドラマに

を開設しているのですが、これまで小栗上野介が郷土(ここでの郷土とは、群馬県ということでよいかと思います)の偉人であると思ったことはありませんでした。
先日の上毛新聞「三山春秋」の最後のほうに、
  郷土の偉人をきちんと知り、冒頭の男児のように誇ろう
と結ばれているのを読み、はたして小栗上野介は郷土の偉人なのだろうか、と考えてしまいました。
 「三山春秋」の冒頭は、つぎのとおり(↓)です。
小栗上野介忠順は小栗忠高の長男として、文政10(1827)年に神田駿河台で生まれました。
慶応4(1868)年に小栗上野介は、「権田村への土着願書」が許可され、権田村の東善寺にやってきます。
権田村というのは、小栗家の領地(関東に9か所)のひとつです。
そして、西軍に斬首されるまでの間、小栗上野介は権田村で暮らします。
さて、郷土の偉人とは、いったいどのような考え、定義があるのだろうか・・・と思い、ネットで検索してみたところ、群馬県藤岡市のHPにつぎのような記事が載っていました。


■受付日:H26.3.31

■担当課:文化財保護課  

■件名 

 「藤岡偉人かるた」の発刊について

■内容 

・藤岡出身の郷土の偉人かるた(小学校低学年から親しめるような感じのかるた)の作成発行 

  (藤岡出身又は県外等から藤岡に定住したもの、鬼石町を含む) 

藤岡市では「藤岡偉人かるた」の作成にあたって、
  藤岡出身又は県外等から藤岡に定住したもの、鬼石町を含む
と〝定義〟しています。
この藤岡市の〝定義〟を小栗上野介の場合にあてはめてみますと、小栗上野介は江戸の生まれで権田村(現在の高崎市倉渕町)の生まれではありませんが、斬首されるまでの間、権田村に定住したと考えれば、郷土の偉人ということになります。
これを知って、なるほど!と、目からうろこが落ちたような気持ちになりました。
もっと小栗上野介のことを多くの県民の皆さんに知っていただく、そんな活動を群馬県・高崎市は展開していくべきではないかと思うのです。
小栗上野介(向かって左)と栗本鋤雲(向かって右)の像です。
上毛新聞「三山春秋」の記事を読んで、思いがけず郷土の偉人とは、どういうものなのだろうか・・・を考える機会を得たことをうれしく思っています。
これからは郷土の偉人でもある小栗上野介として、さらに小栗上野介の大ファンでありたいと思っているところです。

余談ですが、ネットで検索していて、こんな記事(↓)を見つけました。
  将来、郷土の偉人に選ばれるかも・・・
と思っている方には、よくおさえておいてほしい情報ではないかと思うのですが・・・。
 上の質問(↑)に対する回答は、つぎのとおりです。


一般的には「出生地=出身地」とされていますが、出生地はその言葉どおり生まれた地域を指します。
ところが出身地の定義は曖昧でございます。
国交省の定義では
15歳くらいまでで最も長く住んでいたところ」とされておりますが
それ以外にも
「自分がそこだと感じたところ」
義務教育を受けた時期にあたるところ」など、様々な定義があるようでございます。
つまり出身地の定義に関しては適当であるということですね。

以上のとおりです。
ご参考までに。



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