とても驚いたことかと・・・
先日のブログ(↓)
戸谷半兵衞 地域のために尽くす
で、埼玉県上里町の大光寺にある見透燈籠を紹介しましたが、その大光寺の本堂などが明治42(1909)年に焼失したという説明板を読み、びっくりしてしまいました。
赤丸を付した場所に、
明治四十二年二月に高崎線の灰煙を被り全焼・・・
とあり、これを読んだとき、鉄道史に関する本などで、蒸気機関車の排煙、火の粉によって、住宅などが燃えたりとか、桑の葉に灰が降り、お蚕さまのえさにできなくなってしまったとか、鶏が卵を産まなくなってしまったとか・・・、いろいろな事件があったということは知っていたのですが、お寺の本堂までも!と驚いてしまいました。
当時の本堂の屋根がどのようなものであったかわかりませんが、燃えやすい茅葺きの屋根であったかもしれません。また、火災の発生が2月ですので、空気が乾燥していて、燃えやすい状況であったということも、大光寺にとっては不運であったのではないでしょうか。
いまは再建されて、すばらしい本堂や鐘楼などがあります。
大光寺の境内から見える高崎線の列車です。
明治時代の〝鉄道事故〟のひとつ、お寺の本堂などが焼失したという事例を紹介しました。
いまの高崎線は電化されていて、列車から火の粉が飛び散るようなことはありませんが、100年ちょっと前の蒸気機関車は、沿線の人々にとって、便利な乗り物だけれど危険な交通機関、であったということかもしれませんね。
つぎは、現在のSLほか(SL碓氷・EL碓氷)の走行シーンです。
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