わが国全体から見た旧富岡製糸場とは・・・
私のブログ
ひとりごと~気のむくままに~
では、これまでに世界文化遺産・富岡製糸場と絹産業遺産群について、いくつか紹介させていただいていますが、
これからどうなるのだろうか・・・
世界遺産・旧富岡製糸場
http://geogunma.blogspot.jp/2017/10/blog-post_6.html |
は、とくに多くの皆さんに閲覧していただき、ほんとうにありがたいことだと思っています。
世界文化遺産・富岡製糸場と絹産業遺産群の構成資産について、
わが国の明治期以後の養蚕・製糸などの全体をよくみたうえで、
世界文化遺産の登録をめざして、国や関係自治体、関係者が動いたのだろうか・・・
という疑問をもたれているのかな、
と思わせられる記事や資料に、ここ最近よく出会う気がします。
このブログのタイトル
「富岡だけが製糸技術を広めたわけではない」
は、2017.10.4付けの読売新聞から引用させていただきましたが、 こういった製糸場は、日本全国に存在しているかもしれません。
こういった製糸場とは、いまは建物はなく、資料も少なく、当時の状況はよくわかっていないのですが、すばらしい事業活動を展開していた製糸場のことです。
わが国で明治期以後、たいへん盛んであった製糸、養蚕を考えるとき、もっと日本全体を見渡して、
わが国の養蚕・製糸を象徴するもの
が世界文化遺産に登録されるべきであったかもしれません。
わが国全体の明治期以後における養蚕・製糸という大きな枠組みのなかで、それぞれの製糸場などが果たした役割を適正に評価したうえで、それらを結びつけて、わが国の近代を切り開く原動力になった
お蚕様と先人
の活躍を描けば、いまの時代に生きるわれわれは、そのダイナミックな近代の日本を感じ、すばらしい遺産だと思うのではないでしょうか。
下の
「小諸は蚕種貯蔵量で日本一だった!」
は、上の「風穴と糸のまち こもろ物語」にあります。
「葵町製糸場」と小諸風穴は、旧富岡製糸場と荒船風穴が世界文化遺産になり、明治以後に大活躍したということが喧伝されていることに対して、
「富岡だけが製糸技術を広めたわけではない」
「世界遺産・荒船風穴を上回る」
といった〝反論〟をしておかなくては、となったのでしょう。
このような動きは、旧富岡製糸場や荒船風穴が世界文化遺産に登録されたために、その波及効果として、各地で遺産の役割、価値の見直し-再評価-が進んでいるといいうことかもしれません。
そのうち、旧富岡製糸場ほかが世界文化遺産に登録された詳しい経緯-なぜ、全国にたくさんある養蚕・製糸の遺産のなかで、旧富岡製糸場ほかが選ばれたのか-がわかってくることでしょう。
たいへんまとまりのない内容になってしまいましたが、ここで申し上げたいことは、たくさんすばらしい養蚕・製糸に関する遺産が日本各地にあるなかで、なぜ旧富岡製糸場ほかが世界文化遺産に登録されたのか、世界文化遺産がある自治体で暮らす住民に大きな負担感を与えつつある世界文化遺産とは、どういう意味があるのだろうか、という疑問なのです。
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