2016年3月27日日曜日

かつて富岡のまちなかには きれいな水が流れていたものでした

まちなかに水辺の空間復活を

このブログ記事(↓)

歴史的な価値があるとはいっても・・・
将来にわたって維持・保存の予算が確保できる?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/03/blog-post_17.html

で、旧富岡製糸場のまわりには、水路(玉石積みの開渠)があって、旧富岡製糸場の北側には、水路に沿って、カラタチの生け垣があったことを紹介しました。

また、このブログ記事(↓)

富岡製糸場と絹産業遺産群-富岡製糸場に関して
富岡製糸場の用水は、十分に確保できていたのでは?
http://geogunma.blogspot.jp/2014/06/blog-post_16.html

では、甘楽多野用水土地改良区の「甘楽多野用水誌」などをもとにして、旧富岡製糸場の用水確保は、たいへん困難であったろう・・といったことを述べさせていただきました。

いまの富岡市街地は、南に鏑川、北に高田川があるとはいっても、高台に位置していたため、低いところを流れる鏑川の水は利用できず、農業や生活のための用水は、高田川(丹生川を含む)から引いていた時代が長く続きました。
そういった現状に対して、なんとか富岡の市街地を含む高台を豊かな水で潤したい、と考える人が現れました。
それが、笠原利平であり大井田啓次郎たちでした。
詳細な経緯については、「甘楽多野用水誌」で読んでいただくとして、笠原利平や大井田啓次郎らによって、いろいろな紆余曲折を経ながらも下仁田から水を引き、その水を丹生湖にたくわえ、下流の田畑を潤すという大事業が行われたのでした。
撮影:2016.3.19
丹生湖の堰堤です。
用水竣工碑などが立てられています。

富岡の台地にたくさんの水を引き、水田をつくり、豊かな暮らしをしたいとい思いは、江戸時代どころか富岡に人々が住み着いて以来の悲願ともいえるものでした。
撮影:2016.3.21
野鳥の観察舎から見た丹生湖です。

丹生湖に満々とたくわえられた水は、これから田植えの時期になりますので、下流の水田に流れていき、豊かな実りをもたらすもとになります。
撮影:2016.3.19
丹生湖の堰堤下にある流域図です。

私は思うのです。

いまの時代状況下-農家の高齢化、宅地等への転用による水田面積の減少など-にあって、これから先も農業者による土地改良財産の維持が可能かといえば、残念ながら可能ではないだろうと思っています。
農業用・工業用・生活用などと〝水の用途〟によって、河川法が川の水の取水許可を与えるようになってから、川の水が貴重な権利と化してしまったように感じています。
たとえば、江戸時代のときは、農業用水も生活用水もなく、それぞれがうまく川の水を利用していたものでした。
旧富岡製糸場が明治のはじめにできたとき、この工場で利用する水の確保は、大きな課題でもありました。
富岡における用水の確保、その歴史を考えるとき、
 甘楽多野用水土地改良区の財産だから、その構成員である農家が守ればよい、といった考えでなく、
 この地における貴重な財産として、きちんと保存していくことが必要ではないかと私は思っています。

その手始めとして、旧富岡製糸場のまわりなどの水路を復元し、そこを水辺の空間としたらどうだろうかというのが、

歴史的な価値があるとはいっても・・・
将来にわたって維持・保存の予算が確保できる?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/03/blog-post_17.html
で申し上げたかったことです。

撮影:2016.3.23
そのためには、現在の取水許可条件の見直しなど、いろいろクリアしなければならない課題もあると思いますが、世界遺産になった旧富岡製糸場の操業を支えた用水について、もっともっと光を与えてあげるべきであろうし、これら用水に関する歴史を大切に守るべきではないでしょうか。

今年も丹生湖では、きれいにサクラの花が咲きそうです。
撮影:2015.4.6
昨年の春、サクラが咲いたときの丹生湖です。

丹生湖をはじめとする用水の設備等について、この地における貴重な歴史として、後世にきちんと伝えてほしいと思っています。

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