2017年5月10日水曜日

これって、怪文書のたぐいでは・・・?

「風聞記」なるものと小栗上野介

2017.5.10(水)の読売新聞を読んでいて、たいへん驚いてしまいました。
この「風聞記」については、先日、TBSで放送した埋蔵金探しの番組で、磯田さんが述べていたものですが、小栗上野介ファンである私としては、とても納得できないお話でした。
読売新聞の「古今をちこち」によれば、「風聞記」は、
 明治維新の1868年4月から12月まで戊辰戦争の風聞が記録
してあるものとのことですが、小栗上野介が現在の高崎市倉渕町の水沼川原で、新政府側によって斬首されたのは、
  小栗上野介忠順終焉の地
に立てられている説明看板のとおり、
 慶応4年閏4月6日(太陽暦では、5月27日)
であり、まさに小栗上野介が斬首されたころから書かれたもの、それが磯田さんが紹介した「風聞記」ということになります。
結論を先に述べれば、斬首された小栗上野介は、幕府側の人間であり、新政府側の人々にとって、小栗上野介が立派な人物であっては、新政府側が斬首(小栗上野介にとっては、無実であるという以上に、斬首されることの屈辱感が大きかったと思います)した行為の正当性が疑われることになるため、
 小栗上野介は、私腹を肥やして、蓄財したお宝を自分の領地に運んだのだ。
 悪い奴なんだ。
といったうわさを新政府側が積極的に流し、いまの埋蔵金伝説なるものにつながっているのではないかと私は考えています。
当たり前のことですが、歴史は勝者がつくるものであり、敗者は勝者がつくる歴史のなかで、都合よく描かれるものなのです。
これは、どこの国でも、いかなる時代でも、歴史書を編むのは、
 そのときの政権であり、それは前の政権と
    ここが違う!といったことを明らかにすること、
そこに大きな意味があります。
幕府が倒れることがわかっていて、なぜ横須賀製鉄所をつくるのか
と、小栗上野介に栗本鋤雲が聞いたときの答え、「土蔵付き売家」の逸話が私は大好きなのですが、私利私欲なく、日本の将来を考えている人物がもつさわやかさを思うとき、私にはじーんと胸に迫ってくるものがあります。
磯田さんは、「風聞記」を群馬県立文書館に託そうというお考えとのことですので、群馬県立文書館が資料としての受け入れをして、一般公開になったときには、ぜひ原本を読みに出かけてみたいと思っています。

小判でなく弐分金で樽に詰めたという記述は、「風聞記」の作者が、
  小栗って、けちな野郎だよね?
  という小栗上野介の評価を下げるための世論工作、
そのための書き物であったのかもしれないと私は思っています。←いまの時点で。
おそらく「風聞記」は、新政府側の宣伝戦略の一環として、発行したもののひとつではないだろうか・・・と、そんなふうに想像できるのですが。

日本海海戦後、東郷平八郎が小栗上野介の遺族を招いて、
 小栗上野介が横須賀製鉄所をつくっておいてくれたおかげで、ロシアに勝つことができた。
と、小栗上野介の業績を評価したという話がありますが、明治期初めの政府としては、
 幕府がしてきたことは、みんな×
 新政府のすることは、みんな〇
といった宣伝をせざるを得なかったのかもしれません。

 たたら製鉄の炎」:今後の予定
  2017.5.21()  小栗まつり 【東善寺:高崎市倉渕町権田】
http://geogunma.blogspot.jp/2017/01/blog-post_25.html

いずれにしても、群馬県立文書館で、本物の「風聞記」が読める日をとても楽しみにしているところです。

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