2014年2月8日土曜日

富岡製糸場と絹産業遺産群

岡谷を含めなかったのは、なぜ??

2006(平成18)10.26付けの読売新聞の記事です。
この記事を読んだときに感じたことをメモっておいたものです。(へたな字で恥ずかしいのですが・・・)
まず、ひとつが提案内容に関して、
 全体的にインパクトが感じられない。
とした感想であること。

そして、ふたつめが、
 ① 他県には世界遺産として登録できるような案件が見当たらない
 ② 群馬県が近代化にあたり、養蚕・製糸・織物業に力を入れた結果としての遺産群であり、他県を含むのはなじまない
として、群馬県内の遺産のみとしたことについて、
 神奈川県や長野県の他、福島県や滋賀県などにも養蚕、生糸に関係する遺産がある。それもすばらしい!と聞いている。
とした感想であること。

もともと、文化庁が各都道府県に対して、
 世界遺産にしたいものがあったら提出してね
といった感じで、
いわば都道府県対抗戦のようなことを仕掛けたことによって、それぞれの都道府県が、
 こんなのがある、これもある
と提出したことによって、候補が乱立してしまった状況になったこと、ここに他県を含まない、といった根源があるように感じ、
 それは、おかしいのではないか?
という思い、それがふたつの感想に通底しているところです。
 
つぎの資料は、信濃毎日新聞(信毎web)の2007.9.29付けの記事です。
私は、すくなくても富岡市と姉妹都市でもある岡谷市と提携(全国の養蚕・製糸等の遺産を対象にしてほしいとは思いますが、あまりにも膨大なものとなり、おそらく調整は不可能でしょう。そういった意味で、すくなくても長野県、そのなかの岡谷市ぐらいは含めても・・・)して、世界遺産候補になり、登録レースに参加してほしいと思っていたのですが・・・

どういうわけか群馬県と長野県、あるいは文化庁あたりで、候補物件の調整等を行わないまま、群馬県内だけの絹産業遺産群が世界遺産候補になっていきました。

屋久島などの自然遺産や京都の社寺など、その土地に限られたものは別ですが、文化遺産として、国内で産業として、大きく広がった養蚕・製糸等に関しては、全日本的な取り組みをすべきではなかったかと・・・
この点については、いまでも大きな私の疑問になっています。
現に岡谷市には、岡谷蚕糸博物館という蚕糸に関する博物館があり、そこには富岡製糸場が使用していた繰糸器も大切に保存されていますし、繰糸器のほかにも富岡製糸場に関する資料がたくさん収蔵されているのです。
それと、横浜港の存在も忘れてはならないでしょう。

横浜港から
 Tomioka Silk などが輸出されていきました。
明治期から大正、昭和のはじめころにいたるまで、生糸はわが国の主要輸出品であり続けました。
横浜には、開港資料館もありますし、税関の建物なども残っています。

生糸の輸出に果たした横浜港の役割、いまも残る横浜港関連の遺産は、とてもすばらしいものがたくさんありますが、前述したように、日本全国のあれもこれも世界遺産候補に・・・というのは、実務上は無理なことであったと思います。

しかし、富岡製糸場に関する資料を富岡市以上に収蔵している岡谷市の遺産は、世界遺産候補に含めてもよかったのではないだろうか・・・と、いまでも残念であり、たいへん不思議に思っています。

0 件のコメント: