2018年2月23日金曜日

すくないパイを奪い合うのではなく、

すくないパイをいかに伸ばしていくか、
ではないでしょうか?

テレビのニュースや新聞で、
  東京23区内の大学における定員増抑制
について、いろいろ報道されているところですが、この政府の方針でよいのだろうかと、私は疑問に感じています。
下の東京都知事の緊急声明は、東京都のHPから引用させていただきました。
 この緊急声明にありますが、
 人口減少社会を迎えている今、東京対地方の構図の中で限られたパイを奪い合っている場合ではありません。
という部分は、まさにそのとおりだ!と私は思います。
学びたいところで学ぶ、そこで学んだことを活かして、これからの日本はもちろんのこと、世界で活躍できる人材を育成、輩出することこそ、東京、地方にある大学を問わず、すべての大学の大きな役割ではないかと思うのです。
ましてや、若年層が大きく減りつつあるわが国において、若年層一人ひとりの重みが増してきていることを考えるとき、国が行うべき施策は23区内の大学の定員増抑制ではなく、特色ある学部、学科、教授陣、研究設備などによって、日本中の大学が魅力ある学びの場を若者に提供することではないでしょうか。
それと、もうひとつ、東京に出た若者が、なぜ出身地をはじめ地方に向かう若者がすくないのか、といったことをよく考えるべきではないかと思うのです。
どこで学ぼうと、それから先、出身地に戻る若者もいれば、出身地でない地方に行って、そこで自分の可能性を試す、さらには外国に行って、研究生活を送りたいとか、多様な選択を可能とする社会にしていくことも重要なことではないでしょうか。
これからの若者のことを思うのであれば、もっと学びのための環境整備-奨学金制度の充実をはじめ、下宿する学生への支援など-に意を注ぐべきであり、それぞれの能力や意欲に応じて、安心して学べるようにしてあげること、これがいちばん大事なことではないかと、そんなふうに思うのですが、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか?
 東京23区内の大学における定員増抑制
についてのニュースを聞いたり、新聞で読んで思い出したのは、司馬遼太郎の「街道をゆく 36・37」に書かれていることでした。
司馬遼太郎の「街道をゆく 36・37」には、江戸・東京という都市の役割、とくにわが国が近代化を図っていくうえで、大きな役割を果たしてきたことが書かれています。
と、ここまで書いてきて、「上毛の文人」を読んでいて、むかしから東京に出た人は、帰って来なかったのか・・・と驚いてしまいました。
これ(↑)は、昭和15(1940)年8月1日に発表されたものですが、「江戸に近いことが善し悪しで」からを読んでいただきますと、群馬県の場合、「出る者は江戸に飛ぶ出してしまひ、・・・」と文章が続いていきます。
この文章では、出る者が若者であるとはいっていませんが、むかしから江戸に行ってしまうと帰って来なかった、ということでしょうか・・・
やはり、東京の大学に進学したあと、まずは卒業後は出身地に戻るという若者を多くする、そんな施策が望まれるということかもしれません。
もちろん、これらの施策が、大学卒業後の若者が進むべき進路選択を制限するものであってはならないこと、これはいうまでもありません。

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