2018年2月15日木曜日

「私のふるさとかるた」発行を


上毛新聞の投書欄から

前橋市にお住いの林千代子さんからの投書を読ませていただきました。
で、紹介しましたが、「かるたでよむ私のふるさと」に読み句を応募した私としては、とてもうれしい林さんの投書です。
群馬県民にとって、いまや上毛かるたは、あって当たり前のものであり、上毛かるたの読み句を知らない人がいないといってよいと思います。
2014.10.6の上毛新聞オピニオンに掲載していただいたもの(↓)ですが、上毛かるたにある「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」の読み句をもとにして、
 先人への感謝を忘れずに
という思いを書かせていただきました。
掲載していただいた文章は、つぎのとおりです。

 群馬県人の誰もが知っている上毛かるたは、「鶴舞う形の群馬県」をはじめ、すべてがとてもよい語呂になっていて、子どもが知らず知らずのうちに、名所や旧跡、歴史上の人物などを学べるという、大変すばらしいものです。
 この上毛かるたをキャッチコピーとしてみたとき、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」が、もっとも優れていると私は思っています。 
 昭和22(1947)年、県民から募集して、浦野匡彦氏らが上毛かるたをつくったのですが、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」が採用されたことによって、下仁田町や下仁田ネギとこんにゃくの名声が不動のものになったといってもよいと私は考えています。
 戦後、多くの子どもたちが親しんだ上毛かるたは、いまや群馬県人の常識になっているといってよく、これほど多くの人々に知られたキャッチコピーはないでしょう。
 数年前、浦野匡彦氏の長女で、群馬文化協会の理事長の西片恭子さんの著書「上毛かるたのこころ 浦野匡彦の半生」を読んで、「葱と蒟蒻下仁田名産」のほか、「葱は下仁田一本葱よ」・「太くて美味しい下仁田葱」の応募があったことを知りました。
 「ねぎとこんにゃく下仁田名産」は、いったいどのような方が考えたのだろうかと興味を持った私は、応募した方々の名前などがわかればとの思いで、文化協会に照会したのですが、「戦後の混乱期で、資料が散逸して、詳細なことは不明」という回答をいただきました。
 もし、上毛かるたをつくるとき、「葱と蒟蒻下仁田名産」の応募がなかったら、また、応募があったとしても採用されなかったら、戦後における下仁田ネギとこんにゃくの名声は、どのようになっていただろうか、はたして高まっただろうかと思うのです。
 今年の1122日、23日に、下仁田町で「全国ねぎサミット2014  inぐんま下仁田」が開催されます。
 全国ねぎサミットが下仁田町で開催されることは、第一には長年の間、下仁田町で良質な下仁田ねぎを栽培してきた農家をはじめ、栽培方法などを研究してこられた方々すべてのご努力の賜物であると思います。
 また、上毛かるたの「ねぎとこんにゃく下仁田名産」が、結果として、下仁田町の効果的な広報になっていることも見逃すことはできません。
 「ねぎとこんにゃく下仁田名産」の作者を下仁田町役場で探し、この秋の全国ねぎサミットにおいて、下仁田町の名声を高めていただいた功労者として、顕彰していただけないものかと思っています。
 先人への感謝を忘れない心を持ち続けることは、いつの時代にあっても大切ではないでしょうか。

先日のシンポジウムで、上毛かるたのすばらしさ-上毛かるたに込められた思い、理念、哲学・・・-を改めて知り、たいへん感動しました。
シンポジウムでは、西片さんのメッセージが紹介されましたが、私たち群馬県民は、70年前の戦後の混乱期にあって、すばらしい財産をつくっていただいたことを感謝しなければならないと思いました。
これからの新しい時代に向かって、しっかりした理念に基づいて、後世の方々が
 「上毛かるたと並ぶ名作だ」
と評価していただける、そんな
 「ぐんまふるさとかるた」
を上毛新聞社、群馬県でつくってほしいものです。
そのときにも読み句の公募があれば、ぜひ応募させていただきたいものです。

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