NHK大河ドラマ「花燃ゆ」
群馬県初代県令 楫取 素彦(かとり もとひこ)
2015.7.19(日)の上毛新聞に、たいへん興味深い投書が掲載されました。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、投書された方も述べられているように、いよいよ後半になり、群馬県初代県令楫取素彦の登場が待たれるころになり、全国の大河ドラマファンはもちろんのこと、地元群馬県では、初代県令楫取素彦の登場を待ちわびている方々が多いことと思います。
上毛新聞に投書された石橋さんは、
県令の楫取素彦が約束したのにもかかわらず、
高崎から前橋に県庁が行ったきりになっている
ことを述べたうえで、
県庁問題に関しても高崎市民が納得できるように描かれているか注目したい、
と続けています。
実は私も県庁の所在地問題については、いまもって解決していないのではないか、誠に失礼ながら楫取素彦の失政といってよいのではないかと考えています。
これ(↑)は、あちこちで配布されているパンフレットです。
このパンフレットには、 楫取素彦の年譜が掲載されています。
これ(↑)もパンフレットに掲載されているものですが、
「至誠」に素彦は心を動かされ、県庁移転を決意したと言われ(てい?)ます
の表現には、私はとてもひっかかるものがあります。
高崎から前橋への県庁移転については、群馬県史通史編7に詳しく記載されていますが、その掲載内容とパンフレットの内容は、くいちがっているように感じられるからです。
これら(↑・↓)は、群馬県史通史編7からの引用です。
↑によれば、楫取素彦は、
地租改正の事務が終了すれば、速やかに高崎に(県庁舎を)新築する、
私の在任中は、前橋の仮庁舎を本庁舎にしない、
といった約束をしているのです。
ところが、太政官布告によって、前橋が県庁所在地になるということになり、高崎での反対運動が展開されるのですが、県職員の〝焦点がはずれ〟た答弁もあって、なんとなく現状追認的になってしまったというのがざっとした流れといえるでしょうか。
↑の最後の行、
その後、県庁改築や県会議事堂改築のとき、
県庁位置を高崎へ移す動きが見られたが、
採り上げられず現在に至っている
には、高崎市民の無念の気持ちが込められているように、私には思えてなりません。
長い間、前橋にある職場に勤務していたこともあって、前橋はとてもよいまちであると思っていますし、これまでの歴史を考えるとき、いまのまま前橋に県庁が置かれていても仕方ないことかもしれず、もはや楫取素彦の約束は、時効による消滅ではないか・・、とも考えているのですが、
もし、明治期に県庁を置くとき、前橋でなく高崎に置いていたら・・・、
いまの高崎は、どんなまちになっていただろうか・・・、
と想像が広がっていきます。
楫取素彦が県令であった時代の県庁の組織です。
群馬県史通史編7の付表から引用させていただきました。
上毛新聞で石橋さんの投書を読ませていただいて、久しぶりに書棚の群馬県史を手にしました。
石橋さんに心から感謝を申し上げます。
これからのNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の展開、とくに高崎から前橋への県庁移転について、どのように描かれるのか、私も石橋さん同様、とても楽しみにしています。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の番組情報
http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/ |
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