2014年6月24日火曜日

群馬交響楽団

第500回定期演奏会

後世に残すべき群馬県の宝・財産はなにか、
 と問われれば、私は、

  群馬交響楽団(群響・ぐんきょう)
 上毛かるた
          
          のふたつをあげたいと思っています。        

もちろん、このほかにもたくさんのお宝がありますが、先の大戦による敗戦後の荒廃したわが国にあって、小さな都市である高崎市で誕生した〝高崎市民オーケストラ(今日の群響)〟は、まさに奇跡といってよいほどすばらしいできごとであったからです。

上毛かるたも戦後のわが国にあって、こどもたちに郷土に誇りを持ってもらおう、ということで、食べるものさえこと欠く混乱期につくられました。

敗戦後における群馬県において、県民の精神的な支えになったり、潤いのある暮らしをつくってくれたのは、群響の音楽であり、こどもたちが「つるまうかたちのぐんまけん」と大きな声で読む声を聞いて、多くの人々が元気になっていったといっても過言ではありません。
1946.3.10の第1回定期演奏会から数えて、第500回の定期演奏会が群馬音楽センターで開催されました。
第500回は、「皇帝(ピアノ:清水和音さん)」、「アルプス交響曲(リヒャルト・シュトラウス)」が演奏されました。
たいへんすばらしい演奏に、拍手が鳴りやみませんでした。
1946年といえば、敗戦の翌年のこと。
敗戦の1945年に〝高崎市民オーケストラ〟が誕生したのですが、これはほんとうにすばらしいことであったと思います。

第500回のプログラムには、これまでの歩みとともに、群響に関係のあった各氏のメッセージも掲載されています。
小澤征爾氏のメッセージを読ませていただいていて、私が小学生のとき、群響の移動音楽教室によって、初めて生(なま)の演奏を聴かせていただいたことを思い出しました。

小澤氏のメッセージにある悴田さんのお名前にも記憶があったので、帰宅後に調べてみたところ、群馬県史にある移動音楽教室の写真の提供者でした。
「群馬県史 通史編 9 近代現代3 教育文化」から転載させていただきました
このなかに若いときの小澤氏がいるのかもしれません。
昭和30年代に小学生で、安中の小学校に通っていた方々は、若いときの小澤氏に出会っていたことになります。

小澤氏が〝世界のオザワ〟になる前、バスに乗って安中市の小学校に行き、こどもたちに指揮や演奏を披露し、子どもたちが生(なま)で間近に見て、演奏が聴けたということは、まさに群響があったからこそであり、群馬に群響がなければ、こんなに幸せなことが起きることはなかったでしょう。

小澤氏にとっては、「今夜は、悴田さんのお宅で、おなかいっぱいご飯を食べさせていただこう」という思いもあって、安中に出向いたかもしれませんが、若いときの小澤氏のエピソードとして、たいへんおもしろいと思って、ここで紹介させていただきました。

群響の移動音楽教室は、映画の「ここに泉あり」で多くの方々に知られていますが、当時のこどもにとっては、たいへん楽しみな学校行事のひとつでした。
講堂や教室の床に座って、山のこどもにとっては、初めて見る楽器、初めて聴く楽器の音色に興奮したものでした。

群馬県史によれば、小沢氏は群響の創立15周年記念演奏会で指揮しました。
小澤氏と群響の縁をつよくしていただいた悴田氏、崔氏、丸山氏には、感謝しても感謝しきれない思いがします。
「群馬県史 通史編 9 近代現代3 教育文化」から転載させていただきました
群響が群馬県のお宝とすれば、高崎市民のお宝のひとつは、音楽センターではないでしょうか。
撮影:2014.2.20
音楽センターに出向くたびに、この石碑の「昭和三十六年ときの高崎市民之を建つ」を読ませていただくのですが、この碑文を読ませていただきますと、音楽を友として潤いのある暮らしをしていこう、と考えられた当時の人々の思い、決意が込められているように感じ、いつもすがすがしい気分になります。

これが、ほんとうの市民参加ということではないかと思います。

どうぞ、群響の定期演奏会がこれからも続いていきますように、お近くで群響の演奏会があるときは、万障差し繰ってお出かけください。

移動音楽教室で感動をいただいた群響には、これからもがんばってほしいと思った第500回の定期演奏会でした。

今年の「森とオーケストラ」のようすです。

http://geogunma.blogspot.jp/2014/04/35.html
第35回 森とオーケストラ-群馬の森

動画でメイ指揮者をご覧ください。

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