この作者は・・・?
昨日のブログ http://geogunma.blogspot.jp/2013/12/blog-post_6.html
きょうの上毛新聞 下仁田ねぎの記事がいっぱいです は、たいへん大きな反響がありました。
そのなかに、「下仁田ねぎを誤解される図柄のままにしておく、というのはよくないのでは?」というご意見がありました。
これもごもっともなご意見だと思いますし、実は私も「上毛かるたのこころ-浦野匡彦の半生(西片恭子著)」を読ませていただく前までは、上毛かるたの「ね」の図柄を改訂したほうがよいと思っていました。
この本を読んで、私は、下仁田ねぎの図柄は、このままでよいのだ、と考えるようになりました。
※ この点については、昨日のブログ記事を参照してください。
かえって、このままの図柄にしておくことが、上毛かるたがつくられた当時を物語る資料にもなり、〝下仁田ねぎは多くの方々が想像していたもの〟であったという歴史を伝えることになるからです。
といってはみたものの、ほんとうにその当時の下仁田ねぎは、太いものだけだったのだろうか、といった疑問もあって、昨年、いろいろ調べてみたところ、戦後に下仁田町馬山地区で、松浦源一郎さんらによる品種改良が行われ、
〝中だるま系〟といわれる今日の下仁田ねぎが主流になるまでは、
細い下仁田ねぎもないわけではなかった、
ということがわかりました。
したがって、上毛かるたの図柄が、まったくの想像で描かれたにしろ、結果的にはあながち間違いではなかった、といってよいのかもしれません。
だからこそ、下仁田ねぎの産地である下仁田から「図柄が違う、訂正してほしい」といった要望がなされなかったのかもしれません。
※ 文化協会に要望しても聞き入れていただけなかったのかもしれませんが・・・
下は、「上毛かるたのこころ-浦野匡彦の半生(西片恭子著)」から引用、一覧表にまとめさせていただいたものです。
見づらいかもしれませんが、最後のほうの
「下仁田ねぎとこんにゃく以外には、農産物や加工食品の分野での上毛かるたがない」
にご注目ください。
もうひとつ、一覧表中の右下の上の枠内の
「12点のうち、「葱と蒟蒻下仁田名産」が5点~全部で12点の応募があった」
というところです。
上毛かるたの「ねぎとこんにゃく下仁田名産」は、いまや下仁田町を表現するキャッチフレーズになっていて、この「ねぎとこんにゃく下仁田名産」なくして、下仁田町の名声は得られなかったといっても過言ではないと思うのです。
来年は、下仁田町で「全国ねぎサミット」が開催されるとのことですが、
下仁田町長が先頭に立って、「ねぎとこんにゃく下仁田名産」の作者5名(もしお亡くなりになっているときは、そのご遺族の代表)を探して、
下仁田町での「全国ねぎサミット」に招待し、感謝状と記念品を贈呈する、
といったことも検討されたらどうか、
と私は思っています。
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