2017年5月30日火曜日

たいへん驚きました!!

「首飾りの10代人骨」 【2017.5.30(火)上毛新聞】


2017.5.30(火)の上毛新聞は、
首飾りの10代人骨
 甲の人骨と同一集団か
という大きな見出しで、渋川・金井新田遺跡での発見を大きく報じていました。
この記事にある
  甲の人骨
とは、以前、金井東裏遺跡で発見された
  甲(よろい)を着装した古墳人のことです。
つぎの画像は、 甲(よろい)を着た古墳人について、群馬県埋蔵文化財調査事業団が行った説明会に出向いたとき(2013.3.4)の画像です。
甲を着た古墳人が発見された場所の説明をお聞きしているところです。
逃げる間がないほど早く、火砕流が押し寄せてきたのでしょう。
 2013.3.4は多くの方々が静かに、
  甲を着装した古墳人
の最期のときに思いをよせているような、そんな説明会でした。
男女の別はわかっていないそうですが、10代の青年であるとのことです。
どのような状況下で、こういったことになってしまったのでしょうか。

考古学上の大発見だと思いますが、火山の噴火という自然災害が多い日本、そのなかで生きる私たちになにかを伝えようとしているのではないかな・・・と、そんなことも感じてしまったニュースでした。

2017年5月29日月曜日

古墳めぐり-南下(みなみしも)古墳群

榛名山麓の截石切組積石室

ご存知の方が多いと思いますが、横穴式石室のうち、四角く加工した石材(截石(きりいし))で構築されたものを截石切組積(きりいしきりくみづみ)石室-「群馬の古墳を歩く(みやま文庫・176頁)-といっています。
 以下、「群馬の古墳を歩く」をもとに申し上げますと、截石切組積石室の古墳は、群馬県内に30~40基が確認されているそうです。
南下古墳群には、A号からE号までの古墳があります。
そのうちA号とE号が 截石切組積石室の古墳です。
いつ行ったのか覚えていないほど前のことであったのですが、久しぶりに行ってみて、
 キケン
の表示と立ち入り禁止柵があることにびっくり。
見学者がなかにはいっていて、もしものことがあったら・・・と考えれば、これはやむを得ないことだと思うのですが、ちょっぴり残念でした。
とても詳しく書かれている説明看板もあって、たいへんわかりやすい古墳群になっていると思います。
A号古墳の玄室には、加工のときに引かれた細くて赤い線が見られます。
なかに入ることができませんでしたので、朱線の画像はありません。
上の画像は、手持ちのカメラで立ち入り禁止柵の前から撮影したものです。

朱線の痕跡が見られる古墳は、群馬県内では南下古墳群のA号とE号、それに上庄司原4号古墳(前橋市富士見町)の3基のみ-「群馬の古墳を歩く(みやま文庫・181頁)-とのことで、たいへん珍しいものといえます。

高度な石の加工技術を持っていた人々がいたことがよくわかる貴重な古墳が見られる南下古墳群には、駐車場も整備(いまは舗装なおし中)されていますので、安心して古墳めぐりができます。

南下古墳群の位置等については、吉岡町のHPを参考にしてください。

http://www.town.yoshioka.gunma.jp/kankou/culture/001439.html

2017年5月27日土曜日

長野堰なくして高崎なし

世界かんがい施設遺産
長野堰用水展 開催中!!!
高崎市立歴史民俗資料館(上滝町1058番地)において、長野堰用水展が開催されています。
 「長野堰を語りつぐ会」の皆さん手作りのジオラマは、メンバーの方々が資料収集と現地調査を行い、
 細部にまでこだわって、つくりあげた
というもので、とてもすばらしいものです。
奪えあえば足らず
分かちあえば足る
という円筒分水の心は、農業用水のことだけでなく、現代の地球環境問題-地下資源等の争奪-にもいえることかもしれません。
むかしの高崎に出会うことができます。
二代目の高崎駅には、列車を待つ人々がホームに立っています。
このブログのタイトル
 長野堰なくして高崎なし
は、購入したDVDから引用させていただきました。

平安時代に開削された長野堰用水の歴史、
貴重な水を分かち合い、
一生懸命に生きてきた先人の思いにふれてみませんか。

長野堰用水展
 5/28(日)まで!

2017年5月26日金曜日

失敗は成功の基といいますが・・・



「しくじりから見えてくるジオパークの理想像」とは・・・

日本地球惑星科学連合大会ジオパークセッションについて、三陸ジオパークのHPでは、つぎのように紹介しています。
「しくじりから見えてくるジオパークの理想像」は、たいへんおもしろいテーマ設定であると思いました。
といいますのは、いまの日本ジオパークを見るとき、玉石混交というのでしょうか、がんばっているジオパークがあれば、これはいったいどうしちゃったのだろうか・・・と心配になるほど、沈み込んでしまっているままのジオパークがあるやに感じているからです。

昨年には、こんな調査結果(↓)が公表されました。

また行ってみたいジオパークは?
また行くとしたら あなたはどこに?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/07/blog-post_5.html

いろいろな施策や事業、人生などにおいて、失敗をしないことはとてもよいことだと思いますが、失敗したことによって、うまく(運よく?)成功したときよりも大きなものを得ることができる、そんな〝失敗の効用〟もあるのではないでしょうか。
土佐清水と那須烏山については、現地審査が実施されないことになったとのことですが、こういったことによって、これからのジオパーク活動をどのように進めていけばよいのかを、土佐清水と那須烏山では市民全体で考えていく契機にすれば、これはこれでよいチャンスだ、ということもいえるのではないでしょうか。

イエローカードから2年後-恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク
今年の再認定審査で見事に再認定となりました!!
 たいへんおめでとうございます!!!
http://geogunma.blogspot.jp/2015/12/2.html

日本初の条件付き再認定になった恐竜渓谷ふくい勝山は、イエローカードから2年後、見事に再認定になりました。
恐竜渓谷ふくい勝山は、しくじったことによって、よりよい方向に進んだジオパークのよい事例といってよいでしょう。

今年の再認定審査では、2015年に条件付き再認定になった茨城県北・下仁田も審査を受けることになるのでしょう。
茨城県北・下仁田ジオパークは、どのような審査結果になるのでしょうか。
私の予測では、・・・(いまは、やめておきます)


三陸も明日は我が身との思いで、初心を忘れずに活動していこうという三陸ジオパークは、これからも大いに発展していくのではないかと思いますし、またさらに発展していって、日本のジオパーク活動全体を盛り上げていっていただきたいものだと思っています。

これからの時代のジオパークは、質的な向上を図ることができない限り、ジオパークを名乗ることが許されない。
という時代状況を住民・活動団体などにおいて、十二分に共有できているジオパークは、これからも発展していくと思いますが、条件付き再認定後に沈み込んでしまったまま浮上しない潜水艦のようになっているジオパークであったとすれば、この秋の再認定審査において、どのような審査結果が下るかは、明々白々といったところかもしれません。

失敗は成功の基といいますが、
失敗を成功の基にできたかどうか・・・
これが今年の審査で問われることになるのでしょう。

2017年5月25日木曜日

ある鉱山の跡地へ【2017.5.23(火)】

むかしの人々はすごかった!

ということを実感した鉱山跡地の調査でした。

長い坂を歩いて登り上げ、山の上のほうで鉱石を掘り出し、それを下の事務所前まで運んでいたとのことで、その労力を考えるとき、むかしの人々は、ほんとうにすごかったと思います。
川の上にはケーブルを設置して、それを利用して鉱石をおろしたりして、労力の軽減と作業の効率化が図られていたそうですが、採掘や選鉱などは、主に人力での作業であったとのことです。
調査カバンを持っているぐらいでも、歩いて坂を登り上げるのは、 とてもたいへんなことでしたので、鶴嘴などの道具を担いだりして登り上げたり、鉱石を担ぎ下ろしていた作業は、ほんとうにたいへんなことであっただろうと思いました。
道路のはたなどに転がっている石には、さまざまな鉱物が含まれています。
鉱山跡地の調査については、土地所有者の方の了解を得て、立ち入りとサンプル採取などをさせていただきました。
また、この日の鉱山跡地調査では、土地所有者および地元で鉱山に詳しい方に現地を案内していただくことができました。
お忙しいなか、現地を案内していただいた土地所有者および地元の皆さんには、ほんとうにありがとうございました。
これからも鉱山研究会の調査にお力添えいただければ幸いです。

むかしの人々は、ほんとうにすごかった!!
 と実感した鉱山跡地の調査でした。

2017年5月24日水曜日

きれいなコケがいっぱい

ある鉱山跡地で

2017.5.23(火)の晴れた一日、鉱山研究会の一員として、鉱山跡地の調査に参加させていただきました。
きのうは、ふたつの鉱山跡地を調査したのですが、そのひとつの坑口近くには、きれいなコケがいっぱい生えていて、その美しさにびっくりしてしまいました。
ビロードのような、という表現がありますが、まさにそんな感じです。
坑口からしみ出てくる水は、調査に参加した方が簡易検査をしたところ、pH4.4であったとのことでした。
酸性の水のところに生えているコケとしては、群馬県内の場合、中之条町のチャツボミゴケ公園が有名ですが、ここのコケもそういったコケの仲間かもしれません。
コケの専門家に調べていただければ、どういったコケなのかわかるかと思うのですが、とても美しいコケを見ることができただけでも山道を上り下りして、藪の中をかき分け歩いてきたかいがあったと、そんなうれしい気持ちになったコケとの出会いでした。

2017年5月22日月曜日

小栗上野介-小栗まつり 【2017.5.21(日)】

たくさんの方々がおまいりに訪れていました

たくさんの方々が東善寺へおまいりに来られていました。
 東善寺の庫裡入り口に、
 ほんとうの幕末明治の産業革命遺産は、横須賀製鉄所
という立て看板がありましたが、そのとおりではないかと私も思います。
 中小坂研究会理事の原田喬さんによる
 小栗上野介と中小坂鉄山
の講演も行われました。
また、東善寺境内では、
 たたら製鉄の実演
も行われましたが、そのようすについては、こちらをご覧ください。

たたら製鉄の実演 【2017.5.21()
    小栗まつり
http://ameblo.jp/7568nanjai/entry-12276814181.html

小栗上野介と家族、家臣にお線香をあげ、おまいりをされる方々です。
非業の死をとげた小栗上野介、その家族や家臣に対して、お線香をあげて合掌される方々の長い列が続きました。
東善寺境内にある遺品館のお駕籠の説明です。
小栗上野介と横須賀つながりということで、この日のお昼は、横須賀海軍カレーをいただきました。

2017年5月21日日曜日

小栗上野介-150回忌

小栗まつり【高崎市・東善寺】

小栗上野介が斬首された地に立つ顕彰碑です。

偉人 小栗上野介
罪なくして此所に斬らる

小栗上野介が斬首されたことは、小栗上野介本人の無念もさることながら、明治以降の日本にとって、大きな損失であったと思っています。

最近、小栗上野介ファンの私にとっては、もっと小栗の人物、業績をきちんと評価してほしいものだ思うできごと(↓)がありました。

これって、怪文書のたぐいでは・・・?
「風聞記」なるものと小栗上野介
http://geogunma.blogspot.jp/2017/05/blog-post_10.html

小栗上野介の人物、業績を正しく評価していれば、こんな文書をもとにして、テレビ番組でとうとうと述べたり、新聞に発表することはないと私は思うのです。

   2017.5.21(日) 高崎市の東善寺  小栗まつり



原田喬さんの講演のほか、福島宣行さんによる「たたら製鉄」が行われます。
砂鉄と木炭から〝鉧(けら)〟という鉄のかたまりをつくるのですが、この過程をご覧になれば、
 すごい!!!
と感動されるのではないかと思います。

昨年末、下仁田町で行われたときのようす(↓)です。1

たたら製鉄:2016.12.3()  2回目の操業が行われました!!
http://geogunma.blogspot.jp/2016/12/2016123_3.html

 東善寺です。
小栗上野介・150回忌
東善寺におまいりしてみませんか

2017年5月19日金曜日

神成古代蓮の里:富岡市神成(かんなり)

花が咲くまで もう少し

 「花が咲くまで もう少し」といっているのに、
   あれ・・・、もう咲いているの?
     と驚かせてしまったとすれば、ほんとうに申し訳ありません。
        この画像(↑)は、2016.6.9に撮影したハスの花で、まだ今年は咲いていません。

きょうの段階では、つぎのとおり(↓)です。
 地元の皆さんによって、今年も遊歩道がきれいに整備されています。
地元の皆さんの手入れによって、きれいなハスの花が咲き、その花を見させていただけるわけで、たいへんありがたいことだと思います。
去年はなかったと思いますが、今年は広場に掲示板が設置されています。
掲示されているのは、新堀神社で保管している算額の写真をはじめ、その算額の問題の解答などです。
今年は古代蓮の里で、きれいなハスの花を見たあと、和算の問題を解いてみるのも楽しいのではないでしょうか。
この看板(↑)が目印です。
 ※ この看板には、
     ここは 富岡市神成東石坪926
   と書かれていますが、Googleマップでは、 

   富岡市神成726 となっています。
    ナビを使って、古代蓮の里に来られるときは、Googleマップの富岡市神成726に設定したほうがよいかもしれません。
    Googleマップで富岡市神成926を検索しますと、蓮池でない場所を指し示します。

来月の上旬には、神成古代蓮の里で、
きれいなハスの花が見られることでしょう。
どうぞ、お出かけください。

自動車で来られるのもいいのですが、せっかくですので、上信電鉄を利用して、ハスの花を見たり、神成山のハイキングも楽しいかと思います。

上信電鉄を利用したコースについては、
  こちら(↓)を参考にしていただければ幸いです。

石坪の池:富岡市神成(かんなり)   古代蓮の里
http://geogunma.blogspot.jp/2016/06/blog-post_9.html

2017年5月18日木曜日

前橋八幡山古墳-前方後方墳

群馬最大の広瀬・朝倉古墳群

これまで
前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳

中二子古墳【前橋市・大室公園】の埴輪
を紹介してきましたが、群馬最大の古墳群といわれている広瀬・朝倉古墳群にある前橋八幡山古墳を紹介します。
前橋八幡山古墳は、広瀬・朝倉古墳群のなかで、たったひとつの前方後方墳です。
墳丘長が130mもあって、全国的にみても大きい前方後方墳とか。
前方後方墳については、東日本に多いとのことです。
群馬県内には、高崎の元島名将軍塚古墳など、いくつかの前方後方墳が見つかっています。
 前橋八幡山古墳が築造されたのは、4世紀初頭といわれています。
 「群馬の古墳を歩く(みやま文庫)」によれば、前方後方墳は邪馬台国論争に関わるものでもあるとのこと、古代のロマンを感じさせてくれる前橋八幡山古墳ではないでしょうか。
話題は変わりますが、けさ(2017.5.18)のNHKニュースで、博物館取材チームの取材として、博物館の現状や課題などを紹介していました。
国立博物館の事例として、展示と収蔵品の管理、修復などの問題をはじめとして、収蔵庫が不足し、廃校になった校舎(教室)に保管している地方の博物館をもとに、いまの博物館をとりまく現状を細かく紹介したニュースを視聴していて、
  いま、こういう状況に博物館がなっているのは、
   博物館の機能を十分に発揮させようと設置主体が考えていないからなのだろうな、
    たいへん残念なことだな、
と思いました。
博物館で働いている学芸員をはじめとする職員は、人手不足と限られた予算のなかで、いろいろ工夫-まさに四苦八苦状態-して、なんとか博物館としての体裁を守ろうと必死にがんばっているのではないかと思うのです。

地方自治体が設置した博物館の場合、設置主体である地方自治体が博物館運営について、きちんとした覚悟をもったうえで、議会などでも十分に議論し、さらに住民によく必要な説明をし、そのうえで博物館をつくってきたかといえば、そのようなことがなかったとまでは言いませんが、かなり希薄な意識で博物館設置を進めてきたのではないのかな・・と、思うときがあります。

数年前、群馬県立歴史博物館で水漏れ事故があり、展示してあったものに染み(しみ)ができてしまったということで、大きなニュースになったことがありました。
いまは、改修工事を済ませ、展示内容も一新して、新しい歴史博物館として生まれ変わりましたが、こういった〝事件〟の背景には、きちんとしたメンテナンス予算を毎年度に計上してこなかったことがあるのではないでしょうか。

地方自治体で博物館を設置した以上は、きちんとした収蔵品の管理体制-職員の確保をはじめ、収蔵庫などの設備の拡充ほか-をつくり、建物や展示室などのメンテナンスを確実に行って、すばらしい博物館を築いていってほしいものだと思っています。

けさのNHKニュースで文化財の修復担当課長が、
 (人手や予算がなく)修復作業が進まない。
修復作業がうまく進まず、貴重な文化財を後世に伝えることができないということになれば、
 博物館人として、(国民への)背信行為だ。
と話されたこと(録画していませんでしたので、細かな部分は間違っているかもしれませんが、大意としては間違っていないと思っています。←間違っていたときは、教えてください)がつよく印象に残っています。

前橋八幡山古墳を紹介するつもりでしたが、違った方向に行ってしまいました。