2019年8月28日水曜日

ほんとうのことであったとは!!

たいへん驚きました

私が子どものとき、父が「むかしのことだが、この地区で石油を掘り出そうという計画があったそうだ」と私に話したことがありました。
父が私に話したことは、すっかり忘れていたのですが、群馬県立文書館に所蔵されている文書のなかに、石油鑛試掘地図をはじめ、いくつかの書類が残されていることを知り、父が私に言ったことはほんとうのことであった!!と、父が言っていたことを思い出し驚いてしまいました。
私が子どものとき、石油資源の多くは中東などの外国から日本に運ばれていて、石油資源とは外国から運ばれてくるものと思っていたものですから、
 『とうちゃんは冗談を言っているのだろう』
と思っただけでした。
のちに国内でも石油資源があることを知りますが、子どものときには国内に石油資源はないものと考えていましたし、まさか自分が暮らしている土地の地下に石油資源があるということで、それを掘り出そうと考えた人物がいたとは、まったくと私には考えられないことでした。
しかし、群馬県立文書館で石油試掘に関する地図などを見て、父が私に言ったことは、ほんとうのことであったのか、とたいへん驚くとともに、父のことばを信用しなかったことを私は申し訳なく思いました。
上の画像は、石油資源を試掘しようとした場所です。
ここに石油資源があると考えた人物は、いったいどのような方であったのか、たいへん興味があります。
石油試掘願いを出したのは、新潟県の澤辺四郎という人物です。
この試掘願いに対して、試掘区域に入っている町村に意見照会があり、
  灌漑水ニハ支障有之
と回答した村があったため、試掘ができなかった事案であったと考えられます。
現在のところ、試掘後に採掘したいという出願書類が見つかっていませんので、試掘を出願しただけで終わったのであろうと思っています。
しかし、これからの史料探しで新たな書類が見つかり、それが採掘していたことを証するものであれば・・・、たいへん興味深い歴史を知ることができるのではないかと、そんな期待をしているところです。
それにしても父が言っていたことが、ほんとうのことであったことを知り、びっくりするとともに父に申し訳ない気持ちになった史料発見となりました。

群馬県立文書館に出かけて、皆さんがお住いになっている地域や皆さんがお生まれになった地域の歴史を調べてみませんか。

群馬県立文書館のHPは、こちら(↓)になります。

群馬県立文書館

2019年8月23日金曜日

皆さんは、どのようにお考えになりますか?

中学の部活後援費の負担

2019.8.22の読売新聞(群馬版)に、たいへん興味深い記事が掲載されました。
いまはどうか知りませんが、私が知っている限りでは後援費の分配は、運動部、それも野球部に厚く、ほかの運動部や文化部に対しては、スズメの涙程度の金額でした。
つぎの記事にありますが、ユニホームや経口補水液の購入までも後援費で賄われたのでは、不公平感を感じる保護者が出て当然といってよいと私は思います。
グランドの土やプールのロープの購入は、教育財産管理として公費で賄うべき性格のものであり、後援費で購入すべき性格のものではないと私は思います。
いろいろな経過があって、一律に保護者から子どもが部活をしているかどうかに関係なく後援費を集めているのでしょうが、いまの時代、かなり無茶苦茶なことではないかと私は思います。
子どもが部活をしているかどうかに関係なく、いまも中学校が一律に保護者から後援費を集めているのは、
  『子どもが通っているわけだし、一律負担はおかしいのでは?と中学校に言って、
 子どもが不利な扱いをうけたり、同級生からいじめをうけても困るから・・・』
という気持ちが親の側に起きるため、
  『仕方ない、払っておこう、どうせ3年間のことだから』
となって、いまにつながっている〝悪しき風習〟ではないかと私は思います。
それにしても読売新聞の記事の最後の部分、
  市教育委員会は、各学校の部活動後援会について
           存在の有無や会費を把握していない
 担当者は「各学校の中でうまくやってほしい」と話している
には、たいへん驚いたといいますか、あきれかえってしまいました。
先に、
   いまの時代、かなり無茶苦茶なことではないか
 と私が述べたことについて、私の考えをすこし補足しておきます。
いまの時代は、中学校の部活でなく、しっかりした指導者がいるスポーツ団体などのチームに入り、みっちり基礎から覚えていくということが、その子どもの将来によいことだと思います。
私が経験した事例で申し上げれば、競技のルールも知らなければ、練習の指導もできない教師が竹刀を持って、子どもたちを見張っているだけ(?)という運動部がありましたが、これは百害あって一利なしといってよいでしょう。
いまの時代は、教師の働き方改革も必要です。
いっそのこと中学での部活を廃止して、教師が学習指導に集中できる、そんな環境を早急につくっていくべきではないかと私は思います。
と同時に、子どもたちの学び方改革も必要になってきている時代だといえないでしょうか。
部活がなくなれば、地域のスポーツクラブに通う子どももいるでしょうし、ピアノやバイオリン、書道などに通う子どももいて、中学校での学びとあわせて、とてもよい効果を生むことが期待できると私は思います。
今後も部活を続けていくのであれば、子どもに部活への参加を強制しない、そして部活に参加する子どもの保護者のみが必要な費用を負担し、それ以外の保護者に負担を求めないこと、これを大原則にすべきであると私は思います。
皆さんは中学の部活後援費の負担について、どのようにお考えになりますか。

2019年8月12日月曜日

渋川空襲:アメリカ軍の艦上爆撃機13機  


500ポンド爆弾26発投下、
 7.7ミリ旋回銃・20ミリ機関砲による機銃掃射


1945(昭和20)年7月30日、アメリカ軍の空母「ランドルフ」の艦上爆撃機カーチスSB2C・4ヘルダイバー13機が渋川方面に飛来、午前7:25から約1時間にわたって、爆弾投下と機銃掃射を行いました。
撮影:2019.8.11 (赤い丸は、私が画像に付したものです)
上の画像(↑)は、そのときの銃弾痕で、いまも大切に保存されています。
下の画像(↓)は、いまも壁面に銃弾痕がある建物に設置されている説明です。
撮影:2019.8.11
昭和から平成、そして令和へと時代が変わっていくなかで、先の大戦による悲しいできごとは、多くのひとびとの記憶から薄れていっているように感じています。
きのうのブログ(↓)の
なっちゃんとゆみちゃんの花嫁姿
     NHK 連続テレビ小説〝なつぞら〟
は、戦争で家と両親を失った子どもが、それぞれに戦後を生き抜いていく物語ですが、私が申し上げるまでもなく、戦争は多くの悲劇を生みます。
〝なつぞら〟での咲太郎、なつ、千遥の兄妹は、別れ別れになってしまったわけですが、それそれの場所で、幸いにもいい人に出会えて、戦後を生き抜くことができました。
しかし、戦争によって家や両親を失った多くの子どものなかには、浮浪児になって、施設に保護されたり、食べ物がなく餓死した子どももたくさんいたと聞いています。
撮影:2019.8.11 (赤い丸は、私が画像に付したものです)
アメリカ軍による渋川方面への空襲では、
  死者 17名
  重軽傷者 45名
  建物被害 209棟
であったそうです。
しかし、この建物のところにある説明には、
  当時の新聞は軍事施設・工場・一般民家とも被害はほとんどなかった、と伝えている
と記載されています。
撮影:2019.8.11
ことしも8月15日がやってきます。
私の父母は、戦争を体験していますが、戦後生まれの私は、戦争を体験していません。
また、父母から戦争体験に関して多くのことを聞いているわけではありませんが、戦争によって悲しい思いをしたのは、まじめに国のいうことを信じて、
  お国のため
とがんばった国民であったことを考えるとき、いかにむごいことであったかは私にも理解できます。
撮影:2019.8.11
群馬県内では、前橋市への空襲をはじめとして、ここで紹介した渋川市ほかでもアメリカ軍の空襲がありました。
また、先の戦争では、国内外で多くの人々が、戦争で命を落とし、家を失ったりしました。
戦争を体験した世代が消えつつある今日、戦争の悲劇を記憶していくためにも、これからの時代、国内外の各地にある〝戦争遺蹟〟を訪れて、〝戦争遺蹟〟から戦争のことを学んで、いろいろ考えること、これが悲しい歴史を今後も伝承していくことになるのではないか、と私は思います。

 ※ 紹介した建物は、いまは渋川商工会議所になっています。
  1931(昭和6)年に旧有限責任渋川信用組合の建物として建設されたもので、昭和初期に建てられた建築物として、また戦争の歴史を伝えている建物として、渋川市の指定重要文化財になっています。

2019年8月10日土曜日

生息域が拡大するヤマビル

「ヤマビルと出会うくらいなら、熊に
遭遇するほうがましかもしれない」

ここ最近、急激にヤマビルが増え、山歩きはもちろんのこと、山間部では農作業でもヤマビルの被害にあうことが多くなったと聞いています。
先日の上毛新聞に掲載された投書(↓)です。
 私もヤマビルに血を吸われ、なかなか出血が止まらず、困ったことが何度もあります。
アドベンチャーレーサー・田中陽希さんもヤマビルの攻撃には、まいってしまうとのことで、冒頭の
「ヤマビルと出会うくらいなら、熊に遭遇するほうがましかもしれない」
は、2019.8.9の上毛新聞に掲載された「ようこそ陽希の冒険記(41)」のむすびの部分を引用させていただいたものです。
つぎの画像(↓)は、私が参加していた研究グループで、野外調査を終えて活動拠点に帰ってきたとき、なにやら床に動くものがいることに気づいて撮ったものです。
2017.4.8 下仁田町内で撮影
おそらく野外調査に参加した者のリュックやズボン、シャツについて、このヤマビルは自動車に乗り、活動拠点にやってきたのでしょう。
ずっと前のことになりますが、新宿駅でヤマビルが見つかったと聞いたことがあります。
丹沢方面から帰ってくる人について、新宿駅までヤマビルがやってきたのではないかと、そんなふうに聞いていますが、山の動物だけでなく人について、都会へも移動するヤマビルには、ただただ感心してしまいます。
つぎの資料は、群馬県のHPから引用させていただいたものです。
2009年度と2016年度を比べますと、ヤマビルの生息域が拡大していることがよくわかります。
山に入るときは、長靴をはき、ヤマビルが侵入してこないよう、しっかりすそをしばり、さらには塩水を吹きかけることが効果があると聞いています。
2017.8.9  ヤマビル防除講習会で撮影
私の場合、こういった対策のほか、虫よけのスプレーを持参し、山に入る前には、靴からズボン、リュックなどに吹きかけ、山から下りてきたときには、ヤマビルがリュックや上着、ズボン、靴下などについていないかをよくチェックします。
2017.8.9  ヤマビル防除講習会で撮影
もし、ヤマビルが靴やズボンについたときは、上の画像のスプレーを吹きかけると効果的だと教えていただきました。
それにしても、増え続けるヤマビルはどうすることもできないのだろうか、とそんなことを思うときがあります。
イノシシやクマ、シカ、タヌキなどの野生動物が増えて、山間部だけでなくまちなかにも出没する現在、ヤマビルもまちなかで増えているかもしれません。
野生動物やヤマビルが増えているのは、私たち人間が、山林などを荒廃させてきた、その結果ということなのでしょうか・・・。

2019年8月5日月曜日

北が上だけではない

南も東も西も上にすればよい

NHKの「チコちゃんに叱られる」は、わかっていそうなことですが、実際にはわかっていないことをうまく問いかけて、出演者がわからないときは、
 永遠の5歳、チコちゃんに、
  ボーっと生きているんじゃねーよ
と叱られるという趣向で、とても人気がある番組です。
先日の「チコちゃんに叱られる」をご覧になった方は、なるほど!!ということであったと思いますし、先人の知恵に感心されたと思います。
船舶の航海といった目的であれば、上を北にした地図が理にかなっていますし、それでよいと思いますが、違った見方をするためには、北が上だけでない地図も必要だと思います。
この番組で、富山県が作成した「環日本海諸国図」が紹介されました。
私のブログで、ずっと前のことになりますが、 
   地図 環日本海諸国図
を紹介させていただきました。
富山県の「環日本海諸国図」を私が知ったのは、おそらく平成6年に富山県が発行したころであったと思います。
それが令和の時代になって、話題になっているということで、いろいろな角度から地図を見ることの大切さが認知されてきたのかな、とうれしい気持ちになりました。
この地図ですと、東京から見て、山のほう、それもどん詰まりの場所に、富岡市や下仁田町があるという感じになりませんか。
ところが違った角度で見てみると、下仁田町と富岡市がある場所は、関東平野の入り口であったということがよくわかるのではないかと思うのです。
上野三碑がつくられた時代の人々をはじめ、古代の人々にとっては、長野県と群馬県境の山々が関東平野への入り口であり、ここから多くの人々が関東、東北へと歩んでいきました。
見る角度を変えれば、違った世界が見えてくる、それが地図のおもしろさではないかと思います。
お手持ちの地図をひっくり返してみたり、いつもの東西南北を変えて、じっと眺めれば、きっと違った世界が見えてくると思います。