2017年4月28日金曜日

失言するのは・・・

気のゆるみ、それとも傲慢から?

どうしてこういった発言をされたのか、実に不思議な大臣であったと思います。
自分の職責、立場を認識していれば、こういった発言に結びつく考えにならないものだと思うのです。
この大臣の場合、派閥の順送り人事と揶揄されようと、せっかく大臣になれたのに更迭という不名誉な結果で、大臣の座を去るはめになってしまいました。
まさに、口は災いのもとということになります。
ここで紹介したいのが、「大失言(情報センター出版局・2007.7.13発行)」です。
この本には、表紙にあるとおり、
  戦後の失言・暴言・放言
のなかから
  厳選された77
の失言・暴言・放言が紹介されています。
 私は、この本で紹介されている失言などを読んでみて、
  これは失言ではなく、本音を言ったのだろうな・・・
と思うものもあります。
しかし、どう考えても失言というより暴言ではないかなと思うものがあります。
暴言にいたる経緯を考えるとき、いろいろな伏線があったり、そのときの興奮した状況など、いろいろなことがからみあって、
  あっ、言ってしまった!
というものが多いように感じます。
簡単にいえば、虫の居所が悪かったときという不運が暴言の引き金になってしまったのかなというものもあります。
「大失言(情報センター出版局・2007.7.13発行)」には、失言を追及された首相が答弁で、つぎつぎと失言してしまうという〝失言連鎖〟も紹介されています。
それと失言した人物に共通するのは、ひととしての情(じょう)が希薄か欠落していたからではないかと思います。
大きな地震、津波と原発による被害で、いまも苦労されている人々に対して、きちんとした気持ちで思いを寄せれば、このような考え、発言にならないはずだと思うのです。

実にレベルが低い失言に、この国の政治の貧しさを感じるのは、私だけではないと思うのですが・・・。

「大失言(情報センター出版局・2007.7.13発行)」には、発行年月日からおわかりのとおり、最新の失言や暴言、放言は紹介されていません。
わが国の国会議員、大臣らは、いっぱい失言してくれていますので、本づくりのネタに困ることはないでしょうから、そのうち「大失言」の続編が出版されるかもしれません。

国民のこころをゆさぶる名演説、その演説によって、日本国が力強く前進していくような、そんな力がある政治家が登場してほしいものだと思った〝失言大臣更迭事件〟でした。

「大失言」でなく「国民のこころをゆさぶった戦後の名演説集」といった本を読んでみたいものだと思っているのですが・・・。

2017年4月27日木曜日

国定忠治の甥

長岡利喜松

いまは「赤城の山も今宵限り」といった名セリフの芝居を知らない方が多いと思いますが、私がこどものときの地区の演芸会で、「名月赤城山」は必ずといってよいほど上演されていたものでした。
「かわいい子分のてめーたちとも別れ別れになる門出だ」といっては、近所のこどもたちと芝居のまねをして遊んでいたころ-私が忠治でした-を思い出す記事(↓)を見つけて、しばらくぶりに国定忠治の墓がある伊勢崎市の養寿寺に行ってきました。
明治時代の道路や鉄道などを調べていますが、その調べ中、群馬県史の資料編19に
  国定忠治の甥
という記事(明治期に発行されていた新聞記事)を読んで、
  長岡利喜松
に興味を持ち、国定忠治がある養寿寺に行けば、長岡利喜松のことを教えていただけると思って、4月の某日、養寿寺に行ってきました。
養寿寺になります。
訪れた4月某日には、まだサクラが咲いていました。
長岡忠治の墓とありますが、国定忠治の墓は、この大きいほうではなく隣にある小さいほう(囲いが見えるかと思いますが、そのなかにあります)になります。
こちらが国定忠治の墓です。
墓石の角が削られて丸くなっていますが、これはギャンブル好きな方たちが〝賭け事のお守り〟にと墓石を削ってしまったからだといわれています。
そんなわけもあって、まわりを囲っているそうですが、〝賭け事のお守り〟に墓石を削るとは、まことに罰当たりなことと私は思うのですが・・・。
養寿寺を訪れた日は法事があるらしく、寺の皆さんがお忙しいようでしたので、庫裏のほうに行きませんでした。
長岡利喜松の人物等に関して、御住職からお話をお聞きできませんでしたが、国定忠治の墓の前にあるひときわ大きな墓石が、長岡利喜松のものだとわかって、おじさんのためにがんばって生きてきた人生がこの大きな墓になっているのかなと思いました。
国定忠治といえば、ちょんまげの時代ということになりますが、明治期から大正期にかけて、おじさんの名誉回復のためにとがんばった長岡利喜松は、こうしておじさんの墓の前にいることに、きっと大満足でいることでしょう。
あっ、そうそう、長岡忠治の墓という大きなものは、長岡利喜松ほかの人々が建てたと、裏面に大きく刻まれています。

国定忠治の甥は、私にはとても興味深い記事でしたので、紹介させていただきました。

2017年4月25日火曜日

ふと小学生のときの同級生を思い出しました

ね ぎ 坊 主

2017.4.24の朝、いつものように散歩がてら写真を撮っていて、ふと小学生のときの同級生を思い出しました。
ねぎ坊主を前に入れて、上信電鉄のラッピング電車・ぐんまちゃんを撮ろうと思い、カメラの設定をはじめたところ、ねぎ坊主が並んでいる姿が、こどものとき校庭に整列していたときのことを思い出しました。
山のなかの小学校で、男の子は丸坊主、女の子はおかっぱ頭が多かったように記憶しています。
いまはこどもが生まれたあと、いい枕をつかったり、頭の向きを変えてあげて、こどもの頭のかたちを親が整え(?)て、多くのこどもがかたちのよい頭になっていますが、私の同級生は私を含めて、さまざまなかたちの頭をしていたものでした。
男子の場合、丸坊主ですので、頭のかたちがよくわかるため、整列したとき、後ろから同級生の頭を見ていて、ひとつとして同じかたちの頭がないことをおもしろく感じていたものでした。
いま、同窓会で同級生に会いますと、頭のかたちがよくわかるようになってきた同級生が増えてきましたが、こどものときとは違ったかたちのように感じます。
そのひとの人生経験などが、人格はもちろんのこと、頭のかたちも変えていくのかもしれません。
私が生まれ育った地区には、鉄道がありませんでしたので、小学校の遠足で列車が通れば、列車が通り過ぎるまで、みんな一斉に眺めていたものでした。
ちょうど、このねぎ坊主のような格好であったと思います。
ねぎ坊主が並んでいる姿を眺めていて、ふと小学生のときの同級生を思い出しました、という私の思い出を紹介しました。

2017年4月23日日曜日

みのわの里のきつねの嫁入り

出前行列 【みさと芝桜公園・高崎市】

ときどき強風が吹くなか、今年も華やかに、かわいいきつねの嫁入り、その出前行列が行われました。
定刻に出前行列がはじまりました。
 今年も大勢の方が出前行列を見に来ていました。
行列の方々がひと休みをしているところです。
この直後、ちょっとしたハプニングが起きるのですが・・・
その決定的瞬間をとらえた画像については、あとで紹介できるかもしれませんが、いまは非公開ということで。
ひと休みのあと、出前行列が再開されます。

昨年の出前行列に関して、つぎのブログ(↓)

近くで見たい! よい写真を撮りたい!
その気持ちは皆が同じだと思うのですが・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2016/04/blog-post_26.html

で、自分自身の反省も込めて、みんなで楽しもうということを申し上げましたが、今年の出前行列は、スタッフの皆さんが手際よくカメラマンを誘導し、昨年のようなことになりませんでした。
昨年の出前行列では、カメラマンが行列の近くに群がるようにしていたため、指示された場所で撮影していた人々から不満の声が出ていましたが、今年の場合は、昨年のような騒ぎは起きませんでした。
今年は、とてもすばらしい運営で、
  みのわの里のきつねの嫁入り
を楽しく見せていただくことができました。
2017 みさと芝桜まつり
 5/7(日)まで
どうぞお出かけください!

2017年4月22日土曜日

タフォニ:ジオパーク秩父

法性寺【札所三十二番】

これまで行ってみたいと思っていたのですが、なかなか行けなかった法性寺にあるタフォニを見に行ってきました。
これがタフォニです。
法性寺前に設置されているジオパーク秩父の案内板です。
ジオパーク秩父の案内板については、別の機会に紹介したいと思っていますが、とてもすばらしいものではないかと思います。
法性寺の山門です。
山門をくぐって、本堂におまいりをさせていただき、観音堂に向かいます。
観音堂になります。
タフォニは、この観音堂の裏にあります。
観音堂でもおまいりをさせていただき、画像の向かって左に見える細い道を進みます。
観音堂の軒下から撮ったタフォニがある崖です。

念願かなって、ジオパーク秩父のタフォニを見ることができました。
秩父でタフォニが見られることの不思議さを改めて感じた一日になりました。

日本の地質と地形のおもしろさを感じるジオパークは、ほんとうに楽しいものだということも実感できました。

ジオパーク秩父にタフォニを見に
出かけてみませんか?

2017年4月19日水曜日

花ざかりの里

群馬県高崎市

高崎市の里見地区は、梅や梨などの産地として、たいへん有名です。
いまは、梨の花をはじめ、桃の花などが咲いて、とても美しい風景になっています。
後ろに見える山は、上毛三山のひとつ、榛名山です。
 影させていただいた梨園の方によれば、この梨園には60年以上の木も現役で活躍しているとか。
 太い枝の先には、かれんな梨の花がいっぱい咲いています。
 毎年、おいしい実をならせてくれて、ほんとうにありがたい
 と言い、
これから別の場所で作業しなければならないから
 と、作業用の車で坂を下って行く梨園の方(↓)です。
これから上里見地区では、あちこちで受粉作業が行われることでしょう。
おいしい梨が食べられるころには、道路沿いにたくさんの直売所がオープンし、多くの方々でにぎわいます。

美しい花ざかりの里
高崎市の里見地区
に出かけてみませんか?

2017年4月18日火曜日

ねぎ坊主

下仁田ねぎの花

いま、サクラの花をはじめとして、春の野山に咲く花の話題が多いと思いますが、当地の名産品である下仁田ねぎの花も咲き始めました。
2017.4.17  デハ251
ねぎ坊主-下仁田ねぎの花-だけでは、ちょっとさびしいかなと思って、上信電鉄の電車と組み合わせてみました。
2017.4.13 日野 KOTORA
2017.4.10  ジオパーク

2017.4.6 桃源堂

2017.4.3 ぐんまちゃん
いま、上信電鉄沿線ではサクラをはじめとして、下仁田ねぎの花など、たくさんのかわいい花を見ることができます。
南蛇井(なんじゃい)駅では、オキナグサの花を見ることもできます。

オキナグサの花が咲く駅
http://ameblo.jp/7568nanjai/entry-12266643798.html

2017年4月15日土曜日

草軽電鉄を足で探る!!

上州三原駅と線路跡

平成29年度第4回嬬恋郷土資料館ボランティアガイド養成講座として、
 上州三原駅と線路跡をたどり歩く
が2017.5.6(土)に開催されるとのことで、参加の申し込みをさせていただきました。
 残念ながら私は、草軽電鉄に乗車したことはありません。
ずっと前のことになりますが、暑い夏、避暑をかねて、軽井沢側の廃線跡を歩いたことがあります。
草軽電鉄の廃線跡を歩くのは、このとき以来ということになりますが、私は嬬恋村の廃線跡歩きは初めてであり、いまからとても楽しみにしています。
いま、嬬恋郷土資料館では、
 草軽電鉄と嬬恋村
を開催中です。
5/6(土)に出かけたとき、この展示を見るのも楽しみのひとつです。
以前、嬬恋村役場から送っていただいた
 草軽電鉄の廃線跡マップ
です。
こういった記録は、つねに残すようにしないと、いつかは散逸していってしまいます。
ジオ推進協議会をはじめ、草軽交通㈱の協力を得ての展示をはじめ、嬬恋郷土資料館・同館のボランティアガイド会による廃線跡を歩く講座の実施によって、多くの方々の関心を高めるとともに、資料の散逸を防ぐ効果があるのではないでしょうか。
嬬恋村の取り組みは、ほんとうにすばらしいと思います。

上州三原駅と線路跡をたどり歩く
に参加してみませんか?

2017年4月14日金曜日

米山寺のサクラ

私にとってのサクラの名所

そのひとつが米山寺(べいさんじ)のサクラです。
下仁田町の馬山丘陵にある米山寺は、質素なたたずまいで、とてもすばらしい雰囲気のお寺です。
 米山寺の近くには、きれいなサクラがたくさん咲いています。
国道254号から米山寺に向かう道には、サクラの花のトンネルができています。
日本一きれいなハイキングコースの山として、たいへん有名な神成山を望むこともできます。
サクラの木がいっぱい並んでいて、おてんこ盛りで咲いているサクラ並木もいいものですが、境内で咲いている1本のサクラもすてきでだなと思います。
私の好みとしては、鐘つき堂に寄り添うようにして咲くサクラが好きです。
どうしてなのかわかりませんが、こういった場面のサクラが私は大好きです。

米山寺のサクラは、今週末も見られると思います。
にぎやかなサクラの名所もいいかと思いますが、山のお寺に咲くサクラもたいへんすてきですよ。

2017年4月11日火曜日

菅原のシダレザクラ

群馬県富岡市妙義町

ことしもたくさん美しい花を咲かせています。
2017.4.10 午後 撮影
2017.4.10 午後 撮影
2017.4.10 午後 撮影
2017.4.10 午後 撮影
2017.4.10 午後 撮影

きょうの当地は、あいにくの空模様になってしまいました。
でも、まだまだ美しい花を見ることができるのではないかと思います。

どうぞ、お花見にお出かけください。