2016年3月31日木曜日

オキナグサ-神成山(かんなりやま)

日本一きれいなハイキングコースの山

神成山については、これまでに私のブログで、何度か紹介させていただいています(↓は、そのひとつ)が、2016.3.31(木)の午前、神成山にオキナグサの花を見に行ってきました。

日本一きれいなハイキングコース-神成山
春の神成山を歩いてみませんか?
http://geogunma.blogspot.jp/2015/03/blog-post_5.html

新堀神社前の登山口では、地元の方が清掃作業をされていました。

私: おはようございます。きれいな道を歩かせていただき、たいへんありがとうございます。
地元の方: おはようございます。きれいになっていると、気持ちいいからね。
私: はい、気持ちよく歩かせていただけて、ほんとうにありがたいと思います。
地元の方: どこまで?
私: オキナグサの花を見させていただいて、ここに引き返してくる予定です。
地元の方: いま、きれいなところだと思うよ。気をつけて行ってきなよ。
私: はい、ありがとうございます。行ってきます。

こういった方をはじめ、多くの皆さんの清掃活動によって、日本一きれいなハイキングコースの山になっているのだなと思いました。
何度も神成山に登っていますが、山道で一度もごみが落ちているところを見たことがありません。
誰もがきれいな山道に、ごみを捨てようと思わないものなのかもしれませんが、このようなハイキングコースは、日本広しといえども神成山だけではないかと私は思っています。
神成山(9連峰を総称しての呼び名)の9連峰のひとつ吾妻山(あづまさん)のすぐ下にオキナグサの花が見られる場所があります。
上の画像は、吾妻山から見える小沢岳・四ツ又山・鹿岳・鍬柄岳などです。
ミツバツツジやヤマツツジもきれいに咲き始めていて、神成山が華やかな春の装いに変わりつつあります。
こちらが神成山のオキナグサの花です。
とてもかわいらしい花で、私が好きな花のひとつです。
きょうは、とても暖かく、ポカポカ陽気でしたので、オキナグサの花を眺めながら、しばらく日向ぼっこをしてきました。

オキナグサの花を見たいけれど、山に登るのはどうも・・・という方には、こんなところで見ることができます。
その場所とは、上信電鉄の南蛇井駅です。
線路のなかは、立入禁止となっていますので、近くでオキナグサの花を見ることはできませんが、電車の乗降時に眺めたり、改札口あたりから眺めることはできます。
電車の運行に支障を及ぼすようなことがあっては困りますので、絶対に線路内へは立ち入らないようにしていただきたいと思います。
でも、ご安心ください。
南蛇井駅では、駅舎前に大きな株になっているオキナグサが二株植えられていて、近くでオキナグサをじっくり見ることができるようになっています。
駅舎前のオキナグサです。
駅舎前のオキナグサであれば、ゆっくりと近くで、心行くまで眺めることができるでしょう。

この春、上信電鉄の神農原駅と南蛇井駅を利用して、
オキナグサなどの花を楽しみながらの神成山縦走は、
いかがでしょうか。

2016年3月28日月曜日

よい繭ができたとしても

まずは 農家がよい価格で 繭を売れないことには 
養蚕は続かないのでは・・?

2016.3.23(水)の上毛新聞記事(その一部)です。
富岡市内3か所の遊休農地に、5,000本の桑苗を植える計画だとか・・・。
この記事には、桑苗の植え付け作業の写真も掲載されています。
私の生家は、養蚕農家であったのですが、繭の価格が安くなり、採算がとれなくなってきた昭和40年代のはじめには、桑の木を抜き取って、こんにゃくの栽培に転換しました。
桑の木を抜き取り、それを畑の真ん中に積み上げて、風がない静かな日に燃やしたものでした。
あのころは、私の生家ばかりでなく、地区全体の農家が養蚕をあきらめ、桑の葉がたくさん取れるようになった桑の木を抜き取り、何日もかけて燃やしていたことを覚えています。

上毛新聞の記事を読んで、桑苗を植え付けたという丹生湖畔の畑に行ってみました。
植え付けられた桑苗・丹生湖畔(2016.3.27撮影)
私が小学校に入学する前であったかと思うのですが、私の家でも桑苗づくりをしていたようで、父が土間で桑苗づくり(接木)をしていたような、かすかではありますが、そんな記憶があります。
その後、おじの家で、おじが桑苗づくりをしていたのを見ていますが、丹生湖畔で見る桑苗は、私にとって半世紀ぶりぐらい、ということになります。
植え付けられた桑苗・丹生湖畔(2016.3.27撮影)
植え付けられた桑苗が順調に育ち、よい桑の葉がたくさん茂って、その桑の葉を食べたお蚕様が、白く輝く繭をつくり、それが高値で売れ、農家の収入が増えていけばよいと思うのですが、これまで養蚕業・製糸業が置かれてきた状況を考えるとき、かんたんには高値(すくなくても養蚕農家がきちんと生活できる価格であってほしいものです)で売れないだろう・・・と私は思うのです。
いまやカイコは、絹織物などの素材(糸)提供にとどまらず、いろいろな分野での活用方法が検討されているとのことで、カイコの将来展望に明るい部分もあるのかもしれませんが、いまの状況下で、桑苗を植え付けたり、養蚕の担い手を育成するというのは、いかがなものなのだろうかと私は思ってしまいます。
桑園の肥培管理をはじめ、養蚕のための設備や道具類の確保、飼育技術の習得など、お蚕様を相手にすること-養蚕-は、稲作や畜産、畑作、花卉栽培など、農業にはいろいろなものがありますが、とくに困難なものではないかと、父母の姿を見ていて、私はそのように感じています。
放置された桑畑(2013.7.3撮影)
なぜ、わが国の養蚕業は、衰退してしまったのかという原因を把握したうえで、今後(すくなくても20歳代の新規就農者が70歳代になるまでぐらいのスパン)の養蚕業の見込み-育てたカイコそのものの需要と価格、繭(生糸)の需要と価格-をきちんとしたうえで、桑苗を植え付けたり、養蚕の担い手を育成することが大切なことではないかと私は思っているのですが・・・。

養蚕に限らず、新規に就農するときは、設備などの確保に多額の経費を要するとともに、生産物が出荷できるなど、なんとか目鼻がつくまでに長い時間も要するものです。

もし、将来の展望、見込みがないとすれば、私が子どものときに手伝わされた桑の木の抜き取りと焼却作業、それをしなければならない日が将来も起こりうるかもしれません。
あるいは、抜き取りも焼却もされず、桑の木が畑に放置されたままとなって、荒れ果てた姿をさらしているかもしれません。

新聞記事にあった桑苗の植え付けや養蚕の担い手育成などは、片倉工業富岡工場跡が世界遺産になったからという、そんな単純なことで行われているものではないと思っていますが、
 一生懸命に養蚕に取り組んでみたいという新規就農(もちろん新規就農以外の農業者も含めて)の方々が、

 養蚕をやってきてよかった

と、あとで振り返ることができるような手立てを、行政にはよく講じていただきたいと思っているところです。

2016年3月27日日曜日

かつて富岡のまちなかには きれいな水が流れていたものでした

まちなかに水辺の空間復活を

このブログ記事(↓)

歴史的な価値があるとはいっても・・・
将来にわたって維持・保存の予算が確保できる?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/03/blog-post_17.html

で、旧富岡製糸場のまわりには、水路(玉石積みの開渠)があって、旧富岡製糸場の北側には、水路に沿って、カラタチの生け垣があったことを紹介しました。

また、このブログ記事(↓)

富岡製糸場と絹産業遺産群-富岡製糸場に関して
富岡製糸場の用水は、十分に確保できていたのでは?
http://geogunma.blogspot.jp/2014/06/blog-post_16.html

では、甘楽多野用水土地改良区の「甘楽多野用水誌」などをもとにして、旧富岡製糸場の用水確保は、たいへん困難であったろう・・といったことを述べさせていただきました。

いまの富岡市街地は、南に鏑川、北に高田川があるとはいっても、高台に位置していたため、低いところを流れる鏑川の水は利用できず、農業や生活のための用水は、高田川(丹生川を含む)から引いていた時代が長く続きました。
そういった現状に対して、なんとか富岡の市街地を含む高台を豊かな水で潤したい、と考える人が現れました。
それが、笠原利平であり大井田啓次郎たちでした。
詳細な経緯については、「甘楽多野用水誌」で読んでいただくとして、笠原利平や大井田啓次郎らによって、いろいろな紆余曲折を経ながらも下仁田から水を引き、その水を丹生湖にたくわえ、下流の田畑を潤すという大事業が行われたのでした。
撮影:2016.3.19
丹生湖の堰堤です。
用水竣工碑などが立てられています。

富岡の台地にたくさんの水を引き、水田をつくり、豊かな暮らしをしたいとい思いは、江戸時代どころか富岡に人々が住み着いて以来の悲願ともいえるものでした。
撮影:2016.3.21
野鳥の観察舎から見た丹生湖です。

丹生湖に満々とたくわえられた水は、これから田植えの時期になりますので、下流の水田に流れていき、豊かな実りをもたらすもとになります。
撮影:2016.3.19
丹生湖の堰堤下にある流域図です。

私は思うのです。

いまの時代状況下-農家の高齢化、宅地等への転用による水田面積の減少など-にあって、これから先も農業者による土地改良財産の維持が可能かといえば、残念ながら可能ではないだろうと思っています。
農業用・工業用・生活用などと〝水の用途〟によって、河川法が川の水の取水許可を与えるようになってから、川の水が貴重な権利と化してしまったように感じています。
たとえば、江戸時代のときは、農業用水も生活用水もなく、それぞれがうまく川の水を利用していたものでした。
旧富岡製糸場が明治のはじめにできたとき、この工場で利用する水の確保は、大きな課題でもありました。
富岡における用水の確保、その歴史を考えるとき、
 甘楽多野用水土地改良区の財産だから、その構成員である農家が守ればよい、といった考えでなく、
 この地における貴重な財産として、きちんと保存していくことが必要ではないかと私は思っています。

その手始めとして、旧富岡製糸場のまわりなどの水路を復元し、そこを水辺の空間としたらどうだろうかというのが、

歴史的な価値があるとはいっても・・・
将来にわたって維持・保存の予算が確保できる?
http://geogunma.blogspot.jp/2016/03/blog-post_17.html
で申し上げたかったことです。

撮影:2016.3.23
そのためには、現在の取水許可条件の見直しなど、いろいろクリアしなければならない課題もあると思いますが、世界遺産になった旧富岡製糸場の操業を支えた用水について、もっともっと光を与えてあげるべきであろうし、これら用水に関する歴史を大切に守るべきではないでしょうか。

今年も丹生湖では、きれいにサクラの花が咲きそうです。
撮影:2015.4.6
昨年の春、サクラが咲いたときの丹生湖です。

丹生湖をはじめとする用水の設備等について、この地における貴重な歴史として、後世にきちんと伝えてほしいと思っています。

2016年3月23日水曜日

武者行列-城下町小幡さくら祭り(群馬県甘楽町)

2016.4.3(日) 午前10時 楽山園出発

第32回の城下町小幡さくら祭りは、2016.4.3(日)に開催されます。

昨年のようす(↓)です。

武者行列-群馬県甘楽町小幡 ことしも華やかに開催されました
http://geogunma.blogspot.jp/2015/04/blog-post_7.html

たいへん華やかな武者行列が小幡の桜並木などを進みます。
この日には、サクラの花と華麗な武者行列の競演、まさに圧巻の光景が展開されます。

昨日の午後、思い立って小幡のサクラの開花状況などの下見に行ってきました。
つぼみがピンク色になってきていますが、まだ咲いている花はありませんでした。
今年は開花が早いとのことで、4月3日(日)の武者行列のとき、ちょうど見ごろになっているとよいのですが・・・
この通り(↓)を武者行列が進みます。
奥に見えるのは、楽山園の門です。
武者行列は、楽山園を出発して、桜並木、小幡八幡宮へと進んで行きます。
小幡の町並みには、見どころがいっぱいです。
新鮮な野菜をはじめ、おいしいワインなども販売している道の駅甘楽は、小幡の町並み散策のとき、私は必ず立ち寄ります。
道の駅甘楽は、食事もおいしいですし、なによりも居心地がよいこと、これが大きな魅力ではないかと思っています。
小幡の町並みの桜並木、そこのサクラはまだ咲いていませんが、道の駅甘楽の近くにある雄川沿いの遊歩道には、きれいにサクラの花が咲いています。
もしも、今年の武者行列の前に、どこで武者行列を見ようかとか、なにを食べようかな・・・とお考え中であれば、いまが下見に絶好のタイミングかもしれません。
下見の際には、いつまで咲いているかわかりませんが、道の駅甘楽の近くにある雄川沿いの遊歩道で咲いているサクラの花もご覧になってみてください。

武者行列-城下町小幡さくら祭り
         2016.4.3(日) 午前10時 楽山園出発

2016年3月20日日曜日

青岩公園-下仁田町

絵になる風景

2016.3.20(日)の朝、青岩公園に出かけたところ、絵を描いている方が・・・。
奥様のご実家が下仁田町ということで、お彼岸で帰って来られ、青岩公園に絵を描きにやってきたとのことでした。
牧口橋と西牧川、そして教会の十字架を描いていました。
牧口橋は、架け替えになる前に描いたとのことで、それを描きなおしているということでした。
お願いして、絵を拝見させていただきました。
私の場合、まったくの素人で、絵のことはわかりませんが、たいへん美しく描かれていると思いました。
朝早くに思いがけず、青岩公園で絵を描く方に出会えて、とても気持ちよい一日になりました。
絵を拝見させていただいたあと、青岩公園から周囲の山々を眺めて見たのですが、どの角度から描いても「絵になる風景」かもしれないと、絵心がまったくない私でさえ、そのように思えてきました。

※ ブログ・フェースブックなどへのアップについては、
ご本人様のご了解を得ています。

絵心のある方が青岩公園に来られれば、きっと創作意欲を刺激されるのではないでしょうか。

青岩公園は、上信電鉄の下仁田駅で下車して、
徒歩で数分の場所にあります。

どうぞ、青岩公園に
お出かけください。

2016年3月19日土曜日

議員報酬-下仁田町議会

「議員報酬 辞職勧告で減額も」

との見出しで、つぎの記事が2016.3.18(金)の朝日新聞(群馬版)に掲載されました。
全文は、朝日新聞で読んでいただくとして、この記事は、
 「議員辞職勧告などを受けた議員の報酬は議長が決める、などとした条例案を賛成多数で可決した」
とするもので、事案の経緯や可決された条例の内容が説明されています。
この記事を読んで、昨年の南牧村における村議選をもとにして、私のブログに書かせていただいたことを思い出しました。

遊び仕事〟-子どものときの思い出
これからの時代に対応するためには、どのようにしたらよいのだろうか・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_14.html

このブログ記事においては、多くの町村において、議員になりたいという方が減っていて、無投票や議員定数の削減に向かっているという現状をふまえて、つぎのようなことを書かせていただきました。
このブログで引用させていただいた新聞記事には、
 低報酬で新人でにくく
という見出しもありました。

たいへん生意気なことを申し上げるのですが、私は、町村議会議員になりたいという方が減ってきたことによって、議員の資質、能力が全体的に大きく低下(もちろん個々には、すぐれた方がいっぱいいますが)してきているように感じています。
いまの時代において、いちばん大切なことは、若者をはじめとして多くの方々が、
この町をよくしたい、
この村をよくするためにがんばりたい、
と考え、
よし、おれが立候補するぞ!
わたしも立候補するわよ!!
と意欲ある方々が続々と出てくるようにすること-そのための仕組みづくり-ではないかと思うのです。
そういった意欲ある方々が多くなれば、辞職勧告を受ける議員はいなくなるでしょうし、とてもすばらしい議会運営ができるのではないかと思います。

私の考えは、ここ(↓)に書いておいたとおりです。

遊び仕事〟-子どものときの思い出
これからの時代に対応するためには、どのようにしたらよいのだろうか・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_14.html

いま、下仁田町、南牧村をはじめ、多くの市町村が急激な人口減少に直面しています。
急激な人口減少とともに、空き家が増えてきて、あちこちで朽ち果てた住宅や物置を見かけるようになりました。
これは、イメージ画像です。
まさに、いまの地方の町や村は、いろいろな面において、崖っぷちに立っているといってよいかもしれません。
急激な人口減少などの現状をよく認識し、地方の市町村議会において、これからの議会のあり方-多くの方々が議員になりたい、議員になって自分が住む町や村のためにがんばってみたいと思う仕組みづくり-についても、十分に議論していただきたいと思った朝日新聞の記事でした。

2016年3月17日木曜日

歴史的な価値があるとはいっても・・・

将来にわたって維持・保存の予算が確保できる?

貴重な歴史遺産を維持保存することについては、とてもよいことですし、私たちは将来にわたって、貴重な歴史遺産を引き継いでいかなければならないと私は思っています。
しかし、いまの富岡市の状況-旧富岡製糸場の維持保存、市役所庁舎の建設-を考えるとき、この記事にあるとおり市有化したとして、これから先の維持管理ができるのだろうか、その予算が確保できるのだろうかと、心配性の私は考えてしまうのです。
新聞記事にもあるとおり、屋根が陥没、老朽化が進んでいる建物の修繕をはじめ、その後の維持管理には、多くの予算が必要になることでしょう。
その予算確保について、きちんとした見込みと覚悟があってのことなのか、と私は心配になってしまうのです。
撮影:2006.12.3(日)
これからの高齢化、人口の減少などを考えるとき、市民一人ひとりの負担は、ますます大きなものとなることでしょう。
撮影:2016.1.22(金)
この建物を修繕するということなのですが・・・
この建物を市有化して、
  修繕し、維持管理をしていこうというのであれば、
    また、そういった予算があるのであれば・・・
撮影:2013.11.13(水)
かつて、片倉工業富岡工場のわきを流れていた水路を復元したほうがよいのではないか
    と私は思います。
私が中学生のころには、赤い矢印のあたりに水路があって、片倉工業富岡工場側には、カラタチの生垣がありました。
いまのような無粋な感じでなく、水路に水が流れていて、カラタチの生垣があるという粋なものでした。
カラタチの生垣がいつごろからあったのか知りませんが、たいへん美しいものでした。
また、七日市用水の歴史などをはじめ、官営時代に水を引き入れた場所も復元し、それらを旧富岡製糸場の見どころにする、というのも一案ではないかと思うのです。

そうでなくても厳しい財政状況下にあって、きょうの上毛新聞記事にある
 市が取得、修繕へ
は、いかがなものなのでしょうか・・・

心配性の私は、これから先、だいじょうぶなのだろうかと考え込んでしまいます。

2016年3月16日水曜日

矢島伊三郎勝光-群馬の和算家

関流算額見題免許(けんだいめんきょ)

群馬県民であれば、誰もが知っている上毛かるた。
その上毛かるたで、「わ」といえば・・・と聞かれ、
 「和算の大家 関孝和」
と誰もが答えられるほど、関孝和の名は有名です。
藤岡市にある関孝和の墓(昭和58年に顕彰会が建立) には、いまでも多くの方々がおまいりに訪れます。
この関孝和の影響もあってか、群馬県は和算が盛んな地であったそうです。
群馬県の和算家のおひとり、矢島伊三郎を紹介します。
矢島伊三郎は、「群馬の和算家-そろばんの師匠たち-(大竹茂雄著・上毛新聞社)」によりますと、いまの南牧村小沢で、嘉永3年2月11日(これは旧暦ですので、新暦にすれば1850年3月24日になります)に生まれています。
矢島伊三郎は、明治9年に関流算額見題免許を授けられた方で、たいへんすぐれた能力の持ち主であったとのことで、地元である南牧村をはじめ、いまの富岡市妙義町、一の宮、下仁田町などにお弟子さんがいて、そこへの出張教授も行い、この地での和算の普及に尽力されました。
※詳しいことは、
「群馬の和算家-そろばんの師匠たち-(大竹茂雄著・上毛新聞社)」を
お読みください。
きょうのブログでは、矢島伊三郎の門人であった矢島彦松孝政が高太神社に掲げた算額を紹介しましょう。
高太神社は、富岡市妙義町下高田にあります。
算額は、高太神社の神楽殿に掲げられています。
「群馬の和算家-そろばんの師匠たち-(大竹茂雄著・上毛新聞社)」 の28頁の写真によれば、この画像の中央最上段のほか、下の段の左にも算額が掲げてあったとのことですが、下の段の算額は傷みがはげしくなったため、取り外して社務所に保管されているとのことです。
中央最上段に掲げられている算額です。
長い間、雨風にさらされてきたためか、文字がはっきりしていませんが、明治22年に奉納されたことが記されているそうです。

いまは和算といっても、学校で算数や数学は学びますが、和算を学ぶことがありませんので、なんとなく縁遠い世界のように感じますが、和算の本を読んでみますと、とても合理的な解法が多く、わが国の先人の知恵、その奥深さに驚きます。

これから神社などにお出かけになったとき、算額が掲げられていないかどうか、おまいりのあと、社殿まわりを拝見させていただくのも楽しいかと思います。

実は、紹介させていただいた和算家の矢島伊三郎は、私の友人のご先祖様であり、昭和5年2月14日に81歳の天寿を全うされたとのことです。

立派な方が活躍されていたことなどを忘れることなく、これから語り継いでいきたいものだと思っているところです。

2016年3月15日火曜日

「至高のすき焼き」-沖縄国際映画祭

投票をよろしくお願いいたします

きょうの上毛新聞に、
 南牧、下仁田が全国コンテスト
  動画で魅力発信
 WEBの一般投票開始
と大きな見出しで、
下仁田町「至高のすき焼き」を、
南牧村「高齢化率日本一 元気村なんもく」
       を沖縄国際映画祭にエントリーしたという記事が掲載されました。
下仁田町がエントリーした「至高のすき焼き」は、下仁田町で地域おこし協力隊員として、たいへんがんばっている小池さんの原案に基づいて、制作されたものです。
ぜひ、皆さまには、
下仁田町 「至高のすき焼き」
南牧村 「高齢化率日本一 元気村なんもく」
への投票をよろしくお願い申し上げます。
投票は、とても簡単です。
ここ(↓)にアクセスして、

http://oimf.jp/jimot.php

画面表示に従って、ポチッとクリックするだけです。
下仁田町は、Eat & Smile。
南牧村は、全国都道府県。

下仁田町の作品への投票は、
 Eat & Smile → 関東
に進んで、群馬県の「至高のすき焼き」へ。
群馬県住み芸人の
   アンカンミンカン 主演による楽しい動画です。

ポチッと一日に1回、
投票をよろしくお願いいたします。
南牧村の作品(↓)もおもしろいものです。
自転車に乗ったアンカンミンカンの前に現れた真っ赤なスポーツカー、この車から降りてくるのは・・・???

どうぞ、
下仁田町 「至高のすき焼き」
南牧村 「高齢化率日本一 元気村なんもく」

をご覧ください。
そして、投票をよろしくお願いいたします。

2016年3月14日月曜日

地域づくり講演会-2016.3.13(日)・下仁田町文化ホール


「地域の未来は自分たちで創る!」
~限界集落からの挑戦~

と題して、

 特定非営利活動法人 十日町市地域おこし実行委員会
  理事・事務局長 多田 朋孔(ただ ともよし)さん

の講演会があり、多田さんのお話を拝聴させていただきました。
多田さんは、十日町市地域おこし協力隊のOBで、自らの体験に基づいて、たいへんわかりやすいお話をされました。
多田さんのお話し、そのすべてが興味深いものでしたが、講演の最後のほうで話された、
 地方創生の課題
 地域おこし協力隊の課題
についてでは、
実際に活動されている多田さんの視点でとらえた
 いまの状況、現実の姿
を教えていただきました。

多田さんの講演内容を紹介したいところですが、それは実際に多田さんのお話をお聴きになっていただくとして、たいへんすばらしいものであったということだけ、ここでは紹介させていただきます。

地域おこし協力隊に関しては、これまで私のブログにおいて、私なりの考えを述べさせていただいているところです。

http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_11.html

http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_12.html


http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/700.htm

ここに住みたいんです-「魔女の宅急便」
地方創生とは、自治体のサービス合戦??
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_17.html


田舎暮らしのよいところ・よくないところ
「よそ者は黙って、静にしていろ!」
「むかしからこれでやってきたんだ!」
「細かいこと、かたいことを言うな!」
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_23.html

私は思うのです。

いま、人口減少とか限界集落、定住促進とかいって、いろいろな対策を行政が講じています。
しかし、こういった対策によって、効果が得られるのかどうか・・・
要は、その土地で暮らす人々が明るく楽しく幸せに暮らしていて、よそからやってくる人々をあたたかくウエルカムの気持ちで迎え、いっしょに地域の一員として、よい仲間づくりをする雰囲気が地域全体につくられていれば、おのずと人が集まってくるのではないかと、私は思うのです。
問題は、過疎とか不便な地ということでなく、
 そこで暮らしている人々の心構えしだい
ということ、これがいちばん大切なことではないかと・・・