2016年2月29日月曜日

最後まで一緒に暮らしてあげてください

イヌ、ネコなどを捨てないで!!

先日のブログ記事(↓)

「異類婚姻譚」-154回芥川賞
群馬県が登場するのですが・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2016/02/154.html

では紹介しませんでしたが、この小説には、
 飼っていたネコを群馬県に捨てに行く
  (群馬県に住む者にとっては、よそからネコを群馬県に捨てに来る)
場面が描かれています。
どうして飼っていたネコを捨てることにしたのか・・・、といった小説の内容、経緯については、著者に失礼ですので、ここでは紹介しませんが、子どものときにイヌとネコなどと暮らし、いまでもイヌやネコが好きな私としては、飼っていたネコを山に捨てるという場面は、とても悲しいものでした。
2016.2.27(土)に放送された「天才!志村どうぶつ園(日本テレビ)」で、前橋市保健所での取り組みが紹介されました。
※ ここで紹介する画像は、テレビで放送されたものです。 
赤城山のふもとに犬を捨てていく人がいるとのことで、その捨てられた犬どうしで繁殖し、野良犬の数が増えているとのことでした。
捨てられたイヌが野犬化し、人間や家畜などを襲うようにでもなれば困ったことになります。

私が以前に聞いたことによれば、これからの時期に捨て犬が増えるとか・・・
転勤に伴う転居によって、転居先で犬が飼えないといった事情によって、犬を捨てていく人がいるのだそうです。
一戸建ての社宅に住んでいたときは、イヌやネコなどを飼うことができても、「転居する社宅が集合住宅で、イヌやネコが飼えないから」という理由で、イヌやネコなどを捨てていくとのことでした。
「天才!志村どうぶつ園(日本テレビ)」では、捨てられた犬や生まれた子犬を保護して、一生懸命に世話をする前橋市保健所の職員が紹介されました。
上の画像(↑)は、保護した子犬が人間に慣れてきて、元気になってきたときのようすです。
保護されたとき(その直後)は、こんな感じで、人間におびえていたというのか、人間に敵意すら持っているのではないかと感じさせる厳しい表情をしていました。
「ゆずひこ」と名付けられた子犬は、前橋市保健所の譲渡会で、ある家族に一員として迎えられ、とても明るい表情で元気に過ごしています。
私は思うのです。

 きちんと最後まで面倒をみる覚悟をもって、イヌやネコを飼うべきだと。
 最後まで面倒をみる覚悟がなければ、イヌやネコをはじめペット類を飼うべきではないと。

私の生家は養蚕をしていたため、ネズミに繭などを食われないようにする目的もあって、ずっとむかしからネコを飼ってきたそうで、私が生まれたときにも大きな三毛猫を飼っていました。
この三毛猫が年をとり、歯が抜け落ち、目やにで目がよく開かないようになり、動き全体が緩慢になってきて、寝たきりのような状態になったとき、父母は、ネコのウンチやおしっこの世話をはじめ、スプーンでエサを与えるなどの面倒をみていました。
三毛猫が死んでしまったとき、父母と家族で三毛猫に手を合わせ、私にいちばんなついていたということで、私が三毛猫を埋葬することになりました。
母に手渡された三毛猫を抱いて、線香とマッチ、スコップを持って、父に指示された生家近くの三叉路の私有地部分に穴を掘り、その穴に三毛猫をそっとおろして、手で静かに土をかけてあげました。
こんもりと山になった部分に線香をあげて、その煙を眺めていたときのことをいまでも鮮明に記憶しています。
これは、私が中学生のときのことでした。

最後まで面倒をみてあげる、それが生き物とともに暮らすときの最低限のルールではないかと私は思います。


どうぞ、飼うのに困ったからといって、
山などにイヌやネコなどのペットを捨てないでください。
ましてや、群馬県の山などに捨てないでください。

2016年2月26日金曜日

これって 贔屓の引き倒し・・・

のようなものかな?

上毛新聞の投書欄に掲載された
 群馬の三名泉と楫取素彦
を読ませていただきました。
投書された方は、
 熊谷県令の楫取が手書きの文書を戸長らに送った
とお考えになっていて、
 すべての県民の幸せを考えて、手間を惜しまず行政に尽くした初代県令の姿がしのばれる
と投書の文章をしめくくっています。
第二次群馬県の初代県令になった楫取は、
 名県令といわれた
と群馬県史に記載されているとおり、立派な人物であったかもしれません。
しかし、群馬県庁での事務処理の流れ(私の場合、明治のときでなく、昭和・平成時代のことになりますが・・・)を知る者として、私には県令自らが各戸長らに温泉に関する通達を送付するとは考えられないのです。
これ(↑)は、群馬県の行政機構であり、熊谷県のものではありませんが、おそらくこれと同じような組織であったことでしょう。
楫取は、立派な県令であったとのことですので、事務吏員に通達類の清書や発送を任せず、自らが通達文書を作成したりしていたかもしれませんが、私が想像するには、県令である楫取がいろいろ事務吏員に指示することはあっても、自らが各戸長らへの通達文書を作成することはありえないのではないかと思うのです。
もちろん、投書された方のお宅に残されている文書の筆跡鑑定などを行って、それが楫取の筆になる文書である、ということもあり得るでしょう。
そうなれば、楫取の県令時代の執務ぶりもわかって、さらに名県令であったという評価を得ることになるかもしれません。
明治はじめのころの市町村数をはじめ、群馬県や熊谷県などの設置と廃止などについては、群馬県史に詳しく掲載されています。
私が群馬県庁に勤務していた時代で、平成の市町村合併が行われるまで、県内の市町村数は70市町村でした。
県庁から知事名で送る各市町村長あての通知文書は、当該業務を担当する事務吏員が発議し、所要の内部手続き(決裁)を経て、浄書、印刷、公印押印、発送となります。
こういった流れそのものの基本は、むかしから変わらず、連綿と受け継がれてきているものです。
むかしの書類を調べるため、書庫に行き、毛筆で書かれた達筆な起案文書綴りを手にしたことがありますが、明治、大正、昭和という時代にあって、文書施行事務の流れ、その基本は、私が勤務していた時代と変わっていないものです。
楫取の時代には、和文タイプライターもなかったでしょうし、複写機もなく、ワードやエクセルで・・・、といったソフト、PCもありませんでしたので、文書は毛筆か万年筆(つまり、全部が手書き)で作成せざるを得なかったといってよいでしょう。

私は、投書された方のお気持ち、お考えをどうのこうのというつもりはまったくありません。

しかし、
 歴史上の人物や事件については、
  美化せず、貶めずを基本にすべきではないかと私は考えます。

前述しましたように、楫取の手書きの通達であることが明らかになれば、それはたいへんすばらしいことであり、楫取は投書された方がお考えのとおりの人物といってよいでしょう。
この記事(↑)は、投書が掲載された日に掲載されたものです。

楫取に対する投書と銅像計画の記事を読んで、歴史上の人物に対する評価、それぞれの人々の思いについて、たいへん考えさせられるものがありました。

私の楫取に対する評価は、つぎのブログ記事(←)を参考にしていただければ幸いです。

立派な方であったのでしょうけれど・・・
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」・楫取素彦(かとり もとひこ)
http://geogunma.blogspot.jp/2015/10/blog-post_13.html

2016年2月24日水曜日

群馬NOMOグループの全貌-群馬県立近代美術館

1960年代、「変わったヤツら」の前衛芸術

芸術といった方面とは無縁の私ですが、きのうの午後、群馬県立近代美術館で開催中の

群馬NOMOグループの全貌
1960年代、「変わったヤツら」の前衛芸術

を鑑賞させていただいてきました。
私が中学生から高校生のころ、たいへんな活躍をされていたグループとのことですが、いまもそうですが、あのころも関心がいまいち・・・、といったところでしたので、こういった活動が群馬県で展開されていたことを初めて知りました。
展示されている作品の多彩さをはじめ、グループの活動が展開されていたころの年表などもあって、たいへん充実していて、楽しい展示内容になっています。
1960年代は、いろいろな活動が生まれていた時代でもあったことが実感できる、そんな展示内容であるということができるかもしれません。
近代美術館の玄関から見える群馬の森の芝生広場です。
いまは、まだ冬枯れの芝生広場ですが、もうすこしすれば緑の芝生広場になることでしょう。
この広場では、カワヅザクラの花が咲き始めていました。
ある年代の皆さんにとっては、

群馬NOMOグループの全貌
1960年代、「変わったヤツら」の前衛芸術

は、芸術の鑑賞とともに懐かしい思い出にひたることができるのではないかと思います。

群馬の森・群馬県立近代美術館にお出かけになりませんか。

群馬NOMOグループの全貌
1960年代、「変わったヤツら」の前衛芸術

は、3月21日(月・祝)までです。

2016年2月23日火曜日

スピノサウルス科の歯を発見-群馬県神流町

小学生と園児の兄弟による大発見!!

たいへんすばらしいことです。
地元の新聞で紹介されたおふたりです。
すばらしい発見をされたおふたりに
心からお祝いを申し上げます。
おふたりが発見した化石
 スピノサウルスの歯(↓)
として、新聞に掲載されていた画像です。
化石探しを?十年と続けてきた私ですが、まだ恐竜の化石を発見したことがありません。
正直に申し上げますと・・・
このおふたりによるスピノサウルスの歯の発見は、とてもうらやましいきもちでいっぱいです。
しかし、いつかは私も恐竜の化石を発見したいと思っています。

これまでにブログで書かせていただいた化石関係の記事、その一部です。

私の体験的〝化石探し〟講座
 開講にあたって(第1回) 
http://geogunma.blogspot.jp/2013/03/blog-post_27.html


私の体験的〝化石探し〟講座
 第3回  道具と服装
http://geogunma.blogspot.jp/2013/03/blog-post_5733.html


私の体験的〝化石探し〟講座
 第4回  中学生が恐竜の化石を発見!!!
http://geogunma.blogspot.jp/2013/03/blog-post_30.html


私の体験的〝化石探し〟講座
 7回   化石探しは、根気と運???
http://geogunma.blogspot.jp/2013/04/blog-post_6313.html

サウルスくんにとっては、〝ご先祖様〟の歯が発見されたことになるわけで、とても喜んでいるのではないかと思っています。

恐竜の歯を発見されたおふたりの今後ますますの御活躍をお祈りしています。

※ たいへん申し訳ありません。
 新聞の発行年月日について、2016とすべきところ2015としてしまいました。
 心からお詫びして、ここで訂正させていただきます。

2016年2月22日月曜日

ラッピング列車-上信電鉄(群馬県)

ジオパーク下仁田のラッピング列車
運行が再開されました!


昨夕、何気なく部屋から外を眺めていたところ、ジオパーク下仁田のラッピング列車が走っていたので、とても驚くとともに、たいへんうれしくなりました。

先日のブログ記事(↓)

ジオパーク下仁田のラッピング列車-上信電鉄
いつ運行が再開されるのだろうか・・・
http://geogunma.blogspot.jp/2016/02/blog-post_17.html

で、いつ運行が再開されるのだろうかと心配していましたので、とてもうれしい運行再開です。

つぎの画像は、さきほどフェースブックに投稿したもので、本日の午前6:31に高崎駅を出発した車両を南蛇井駅付近で撮影したものです。
けさ、下仁田駅に停車中のジオパーク下仁田のラッピング列車です。
2016.2.22(月) 朝 下仁田駅で撮影
『どこが変わったのかな・・・』と思って見たところ・・・
2014.8.3(日) 下仁田駅で撮影
車輌の先頭部の緑色がシルバーになったり、ヘッドマーク(?)と車体に荒船風穴のロゴや写真などが加わっていました。
2016.2.22(月) 朝 下仁田駅で撮影
「世界遺産荒船風穴」の写真と文字の横には、荒船の湯の写真もありますし、新たに「世界遺産荒船風穴と下仁田ジオパークは下仁田駅下車」の案内文が加わっている・・・、そんなところが以前と比べて変わっていたところでしょうか。
2016.2.22(月) 朝(下仁田駅8:05発) 千平駅付近で撮影
ジオパーク下仁田のラッピング列車については、これからも高崎駅・下仁田駅間を走り続けてもらいたいものです。

2016年2月21日日曜日

拝啓 安中市長 様

ぶしつけではございますが・・・

このところ安中市においては、観光振興に大きな力を入れて、積極的に取り組まれていると新聞やテレビで報じられていますが、安中市の隣り・富岡市に住んでいるひとりとして、また碓氷峠にまつわる歴史等に関心を寄せている者として、たいへんうれしく思っております。
2016.2.17(水) 上毛新聞
いまさら申し上げるまでもなく、中山道として多くの旅人などが通行していた時代をはじめ、明治時代における鉄道輸送の隆盛、その後の道路整備と自動車輸送増加の時代など、碓氷峠はわが国の交通史において、その中心的な地位を占める存在であります。
まさに、碓氷峠の歴史、鉄道施設などは、安中市が国内外に誇ることができる第一級の文化財といってよいでしょう。
2016.1.15(金) 上毛新聞
私は、碓氷峠の鉄道施設はもちろんのこと、坂本宿や熊野神社まで歩くコース(旧道)などを考えるとき、横川・坂本などを中心とした地域は、とてもすばらしい観光名所になると思っています。
碓氷峠のめがね橋には、とくに休日ともなりますと、遠方からも多くの方々が来られます。
2015.7.25(土) 撮影
碓氷峠の鉄道施設とあわせて、関所跡などをもとにして、むかしの人々の旅、通行などについて、思いをはせるようなイベント(歴史の追体験)も行えば、とてもおもしろいのではないかと思います。
2016.1.3(日) 撮影
安政の遠足マラソンも行われていますが、横川駅から熊野神社まで歩くとか、めがね橋まで歩くとか、峠の湯まで歩くとか、体力に応じたコース、距離を設定して、楽しく過ごす碓氷峠にすれば、多くの方々がやってくると思うのです。
SLが運行される日はSLが牽引する客車で、横川駅まで乗車していただいて、SLが高崎駅に向かうまでの時間を碓氷峠で過ごしていただけば、とてもよいのではないでしょうか。
2016.1.16(土) 上毛新聞

鉄道文化むらに転車台を
上毛新聞の投稿欄「ひろば」に掲載していただきました!
http://geogunma.blogspot.jp/2016/01/blog-post_17.html

2015.1.5(月) 撮影
碓氷峠鉄道文化むらに転車台を設置していただき、
 碓氷峠まるごと交通博物館
のような場所にして、
 碓氷峠を歩いたあと、峠の湯で汗を流し、おいしい食事を食べて、
 SLの煙のにおいをかぎながら碓氷峠を後にする・・・
といったものにすれば、碓氷峠はさらにすばらしい観光名所になると私は思っています。

これからの観光振興に向けて、碓氷峠鉄道文化むらへの転車台設置を御検討いただければ幸甚に存じます。

なにとぞよろしくお願い申し上げます。                                     敬具

   2016.2.21
                                               富岡市在住
                                                 本多 優二 拝 

2016年2月20日土曜日

温泉マークの日-2月22日

磯部温泉 (群馬県安中市)

2015.2.14の上毛新聞に、
 2月22日 「温泉マークの日」
との大きな見出しの記事が掲載されました。

一般社団法人日本記念日協会のHP
http://www.kinenbi.gr.jp/

では、つぎのとおり紹介されています。

 温泉マークの日

群馬県安中市の磯部温泉組合が制定。
妙義山を望む碓氷川沿いに開けた磯部温泉は、古くから中山道を往来する旅人や湯治客で賑わってきた名湯。
江戸時代の磯部の古文書に温泉記号(温泉マーク)が記されていることから「日本最古の温泉記号の地」であることを広く知ってもらうのが目的。
日付は温泉マークの3本の曲線の湯気が逆から見ると数字の2が3つ並んでいるように見えることと、温泉地らしい3つの言葉(風情、風景、風味)の頭文字である「ふ=2」を3つ並べた日付から。
※ 本多が改行しました。
2015.3.22(日)撮影
磯部温泉の公園には、
 日本最古の温泉記号
の石碑が立てられています。
2015.3.22(日)撮影
磯部駅前のロータリーにも温泉記号の石碑が立てられていて、
 磯部温泉といえば日本最古の温泉記号の地
ということがわかるようになっています。
2015.3.22(日)撮影
温泉街には、あちこちに
 温泉記号発祥の地 磯部温泉
ののぼり旗も。
2015.3.22(日)撮影
2月22日を温泉マークの日に決定したのは、記念日協会のHPによれば、

 温泉地らしい3つの言葉
    (風情、風景、風味)
       の頭文字である「ふ=2」を3つ並べた日付 

からとのこと。
2015.3.22(日)撮影
風情があって、美しい風景が楽しめて、おいしいものもいっぱい、お風呂もすてきな磯部温泉は、温泉街が磯部駅前にあり、とても交通の便がよい場所にあります。

これから本格的な春になりますと、磯部温泉に宿泊して、有名な秋間梅林のウメの花をはじめ、妙義山のサクラなどの花を楽しむことができます。

どうぞ、日本最古の温泉記号の地
磯部温泉にお出かけください。

2016年2月19日金曜日

春の野山へ出かけてみませんか?

これは いったいなんだろう・・・?

先日、春の野山を散策しようと思い、ある場所に出かけたときのこと。
なにやら木の枝に・・・
遠目に見ていたときは、小鳥の群れが枝にとまっているのかなと思えたのですが、近づいてみると枝にたくさんのコブができていました。
以前、地質調査で山に入ったとき、木全体にコブができているといった状態のスギをみたことがあります。
スギのコブ病は、「困った病気だ」と林業関係者にお聞きしたことがあります。
傷がついたときや細菌、害虫などにおかされたとき、木の幹や枝にコブができるということですが、まわりの木を見たところ、この木だけにコブができていましたので、なんらかの理由によって、このような状態になってしまったのでしょう。
細菌、害虫など、と先述しましたが、これらも生き物であり、樹木や草花と同じ生き物であることを考えるとき、樹木を『かわいそうだな』 と思うのは、細菌や害虫に対して、ほんとうに申し訳ないのですが、このような状態になった樹木を見ると、どうしてもかわいそうだと思ってしまいます。
 いま、春の野山を歩いてみますと、新しい命が芽生えていることに気づきます。

ドングリ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA
暖かい日もありますが、まだまだ寒い日が続く毎日ですが、根を出して、殻が割れて、発芽への準備が進んでいます。
ヤママユガの繭です。

<野蚕(ヤママユガ)図鑑>
http://www.geocities.jp/issun_no_mushi/yasan.htm

これから暖かい日が多くなって、
ぽかぽか陽気が続けば、野山ではいろいろな植物の芽が出て、
たくさんの木々に若葉が茂り、きれいな花が咲くことでしょう。

春の野山に出かけてみませんか?

2016年2月17日水曜日

ジオパーク下仁田のラッピング列車-上信電鉄

いつ運行が再開されるのだろうか・・・

昨年の12月であったか、11月であったか定かでないのですが、上信電鉄鉄道部に問い合わせたところ、

   ジオパークのラッピング列車は点検整備中で、
     予定では来年の2月ごろから運行を再開します

とのことで、運行の再開を楽しみにしていたのですが・・・。
これから運行が再開されるのかもしれませんが、2月中旬になっても運行が再開されないので、どうしたのだろうかと気をもんでいるところです。

2月になれば、ジオパーク下仁田のラッピング列車の運行が再開されるとのことでしたので、それを紹介しつつ、上信電鉄の車両全体を紹介しようと考えて、列車正面を撮った画像紹介をFBで始めました。

その第一弾として、ぐんまちゃん列車の正面の画像を投稿したところ、多くの皆さんから「いいね」をいただきました。
ぐんまちゃん列車のつぎには、群馬サファリのラッピング列車を投稿したところ、これも多くの皆さんから「いいね」をいただきました。
ほんとうにありがたいことだと思っています。
これまで、
 2016.2.12 ララクラッシュ
 2016.2.13 HINO
 2016.2.15 桃源堂
 2016.2.15 祝富岡製糸場
 2016.2.17 7000形
の正面画像をFBに投稿させていただきました。

昨年の夏ごろ、下仁田町自然史館の職員にお聞きしたところでは、ジオパーク下仁田のラッピングについて、世界文化遺産の荒船j風穴を加えるなど、いくらかラッピング内容を変更するとのことでしたので、どのようなデザインに変わったのか・・・、たいへん興味があるところです。
昨年の1月に撮影したジオパーク下仁田のラッピング列車です。
ジオパーク下仁田のラッピング列車の動画(↑ ↓)です。
この画像(↓)は、昨年の8月22日(土)に撮影したジオパーク下仁田のラッピング列車です。
いまのところ私が目撃したジオパーク下仁田のラッピング列車、その最後の走行シーンとなります。

はやくに新装なったジオパーク下仁田のラッピング列車を撮りたいものですが、はたして運行が再開されるのだろうかと、ちょっぴり心配の種がないわけでもないのです。

イエローカード(条件付き再認定)-ジオパーク下仁田
「イエローカード(条件付き再認定)が出されたら、やめちゃえばよい」
http://geogunma.blogspot.jp/2015/12/blog-post_15.html

といいますのは、昨年の日本ジオパークの再認定審査において、
 条件付き再認定となったジオパーク下仁田で、
      今後もラッピング列車を運行する予算が確保できるのだろうか
と、私ごときが心配すべきでないことは重々承知しているのですが、心配性な私はどうしても心配になってしまうのです。

条件付き再認定という最悪の結果になってしまったからこそ、下仁田町において、
   がんばります!!!
     ジオパーク下仁田
と大書したラッピング列車の運行を再開させるかもしれませんが・・・。

2016年2月16日火曜日

「異類婚姻譚」-第154回芥川賞

群馬県が登場するのですが・・・

文藝春秋の3月特別号に、第154回芥川賞受賞作品が掲載されています。
2016.2.10 上毛新聞
芥川賞の受賞作日品については、できるだけ読もうと思い、私は芥川賞受賞作品が掲載された文芸春秋を購入しています。
文藝春秋3月特別号の表紙です。
本谷有希子さんが芥川賞を受賞した「異類婚姻譚」です。
これを読み進めていったところ、群馬県が登場するのですが・・・
 ※  どういう状況、どのような場面で、群馬県が登場し、作中の人物が群馬県になにをするために出かけるのか
   といったことについては、著者に失礼なことになりますので、ここでは述べません。
    ご興味があれば、お読みになってみてください。
群馬県が小説や映画、テレビドラマなどの舞台になって、それが群馬県のイメージアップにつながるのであれば、群馬県民のひとりとして、たいへんうれしいことだと思います。
しかしながら群馬県のイメージアップにつながらないかな・・・と思われる内容(これは、あくまでも私の感想です)であれば、小説などに群馬県が登場したとしても、うれしくない気持ちになります。
いまは、有名な野球選手であった方が群馬県で覚せい剤を購入していたとかで、大きなニュースになっていますし、いろいろな事件の舞台として、群馬県がニュースなどをにぎわしたこともありました。
群馬県の魅力ランクが低いのは、こういった事件による影響もあるのではないかと思います。

かつて、関越自動車道が開通したとき、群馬県で産廃の不法投棄が多発しました。
高速道路を利用して、千葉や東京、神奈川などから赤城山麓などに産廃を運び、それを不法に投棄する事案が多く発生したとき、高速道路の功罪の罪のほうとして、当時のメディアに大きく取り上げられたことがあったと記憶しています。

「異類婚姻譚」で群馬県が登場する場面を読んでいて、
 群馬県に対する地理的な認識をはじめ、
  群馬県に対して、一般的にどのようなイメージをもたれているのか、
について、あらためて深く考えさせられました。

こんなふうに小説に書かれるようでは、群馬県の魅力度アップは、なかなか難しいことかもしれないと・・・、そんなことも考えさせられた今回の芥川賞受賞作品「異類婚姻譚」でした。