2019年10月29日火曜日

「身の丈」発言に対して

居住地域や家庭の経済力に違いはあっても、
それに関係なく公平、公正に戦いたい

と、私は思います。

私が中学生のとき、家庭が貧しいからという理由で、全日制高校への進学をあきらめ、昼間は工場で働き、夜に高校へ通うということで、定時制高校に進む同級生がいました。

私自身も働きながら学んだ経験があります。
文部科学大臣が述べたとおり、
 身の丈に応じて生きざるを得ない
ものだと、私はこれまでの人生で、そのことは痛いほどよくわかっています。
貧しいということが、どれほどつらいことかも・・・
ウイキペディアで文部科学大臣の経歴(↑・↓)を見せていただきました。
   
     生い立ち
 東京都八王子市生まれ。
 八王子市立第十小学校卒業。
 八王子市立第二中学校入学、
 八王子市立ひよどり山中学校卒業。
 早稲田実業学校高等部卒業。
 明治大学商学部卒業。大学在学中から黒須隆一八王子市議会議員(当時)の秘書を務めていた。
 元日本青年会議所(八王子JC)所属。

文部科学大臣の身の丈は、まわりの子どもたちより高く、家庭の経済状態など気にすることなく、子どものとき、のびのびと過ごすことができたのかもしれませんが、文部科学大臣のまわりの子どもたちのなかに、その子どもの努力、がんばりでは、どうにもならないマイナスを背負っている子どもはいませんでしたか。
家庭教師をつけてもらえる子どもが、いまの日本にどれだけいるでしょうか。
学習塾に通うことができない子どももいるでしょうし、学校の給食費を納めることも困難だという家庭もあると聞いています。
朝日の記事(↑)では、つぎのとおり解説(↓)されています。

 来年4月のスタートを目前に、大学入学共通テストの英語民間試験に対する不安が強まっている。今年の「ひらく 日本の大学」でも、大学や高校の心配を裏付けるデータが集まった。
 多くの大学・高校が挙げたのは、「家計格差」「地域格差」「多数の試験を比べる公平性」だ。いずれも導入が決まった当初から指摘され、国が対策を打ち出してきた課題だ。
 昨年より問題視する割合が増えたのは、実施が迫り、大学・高校に加え、受験生や保護者の間に仕組みの理解が進んできたからだろう。異なる種類の民間試験を比べることの公平性や、受験にかかる交通費や受験料などの負担、受験機会の地域格差など根本的な解決が難しい課題が多いことが広く知られるようになってきた。加えて、いまだに文科省や試験団体の対応に未確定の部分が残っていることが、拍車をかけている。
 11日に就任した萩生田光一文科相は、予定通り実施する方針を示している。文科省は実施を前提に受験生への旅費の支援や、説明会を増やすなどの対策を公表している。だが、新制度に臨む受験生の不安を払拭(ふっしょく)できるとは言いがたいのが実情だ。(ひらく 日本の大学)(増谷文生)
  
   英語民間試験とは
 2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される。英語の「読む・聞く・話す・書く」の4技能を評価できる7種類を受けられる。原則として高校3年生(現在の2年生)が来年4~12月に受けた2回までの成績が大学に送られ、合否判定に使われる。活用の仕方は大学によって異なり、共通テストとは別に受験料がかかる。大きな変更になるため、23年度まで共通テストで英語の2技能(読む・聞く)を測る試験も続くことが決まっている。
※ 太字の強調は、わたしが行いました。

民間試験がスタートすれば、試験団体は受験料収入が増えるだろうな・・・と、そんなことを想像してしまいます。
文部科学大臣の場合、こんなこともあった(↓)わけですし、多くの国民は、民間試験導入に対して、どのようなことがあったのだろう・・・と、いろいろなことに思いをめぐらしているのではないかと私は愚考しています。
文部科学大臣には、受験生や受験生の保護者の皆さんを混乱させることだけは、絶対やめていただきたいと私は思っています。
文部科学大臣の今後ますますのご活躍、ご健勝をお祈りしております。

群馬の片田舎で、
  学習塾に通ったこともなければ、
  世の中に家庭教師というものがいることを知らずに育った、
  身の丈の低い
私の思いである
居住地域や家庭の経済力に違いはあっても、
それに関係なく公平、公正に戦いたい
は、
  学習塾に通えなくても、
   家庭教師に勉強を教えてもらえなくても、
    それなりに戦っていくしかないこと、
      それが貧しい子どもの現実であること、
これを私なりにふまえての思いです。

この日本には、いろいろな事情があるなかで、一生懸命にがんばっている子どもがいっぱいいます。
だからこそ、
  だれもが納得する公平・公正な競争ルールをつくり、
 その競争ルールで、だれもが公平、公正に戦えるようにすべきである
と、このことをつよくお願いしておきます。

2019年10月27日日曜日

ぐんまちゃん電車:上信電鉄

たいへんな10月でした

この10月には、大雨による土砂崩れなどで、不通になったこともありましたが、上信電鉄の皆さんのご努力によって、早期に復旧し、運転を再開していただいたことは、上信電鉄沿線で暮らすひとりとして、たいへんありがたいことだと思っています。
大雨が降った翌朝、川の水が増えたようすを撮影(↑)したものです。
この川は、いつもは水量が少ないのですが、大雨が降ったあととあって、かなりの水量になっていました。
10月になりますと、あちこちで稲刈りがはじまるのですが、雨続きで稲刈りができない田んぼがたくさんあります。
タイミングよく稲刈りができなければ、おいしい米を収穫することができません。
当地の名産品であるコンニャクは、長雨の影響からか、早くに葉が枯れ落ちてしまいました。
この10月は、青空がまぶしいといいますか、青空を見るのがほんとうに少なかったと思います。
台風の大雨で踏切に土砂が堆積したのですが、それを早くに除去して、10月14日の一番電車から高崎~下仁田間の運行が再開されたとき、その一番電車として走ったのは、ぐんまちゃん電車でした。
月がみえている早朝、下仁田ねぎ畑のわきを通過していくぐんまちゃん電車です。
あと1か月半もしますと、冬のなべ物に欠かせない下仁田ねぎが旬をむかえます。
きょうも元気に上信電鉄の電車が西上州を走っています。

2019年10月25日金曜日

映画やドラマづくりに

参加してみませんか?

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の撮影に向けて、当地でもロケハンが行われているとかいないとか・・・
私は、ひょんなことから富岡フィルムコミッションの方と知り合いになり、テレビドラマのエキストラで参加させていただきました。
生まれて初めてのエキストラでしたが、たいへんおもしろいものでした。
そんなこんながあって、いまFacebookにおいて、
 〇 富岡市に〝映画村〟をつくろう
 〇 富岡チョイ役商会
といったグループを立ち上げています。
また、富岡市には私がお世話になっている富岡フィルムコミッションがあり、そこでエキストラの登録、ロケの誘致やロケのときの協力などを行っています。
ここ(↑)にアクセスすれば、いろいろな情報を得ることができます。
下の画像は、2019.9.8に放送された「深層捜査」の一場面です。
画面奥の赤い矢印の先が、エキストラで参加させていただいた私です。
つぎの画像は、ある映画の撮影が行われた建物です。
この建物の前を行進する兵士の役(エキストラ)で、映画撮影に参加させていただきました。
映画の公開を楽しみにしているところですが、こういった楽しみを味わうことができるのも、エキストラで参加させていただいていればこそのこと、これからも映画やテレビドラマのエキストラで参加させていただこうと思っています。
そして、群馬県全体が映画、テレビやラジオのドラマのロケ地、舞台になり、それが数々の名作の生まれた場所として、いつまでも語り伝えていってもらえる、そんな未来がやってくることを念願しているところです。

2019年10月24日木曜日

避難所にはプライバシーがないし、

そもそも避難所より
自宅のほうが安全だから

台風第19号は、各地で大きな被害をもたらし、いまでも多くの方々が避難所で暮らしています。
昨日のテレビニュースで、避難された方々が学校給食と同じメニューの食事を体育館で食べているところが放送されました。
取材に応じられた方が、
 温かい食事がいただけて、ほんとうにありがたい
と述べられていましたが、お顔には疲労の色が濃く出ていたように私は感じました。
テレビニュースで見ていて、体育館の広い場所に、小さなお子さんを連れている家族もいれば、お年寄りだけの家族もいるわけですが、インフルエンザなどの病気が広がったらどうするのだろう・・・と、そんな心配をしてしまいます。
東京新聞(↑)では、
  避難所 女性に配慮を 授乳・更衣室確保、対応に差
と題して、つぎの記事を配信しています。

 台風19号で被害を受けた各地では、被災者が身を寄せる避難所で女性のプライバシー確保も課題となっている。内閣府は授乳室や更衣室の確保といった対応を呼び掛けているが、避難所によって差が見られる。 (寺岡葵、城石愛麻、安永陽祐)
 千曲川の堤防が決壊した長野市穂保(ほやす)地区の住民らが避難する屋内運動場「北部スポーツ・レクリエーションパーク」。テントが二つ張られ、授乳や着替えのための女性専用スペースになっていた。一~十歳の子ども三人と身を寄せた女性(32)は「避難した当初はトイレで着替えた。ありがたい」と安堵(あんど)の表情を見せた。
 保育士らによる子育て支援団体もサポート。妊娠中の女性(36)は、一歳十カ月の長男を保育士に預けて体を休めていた。「安静にしなければいけないので、保育士さんが来てくれたのはうれしい」。団体スタッフの平沢泉さん(53)は「避難の長期化が見込まれる中でお母さんが少しでも体を休められれば」と話す。
 長野県は五月、市町村が策定する避難所運営マニュアルに、授乳スペースの確保などを盛り込むよう通達。だが、態勢は避難所によって異なる。
 授乳向けなどの女性専用スペースは、長野市や佐久市の避難所の一部にはない。担当者は「要望がなかった」(佐久市)、「乳児を連れた避難者がいなかった」(長野市)などと説明する。須坂市は一部の避難所で、要望が出る前から女性専用スペースを確保した。ただ市は「市内の全避難所が確保しているかどうかは、把握していない」と話している。
 関東地方で避難を強いられている人は十九日午前十時時点で、茨城県が三百十三人、神奈川県二十八人。十八日の日中時点で、栃木県二百八人、埼玉県百十七人、千葉県四十四人、群馬県三十七人、東京都二十六人。
 内閣府は台風19号上陸前の今月十日、女性に配慮した避難所運営を都道府県に要請。避難所に男女別の管理責任者を置くのが望ましいともしているが、避難所によっては女性の責任者を置けていない場所もある。

 地域防災に詳しい池田恵子静岡大教授は「避難所の責任者が男性だと、女性の避難者は要望があっても言いだしにくい。女性の声を反映する態勢をつくるべきだ」と指摘している。

私がテレビニュースで見ていて、段ボールベッドのほか、これがあったら避難所での暮らしが、かなり改善されるのではないかと思ったのが避難所専用テント「ファミリールーム」です。
たくさんの方々が避難してきたとき、個室を用意するということは、現実的に困難なことですので、「ファミリールーム」のようなもので、仕切りができれば、かなりプライバシーの保護に役立つのではないかと思います。

「妙義児童館は河川の増水に伴い閉鎖」:富岡市
     避難所の安全性確保について(お願い)

これからも大型で猛烈な台風が日本にやってくるといわれている現代にあって、いざというとき、真っ先に、早め早めに避難所に駆け込む、そんな意識を市民が持つためには、避難所の立地の安全性のほか、プライバシーの確保をはじめ、大勢が一緒に暮らすうえでの感染症などの対策、さらには避難が長期化した際の対応など、あらゆる面でのきめ細かな対応が行政に求められている時代になったのかもしれません。
と同時に、市民の側でも大きな被害を引き起こさないための対応をしなくてはならないと思います。
高畠町の浸水被害については、稲刈り後の田んぼに置いてあった稲わらが一気に流れ込み、これが被害を大きくしたのではないかと山形新聞の記事(つぎにその一部を引用)は伝えています。


 水路に詰まり浸水被害を拡大させた可能性がある大量の稲わら。道路や田畑に堆積した分の処分のめどは立っていない=18日、高畠町深沼
 東日本を中心に甚大な被害をもたらした台風19号の襲来から19日で1週間となる。県内では復旧作業が進み、宮城県などの被災地支援の動きも本格化している。一方、浸水被害が相次いだ高畠、川西両町では災害発生時における水門や水路の管理で問題が指摘されるなど、災害対応への課題も浮かび上がってきた。 
 田畑や住宅地の浸水被害が深刻だった高畠町。稲刈り後の田んぼに残った稲わらが雨で流され、各所の水路で詰まっている状況が確認された。「稲わらが水路にたまって水があふれ出たのだろう」と、複数の農家が指摘する。これが浸水の拡大を招いた可能性もある。 
 稲刈り直後のわらは乾燥していて軽く、水に浮きやすいため、一気に流れ込んだとみられる。田畑や道路にたまった稲わらは処分方法が決まっておらず、町役場には回収作業の費用負担や集積場所について問い合わせが寄せられているという。 
 稲わらが流されるのを防ぐ手だてに関し、県の担当者は「わらを土に混ぜる対策も考えられるが、稲刈り後も農家は乾燥や選別作業に忙しい」と対応の難しさを口にした。 
 1週間が経過し、町内の浸水住宅の片付けなどは、あらかた終わっているという。 
 一方、住宅地などが浸水被害に見舞われた川西町では、18日に開かれた町議会全員協議会で、水門の管理が不十分だったとする声が上がった。水門から川の水が逆流し、被害が拡大した恐れがあるとの指摘を受け、鈴木清隆総務課長はどの住民が管理しているか把握できていない水門があったと説明した。「台風接近が予測された時から体制を確認し、管理を徹底すべきだった」と釈明した。 
 復旧に向けてはボランティアの助けもあり、床上浸水の被害に遭った住宅の家具搬出はおおむね完了。
 今後は広範囲に散乱した稲わらの清掃を行う。


いくら自治体が避難などの対応を講じたところで、私たちが被害を大きくしてしまうことをしていたとすれば、どうにもならないことだといってよいと思います。
私たちの周囲を見回して、被害を大きくする心配のあるものがあれば、それを取り除いておくなどの処理をしておくべきではないかと、そんなふうに私は思いました。

2019年10月21日月曜日

走行中、突然煙が!!:碓氷バイパス

びっくりしました!!

軽井沢に向かって、碓氷バイパスを走行中、突然前方を走る車から煙が!!
なにがどうなったのか、まったくわからず、ただただびっくり!!
ドライブレコーダーの記録映像をさかのぼってみますと・・・
※画像左下の時刻表示をご覧になってください。
秋の日曜日ということもあって、碓氷バイパスの上り坂を軽井沢方面に向かって、多くの車が走っています。
突然、前方に白い煙が!!
 下の画像は、煙を出した車が停止したところです。
発火しているとか、炎は見えていません。
車は自力で動くとみえて、この車は車道の左側に寄せられていきました。
横を走っていた車や後続の車を運転していた人々は、私を含めてだれもがびっくりしたと思います。
走行中に煙が出るというのは、まずは整備不良が疑われるところですが、これからの行楽シーズンにおいて、車で出かける機会が多くなると思います。
整備工場で車の点検をしっかり受けて、紅葉狩りなどに出かけたいものだと思いました。

2019年10月18日金曜日

馬喰さつき・渋沢栄一

2021年のNHK大河ドラマに
加えてほしいエピソード

つぎの「澁澤榮一翁と馬喰さつき(依田今朝吉)」は、昭和10年11月1日発行の「上毛及上毛人」に掲載されているものです。
コピーさせていただいたのは、「上毛及上毛人」の復刻版で、昭和49年6月1日に上毛新聞社・豊国秀丸によって発行されたものです。
 この記事の内容をかいつまんで申し上げますと、
 ① 渋沢栄一は18歳から24歳まで、藍玉の行商で上州と信州を歩いていた。
 ② 万延元年、渋沢栄一が21歳のとき、北甘楽郡月形村(現在の南牧村)の紺屋市川嘉兵衞宅に立ち寄った。
 ③ 渋沢栄一が庭先につないでおいた渋沢栄一の馬が、市川宅の鉢植えのサツキを食べてしまった。
 ④ 損害賠償交渉の結果、渋沢栄一は、お詫びの代わりとして、筆太に愛染明王と年月日を記し、私が成功したのちに姓名を書き入れると約束した。
 ⑤ こうして渋沢栄一は、馬が食べてしまったサツキを弁償せずにすませた。
 ⑥ 市川宅では、このサツキを土植えにして、また渋沢栄一の書は、自然石に刻んだ。
 ⑦ このことは、村人の語り草として伝えられている。
といったことになると思います。
想像するに、血気盛んの渋沢栄一は、
 おれは、きっと大物になる。
 そのとき、この書を持っていれば、いい値になるはずだ。
とでも言って、サツキの弁償代金を支払わなかったのかもしれません。
のちに渋沢栄一が有名になり、馬喰さつき保存會が地元でつくられたり、「馬喰さつき保存標句集」なるものが発行されるようになったのではないでしょうか。
南牧村
渋沢栄一の馬が市川宅のサツキを食べてしまったこと、そして地元に馬喰さつき保存會がつくられたことを考えるとき、明治期における渋沢栄一の活躍は、全国の津々浦々にまで響いていたといえそうです。
きっと市川宅や月形村の人々は、
 あのとき藍玉の行商をしていた若者が、
   たいへん立派になって、たいしたものだ
と、馬喰さつきを見るたびに、若いころの渋沢栄一を思い出したことでしょう。
依田今朝吉の「澁澤榮一翁と馬喰さつき」によれば、渋沢栄一の馬が市川宅のサツキを食べ、いろいろなやりとりがあったところを市川宅の女の子(当時12歳で、昭和9年に逝去)が目撃していたとのことで、このときのことをよく覚えていたそうです。
渋沢栄一は、とても魅力のある若者であったのかもしれません。
上毛新聞の論説(↓)にあるとおり、血気盛んな青年時代のエピソードを知ることによって、経済界の大物になっていく渋沢栄一の姿をよく理解できるのではないかと思います。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」においては、渋沢栄一の青年時代をいっぱい描いてほしいものです。
その際、「馬喰さつき」のエピソードを加えていただければ、埼玉県と群馬県において、いろいろな土地が関係してくることになり、誘客の効果も大きいものになると思います。
2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の
放送がとても楽しみです。

2019年10月17日木曜日

台風第19号が去ったあと、あちこちで崩落、いまだに濁流

早め早めに避難を

きょう(2019.10.17)の午前、用事があって下仁田町に出かけました。
大雨による大きな被害をうけたとお聞きしたていたのですが、あちこちで土砂が道路に流れ出したあとが残っていたり、河川の水量も多く、しかもそれがいまだに土砂で濁ったままであったことに驚きました。
この上下2枚の画像(↑・↓)は、下仁田町の青岩公園を橋の上から撮影したものです。
川の水が濁っていることがおわかりいただけると思います。
青岩の上には、台風第19号による大雨、増水によって、上流から流されてきたと思われる立木や石などが乗っています。
この地での大きな台風といえば、2007年9月の台風第9号であったといってよいでしょう。
2007年の台風第9号では、いくつもの孤立集落ができるなど、たいへん大きな被害をこの地にもたらしました。
上の画像は、2007年の台風第9号のとき、上流から青岩公園まで流されてきた杉の木です。
青岩公園に接していた住宅では、浸水してしまい、家財道具などの片付けにおわれていました。
上の写真は、ヤナギとサクラの木の枝にささった杉の木ですが、こうした立木をはじめ、大きな石などが大水といっしょに流されてくるわけで、こうしたものが家屋などに襲いかかってくれば、家屋もそこに暮らす人々もひとたまりがないということになります。
きょうの午前、下仁田の友人と話したのですが、
① 裏の川の水が増えてきて、石などがいっしょに流れるとき、雷が鳴っているような音がして、とてもこわかった。
② 下仁田の場合、被害が大きかったにもかかわらず、幸いにお亡くなりになった方がいなかったが、それは遠くに離れている子どもたちなどが、親や身内のことを案じて、早くに安全な避難所へ行くべきだとつよく避難をすすめてくれたおかげもある。
③ 今後は、躊躇せず早め早めに安全な避難所へ行くようにしたい。
④ 安全な避難所に避難した結果、なにごともなければ、それこそほんとうに幸せなことだと思うべき。
と、その友人は話していました。
上の写真は、2014年10月の台風が去った翌朝、青岩公園を撮影したものです。
今後も大きな台風が日本にやってくるといわれています。
早め早めに安全な避難所に避難したいものです。

2019年10月15日火曜日

「妙義児童館は河川の増水に伴い閉鎖」:富岡市

避難所の安全性確保について(お願い)

台風19号は、各地に大きな災害をもたらしました。
私が住んでいる富岡市においても、お亡くなりになった方々がいますし、住宅に川の水が入ってきたという方々もいて、たいへんな災害となりました。
これまでも全国では台風や地震のとき、住民が避難した場所が危なくなったということで、避難所から避難するといったことがありました。
もちろん想定外の増水であったとか、想定外の震度であったとか、いろいろな事情はあると思うのですが、台風による大雨などによる避難の場合、浸水してしまうおそれがある場所を避難所に指定しておくのは、いかがなものかと・・・。
群馬県水位雨量情報システムによれば、妙義児童館を閉鎖した10月12日の午後には、高田川(下高田観測所)の水位は、2.73(14:00)に達していました。
富岡市からの閉鎖に関するインフォーメーションメールが、17:48に送信されていますので、もし14:00の水位がさらに上昇していたとしたら、また妙義児童館に大勢の方々が避難していたとしたら、妙義児童館を閉鎖して、妙義児童館に避難している方々を、ほかの避難所へ安全に移動させることができるかどうか、大いに疑問が残るところです。
つぎは、富岡市長がフェイスブックに投稿したものです。
赤い矢印の先に妙義児童館があります。
妙義児童館は、高田川と県道にはさまれた場所にあります。
上の地図は、高田川の下流方向から妙義児童館を見ているもので、高田川右岸が山になっていることがおわかりいただけると思います。
高田川の水があふれれば、妙義児童館のほうに流れ込むでしょうし、高田川右岸の山が崩れれれば、その土砂も妙義児童館に流れ込む、といったことも想定されます。
これまでにない大雨となった台風19号を教訓として、また今後も大型で猛烈な台風がやってくるといわれていることをよく認識して、富岡市においては避難所全体の安全性(周囲の状況、立地、耐震性など総合的な視点で)をよく確認して、富岡市民の生命と安全をしっかり守ってほしいものです。

2019年10月13日日曜日

南蛇井駅~下仁田駅間 終日運休

2019.10.13の上信電鉄

このたびの台風19号は、とても大きな台風で、私が暮らしているところでも、これまでに記憶がないほど多くの雨が降りました。
上信電鉄では、きょう(2019.10.13)は南蛇井駅~下仁田駅間について、終日運休するとのことです。
各地で大きな被害がでていますが、改めて自然災害のこわさを思い知りました。
ここで紹介している画像は、けさ(2019.10.13)の南蛇井駅です。
南蛇井駅発6:56の上り電車が出発するところです。
南蛇井駅~下仁田駅間については、きょう(2019.10.13)は終日運休とのことですが、南蛇井駅~高崎駅間の運行が台風一過の翌朝に再開されたことは、上信電鉄沿線で暮らすひとりとして、これほどうれしいことはありません。
運行再開にあたっては、念入りに架線やレールなどを点検されたと思いますが、保守管理作業にあたられた職員の方々に、心から感謝を申し上げます。