2017年2月27日月曜日

温泉マーク発祥の地:磯部温泉

磯部温泉にお出かけください!

群馬県安中市の磯部温泉が発祥の地とされる温泉マークについて、併用ということではありますが、これからも使用してよいとなったことを私はとてもうれしく思っています。
これまでも私のブログで、わが国の伝統・文化のひとつとして、温泉マークを外国の皆さんに知っていただくことが大切なことではないかと申し上げてきましたが、日本に来られる外国人に対して、温泉マークの歴史などをお話しすれば、とても喜んでいただけるのではないでしょうか。
 これからの時代にあって、かたくなに自国の文化を守り通すという考えもどうかと思いますが、なんでもかんでも国際化だからというのもどうかと思います。
わが国の伝統・文化として、これからも守るべきもの、これからも残していくべきものをよく考えて、そのうえで国際化に必要なことはどういうことかを慎重に判断することが重要ではないでしょうか。
いま安中市の秋間梅林では、梅の花がきれいに咲いています。
そして、横川にある鉄道文化村も。
この鉄道文化村をはじめ、碓氷関所、碓氷峠の〝めがね橋〟など安中市には、見どころがいっぱいあります。
磯部温泉でゆっくりお風呂に入って、
のんびり碓氷路を歩いてみませんか。

2017年2月24日金曜日

とても深い意味があるように私は感じます

皆さんはどのように感じられますか?

「折々のことば(2017.2.16)」に掲載されているものです。
共同性の排他性への変質は、私たちが属する身近な集団・組織において、
 このところ居心地がよくないな
と感じていること、そんなこともあるかと思いますが、もっと大きな集団・組織を考えたとき、
 そこを自分が所有しているという意識に変わったひと
が集団・組織を牛耳っているとすれば、とてもこわいことになるのではないでしょうか。

いつの時代でも、どんな集団・組織でも、こういった所有意識を持つ方が登場し、排他的な方向に進むことになってしまうのかもしれませんが、いまの時代、とても考えさせられる「折々のことば(2017.2.16)」です。

2017年2月23日木曜日

新陰流 上泉伊勢守信綱

いよいよ3/3放送:BS朝日

戦国期の武将として、誰がいちばん好きかといえば、それは上泉伊勢守信綱です。
箕輪城での戦いぶり、あの武田信玄をも恐れさせた上泉伊勢守信綱でしたが、箕輪城が落城後、新陰流の創始者として、剣の道に生きた上泉伊勢守信綱は、まことにあっぱれな人物であったと私は思っています。
 心待ちにしていた放送が間近に迫ってきました。
前橋市の上泉自治会館前にある上泉伊勢守信綱の像です。
詳しいことは知りませんが、この型は新陰流独特のものとか・・・。
前橋市上泉町にある西林寺には、上泉伊勢守信綱の墓所があります。
墓所の前には、略譜があります。
自治会館にある自販機です。
この自販機にも上泉伊勢守信綱が描かれています。

おそらく上泉伊勢守信綱は、戦国期における第一級の人物であったと思います。

箕輪城跡でのロケシーンもあるとか、
  どうぞ3/3の夜は、
       BS朝日 新陰流上泉伊勢守信綱 
               をご覧ください。

2017年2月22日水曜日

土方歳三

高幡不動(東京都日野市)

幕末に活躍した人物のなかで、土方歳三は私の大好きな人物のひとりです。
高幡不動の土方歳三の像です。
高幡不動については申し上げるまでもなく 、日本三大不動のお寺さんとして、たいへん有名です。
土方家は、高幡不動の檀徒筆頭格といった家とか。
高幡不動前には、土方歳三のパネルも。
いまの時代にあらわれても土方歳三は、とてもかっこいい青年ではないかと思うのです。
幕末という時代、この地から京都に行き、そして函館へと、まさに波乱万丈ともいうべき土方歳三でしたが、とてもかっこいい生き方をされたのではないかと、そんなふうに思っています。

2017年2月20日月曜日

日本百名城:金山城(かなやまじょう)

群 馬 県 太 田 市

金山城は北条攻めに関連して、早い時期に廃城となったため、豊臣・徳川らの時代において、華々しく歴史に登場した城ということではありませんが、堅固な城づくりといって点では、たいへんすばらしいものであったといわれています。
 発掘調査などによって、金山城の姿がよみがえってきています。
 とてもすばらしい石積みで、当時の威容をいまに伝えています。
金山城は水の確保が十分であったこと、これも堅固な城として、たいへん重要なポイントであったとか。
遠くまで見通せる物見台は、いざというとき大いに役だったことでしょう。
群馬県には、たくさんの城跡がありますが、規模の壮大さ、遺跡としての保存状態のよさなどにおいて、この金山城は、横綱格といってよいのではないでしょうか。

まだまだ寒い日が続きますが、温かい春には、群馬県の城跡めぐりも楽しいかと思います。

城跡めぐりのガイドブックとして、上毛新聞社「ぐんまの城 三〇選」は、とてもよいものだと思います。

2017年2月18日土曜日

分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)

茂 林 寺 (群馬県館林市)

館林市にある茂林寺(もりんじ)は、「分福茶釜の茂林寺」(上毛かるたの読み札のひとつ)として、群馬県人はもちろんのこと多くの人々に知られている古刹です。
子どものとき、絵本で分福茶釜のことを知った、という方も多いかと思います。
山門前には狸の像がずらりと並んで、茂林寺におまいりに来られる皆さんをお迎えしています。
本堂のなかです。
先日は、茂林寺が上毛新聞で紹介されました。
いま、茂林寺では、茶釜狸展を開催しています。
写真撮影禁止ということで、公開されている茶釜の写真はありませんが、茂林寺でいただいたチラシ(↑)を紹介します。
公開されている茶釜をじっと見ていますと、いまにもしっぽや愛嬌のある顔、手足が出てくるのではないかと、そんな気分になってきます。
とても不思議な茶釜です。
茂林寺のなかは、狸 がいっぱいで、狸が大好きな私には、ずっといたいと思う場所です。
それにしてもたいへんご立派なことで・・・と、感心してしまいます。

茂林寺については、つぎのHP(↓)をご覧ください。

曹洞宗 茂林寺
http://www7.plala.or.jp/morin/

楽しい分福茶釜の茂林寺へ
出かけてみませんか?

2017年2月16日木曜日

三県境


栃木市(栃木県)・板倉町(群馬県)・加須市(埼玉県)

これ(↓)が三県境の境界杭です。
平野部にあって、歩いて簡単に行ける三県境というのは、たいへん珍しいものだそうです。
それも最近、といっても昨年の春ですが、三県境が確定できたというのも珍しいことではないかと・・・。
三県境調印式のようすを伝える群馬県板倉町のHPです。
画像の左側に三県境の境界杭があります。
近づいて行きますと・・・
手書きの説明板に自撮り棒ならぬ自撮り台まで設置されています。
私が行ったとき、ひっきりなしに人が来られていて、ちょっとした観光地といった感じでした。
人がいないときを見計らって、写真を撮ったのですが、たいへん珍しいものだということで、地元の方にお聞きしたところ、ずいぶん遠くから来られる方もいるそうです。
三県境の見学者用に臨時駐車場が用意されていますが、近くの道の駅きたかわべから歩いてきても楽しいかもしれません。

たいへんすばらしいものを見ることができ、楽しい時間を過ごすことができました。

2017年2月13日月曜日

2014年2月は大雪になりました

2014年2月14日

このときの大雪で、生まれて初めて雪下ろしをしました。
スコップが立っているのは、車庫の屋根の上です。
およそ80cmほどの積雪だったのですが、こんなに雪が積もったことがありませんでしたので、車庫が潰れてはたいへんと思い、雪下ろしをしたものです。
子どもが歩いているところをご覧いただければ、どれだけ雪が降ったかわかっていただけるのではないでしょうか。
こちらでは雪が降ってもあまり積もらないこともあって、陽が当たるところでは、早くに雪が融けてしまうのですが、大雪になったこともあって、このときはなかなか融けませんでした。
 雪の重みで大きな農業用ハウスが潰れてしまいました。
これはわが家の母屋から雪といっしょに落ちてきた瓦です。
わが家では、屋根瓦が落ちたり、ずれてしまったり、雨どいが曲がってしまうなどの被害をうけました。

2月は、統計的にみたとき、雪が降る月だそうです。
いま、3年前のような大雪にならないことを祈っているところです。

2017年2月12日日曜日

日本人はどこから来たのか?

群馬県立自然史博物館 自然史講座

2017.2.12(日)の午後、群馬県立自然史博物館において、
 国立科学博物館  海部陽介さん
の講演がありました。
 昨年の「3万年前のプロジェクト」については、とても興味深い実験であったと思います。
私たちの先祖は、どのようにして〝日本列島〟にやってきたのか、いろいろな説があっても、それを立証したものはないと思うのです。
これまでに読んだ本-最近、「サピエンス全史」を読みました-などをもとにして、私は思うのですが、3万年前に〝日本列島〟にやってきた人々は、いまの私たちが考える以上に、航海術などにたけていたのではないでしょうか。
きちんとした目的-新天地を求めて-をもって、また確かな航海技術の裏付けがあって、家族や恋人などと海に乗り出したと私は思うのです。
この海流に乗っていけば、その先の島にたどり着き、そこでの暮らしは、きっとすばらしいものになる、そんな明るい希望をもって、海に乗り出した人々のうち、幸運な人々-航海の途中で、多くの人々が亡くなっているのではないかと思います。いまの時代でも海難事故があり、多くの人々が亡くなっているわけで、海難事故というリスクそのものは、むかしもいまも変わらないのではないでしょうか-が島にたどり着いたということではないかと、そんなふうに私は思っています。

「3万年前のプロジェクト」は、
2019年ころに台湾出航をめざすことが
最終目標とのこと。
とても楽しみです。

2017年2月11日土曜日

鉄砲堰:埼玉県立川の博物館

一見の価値あり

埼玉県寄居町の荒川沿いにあります
  埼玉県立川の博物館
は、荒川の源流から河口までの大きな地形模型があることでも有名ですが、なんといって見応えがあるのは、水が一気に流れ落ちる
  鉄砲堰(てっぽうぜき)
の展示ではないかと思います。
大雨のとき、山から一気に水が流れ出すことを鉄砲水といいますが、この鉄砲堰は、伐採した木を下流に運ぶため、せき止めた川の水の勢いを利用しようという知恵から生まれたもので、たいへんすばらしいものです。
解説員の説明(↑)と実際に鉄砲堰をつくっているようすが紹介(↓)されます。
地元の皆さんの協力を得て、鉄砲堰を復元していただいたとのことですが、とても手際よく組み立てられていくようすは、たいへんすばらしいものだと思いました。
映像で組み立てが終わりますと、博物館につくられた鉄砲堰から勢いよく水が出るところを見せていただけます。
 勢いよく水が出てきました。
実際の鉄砲堰より小さいものだそうですが、それでも迫力十分な水の勢いでした。
博物館の鉄砲堰で、水が勢いよく流れ出たところを見たあと、地元の皆さんが復元した鉄砲堰から水が勢いよく流れ出し、丸太が押し流されていく映像を見せていただきましたが、こちらは迫力満点といった感じでした。

水を暮らしに活用する知恵として、たいへんすばらしい鉄砲堰を紹介しました。

2017年2月10日金曜日

誰もがわかっているのだろうけれど・・・

いまのままでは立ち行かなくなることを

2017.2.9(木)の上毛新聞に、
 県都の課題2017
   前橋市議選立候補者アンケート(下)
の記事が掲載され、そのなかに私にとっては、とても懐かしい気持ちになる
  コンパクトシティー
のことばがありました。
上の記事に赤い矢印を付したところがコンパクトシティーに関する部分です。
コンパクトシティーといった考え方は、ずっと前からあって、郊外に虫食いのようにひろがった住宅団地など(スプロール化)に対する社会資本の整備と維持管理をはじめ、スプロール化した郊外のあちこちで暮らすことそのものが、予想されている高齢化、少子化の時代には、たいへん困難なものになるであろうと、都市のあり方を考える人々の間で、危機感をもって活発に議論が行われていましたが、多くの自治体での対応は、のんびりしたものであったと思います。
郊外の団地で暮らす人々が 高齢になり、近くにスーパーや病院がないうえ、まちなかに行くための足である路線バスが廃止されてしまえば、陸の孤島に暮らしているようなものだと思うのです。
戦後の日本において、団塊の世代の人々が結婚、マイホームづくりへと突き進むことによって、郊外に多くの住宅団地が生まれてきたのですが、いまはその多くの住宅団地がお年寄りだけの世帯であるとか、空き家や空き部屋が多くなっています。
日本の土地利用規制に将来展望がなかったとか、都市計画法や農振法などの理念と制度のすり合わせがうまくいかなかったとか、いろいろな考え方があるかと思いますが、いまだにコンパクトシティー構想などと言っていて、具体な動きがはっきり見えていない、こんな状況ではたして間に合うのだろうかと思うのです。
2007.10.6(土)の朝日新聞の記事にあるとおり、
  危機感
 生き残るための最後の頼みの綱
であると私も思っていたのですが、深刻化する財政難のなか、はたしてコンパクトシティーへの道を歩むことができるのだろうか、と私は考え込んでしまいます。

いまのままでは、郊外の団地等をはじめ、点在する集落で暮らす人々-とくに高齢者-の生活も、そして自治体の財政も立ち行かなくなることは、誰もがわかっているのでしょうが、その対応への動きとなりますと、国と多くの自治体の動きは、とても遅いように感じてしまいます。

つぎのことに関しては、のちほど機会があれば細かく述べたいと思いますが、コンパクトシティーをすすめるうえで、まちなか(中心部)に暮らしている人々、そこに土地や住宅を保有している人々の意識を考えることは、とても重要なことだと思います。
なぜなら、それらの人々は、いまのままでも困っていませんし、狭い道路を拡げて、消防車が入れるようにしようとか、住みやすい街路づくりをしようといった公共工事で、用地の提供等に気持ちよく応じていただける人々ばかりではないと思うのです。
空き家で置いておけば税金が安くすむが、更地にすれば税金が高くなるとか、公共事業を進めようとしますと、土地などの所有権といった私権をつよく主張される人々も多いと聞いたことがあります。
こういったこともコンパクトシティーを進めるうえで、解決していくべき大きな課題であろうと思います。
この点に関しては、のちほど機会があれば・・・。