いまのままでは立ち行かなくなることを
2017.2.9(木)の上毛新聞に、
県都の課題2017
前橋市議選立候補者アンケート(下)
の記事が掲載され、そのなかに私にとっては、とても懐かしい気持ちになる
コンパクトシティー
のことばがありました。
上の記事に赤い矢印を付したところがコンパクトシティーに関する部分です。
コンパクトシティーといった考え方は、ずっと前からあって、郊外に虫食いのようにひろがった住宅団地など(スプロール化)に対する社会資本の整備と維持管理をはじめ、スプロール化した郊外のあちこちで暮らすことそのものが、予想されている高齢化、少子化の時代には、たいへん困難なものになるであろうと、都市のあり方を考える人々の間で、危機感をもって活発に議論が行われていましたが、多くの自治体での対応は、のんびりしたものであったと思います。
郊外の団地で暮らす人々が 高齢になり、近くにスーパーや病院がないうえ、まちなかに行くための足である路線バスが廃止されてしまえば、陸の孤島に暮らしているようなものだと思うのです。
戦後の日本において、団塊の世代の人々が結婚、マイホームづくりへと突き進むことによって、郊外に多くの住宅団地が生まれてきたのですが、いまはその多くの住宅団地がお年寄りだけの世帯であるとか、空き家や空き部屋が多くなっています。
日本の土地利用規制に将来展望がなかったとか、都市計画法や農振法などの理念と制度のすり合わせがうまくいかなかったとか、いろいろな考え方があるかと思いますが、いまだにコンパクトシティー構想などと言っていて、具体な動きがはっきり見えていない、こんな状況ではたして間に合うのだろうかと思うのです。
2007.10.6(土)の朝日新聞の記事にあるとおり、
危機感
生き残るための最後の頼みの綱
であると私も思っていたのですが、深刻化する財政難のなか、はたしてコンパクトシティーへの道を歩むことができるのだろうか、と私は考え込んでしまいます。
いまのままでは、郊外の団地等をはじめ、点在する集落で暮らす人々-とくに高齢者-の生活も、そして自治体の財政も立ち行かなくなることは、誰もがわかっているのでしょうが、その対応への動きとなりますと、国と多くの自治体の動きは、とても遅いように感じてしまいます。
つぎのことに関しては、のちほど機会があれば細かく述べたいと思いますが、コンパクトシティーをすすめるうえで、まちなか(中心部)に暮らしている人々、そこに土地や住宅を保有している人々の意識を考えることは、とても重要なことだと思います。
なぜなら、それらの人々は、いまのままでも困っていませんし、狭い道路を拡げて、消防車が入れるようにしようとか、住みやすい街路づくりをしようといった公共工事で、用地の提供等に気持ちよく応じていただける人々ばかりではないと思うのです。
空き家で置いておけば税金が安くすむが、更地にすれば税金が高くなるとか、公共事業を進めようとしますと、土地などの所有権といった私権をつよく主張される人々も多いと聞いたことがあります。
こういったこともコンパクトシティーを進めるうえで、解決していくべき大きな課題であろうと思います。
この点に関しては、のちほど機会があれば・・・。
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