橋に歴史あり
国道254号で下仁田に向かうとき、下仁田インターチェンジ手前の橋を渡りますが、この橋が比佐理橋(ひさりばし)です。
高速道路建設関連事業として、国道254号の馬山バイパスが開通します。
その工事の一環として、この比佐理橋が架けられました。
1991(平成3)年のことです。
下の地図は、2002(平成14)年に国土地理院から発行されたものです。
上の地図は、1981(昭和56)年に国土地理院から発行されたものですが、前の地図と比べて見て、比佐理橋が新たに建設されたことがおわかりいただけると思います。
この比佐理橋ですが・・・
むかし、馬山バイパス工事が行われた位置と、ほぼ同じ場所にあったのです。
上の地図は、1907(明治40)年に大日本帝国陸地測量部が発行した地図です。
比佐理橋は、ずっとむかしにあった橋の名前であったのです。
つぎの地図は、1900(明治33)年の第一師團司令部によるものです。
新しくつくる橋の名前を比佐理橋と名づけよう、と発案された方は、ここに橋があったこと、それも比佐理橋という橋であったことを知っていたのでしょう。
現在の比佐理橋が架けられるまでは、この上流の只川橋が下仁田と富岡をむすぶメインの橋でした。
1931(昭和6)年、現在の只川橋がつくられたあと、比佐理橋は廃止されることになります。
比佐理橋が廃止された経過を詳しく調べていませんが、只川橋が完成後、大水によって橋が流されてしまったが、それを復旧しなかった・・・といったところでなかったかと、私は想像しています。
明治のころの架橋といえば、まだまだ木造のものが主流であり、河床から高い位置に架けるとか、長い橋を架けることが困難でした。
平成の世になって、かつての往還に架けられていた比佐理橋が復活したことになります。
比佐理橋の名称案を発案された方は、先人のご苦労を忘れないようにしよう、と考えていたからこその発案であったのではないでしょうか。
私は、昔の橋の名前を復活させた方がすごいと思うのです。
橋に歴史あり
といったことをご紹介させていただきました。
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