2013年8月29日木曜日

まちづくり

心豊かな生き方とは・・・

 
つぎの画像は、「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」に掲載していただいた「自分史:Let It Be -あるがままに生きようと思ったとき-(p229~244)」の部分です。
私が小学生のころ-昭和30年代の東京オリンピック前-の農村は、こんな生活をしていました。

「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」に掲載していただいた文章は、2009年の冬に執筆したものですので、この文中の「一昨年」とあるのは、2007年のことになります。

農繁期になりますと、同級生などの多くは、まだ、小学校に上がっていない年齢で、妹や弟を背負い農作業を手伝わされていました。

いま振り返ってみて、当時の農家の子どもたちは、よく働いた(働かされた?)と思います。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、明治期の人々-秋山好古と真之兄弟・正岡子規-の思いを描いたものですが、昭和30年代に富岡市北部の農村地帯で育った少年の多くも、その時代のなかで「坂の上の雲」を追い求めて、歯をくいしばってがんばっていたのです。

貧しい生活のなかで、〝豊かな生活〟を追い求めて、必死に生きていたのです。

でも・・・

確かに貧しい生活でしたが、まわり中が同じ生活をしていたせいか、悲惨さとか苦しさといったものは感じていなかったように思います。
むしろ、地域のお年寄りはもちろん、地域のおじさんやおばさん、バイクでブイブイやっているあんちゃん、そのバイクの後ろに乗っていたスカーフのねえちゃん、川でフルチンになって、泳いだり魚をつかまえている子どものすべてが、とても生き生きとしていたように思います。

たとえば、声掛け・・・

いつでもどこでも地域のだれもが声を掛け合っていました。
道で出会って黙って通り過ぎるといったことは、絶対にありませんでした。

それは、おとなどうしであっても、
おとなA: 田んぼの水見か?
おとなB: こう暑くて、夕立がないと、米が取れねーかもしれねーな。
おとなA: そうだな・・
と、たわいない言葉のやりとりですが、それぞれが元気で過ごしていることを確認し合う、そんな意味があった声掛けであったと思います。

相手がどんな小さな子であっても・・・
おとな: どこへ行く?
子ども: 川にいく。
おとな: 気を付けるんだぞ。
子ども: うん。
といった感じで、おとなから子どもに声掛けが行われていましたが、これは地域で子どもを見守るという意味が大きかったように思います。

私は、住みやすい地域社会とか心豊かに生きる、といったことを考えるとき、私が生まれ育った家や地域のこと-きれいな山や川があって、私たち子どもを見守ってくれていたお年寄りがいた〝あの時代のあの地区での暮らし〟-を思い出すのです。

「200万人のキャリアデザイン講座(現代図書)」のp242・243に、「7.これから先・・・」として、
私がしたいことやなりたいものを列挙してありますが、要は、
 そこそこに暮らすことができ、
 私の好きなこと-化石探しや鉱物探し・読書・野菜づくり-ができて、
 すこしは地域社会のお役に立てることがあれば
という-私の願い-を述べさせてだいております。

やはり、生まれ育った時代や環境が大きく人生観の形成に作用するらしく、追い求める幸せとか自分らしく生きるといったことは、まさに原点ともいえる生まれ育った時代や環境に戻るのではないかと思います。

昭和30年代の最大のイベントであった東京オリンピックから半世紀が経って、これほどに世の中が大きく変貌するとは、誰もが予測していなかったのではないでしょうか。

この半世紀は、地域社会のつながりを希薄にさせ、それをさらに加速させてきたといえるでしょう。

 そもそも経済(経世済民)という言葉も金だけを意味する言葉ではなかったはずだ。世の
中をうまく治めて人々の幸せな生活を実現ささせること、つまり地域の課題を乗り越えて人々
が豊かな人生を送ることが目的だった。それがいつの間にか「経済的な成功」ということに
なると「お金がたくさん手に入った」ということとほぼ同義になるほど、経済と金はひっつ
いてしまった。僕らはもう一度「経済」や「豊かさ」がどんな要素から成り立っているの
か、じっくり考えてみたほうがいい時期にさしかかっている。人とのつながりや、人からの
感謝や、自分の役割が増えることや、自分にできることが増えることの価値。こうしたもの
と金や物を持っていることが組み合わさって、僕たちの豊かさは成立しているはずだ。
 そして、まちの豊かさも同じような要素で成立しているはずなのである。                                       
 
 この文章は、 「コミュニティデザインの時代-自分たちで「まち」をつくる(山崎亮・中公新書)から引用 (p82・83)させていただいたものです。

一昨日のブログで、日本郵便の高齢者サービス事業参入を紹介
    http://geogunma.blogspot.jp/2013/08/blog-post_27.html
しましたが、こうした動きによって、ますます地域社会のつながりが薄れ、ますます高齢者を孤立化させるのではないか、そんな危惧を私は感じているのです。

私が住む富岡の地域社会の多くは、新たな豊かさを再構築できる基礎が消滅してしまった、とまではいってないかもしれませんが、消滅寸前、いわば瀕死の状態といってよいのではないか、と私には思えてならないのです。

日本郵便のこの事業によって、
 ますます地域社会のつながりが崩れ、
 このような事業がさらに拡大すれば、
地域社会で支え合うといったことがなくなってしまうでしょう。

山崎氏のお考えはごもっともですが、
いますぐに、そんな事態に立ち至らないためにも、
富岡市(自治体)と市民がもっと大所高所に立って、長期的なスパンでの地域社会で支え合う仕組みづくり-まちづくり-を
もっとスピーディーにやるべきではないか、そんな思いをつよく感じています。

日本郵便の高齢者サービス事業の売り上げと儲けは、どこで申告され、どこが課税するのか・・・といったこともあります。
富岡に本店がある商店であれば、富岡税務署・富岡市ということになると思いますが・・・
今後の富岡市の税収面、財政からもまちづくりを考えてみる、こういった観点も必要なことではないでしょうか。

今日の現状をふまえ、将来の地域社会を考えるとき、もう一度
「遠くの親戚より近くの他人」
といった古人の教えをよく考えてみることが必要かもしれませんね。

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