橋に歴史あり -続-
きのうのブログでは、昔にも比佐理橋という橋があった、ということを紹介いたしました。
画面奥の建物は、介護老人保健施設ココンです。
撮影した場所を1907(明治40)年の地図におとしてみますと、
ピンクの↓の位置になります。
下の写真は、現在の比佐理橋の上から撮影した〝旧道〟です。
〝旧道〟といいましても、いまでも耕作などで通行、利用されていますので、現役の道路といってよいでしょうし、よく手入れが行き届いている道路です。
かつて、ひとびとは介護老人保健施設ココンがあるあたりから鏑川に向かって行き、昔の比佐理橋を渡っていました。
昔の比佐理橋は、現在の比佐理橋より低い位置にあったため、大水のたびに流されてしまう・・・といった橋でした。
また、昔の比佐理橋は、崖に沿うように細い道でつながっていたため、物資を大量に輸送することもできませんでした。
現在の比佐理橋を鏑川の下流から眺めた画像になります。
ご覧のように、切り立った崖が続いています。
現代の私たちは、架橋技術が進歩したおかげで、簡単に川や谷を渡って、行き来をすることができるようになりましたが、昔の人々にとっては、まさにここは通行の難所でした。
上の写真は、現在の比佐理橋の下で、富岡市側から下仁田町側を撮影したものです。
もし・・・
昔の人々が現在の比佐理橋をみたら、どのようなことをおっしゃるだろうか
と想像してみるのですが、おそらくどなたもたいへん驚くのではないかと思います。
長い時を経て、大水になっても流されない比佐理橋になり、いまや下仁田町への往来に欠かせない比佐理橋ですが、この比佐理橋は、大水のたびに橋が流され、そして、流された橋を復旧してきた時代の人々の思い-大水で流されず、いつでも安心して通行できる橋がほしい-がこもった橋でもあるのです。
下仁田町にお越しの際、比佐理橋を渡ることがありましたら、
大水で流されない橋がほしいと願った人々、
その思いに応えて、大水でで流されない橋を架けることに努力した人々
のことを想像していただければ幸いです。
下仁田ジオパークのジオサイト見学にお出かけください。
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