2013年7月5日金曜日

地図

環日本海諸国図

きのうは、およそ100年前の下仁田町の地図をもとにして、上信電鉄の前身である上野鉄道が開通したころのようすを紹介しました。

きょうは、1994(平成6)年に富山県が発行した地図を紹介させていただきます。
この環日本海諸国図のおもしろさは、いつも見慣れている地図と位置関係が違うためか、日本海がとても小さく見える気がすることです。

私たちが見慣れている地図は、上が北で下が南、ということになっていて、その位置関係で、それぞれの大陸や島があるという理解をしています。

たとえば、日本で見る世界地図の場合、太平洋が真ん中にあって、右(東)には南北アメリカ大陸、そして左(西)には、中国からヨーロッパ、アフリカの大陸といった位置関係になっています。

地球儀の地球を回して、ある角度から見れば、太平洋は真ん中でないどころか、まったく見えなくなってしまいます。

下の写真は、『中国の上空に上がって、日本の方向を見渡せば、こんな感じかな・・・』と考え、地図上の中国の空から日本海と日本列島の方向を撮ってみました。
私たちは、地質の勉強を通じて、日本海が生まれたことなどを知っていますが、こうして見てみると、

 なんと日本海の小さいことか!
 ちょっと大きめな湖ではないか!

と、私は思うのです。

ずっと前に中国に行ったことがあります。
レセプションでの中国側の方々のあいさつには、必ず「(日本と中国は)一衣帯水」といった言葉が使われていました。
ちょっと大きめの湖の反対側に中国と日本が位置していることを、うまく表現した言葉であったといえます。

いまは、衛星からの画像などによって、地球の美しい姿を簡単に見ることができますし、正確な地図によって、それぞれの国と国の位置関係がよくわかる時代になりました。

一衣帯水という言葉が生まれたのは、いつのことであったのかについては調べておりませんが、おそらく遠い昔のことであっただろうと思います。

昔の人々のほうが現代の我々より正確に位置関係を把握していて、その関係を的確に表現-一衣帯水-する能力に優れていたのではないか、と思います。

この日本海を、遣隋使や遣唐使、鑑真などが命がけで往ったり来たりしました。
このような文化交流の反面で、元(げん)の〝軍艦〟がやってきたり、倭寇といわれるものがあちこちに出没したり、といった時代もありましたし、バルチック艦隊との戦い-日本海海戦-の舞台にもなりました。
戦前には、日本の軍艦、兵士が日本海を渡って、朝鮮や中国に行ったこともありました。

これは、尖閣諸島になります。
ちょっと大きめな湖程度の距離なのですから、「おーい、元気かい?」と声をかければ、それぞれの言葉で「元気だよ!」という声がかえってくるのではないでしょうか。
 
    난 괜찮아!」
   「我很好!」
 
これからもずっとお隣さんどうしで、仲よく暮らしていきたいものですね。
 
きょうは、何かを見るとき、いつもと違う視点を持つことによって、違ったイメージを得ることができる、そして、違ったイメージを得ることによって、それまでとは違った考えを持つことができるのではないか、ということを述べさせていただきました。

2 件のコメント:

矢口裕之 さんのコメント...

遺跡を発掘すると地図や国境のない時代から人々は移動しているのですが、国家や民族、宗教といった問題がからむと地図さえも微妙な問題を含むので興味深い問題です。この地図だと日本列島は大陸諸国の蓋をしているようにも見えますし、北から、東からみたらまた違った見方ができるかも知れないです。

Yuji,Honda さんのコメント...

おっしゃるとおり見る角度によって、違った見方ができると思います。地図は、とてもすぐれた情報媒体であるだけに、どのように作図するかによって、ある意味では意図的な編集も可能ではないかと・・・
若いとき、オーストラリアを旅行したのですが、オーストラリアの世界地図は、日本のように北極がうえということでなく、南極を上にして描かれていました。
その地図を購入してきて、家の壁に貼っておいたのですが、その地図を見るたび、ひとつの角度からだけで見てはいけないのだと思いました。