2013年8月2日金曜日

比佐理橋(ひさりばし) -続-

橋に歴史あり -続-

きのうのブログでは、昔にも比佐理橋という橋があった、ということを紹介いたしました。
画面奥の建物は、介護老人保健施設ココンです。
撮影した場所を1907(明治40)年の地図におとしてみますと、
ピンクの↓の位置になります。
下の写真は、現在の比佐理橋の上から撮影した〝旧道〟です。
〝旧道〟といいましても、いまでも耕作などで通行、利用されていますので、現役の道路といってよいでしょうし、よく手入れが行き届いている道路です。

かつて、ひとびとは介護老人保健施設ココンがあるあたりから鏑川に向かって行き、昔の比佐理橋を渡っていました。

昔の比佐理橋は、現在の比佐理橋より低い位置にあったため、大水のたびに流されてしまう・・・といった橋でした。
また、昔の比佐理橋は、崖に沿うように細い道でつながっていたため、物資を大量に輸送することもできませんでした。

現在の比佐理橋を鏑川の下流から眺めた画像になります。
ご覧のように、切り立った崖が続いています。
現代の私たちは、架橋技術が進歩したおかげで、簡単に川や谷を渡って、行き来をすることができるようになりましたが、昔の人々にとっては、まさにここは通行の難所でした。
上の写真は、現在の比佐理橋の下で、富岡市側から下仁田町側を撮影したものです。

もし・・・

 昔の人々が現在の比佐理橋をみたら、どのようなことをおっしゃるだろうか

と想像してみるのですが、おそらくどなたもたいへん驚くのではないかと思います。

長い時を経て、大水になっても流されない比佐理橋になり、いまや下仁田町への往来に欠かせない比佐理橋ですが、この比佐理橋は、大水のたびに橋が流され、そして、流された橋を復旧してきた時代の人々の思い-大水で流されず、いつでも安心して通行できる橋がほしい-がこもった橋でもあるのです。

   下仁田町にお越しの際、比佐理橋を渡ることがありましたら、

     大水で流されない橋がほしいと願った人々、
     その思いに応えて、大水でで流されない橋を架けることに努力した人々

  のことを想像していただければ幸いです。

下仁田ジオパークのジオサイト見学にお出かけください。

2013年8月1日木曜日

比佐理橋(ひさりばし)

橋に歴史あり

国道254号で下仁田に向かうとき、下仁田インターチェンジ手前の橋を渡りますが、この橋が比佐理橋(ひさりばし)です。
高速道路建設関連事業として、国道254号の馬山バイパスが開通します。
その工事の一環として、この比佐理橋が架けられました。
1991(平成3)年のことです。

下の地図は、2002(平成14)年に国土地理院から発行されたものです。

上の地図は、1981(昭和56)年に国土地理院から発行されたものですが、前の地図と比べて見て、比佐理橋が新たに建設されたことがおわかりいただけると思います。

この比佐理橋ですが・・・
むかし、馬山バイパス工事が行われた位置と、ほぼ同じ場所にあったのです。

上の地図は、1907(明治40)年に大日本帝国陸地測量部が発行した地図です。
比佐理橋は、ずっとむかしにあった橋の名前であったのです。

つぎの地図は、1900(明治33)年の第一師團司令部によるものです。
新しくつくる橋の名前を比佐理橋と名づけよう、と発案された方は、ここに橋があったこと、それも比佐理橋という橋であったことを知っていたのでしょう。

現在の比佐理橋が架けられるまでは、この上流の只川橋が下仁田と富岡をむすぶメインの橋でした。
1931(昭和6)年、現在の只川橋がつくられたあと、比佐理橋は廃止されることになります。
比佐理橋が廃止された経過を詳しく調べていませんが、只川橋が完成後、大水によって橋が流されてしまったが、それを復旧しなかった・・・といったところでなかったかと、私は想像しています。

明治のころの架橋といえば、まだまだ木造のものが主流であり、河床から高い位置に架けるとか、長い橋を架けることが困難でした。

平成の世になって、かつての往還に架けられていた比佐理橋が復活したことになります。

比佐理橋の名称案を発案された方は、先人のご苦労を忘れないようにしよう、と考えていたからこその発案であったのではないでしょうか。
私は、昔の橋の名前を復活させた方がすごいと思うのです。

 橋に歴史あり

といったことをご紹介させていただきました。

2013年7月31日水曜日

台風9号

自然災害 

このところ日本の各地で、大雨による大きな被害が発生しています。

大雨などの自然災害を未然に防ぐ手立ては、いまのところありませんが、これからの台風シーズンを考えるとき、
  まず自分の身は自分で守り、
  大切な家族は、自分が守る、
といった気持ちで、自然災害への備えをしておきたいものです。

下仁田町・南牧村では、2007年9月の台風9号によって、大きな被害を受けました。
この画像は、台風9号が去ったあと、青岩公園で撮影したものです。
緑泥石片岩の上に大きな礫が乗っかっていますが、その多くはこのときの台風9号で上流から運ばれてきたものです。

    【私の備え】
① 庭木などの伸びた枝の剪定・家のまわりの片付け
  ←強風で枝が折れて吹き飛んで、周囲に思わぬ被害を引き起こさないようにするためです。
② 非常用食料等の確保
  ←いちばん困るのが断水と停電ですので、非常用食料のほか、とくに飲料水と乾電池を確保しておきます。
 ※浴槽に水をはっておく、というのもいざというとき効果的です。
③ 保冷剤の利用
  ←冷凍庫で保冷剤を凍らせておき、停電になった際には、冷蔵庫から保冷バッグに冷蔵食品を移して、保冷剤が持つ間だけでも冷たく
 保存できるようにします。
④ ラジオやテレビの気象情報の活用
  ←インターネットでの情報収集とあわせて、ラジオやテレビの気象情報をこまめに聞いたり見ています。
⑤ 富岡市の防災通知システムの活用
  ←富岡市では、登録者への防災通知(メール配信)システムを整備しています。
 

これは、杉が柳と桜にひっかかっているといいますか、突き刺さった状態になっているところです。
画像には、浸水したお宅で後片付けをされているようすが写っていますが、2007年の台風9号は、下仁田町・南牧村をはじめ、鏑川沿いの市町に大きな被害をもたらしました。
これは、この夏の青岩公園の画像ですが、←の位置に上流から流されてきた杉が突き刺さっていたのです。
                これからの台風シーズン、気をつけて過ごしたいものですね。

2013年7月22日月曜日

117周年記念事業

上 信 電 鉄

2013.7.21(日)には、117周年記念事業として、デキが列車をけん引して走るというので、たいへん楽しみにしていたのですが、
待てども待てども、デキがこない・・・
そういえば、通常ダイヤでの列車も通過しない・・・
これは、もしかして事故でも起きたのかな・・・
などと考えながらデキを待っていたのですが・・・

写真を撮りに来られた方から「踏切事故があって、定時での運行ができなくなり、乗客は違う車両に乗り換えて、下仁田に向かったようです」とお聞きしたので、とても残念だったのですが、いつもの撮影場所(自宅から近いのですが)から帰宅しました。

それからおよそ2時間後の13時、「ピー」というデキの警笛の音が聞こえたので、外に出てみますと、拙宅前をデキが通過していくではありませんか。
あわてて撮影したのが、上の写真と下の写真です。
117周年の記念イベント列車は、回送ということにしたようで、乗客の姿は見えませんでした。

このイベント列車への乗車を楽しみにされていた方々や下仁田での各種行事への参加も楽しみにされていた方々には、たいへん残念なことになってしまったかもしれませんが、これも思い出のひとつと思っていただいて、どうぞ、これからも上信電鉄をご利用いただき、甘楽町、富岡市、下仁田町、南牧村方面にお出かけください。

2013年7月18日木曜日

風立ちぬ


「堀越二郎の軌跡」展  藤岡歴史館

2013.7.20(土)全国ロードショーの映画「風立ちぬ」で、主人公のイメージとして取り上げられている堀越二郎氏は、群馬県藤岡市の出身です。

きのうは、藤岡歴史館で開催中の「堀越二郎の軌跡」展を見学してきました。
向かって右側が、藤岡歴史館のポスターです。
向かって左側は、所沢航空発祥記念館で開催されている「堀越二郎の生涯」展のポスターです。

堀越二郎氏の業績については、多くの方々に知られているところですが、藤岡歴史館の展示では、少年時代のエピソードをはじめとして、彼が設計した飛行機の写真、資料-緻密な計算資料・設計メモなど-を見ることができます。

ことしの夏は、映画の「風立ちぬ」の鑑賞とともに、藤岡歴史館・所沢航空発祥記念館の展示をご覧になり、航空機の設計において、わが国の水準を一気に引き上げた堀越二郎氏の偉業をしのんでみませんか。

藤岡歴史館です。

 ※ 「堀越二郎の軌跡」展と藤岡歴史館については、こちら(↓)をご覧ください。
http://www.city.fujioka.gunma.jp/kakuka/f_bunkazai/h25_2kikakuten.html

藤岡歴史館のエントランスホールに掲示していただいてありました。
たいへんありがとうございます。

藤岡歴史館で「堀越二郎の軌跡」展をご覧になったあとは、下仁田ジオパークのご見学にお出かけいただければ幸いです。

2013年7月15日月曜日

只川橋

土木遺産

只川橋は、群馬県内で7件目の土木学会選奨土木遺産に認定(一昨年)された橋で、とても美しい姿をしています。

土木学会選奨土木遺産に認定されたのは、只川橋の技術性、社会性、まちづくり資源としての有用性が評価されてのことです。
この橋は、下仁田町馬山と富岡市南蛇井間に架けられました。
1931(昭和6)年のことでした。

群馬県内で初めての「2ヒンジ鋼トラスアーチ橋」で、橋の支点部に蝶番(ちょうつがい)の役割を果たすヒンジというものがあります。
     ※ 右は、あとで建設された歩道橋です。

                                  1993.11.18撮影

いまもがんばっている只川橋には、高い崖と広い川幅の鏑川を渡るために、「大水で流されない橋がほしい」と願った先人の思いが込められています。

      下仁田ジオパークのご見学の際には、
         すばらしい土木遺産である只川橋も
             ご見学いただければ幸いです。

2013年7月10日水曜日

恐竜の話

「恐竜の飼い方」

たいへんおもしろい本を紹介します。

  『「もしも」の図鑑 恐竜の飼い方』 です。
このような本が出版されるということは、この世の中には、〝恐竜を飼ってみたい!〟と思っている方が、私のほかにもいる・・・ということの証ではないかと思うほど、私のツボのど真ん中に入った本です。
著者は、土屋健さんという方です。
そして、、群馬県立自然史博物館の名誉館長である長谷川善和先生、高桒祐司さん、三田照芳さんが監修しています。
富岡市にある群馬県立自然史博物館は、たいへんすばらしい展示がたくさんありますが、そのなかでも恐竜関係の展示は、ほんとうにすばらしいものです。

以前、このブログで、「私の体験的〝化石探し〟講座」というのを投稿しましたが、この投稿のページビューの数は、ほかの投稿と比べ物にならないほど、多くの方々に閲覧していただいています。
とくに、2013.3.29に投稿した、「私の体験的〝化石探し〟講座」は、ダントツの閲覧数を記録させていただき、いまも閲覧数が伸びています。

  化石好きな方がたくさんいるのだな・・・と、つくづく思います。

これは、2013.7.9(火)の読売新聞の記事です。
私の場合、こうした記事を読みますと、

 ① 恐竜の化石を発見したいものだ。それが新種ということで、恐竜名に私の名前も入れていただいて・・・
 ② 映画のジュラシックパークのようになっては困るけれど、かわいい恐竜であれば飼ってみたいものだ・・・

ということを思うのです。

『「もしも」の図鑑 恐竜の飼い方』は、そんな思いに応えてくれる本です。
恐竜好きの方には、必読書といっていいでしょう。

ところで、この本では、読売新聞の記事にあるティラノサウルスの飼い方も紹介されています。
   (本の目次の一部であれば、著者に失礼ではないと考えました)
あなたのお好きな恐竜がいましたか。
 
               ことしの夏は、       
              恐竜といっしょに暮らす、
           そんな生活を考えてみませんか。
         おもしろいライフスタイルが見つかるかもしれません・・・