2019年2月1日金曜日

C11 353

昭和40年代の高崎駅

きのうのブログでは、つり橋であった和合橋の写真を紹介しましたが、これから紹介する写真も昨年の暮れに棚を整理していたときに出てきたものです。
たくさん撮影した記憶がありますし、それをアルバムに整理した記憶もあるのですが、そのアルバムと全体のネガはどこへいってしまったのか見つかりません。
この撮影が私の撮り鉄始めということで、ほんとうは大事に保存しておくべきものであったのですが、 なにせ高校生のときのこと、あちこちで自慢しまくっているうちにどこかへ・・・ということになったとしか考えられません。
ここで紹介した写真が高崎駅で撮ったとは、いまの高崎駅からは想像できないかもしれませんね。
この写真3点だけのネガが残っていたのですが、おそらくじょうずに撮れなかったために別のネガケースに移したもので、それがネガを保存しておいた箱の下にもぐりこんでいたということかと思っています。
つぎの写真は二重露光してしまったものですが、このころはフィルム代や現像、焼き付け代を節約しようと、フィルムのコマめいっぱいに撮影したものでした。
たとえば36枚撮りフィルムのときは38枚撮影できたとか、24枚撮りのときには27枚撮影できたとか・・・フィルムを装填して、巻き上げていくタイミングなどをいろいろ考えたものでした。
二重露光の写真を見ますと、あのころのことが鮮明によみがえってきます。
余分ごとですが、カメラの連写機能を使ったのは、デジカメを購入してからで、フィルムカメラを使っているとき、連写機能はついていましたが使ったことはありませんでした。
フィルムカメラのときには、1枚1枚慎重に撮影していたことを懐かしく思い出します。

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